コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


12月27日(木)「やはり無分別智らしい」

▼また突発的な行動に出たものだが、思わず、国会図書館へ行ってしまった。
▼会社を中座して1時間半ほど。麹町→永田町なので1駅だ。
▼ネットで調べものをしているうちに出くわした、徳永道雄「老荘の無為自然と親鸞の自然法爾」(「宗教研究」65巻・4輯・291号、1992年3月)という論文を読みたくなったからで、読みたくなったからって「じゃ」って感じで出掛けちゃうのもまったく申し訳ないが、年内は今日が最後の開館日だというので行ってきたのだった。
▼知らない人のために説明すると、国会図書館のシステムは「閉架式」と呼ばれるやつで、本棚が並んでいて見て回って探せる「開架式」ではない。冊子やパソコンを使って目録で探し、「資料請求票」を書いて受付カウンターに出す。で、その請求した本が出てくるのに30分ぐらい待つ(待合所のようなところがあって、電光掲示板で入場者の番号を表示、本の到着したことを知らせるのだった)。
▼「(個人への)館外貸し出し」はナシで、コピーをとるしかなく、これもコピー機が並んで自分でとるんじゃなくて、複写カウンターがあってそこに申し込み、10〜30分待つ。当日にコピーを受け取れる「即日複写」の受付が午後4時までで、あとで取りに行ったり郵送してもらったりする「後日渡し複写」の受付が午後4時半まで。そんな感じのところだ。
▼ひょっとするとさらに何も知らない人がいるかもしれないが、別に国会資料とかだけ扱ってる図書館なのではない。そういうふうにいろいろと面倒で大がかりなシステムになってしまうような、国内最大、唯一の国立図書館。大学時代には結局一度も利用せずにすましてしまったので、これがはじめての利用なのだった。そこへ、急な身の軽さでもって出掛けてきた。
▼出掛けたのが遅く、結局「即日複写」はかなわなかったが、出してもらった「宗教研究」をめくってみると件の論文は1ページちょっとの短いものなのであって、その場で読んでメモなど取り、返却して帰ってきた。そうしてメモには「無分別智(むふんべっち、と読みます)」と大きくあるのであって、してみるとやはり、「無分別智」なのではないか。

▼だいぶごぶさた。21日には立川談志の独演会に行ってきた。「堀の内」と「芝浜」の二席。
▼諸星大二郎の『西遊妖猿伝』は第14巻まで読了。

▼うん、「性根入れて本屋入り浸りデー」には是非おつきあいしたいところだが、別につきあうようなものでもないか。


12月16日(日)「小坂忠&FRIENDS コンサート2001」

▼という名前だったそうだ、あれは。
▼単に「コンサート」でもいいし、いっそのこと「2001」と呼ばれたとしても別に構わないが、とにかくそういう名前だったそうだ、あれは。
▼まあ、出演者を並べて分かっていただける人ならばそもそも説明など要らないにちがいないが、一応、小坂忠(Vo)、細野晴臣(B)、鈴木茂(G)、林立夫(Dr)、佐藤博(Key)、浜口茂外也(Per)、佐橋佳幸(G)、という面々。
▼あの時間、われわれは東京厚生年金会館にいたからよかったようなものの、日本のほかの場所では一切、音楽が鳴っていなかったんじゃないかと思う。
▼一緒に見てきた上山君がその日記にわかりやすい言葉で書き、また、私的言語といった感じの言葉ではミエシカさんがその掲示板に書いてもいるので、私に残された作業は特にない。反芻し、かみしめ、再びリモコンをCDプレーヤーに向けるぐらいのことだ。
▼「再生」とはよく言ったものじゃないか。


12月15日(土)「どこまでも報告を旨とすることと嘘について」

▼「朝日新聞」の「夕刊」というのも、考えてみれば変な話だと言えなくもないが、今日書こうと思うのはそのことではない。
▼というのも、訳を話せば、本当にそんなことを書くつもりではないということもたしかにあるのだが、「朝日新聞の夕刊」についてはまるっきり同じようなことを、宮沢章夫が以前どこかに書いていたんじゃなかったかと急に思い出したからで、知った上での流用ならまだしも、知らず知らず自分の着想であるかのように書いてしまうというのはちょっと、かなり恥ずかしいんじゃないかと思ったわけだ。
▼と、そんなことを報告するというのもつまり、今しがた確認のために、部屋にある宮沢章夫の単行本を全部引っぱりだしてパラパラめくったのであって、「ああそう、これこれ」という箇所は結局見つからなかったものの、しかし絶対どこかに書いているはずであって、そもそもなぜこんなことに血道を上げているのかと我に返ってみれば、せっかくのこの努力を無駄にせず、文章化してやるのが日記というものではないかと膝を打ったのだった。
▼と、そうしたことすべてひっくるめて、本当は今日は、そんなことが書きたかったのではないというのはすでに述べたとおりだが、だとすれば、ここまで一体何を読者に読ませてきたのかということにもなり、まったく、ネットサーフィン恐るべしである。ビッグ・ウェンズデイはこの波ではなかった。ネットにはときおり、ただの高波があるから注意だ。

