コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


4月30日(月)

▼この29、30日は、永澤が来て、田村が来て、永澤と入れ違いに上山君と恭子ちゃんが来た。来たところをつかまえて、ビデオとDVDとコーヒーとでもてなす。
▼26日の欄にある画像2枚は、西荻窪にある「e+」(イート・プラス)という食事処の、雨の日は2倍押してくれるのではないかと評判のポイントカードで、その店が、平日は午前1時までやっているのだということは26日の会社帰り、はじめて入った際に「1時までですがよろしいですか?」と聞かれて知ったが、そのときは同時に、腕時計をし忘れて家を出たのだったと思い出し、「えーと、いいのですけど…」と答えてテーブルに着いてから、携帯電話を見ればよかったのではないかと見てみればあと5分ほどで1時であって、「よろしいですか」も「いいです」も無いもんだが、キャベツのスパゲッティとオリジナル・カクテルとはもう頼んでしまっていて、カクテルはすぐに来たものの、スパゲッティはなかなかじっくり作業を進めているようで気が気ではなく、居合わせた2人組の客が1時をちょっとまわったぐらいで帰っていったあと、「すいません」と声を掛ければ「どうぞどうぞ」「ゆっくりしていってください」とお姉さんの気のいい返事である上に、その向こうの厨房では気のいいお兄さんがじっくりとスパゲッティを茹でてくれているので気が気ではないが、結局1時半ぐらいまで食べていた。と書けば、伝わるのは「親切な店だ」ということだろうが、より伝えたいのはそうではなく、旨かったのだということである。
▼そのイート・プラスへ、29日の晩は永澤、田村と食べに行く。雨の中、善福寺川に沿って歩いていった。
▼同じ面子で、30日の昼は吉祥寺の十八家。十八家と言えば、ここ、アレが置いてある。何と言ったらいいのか、むろん正式名称など知らないが、「ホラ、喫茶店なんかに昔あった」が枕詞の球体をした占いマシーン。星座占いだっけか。えんじ色のやつ。でもってそれが、いくつかあるテーブルのうち1卓だけに置いてあって、残りのテーブル分と思われる数が入り口脇、窓際のところに並べられている。となれば、「アレ、譲っていただけたり(しませんかねぇ)…」とつかぬ事を伺いたくなるのが人情で、こないだ、伺ったのだった。「アレねえ、業者さんも最近しばらく来てないんでねえ、俺も分かんないんだけどさあ」が若主人の開口一番で、結局、「いつんなるか分かんないけど分かり次第ってことでいい?」と、返事の電話をくれることになったのだった。「何て言えばいい?『占いマシーンのことで…』って言えば分かる?」とは、たいへんに気っぷの良い若主人の念の押し方だ。だので、もしかすると、私はアレを手に入れるかも知れないのだった。
▼例の「予習会」は結局、談志「堀の内」、米朝「たちぎれ線香」、志ん朝「抜け雀」という三本立てで、訳が分からなくなるのではないか初心者は、というかなり欲張った2時間弱になってしまったが、「でも予習って、そういうものじゃないですか」とは頼もしい限りの恭子ちゃんの発言で、今後のことを考えた予防線として念のため、「面白い落語は面白い、のです」と発言しておいたが、まあ大丈夫だろう恭子ちゃんなら。うん、「落語は面白い」のです、恭子ちゃん。
▼バンホーテンもまた旨いのだった。永澤という人は、何と言うかカフェインに対して慎重な姿勢を崩さない人で、「寝る前」という頃合いになれば、コーヒーはもちろんお茶だの紅茶だの一切合財を口にしなくなるし、そもそもが「とりあえずコーヒー」という身の処し方をしない。「とりあえず」であれば、永澤は「ココア」だ。だもので、永澤を招き、駅に迎えに行った折りなどはコンビニ等でココアを求めてから部屋へ向かうことが多いのだが、今回もまた、駅前の西友でココアを買った。片付けを終えてまだ間もなく、「部屋で過ごす」ということに対するやる気が普段と違う私が、「旨いものを買え」ってなことを言ったものだから、永澤、バンホーテンを買う。温めたミルクと、砂糖と、こちらで用意しなければならないタイプのやつで、面倒じゃないかこれはと、その晩「そういうタイプだよ、これは」と永澤に言われてはじめて気づいた。結局、永澤は昼間、美味い美味いと相馬がうるさいブラジル・ブルボンを飲み、夜は何も飲まずに過ごして、バンホーテンの缶を開けないまま翌日帰っていった。GW前半の、全ての行事を終え、ぶらっと立ち寄った古本屋で見つけた古井由吉の『槿〈あさがお〉』(600円!)を提げて帰宅後、その缶を開け、温かいミルクと砂糖とで作って飲んだ。
▼30日の晩、大トリは天王洲アートスフィアで「シティボーイズミックス presents ラ・ハッスル・キノコショー」。来年は絶対に、チケットは「全員分」だ。取ってやる。絶対に。
▼しかし長いよ。書きすぎ。


