思想のないRTより、粗相のないvia
タイトルはなかば冗談(シティボーイズによる標語「思想のない演劇より、粗相のないコント」のもじり)だし、わたし自身の結論を先取りすれば、むしろ「RTの思想」をこそ拾い上げるべきではないかというふうにも思うのだが、いや、そもそもの話からはじめれば、Twitterの「RT」ってやつがよくわからなかったのだ。
「RT」というのは「Re-Tweet=再つぶやき」のことである。あなたがTwitterを使っていて、ふと「いいつぶやき」に出会ったとする。この「声」は重要であり、もっと広く届かせるべく自身でも同じことをつぶやきたいとか、あるいは、重要であるとまでは言えないが何かひっかかるものがあり、そこから何かを考えるためのメモとしてひとまず採集しておきたいといったような場合に、「RT」の記法を用いてそれが再つぶやきであることを示しつつ、自身のタイムライン(TL)のなかにつぶやくことができるというわけだ。
一般的な記述ルールは次のようなもの。
RT @username: message
先に「RT」を打ち、つづく @username で元のつぶやき主を示す。@username のあとのコロン(:)は形式上のニュアンスを伝えて親切だが、これは字数節約の観点から省略する人もいて、どちらでもいいらしい。そして、元のメッセージ=つぶやきが最後につづく。
要は「引用」なわけだが、もうひとつ、Twitterには引用の書式があって、それが「via」である。「via」のほうはこのような形式になる。
message (via @username)
いま、より一般的であるのは圧倒的に「RT」のほうであるように見受けられるが、そんななか、かなり劣勢ながらも「via」を支持するひとつが、iPhoneおよびMac界隈ではよく知られるところのTwitterクライアント、「Tweetie」である。
現時点で、「Tweetie」では再つぶやきの形式を「RT」にするか「via」にするか、ユーザーが環境設定で変えられるようになっている(このへんは、後段に訳出するブログ記事が書かれた当時とは状況が変化している)のだが、しかし、そのデフォルト値は「via」のほうである。
で、調べると、今年1月の「Tweetie」公式ブログに「なぜわれわれはviaなのか」について語る記事があり、「“RT” vs “via”. Round 1.」と「“RT” vs “via”. Round 2.」というそのふたつを訳出したのが以下である。ただし、すでに触れたように、記事が書かれた当時からさらに状況は変化しているらしく、記事中では「環境設定でユーザーにどちらかを選択させるということもしない」と明言しているものの、その後にリリースされたバージョン(現バージョン)ではその機能が追加されている。
というふうに、(まあ何でもそうだけど)歴史的なある時点での議論であることは多少考慮に入れつつお読みいただきたいが、では、ひとまずその記事を。訳してみてわたし自身が思うところについては最後に。
関係の過剰性はどこに生じるのか──共同体の真正性とビデオコメントの可能性
「小田亮の研究ホームページ」に置いてある口頭発表原稿「共同体と代替不可能性について」、および『思想』(2008年第12号)のレヴィ=ストロース特集に載った同じく小田さんの論文「『真正性の水準』について」を読んだ。いずれもその中心に扱われるのは、「真正性の水準」という言葉である。
(以下、「はじめに」の節では前提としての小田さんの議論をくりかえしています。そこはまあ了解済みであるという場合、次節「〈顔〉とは何か」からお読みいただいてもけっこうです。)