▼あぶく銭を使わずにはおそらく買うまいから、この際ボーナスですんなり買ってしまおうかというもののひとつが、携帯電話の新機種である。
▼現在私はauユーザーであって、当時まだIDOであった頃に買った、SONY製のcdmaOneを使っている。いきおい、せっかくなのでDoCoMoではなく、auの方のラインナップからチェックして、めぼしいものを探ろうということになるのだった。
▼WEBデザイナーを肩書きとしてしている者の態度としてそれは間違っているようでもあり、正しいようでもあってよく分からないが、とりあえずWEBコンテンツの閲覧に関する新機能とか、そういったことは二の次にして、モノのデザイン重視で選んでいく。が、しかし、何だ。
▼何だこの揃いも揃ったかっこわるさは。
▼むろんこうした状況は今に始まったことでないし、そもそも携帯ショップに足繁く通っているわけでもないのでよく分からないが、悪化してはいないか。陳列棚一面、何というか、あきらめムード一色だ。どうせ買ってくれるからこれでいいだろうということなのか、各メーカー、しょげかえっているようにさえ見える。
▼だめだ、だめだ、「マシ」なものすらないじゃないかと、ひとまず店を出たのだった。

▼と、こうした調子で3回ぐらい、携帯電話買い替えまでの様子を書くとすれば、きっとみんな信じるんじゃないのか。
▼読者には疑って立つ根拠がないということもあるが、それより何より、どうでもいいことだからだ。


12月14日(金)「自己レス」

▼下の、11日(火曜日)分の日記は、日々チェックされている方はお分かりかと思いますが、実際には日付よりもずっとあとに書かれ、アップされたものです。『セクシーボイス アンド ロボ』を読んだのが11日で、文章の着想を得たのもその日だったことから律儀にその日付を守りましたが、書き上げるのに時間がかかってしまったわけです。
▼そうして時間をかけ、あーでもないこーでもないとひねくり回した文章は、えてして「よく分からない」と一蹴されるのがオチです。
▼説明すると、11日分は、「気前よく話が脱線していくさま」というのが文章の主眼でありましたので、そこらへん、気を使ったのは、「だらだらと読んでしまえるリズム」と「けれどぎこちないリズム」との兼ね合いだったわけですが、今読み返してみて、あまりいい出来ではありませんでしたね。

▼書き味なめらかの、日記の下書き用に使う赤の水性サインペン(中字)を新しく買いました。書き味がなめらかすぎるというのも良し悪しで、勢いよく急いで筆を走らせると、漢字など、二、三本画数の多いでたらめな字を書いてしまって、何を書いているんだ一体、ということになりますから、一概に効率がいいとも言えません。
▼あと、書き味が駄目なのも駄目です。


12月11日(火)「ニコに首ったけ」

▼黒田硫黄の『セクシーボイス アンド ロボ』を読む。
▼こういった漫画家がいると知らされたのはつい最近のことで、つまり上山君のサイトの日記だが、そのことから「上山君の趣味の確かさ」みたいな話へと文章をもっていったものかどうか迷っているというのもつまり、今まで読んでいなかった者の方がどうかしているといったたぐいの漫画家だということがひとつにはあるものの、それはそれとして、ふと「確からしさ」という言葉が浮かんできてしまったのであって、数学の「確率」か何かでそういう言葉があったかと思う。
▼「上山君の趣味の確かさ」について語るとすれば、それは気恥ずかしいながらもどこか絆を深めるふうでけっこうだが、しかし「上山君の趣味の確からしさ」について云々するとなれば、なんだかそれは急に失礼だ。
▼とはいえ、ことにあたってより厳密に、実証性を旨とするならば、やはりここは「確からしさ」の方を問題にすべきであって、具体的にどうやって求めたらいいのか見当もつかないのは残念だが、そんなことより、「確かさ」よりも「確からしさ」の方がなんだか言葉があやふやな感じがするのは厳密であろうとしているのに困ったことだ。
▼「上山君らしさ」とは違うのか。違うだろうな。
▼と、いきおいまた馬鹿なことを書いてしまったのだったが、書こうと思っていたのはそんなことではなかったんじゃないか。
▼黒田硫黄はどうした。