4月26日(木)

▼文章はお休み。
▼ごちそうさまでした。

おもてうら


4月25日(水)

▼私はコーヒーを飲む。矢鱈と飲む。一体好きなのかどうかはよく分からないし、これだけ飲んでいれば明らかに中毒なので、好きで飲むのだと言うだけの資格なぞとうにないに決まっているが、そこはそれ、やはり、好きなのだと言っておかなければどこかで収拾がつかなくなる。それほどに飲んでいるのが最近だ。
▼マクラ部分でもってあまりに乗ってしまうと、かえって噺に入りにくいというのは全く本当の話だが、何の話かと言えばブラジル・ブルボンだ。
▼吉祥寺パルコの裏っ手にある、「カルディ」という店で買った豆の銘柄で、銘柄なのだから別に「カルディ」でなくても売っているのだろうが、まあ、吉祥寺パルコの裏っ手と言えば「カルディ」と、「十八家〈とうはちや〉」だ。「十八家」というのがまたうまいラーメン屋でと書きつなぐことも可能だが、とりあえず今はブラジル・ブルボンである。
▼美味い。


4月24日(火)

▼ゴールデンウィークは着々と、暦どおりに近づいている。どうしたものかといまだ考えあぐねているのは例の「予習会」だが、そこはやはり、時間のあるったけを使って詰め込む無茶はやらかさず、のんびり過ごしてもらうにこしたことはあるまい。ね、きょうこちゃん? どんな顔だっけ?
▼totoの予想というものをやる。
▼今さっき確認に、机の上の予想シートを覗いてよかった。「toto」は小文字である。「TOTO」と書こうとしていて、気づけばそれはだいぶちがうのだった。TOTOの予想。「アイボリーかどうかを当てる」とか、そういったことか。
▼当方サッカーは知らないので、「ふつうだと、まあこっちが勝つんじゃないか」というところを上山君に聞き、それをベースに5パターン組み上げる。500円。
▼富〈とみ〉と名の付くもの(付いちゃいないが)を買うこと自体、これが初めてなのだったが、「これはひょっとすると当たるのではないか」という心持ちは実際に襲ってくるもので、「それからいいお宮があったなあ、大神宮様。あれも出しといたから取りに来い。と頭に言われたい」と言えばいいのか、なんだかたいへんに幸せな気分なのだった。
▼教えてもらったことでもあるし、1億円当たれば、まず上山君に2億円あげる。そっくりそのまま2億円というとこっちもあれだし、向こうも受け取るまいから山分けするとして、私と上山君とでそれぞれ5千万円ずつ借金を抱えることになるのはどうしたことか。いわゆる「上山君のパラドックス」だが、どこで間違えたか。


4月23日(月)

