トラックバック(2)
トラックバックURL: http://web-conte.com/blue/mt-tb.cgi/63
以下のリストにある記事は、当記事 " 「Yellow」を更新 " を参照しています :
A級戦犯合祀に見られる怨霊信仰 from nozomu.net - 吉田望事務所 -
アマゾンで、「日本史再検討(世界文化社)」を買い、私が大ファンである井沢元彦さん...
2005年11月 9日 14:16
トラックバックURL: http://web-conte.com/blue/mt-tb.cgi/63
以下のリストにある記事は、当記事 " 「Yellow」を更新 " を参照しています :
コメント(5)
盆問題なのですが
最近「旧暦」が流行っていまして、曰く「日本人は元々旧暦で暮らしていて、節句等もそれに沿って意味を持っていたのに、無理矢理新暦に変換されてしまって季節感を喪失してしまってる」ということらしいんですが、さて(旧暦で暮らしていた頃に「日本人」という概念があったかなかったかとかいう議論はさておき)、そんな中にあって(正月ですら新暦なのに)頑なに旧暦の暦で行われている唯一の行事が「盆」です。盆はあの時期にやらなければ「日本列島住民」の無意識が納得しない行事なわけです。(逆に、盆以外は、まあ季節がずれても受け入れることができたとも言えるかも。)
で、ここで改めて気付かされるのは、沖縄に上陸されても、東京を大空襲されても、同盟国が次々降伏しても、原爆を二発も落とされても、ソ連が迫ってきても、8/15まで降伏しなかった、8/15をもって敗戦とした、天皇の恐ろしさです。(意識的か無意識かはわかりませんが、無意識であったほうが恐ろしい気もします。)毎年盆に異界から巷に帰ってくることで死霊たちはマレビトとなり、怨霊は英霊に、敗戦は終戦に変身が可能になるというからくりなわけです。
あと、首相とかが靖国参拝をしたがるのは、菅原道真を天神さまに仕立てることで、怨霊封じ、及び「荒御霊→和御霊」の変換エネルギーを招きたい、という事例に代表される日本列島住民古来よりの宗教観から一歩も外れない行動だと思います。自分は戦死しなかった...自分は戦犯にならなかった...ということで、戦死者にも戦犯にも、等しく借りがあるわけで、そりゃあ合祀もする(せずにはいられない)し、ていうか、ぶっちゃけ怨霊怖いんス...って感じ(の無意識の働き)じゃないかと思います。
>日本列島住民古来よりの宗教観から一歩も外れない行動
それはちょっと乱暴な。その説明からすっぽり抜け落ちているのは周辺諸国の戦死者です。菅原道真の例(霊に掛かっている、か?)に代表される「御霊信仰」をここに当てはめるなら、靖国神社が畏れ祀るべきはまず殺した敵の死者であって、味方の死者ではありません。仮に、太平洋戦争は敗戦だったためにわれわれは勝者ではなく、そうした敵・味方の構図が従来どおりには当てはまらないのだと言うにしても、少なくとも日清・日露の段階で(明治維新後の段階で)中国・ロシアの死者の怨霊を(旧幕側の死者の怨霊を)靖国は祀るべきでしょう。つまり靖国神社それ自体はちっとも「御霊信仰」のメンタリティの延長上には存在していません。
靖国それ自体のメンタリティとはまったく別の次元で、つい「靖国参拝をしたがる」首相らの行動から矮小化された御霊信仰のかたちを取り出すことは可能かもしれませんが、そのことを肯定的に語ってもしょうがないでしょう。
あるいは首相の行動を「御霊信仰」として見ることによって、「英霊」はじつは「怨霊」なのだ——国のために死んだ者たちではなく、国のせいで死んだ者たちなのだ——ということを浮かび上がらせる論の持って行き方があるかもしれません。しかしそこではやはり、自国以外の死者がすっぽり抜け落ちていることを意識しつつ論をすすめなければならないでしょう。
ちなみに「御霊信仰(怨霊信仰)」に関して言えば、これはその後、仏教の怨親平等思想とあわさることで祟りの発想が薄まり、戦乱が起こるたびごとに戦死者の敵も味方もともにあつく供養するという習俗を生み出していったものです。なにも「内戦」にかぎった事例ばかりではなく、足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石の勧めにより、元寇以来の敵味方すべての戦没者供養のため、国ごとに一寺一塔の建立を決めているし、また島津義弘は秀吉の命に従って朝鮮に出陣、帰陣したのち、子の家久とともに高野山に「弔魂碑」を建てますが、そこにははっきりと「為高麗国在陣之間敵味方鬨死軍兵皆令入仏道也」と記されています。
参考文献:奈良哲三「招魂 戊辰戦争から靖国を考える」(『現代思想』2005年8月号)
>それはちょっと乱暴な。
はい乱暴です。ごめんなさい。「一歩も外れない」ってのはウソです。ていうかちゃんと「靖国」のこと考えてなかった。どちらかというと考えてたのは「天皇」のこと。そして最近の流行りは「ワタリガラス」から「ヤタガラス」へのミッシングリンク。(=新しすぎる記紀神話の環太平洋古神話群への接続。)
さっき『靖国問題』買ってきたので、読みながら反省します。
でも、やっぱ、(御霊信仰も含めて)無意識の領域を(も)考えないといけないかなというのは強く感じます。論理的に筋道立てて靖国を論破しても、どうということもないわけで、そういった乱暴な無意識に由来する票が今回の選挙結果を生んでいるわけで、はたまた夜の新宿タイムズスクエアから見下ろす新宿御苑の闇の深さは一体何事なのか、とか、いろいろ。
あれの怖さは「水木しげる」とはぜんぜん無縁の、例えば「ホラー」を思います。無意識的に。あれはむしろ、古来の宗教観とは全く関係のない、「近代的」「合理的」「西欧的」な何かなんじゃないでしょうか。(キリスト教徒や朝鮮人を祀って「あげる」というひどい他者性の欠落という点で、日本的だとも思ったりもしますが。)あれは(あの類は)日本に限らず、近代国家というものの根拠付けにとって(それがそもそも無根拠であるが故に)必要不可欠なものなのではないでしょうか。故に近代国家の首相としての行動は、残念ながら驚くに足りず、当然のことであると思います。
(あれをなんとかするには、結局「国家」をどうしてくれるかという問題に帰結するしかないのか、次元を異にするネットワークは「テロ」や「一揆」にしかならないのか、等々。)
で、問題の「お盆」はそもそもあまりにも訳の分からない得体の知れないものであり、「終戦」や「空襲」や「原爆」は、その理不尽さ、訳のわからなさ故に、そこに属している(しつつある)ように思います。
が、あればっかりは、私の中では無意識的にも「お盆」とは繋がりません。あれは「お盆」を前にすると、あまりにもあからさまに「合理的」で「意図的」で「陰気」だからです。
むしろ「お盆」があれを呑み込んでくれないかという期待は、あったりします。ナスに割り箸刺して奉納したりとか。うどんを食ってみたりとか。
>ま
ま・・・ま・・・まなつ?!
(※まなつ:相馬称の姪。四才児。保育園入園前である。)
コメントする