足熱図鑑

エッセイ

シコ名のゆううつ

 「出島」の大関昇進という事態は、相撲界がかねて抱えていたある種の問題を顕在化させる結果となった。象徴的に「出島問題」と呼ぶことができそうなその問題は、他でもない力士のシコ名をめぐって存在している。実態としてはさまざまなレベルの相が複雑に絡まりあっていると思われるその問題だが、しかし一口に、概ね次のように、言い表すことができるだろう。「出島」はないんじゃないのか。
 とかいう無責任なことを書こうと思ってたら、本名なんだね、あれ、「出島」って。そうとは知らなかった。そうかあ本名かあ、本名じゃなあ、でもなあ。そうかあ。
 私が何を言いたいのかということに関して、すでにある程度察していらっしゃる方もあるかと思うが、つまり、「出島」というのが本名だと知る前の私としては次のように考えた。「出島」といえばアレだ、長崎の。出島。幕末だ。「何となく江戸時代」だ。日本史から引っぱってくればいいと思ってるのか、親方。言っとくが大間違いだぞ。だいいち中途半端じゃないか、響きも、「それっぽさ」も。出島。貿易するところだぞ。
 いやまあ、どうも本名らしいので、私が考えたようなツッコミは的はずれだったわけだが、しかしやはり、「出島」という言葉に対して国民的に共有されているだろうコノテーションを考えるならば、「紛らわしい」シコ名ではあるだろう。つまり何だ、大関には昇進してみるもんだ。誤解がとけた。
 「出島」ひとりを槍玉にあげているようだが、問題はそれほど表層的なものではない。そもそも「本名(名字)をそのままシコ名にする」という、最近割と増えているように見えるそのパターン自体(特に、すごく普通の名字なのにそれをやる、という例)が、問題の深刻さを物語っている。ひょっとして「ネタ切れ」なんじゃないのか、シコ名。そう思わせるフシが、最近のシコ名にはどうもある。「上田」って誰だ。
 ところで、ちょっとどうかと思うシコ名ということでまず私の頭に浮かぶのは、少し前に十両にいた「砂浜」という力士のことだ。彼の名は、新聞の相撲記事の「十両勝敗表」の中に見つけた。実際の取り組みを見たことはなく、「十両勝敗表」を介してしか知らないのだが、ぱっとした成績を上げていたようにはあまり見えなかった。最近その名を「十両勝敗表」に見かけなくなっているが、元気にしているだろうか。しかし「砂浜」じゃ、ねえ。

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