▼私の歯軋りをきいたことがあるというものは手を挙げてほしい。
▼ひょっとして自分は歯軋りをしているのではないかと、ふと思いが差した。あれは、実はそうなのではなかったかと、思い当たる節が途端に出来た。歯がざらつきだして、たしかにそんな心地が残っているが、平生の記憶には似ず、夢見心地の中でにちがいないが、するとやはり、その心地をなぞって実際に歯を軋っていると考えるのが順当ではないか。とんでもないことになった。恐いことになった。恐いと言えば自分で自分を気味悪がるふうだが、そうではなく恐い。痛いのだと、いっそ言えばいいのか。
▼放っておくと、日記は日増しに難解になるようだと、永澤に言われる。あるいは、単に読みづらいのか。いったいどれだけの人が日記だと思って読み、どれだけの人が冗談だと思って読んでいるのだろう。


4月18日(水)

▼前田英樹『倫理という力』(講談社現代新書)。周到で、強靱なホニャララ。ホニャララには、いっそ不用意に「フィクション」と充てて私なりの誉め言葉を完成させてもいいが、それはあまりの周到さとあまりの強靱さ、あまりのリズムの良さから、ふと今読んでいるのはこういう語り口の小説なのではないか、そうだったとして何か不都合はあるか?という気分をもよおしたせいである。もとより本書は、説得力を持つことそれ自体がその目的であるから、そのためには周到でなければならず、強靱でなければならない。あるいは、「よく書かれなければならない」。会社近くの本屋に、本当は岩波文庫の『西遊記』を探して立ち寄り、平積みの新刊の中に見つけた。「前田英樹ってあの前田英樹か?」と手にとったのだった。吉祥寺駅での人身事故のために遅れに遅れ、混みに混んだ深夜の中央線の中でぼんやり考えた誉め言葉が前半。まだ読み終えてはいない。

主著に、『沈黙するソシュール』『小津安二郎の家』(書肆山田)、『小林秀雄』(河出書房新社)、『在るものの魅惑』(現代思潮社)、『セザンヌ 画家のメチエ』(青土社)、訳著書に『ソシュール講義録注解』(法政大学出版局)など。ただしどれもちゃんと通して読んだことはない。


4月17日(火)

▼「リレー俳句」を更新したのは、日記の流れからいけば出来すぎだが、ついついそうなってしまった。勢いだ。しかし集まったあの14文字の扱いはどうなのか。駄目かね。これも勢い。夜中、西荻窪から吉祥寺へ歩いているときに口をついて出てきた「解釈」で、「解釈」を考えていてそんな言葉が出てきたのに笑ってしまったのだった。
▼もうだいぶ前から、「真・リレー俳句」とでも呼べそうなシステムを考えていて、作っていない。ユーザーがリアルタイムで文字を付け足していけるCGIで、17文字になったら一句終わり、自動的に次の句がはじまる。そうしてどんどんと溜まっていく俳句のうちの好きなものを選んで、ユーザーは自分の解釈を書き込むこともできる。これぞリレー。それでこそリレー。本当を言えば、「リレー俳句」のコーナーを作り始めた97年の時点で「理想型」としてすでに思い描いていたことで、当時はどう作ればいいのか分からなかった。今なら作れる。要はそういう仕組みの掲示板だ。しかしまだ作っていない。


4月11日(水)

▼「ものの5分」というのは大袈裟だったので訂正する。だいたい7、8分。しかし近い。そして武富ハイツは遠い。
▼月が左に出ていれば、左手に力が入る。見上げてつい、街路樹なり塀なり、それは場合によるがぶつかりそうになる。自転車に乗っているときだ。
▼もういい加減、管理人は「書く」という作業にベタ惚れで、この「コーナーの日記」しか更新する気がなくなっているのだろうなと思われていても不思議はないが、正直だいたいそんなところであって、そこに唯一逆転の望みがあるとすれば、管理人は〈微分する天邪鬼〉であるということぐらいだ。口をつく言葉や浮かべた思いがある方向を持つが早いか、それを裏切る方角にやる気が出、また削がれる。「コーナーの日記」しか更新する気がないと書く自身と読む読者を裏切って、ほかの例えば「リレー俳句」などをいきなり更新してやろうかといった思いは、つまり、すでに失せている。