12月10日(月)「宵ごす銭」

▼ボーナスにはまったく助けられてばかりだ。またしても急な金持ち。
▼さて何を買おうかと、リストアップされてきそうなところに一瞥をくれれば、プリンタ(買うのであれば、CanonのBJ900F)に、iPod、うー…あー…、640MBのMOドライブか。
▼しかしなあ、そんなになし崩しに大きな買い物をしている場合でもないよ。来年は今年の比ではなく落語を見るにちがいないし、映画だって見なくてはならなくなるだろう。DVDももっとこまごま買っていかなくてはならないところだし、本屋に本は山とある。日々、旨いものだって食いたいじゃないか。
▼ちょっくら袋井市へ、といったフットワークも残しておきたいところだし、どうなるか分からないがワールドカップを見に韓国へ行くという話だって消えたわけではない。
▼それやこれや、あれやこれやおもんぱかった上で、とりあえず今、ペシャワール会にいくら振り込むことができるか、それをまず考えなくてはいけないし。
▼あ、そうそう、風呂には入らずに、薬でも飲んで、あったかくして早く寝たほうがいいと思う人、手ェ挙げてー。


12月8日(土)「風邪を引く」

▼あからさまに風邪を引いた。
▼出掛けに風呂に入り、髪が少し濡れたままだったのではないか。
▼「メールが受信できないんだけど、そっちも調子悪かったりする?」と掛かってきた電話のはずだったが、結局、「新宿、4時待ち合わせ」と話は決まる。兄夫婦はこれが初見、私はおそらく見納めの『ピストルオペラ』、テアトル新宿へ。
▼その出掛けに風呂に入ったというのはすでに書いた。
▼「これは通うよね」とは嫂(あによめ)の言。「夫は、来週は毎日来ると申しておりました。」
▼繰り返すが、テアトル新宿では14日(金)まで。京都は15日(土)〜28日(金)までだ。いや、あんたはその前に眼鏡だ。(そのほかの地域について等、詳細は公式ホームページを参照のこと。)


12月7日(金)「ハリスン」

▼つまりワールドワイドウェブである以上、どだいそれはパーソナルに存在することなどあり得ないのであって、と同時に、そのワールドワイドウェブを成り立たせているものこそがパーソナルコンピュータと呼ばれるものにほかならないという、そのあたりだ。そのあたりをどう四コママンガにするかだ。

▼サイトとして、「ちゃんとしているなあ」と思わせる要素というのは、他に何があるのか。と言うほど、手が尽くされているわけでもないが、しかし、何があるのか。
▼あるいはひょっとすると、「広告バナーが表示される」といったことも実はそうした作用を担うひとつなのかもしれないが、そうか、あとは「iモードの方はこちらへ」か。うーん。iモード用ページなあ。
▼少し前の、「コーナーの日記」ばっかり更新していた時分には、単純にこのテキストを iモードでも見られるようにして別途用意するという手があったが(まあ今でもあるが)、今のあのトップページを iモードで提供するとなると、ことはそう単純でもないのではないか。ことによると iモードにはまた別の、iモードのためのくだらなさが存在するのかもしれないと考えると、奥は深い。

▼いまはすでに平常のトップページに戻っているが、こないだ行くと大きな顔写真と、「George Harrison 1943-2001」の文字が貼られたそれだけのトップページ。は、言わずもがなのアップルコンピュータ。かと思えば、上山君はジョージ・ハリスンをめぐる印象的な短文を日記にしるしていた。「パーソナル」コンピュータは、ワールドワイドウェブという潮流を作り出すことができるのだと叫んでみせる前者と、パーソナルって、別に「ひとり」って意味じゃないんじゃないの?とつぶやく後者が結んでは消えていく、波のあわいをネットサーファーたちはいく。
▼早く寝ろよ。
▼みんな仲良くな。


12月5日(水)「Suica」

▼日記の方がより何を書くかに悩み、用意するのに時間がかかるというのは何か間違ってはいないのか。どうなのか。
▼バナーを作ったり、あるいはNetscape6のサイドバー用の仕組みを用意したりと、つまりあれだ、「しっかりしてみる」ということだ。しっかりと構えて、くだらないことが言えたらと思うのだ。くだらないことを言うにはやはり姿勢を正さなくてはならないのであって、例えば、asahi.comに行ったら文字が全部サイズ7だったという場面を想像してみるといいが、それはおそらく、今説明しようとしていることとは無関係の何かだ。たとえを間違った。
▼Yahoo! JAPANに行き、いつもの見慣れたトップページだと思っていたらまるごと1枚のGIFだった、という場面でもいいが、それはつまりなんだ、不便だ。

