コーナーの日記

Diary

Title: Superman Red Diary


9月7日(土)「たすかった」

「土曜日は、栃木の日」は、思っていたよりも規模の大きいキャンペーンだったようで、中央・総武線に乗ったところが、ひと車両まるごと(ということは全車両まるごとだろう)そのポスターで埋まっていた。
■ポスターはいくつかのバージョンがあり、そのなかにカレンダーを模したものがあって、架空の家族のスケジュールが書かれたそのカレンダーは土曜日のところが全部「栃木の日」となって色が変わっているのだが、となると、「土曜日全部じゃ多いよ」というツッコミをあらかじめ自身に内包させて書かれたコピー、張られたキャンペーンという可能性が強くなってくるわけで、こないだのトップページのネタ、「ずうずうしい」と「すずしい」の二段構成でボケておいたのはまあ、たすかった。

ふと落語が聞きたくなり、油断したらどんどん聞きたくなってしまって、発作をおさめるかたちで浅草演芸場・昼の部へ。トリの志ん五をたよって仲入り後から。いや、本当は志ん輔が聞きたいんだけれども上席(1日〜10日)は寄席に出ておらず、次善策。というか、聞きたくなってしまったものはしょうがない(この「聞きたくなる」はどちらかというと、「落語」ではなく「古今亭」に係ります)。

古今亭八朝 漫談(方言あれこれ)
三遊亭小円歌(元九郎・代演) 三味線漫談
五街道雲助(志ん橋・代演) 浮世床?
桂文楽 権兵衛狸
のいる・こいる 漫才
古今亭志ん五 妾馬

9月6日(金)「真・リレー俳句」

考え自体はだいぶ以前からあってここにも書いたことがあったと思うが、その、CGI版の「リレー俳句」をとうとう作って、稼働させてみた。ユーザーが投稿する「次の字」はCGIだからもちろんリアルタイムに反映され、それが17文字たまったところで自動的に「一句できあがり」という扱いになって、できあがった句に対しては、これも掲示板のようにしてユーザーが自由に「解釈」を寄せることができる、といったようなシステムで、つまり、「真・リレー俳句」である。私のCGI改造技術もあがったものだ。
ちなみにもともとやっていた「リレー俳句」というのはこれ。
もともとのほうは、かなり本当にもともとで97年のなかごろに作ったネタになる。「スタートした」ではなく「作った」というふうに書くのは別に持続的なコーナーとして企図したわけではないからで、どの程度理解していただけているかわからないが、あれ、思いつきは単に「リレー小説のパロディ」というだけのものだ。当時、リレー小説は非常に「インターネット的なるもの」としてその可能性が大きく語られていたように記憶するわけで、それを単純に俳句に置き換える(「リレー俳句」って「連句=俳諧」ってことじゃないのかというツッコミに気づかないふりをする)というネタである。
なので、オチそのものは「募集! 次の字」という一点にあるわけだけど、それがオチとして成立しつづけるためには「募集されつづけ」なければならず、それでこんなにつづいてしまった。つづくとなると、今度は「解釈で笑わせる」という二次的なサービス精神が発生するわけで、つまり「リレー俳句」とはそういうコーナーである。
で、「真・リレー俳句」だが、だから「真・リレー俳句」というのは「連句=俳諧」ということではないのか。


9月4日(水)「無沙汰のあいだ」

8/24、25は、土日を使い、友人たちと連れだって京都へ行ってきた。その折のデジカメ写真をまとめたものは「気持ちのいい連中」としてすでにアップ済み。
京都行きの発端というか、計画の柱は、毎度で申し訳ないが今回も桂米朝の独演会で、会場もふたたび京都府立文化芸術会館。ビデオ『米朝全集』の収録会場にもなっているところでホームグラウンド的な場所のひとつと思われるが、その『米朝全集』といえばついにDVD化決定だそうだ。「予約受付中」のチラシを会場でもらう。
米朝は「足上り」と「崇徳院」の二席。「足上り」が絶品。ぜいたくを言うが、「崇徳院」のほうはなんとなく一席目で疲れてしまったかなの印象がうっすらとあって、やはり体力的な限界がそこらへんにあるとすれば、別に「トリの一席のみ」でこっちはかまわないのであって、例えばあの「足上り」が聞けたとすれば、そりゃもう充分だとはいうものの、一方、実際こっちが捉えたとおりの体力的な要因がそこにあるんだとすれば、いっそ心強いほどにペース配分もくそもなく、異様なほどに一席目はのるにまかせていたんじゃないかあれは。よかった。
米朝以外は上山君に適当にコーディネートをたのんで、三十三間堂(1001対6)→ほんやら洞(喫茶店)→京都御所ぶらぶらというのが一日目、米朝前まで。見終わって、お好み焼き屋で食べ、その後、「新京極のいわゆるあの通りで新撰組グッズ漁り」はどうかと足を運んだが、こちらが勝手に「眠らない街」と思いこんでいた新京極の通りはみごとにシャッターが降りていた。
二日目のメインは、湯豆腐が食べたいと永澤が希望を出したことで南禅寺と決まり、昼、寺の目の前の店でゆったりと食って京都での日程を終了した。京都在住の恭子ちゃんと、そこにもう一泊していく上山君を残し、あとの4人は東京へ。5時半頃の帰京で、永澤と私はそのまま、ラフォーレ原宿の『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生』二日目、夜の部。
これ、チケットきびしいきびしい言ってたわけだけど、ふたを開けてみてわかった原因のひとつは、当日券が大量にあるということで、それは「アチャラカ」の思想というか、めざす公演形態的に「当日券重視」なんだと思われるが、つまりあれだ、荒川も田村も、来てたら見れたね、これ。
そういう次第で、翌月曜の26日は、当日券でもって楽日・夜の部にすべりこむ。楽日のほうは、ありていに言って「楽日で、みんな自由にやってる」感のただようもの。まったく受け売りでもって書くわけだけど、例えば三木のり平さんのやっていたアチャラカの舞台だと、あいだの公演期間中にアドリブを出し尽くして、そこで「作る過程」を見せるといったように、楽日はかえって「遊び」的な要素が少なかったらしいが、まあそこらへん、今回は三日間・五回の公演しかないわけで、旗上げとしてのお祭り的な位置づけを担わされた側面もあるだろうし、単純に比較してどうこうというには無理がある。そういえば25日のほうはテレビカメラが入っていたので、そっちはそっちで一番〈しっかり〉やろうとしている舞台を見たのかもしれない(WOWOWで放映予定あり)。要は、二日目は単純に笑い、楽日は素直に興味深かったということで、楽日、中村有志はきんたまを出していた。
まったく関係ないが、CD『追善 古今亭右朝』を買う。まだ全部聞いていないが、とりあえず、志ん八時代のNHK新人コンクール、12分の制限時間にぎっちり詰め込んだ「片棒」が鳥肌立つ。