4月10日(火)

▽ヘッダ部分のかたちを少しなおし、以前の分のページもこのかたちに統一した。日記の更新を止め、何をしていたかといえばこんなことだ。
▽で、止まっていた4/1〜の分をまとめてアップした。一番下から、日付を追って読んでいただければ幸い。

▼今夜からふたたび、猫の世話をしに兄宅に泊まることに。いったん会社から吉祥寺に帰り、そのあと兄の自転車で吉祥寺・西荻窪間を往復、ということをやる。
▼西荻窪の部屋から吉祥寺の駅前まで、自転車でものの5分といったところ。まったく問題ない。自転車で5分ということは歩けぬ距離でもないわけで、実際、狛江駅から武富ハイツ(旧居)までと同じぐらいってことになるのではないか? つまりあれだ。遠いじゃないか、武富ハイツ。
▼本日は「猫の忠信」「馬の田楽」(ビデオ) を見て就寝。


4月9日(月)

▼米朝「帯久」「足上がり」(ビデオ) を見る。今度のGWに米朝を見に行く際には、上山君ときょうこちゃんが一緒なのだが、この二人に予習材料を与え、万全を期して大阪入りを果たしたいというのが目下の考え。で、少ない時間の中で何を見せるべきなのかと、いろいろ買っては見ているのだった。
▼と、ここまで書き、読ませておいてなんだが、知人以外の読者にとって「分かったような分からないような話」が続いているのではないかと思われるのは事実で、この際まとめて説明するのは登場人物と背景紹介である。まず、上山君ときょうこちゃんというのが相思相愛と思われる仲で、恐らくそうにちがいないが、そうじゃなかったらびっくりだ。で、そのきょうこちゃんは現在、京都在住。世に言う頼朝挙兵。このGWは、前半きょうこちゃんが東京に、後半上山君が京都へ、という計画になっていて、私の関西行きは、「じゃ、俺も京都行く」という冗談からスタートしたもの。先の「頼朝挙兵」は「遠距離恋愛」の間違いだが、前半きょうこちゃんが東京に来た際には、シティボーイズのライブもご一緒することになっていて、また、米朝の「予習会」を西荻窪で開くのもこの時ということになる。「予習会」は同時に、「荷物片付け終了記念・新居お披露目会」ともなるので、永澤、田村といった関西行きとは関係のない面々も集まる予定なのだった。なお、きょうこちゃんと頼朝を除き、登場した名前はすべて高校時代の友人。何か質問はありますか?
▼しかし問題なのは、予習に何がいいのかということで、そもそも、米朝に関しては私自身予習がたりない。今度聞きに行くのは「肝つぶし」と「古手買い」の二席だが、ほら、全然知らない噺じゃないか。上山君はまあいいとしても、きょうこちゃんの方は落語そのものが馴染み薄であるから、とすればこの際、志ん朝・談志といったあたりも見せたくなるのが人情というものだ。といってそんなに時間をとれるわけでもなく、あ、全部まとめて『幕末太陽傳』を見せるというのもあるか?


4月8日(日)

▼ただのテーブルとして一年中出しておくには、こたつはちょっとこの部屋にはでかいな、と思ったのだった。こないだの雪で少しびくついていたものの、いくらなんでももう春だろうという外の陽気と、いまだカーテンを買っていないこの部屋名物の西日に背中を押され、こたつを解体して押入へ。これが思いの外上手く納まる。で、あらためて押入を整理。これで、購入予定のお客様布団がなんとか入れられるのではないか。テーブルは、もっとこぢんまりしたやつを買おう。あとに回しに回された、小物や紙類の整理もあらかた着く。
▼順調ぶりに気をよくして外へ。新宿、中野、吉祥寺と買い物。『幕末太陽傳』と『悦楽共犯者』のDVD、米朝のビデオ3本とCD1枚、それと中野のまんだらけで小池一夫・小島剛夕の『孫悟空』8・9巻、お買い上げ。『孫悟空』を読み、「崇徳院」(CD) を聞いて就寝。