▼今月分の定期から、あれを使っている。Suica
▼JRのみ、たしか今のところ関東近辺のみというたいへん限定された便利さなのだが、しかし便利なのだった。
▼面倒なので知らない人には上記リンクを参照していただくとして、しかし、謳い文句のひとつである「定期入れから出さなくていい」というのはそんなにありがたいのか。そんなにみんな定期入れってやつを使っているのか。大人気じゃないか定期入れ。面白いのかな?と思っている、定期を財布に入れている人たちにひとつの朗報だ。
▼これ、



この中にSuica定期券が入ってるのだが、だいじょうぶだった。かざしたら通れたのだった。これは駄目なんじゃないかと、人間あきらめるべきではないということであって、そして、おそるべしSuica定期券、おそるべし改札だ。
▼ひょっとしたら一緒に入っているPIAカードで、いつのまにか覚えのないチケットを買ってしまっているかもしれないが、そこはそれ、そうした裏技(=バグ)の存在はJRにフィードバックしてあげれば喜ぶだろう。「新宿−三鷹」間の3ヶ月定期と一緒にPIAカードを入れ、阿佐ヶ谷で改札を出ると杏里のS席が買えてしまう、といったようなバグ。
▼そうして、チケット発売日の朝10時、阿佐ヶ谷駅は杏里ファンでいっぱいになるのだった。


12月2日(日)「連日の『ピストルオペラ』」

▼荒川もまた『ピストルオペラ』を見るというので、ちょっとどうかとも思ったが、結局今日もテアトル新宿につきあう。
▼この映画、たしかに「荒唐無稽」というカテゴリには分類されるものの、リアリズムでもってリアリティーを構築していないだけで、決して「リアリティーがない」わけではない。物語もそのリアリティーもたしかに存在するのであって、もとより、そうでなければ2時間も保つはずがない。だから、何回も見るということは、そのつど物語の読み換えというか、「あ、これをリアリティーの立脚点として見ることもできるな」という気づきというか、そういうことができてぜいたくである。
▼と、一応、他人(ひと)の身にもなった説明も用意してみたのだった。
▼ほんとうを言えば、たんに面白いのだが。


12月1日(土)「4回目の『ピストルオペラ』と何度目かの「和幸」」

▼つくばでの学会に参加するための足場として帰っていた栃木の実家から山梨に戻るにあたって東京を通過する永澤が『ピストルオペラ』を見るというのでそれにつきあったが、さて読点はどこに打てばよかったか。
▼というわけでテアトル新宿、16:25〜の回。私はこれで4回目ということになるが、なんというか、一番面白く見れたんじゃないかという感じだ。「スパーン」というか、「ストン」というか、面白かった。
▼永澤はなんだか、なんだか知らないが抱えきれないほどのものを持たされて劇場を出てきたといったふうで、可っ笑しくってしょうがなさそうな様子。「もう一度見に来るかもしれない」と、かえってこちらが気を揉むようなことを言う。いいかおまえ山梨に住んでるんだぞ。
▼で、テアトル新宿での上映は今月14日(金)まで。みなさん急がれたい。
▼見終わって一緒に食事。永澤と新宿で食事ということになると、なぜかいつも、駅ビル内の「和幸」だ。学生のときからずっとそうじゃないのか。
▼会話は、勝手に盛り上がっている本の企画についてなど。この12月に発売になる『ブラックジャック ザ・カルテ』という本(の宣伝文句)にインスパイアされた永澤が、同じような切り口で「怪奇大作戦」を扱った本はどうかと言い出して盛り上がっている。とりあえず今日の席で、タイトルは『怪奇大作戦 ザ・配線図』と決まった。
▼相馬(文芸学部)と永澤(医学部)は残念ながら専攻分野とは異なるので、実際の執筆は理工系である上山君と田村君にまかせると永澤。われわれは、「先生おねがいしますよー、書いてくださいよー」と二人にずっと言ってる役だという。なんだそれは。でもって、「狂気人間」の回だけ自分で書くと永澤。袋とじは「スペクトルG線の作り方」だ。悪用する者が出てくるといけないので、簡単にまねされないように袋とじである。「京都買います」の回については、これは恭子ちゃんに、「私も売ります」という題で特別寄稿してもらおう。
▼いや、まったくもって分かる人の少ない話で申し訳ないが。
▼で、夜は荒川が泊まりに来る。