4月7日(土)

▼夜、永澤と電話。暗がりから現れ、右手に永澤、左手に電話機を掴んで無造作に前へ差し出した大男に、これまた無造作な声で「選べ」と言われたとすれば、その日の日記もまた同じように書き出されるだろうかと思うものの、さしあたって今日はそんな話ではないので注意だ。あるいは自分は、電話機を選びはしなかったかと訝る必要もないのでこれまた注意である。
▼夜、ずいぶん久しぶりに永澤と電話で話す。本当に久しぶりで、気が付けば「シティボーイズ、君は行けません」というのもまだ伝えていなかったのだった。が、この男、生で談志の『らくだ』が聞けたということで、すでに今年は幸せいっぱい、ご満悦ひとかたならず、「2001年は、もう暮れてもいい」とさえ言うのだった。
▼ほか、田村君、上山君とも電話し、ゴールデンウィークの前半戦をどうするかという骨格決め。


4月6日(金)

▼燃えるゴミの日で休み(休みは嘘)。
▼朝起きて思い立ち、おおまかに言って、衣服類を半分ほど捨てた。じき回収車がやってくるという緊迫した状況がよかったようで、「着る」「着ない」の判定がズバスバと決まっていく。あっという間にゴミ袋3個分の「着なくなって久しい服」。あるいは、「着たこともない服」。なぜそんなにあるのか。高円寺時代にすでに着なくなっていた服なども多い。核心に触れた片付け、というやつだろう。爽快。


4月3日(火)

▼ゴールデンウィーク後半は、関西方面へ行くのだった。「行く」というのは一ヶ月ぐらい前から言い出していたのだったが、その後あれこれ思い巡らしていたスケジュールがようやく固まった。というか、踏ん切りをつけた。Go West、二泊。
▼初日、5月3日だが、まずは大阪へ。トリイホールというところで桂米朝の独演会を鑑賞。はじめてのナマ米朝を本場でという贅沢っぷりであって、そもそも、この独演会がこうタイミング良くなければ今回の関西行きは成立してなかったね恐らく、という核心部分。
▼で、京都に移動して二泊。宿をとり、一番長く滞在することになっているにしては、具体的に何処に行き、何をするかが未定なのだが、まあ観光だろう。どう転んでも。無計画に訪ねていって楽しめぬほどやわな古都でもあるまいとタカを括って、恐らくはのんびりする手筈である。
▼それでもって三日目、京都をあとにして一路、静岡県袋井市へ行く。京都一泊で帰ってくるか、二泊して旅をつないで袋井へ行くかが悩みどころだったが、行くとした。宮沢章夫が演出する、市民参加の舞台があり、それを見て東京へ戻って来る。
▼この春、関西方面といえばユニバーサル・スタジオ・ジャパンだというのに、何と贅沢な二泊三日だろうか。濃密なような、子供っぽいような計画。5月3日の一ヶ月前ということで、まずは行きの新幹線の切符を購入する。


4月1日(日)

▼ものにはよく、英文が書かれていて、人はよく、それを読んでしまう。易しい英語で書かれてあるからだ。例えばこのティッシュボックスには、"The time has come to do the things we must do. The time is now." とあるのだった。鼻をかめ、ということだろう。その時は今だ、と。その時は今だというのは、すでに鼻が垂れてしまっているからで、だからこそ話者はこれほど決めてかかっているにちがいないのだが、問題は、主語が "we" だということで、実は話者も鼻を垂らしている。鼻を垂らしてその言い草はないんじゃないかとも思うが、こちらも鼻を垂らしているので強いことは言えない。いや、そんなことが書きたいんじゃなかったのではないかと、今となっては思うものの、すでに遅いのであって、こうして人は、易しい英文の前で無為な時間をすごすのだった。