6
Jun.
2004
Yellow

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/ 12 Jun. 2004 (Sat.) 「練習」

ここに馬鹿が出現した。荒川である。拓位さんのディズニーランド土産の帽子をかぶる。かわいい。
負けじとかぶってみた。お茶を飲んでみる。

「結婚披露合宿」に向けたコントの練習をすべく、永澤(車で山梨から)、荒川(電車で栃木から)、長谷川君(電車で都内から)の3人が午後、うちに来てくれる。雨が心配だったが、何とか保ちそうなので近所にある妙正寺公園にみんなで行く。そこで練習。はじめて行ったのだが妙正寺公園はいい公園だった。「え?来たことなかったんですか?」と長谷川君に言われたほど近くにある。

コントは何本かあるが、順番に、まず台本を持ったまま動きを付けてみて、それから台本を見ずにやってみる。どれも短いコントだが、みな見事にセリフを覚えられないのだった。てんで駄目(私も)。それでもくり返すうちに何とかかたちになってくる。
コントのなかでは小道具として携帯電話をわりと多用している。登場人物の携帯が鳴るというところなど、実際にその携帯に電話をかけて鳴らせばいいと考えていたが、まずズボンのポケットに入っていてそれをまさぐって出す、という手順が演出上必要で、するとポケットのなかでは音が小さいのだった。本番も(雨天でなければ)野外なのでちょっと聞こえない。それに、実際にかけて鳴らせる場合はダイヤルしてから電話がかかる(=鳴る)までのタイムラグがあって、うまいタイミングで鳴らすのがむずかしいのだった。そうしたこともひとつひとつ発見。しかたがないので、登場人物のではない別の携帯を鳴らして(これは着信音を確認する操作で鳴らす)、それを効果音として使うことにする。
しかし携帯はほんとうにお手軽で便利だというのは着メロで、練習する途中である音を実際に効果音として出したいと考えたが、それ、とあるサイトにはちゃんと着メロ(短いのでメール着信音用か)としてあるのだった。それをダウンロードし、これまた携帯から音を出すことにした。
このあと用事のあるという長谷川君が午後6時ちかくに慌てて帰っていく。永澤が駅まで車で送ることになり、それ以外のメンバーも公園をあとにして相馬宅に戻る。しばし休憩したのち室内で練習のつづき。8本あるコントのうちの2本がまだ台本になっておらず、そこをどうするか相談しながらである。8時すぎにお開き。みんなで西荻窪の「ティーヌン」へ行く。

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(2004年6月12日 23:59)

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/ 11 Jun. 2004 (Fri.) 「枇杷系を観る」

フライヤー。

久しぶりに会社を午後6時に出たのは、枇杷系(BIWAKEI)の新作公演「愛情十八番」を観に行くためだ。うちの奥さんが、出演者のひとり山本彩野さんの友達だと言い、「友達が出るダンスの公演があるんだけど行く?」と誘われたのが、聞いてみると枇杷系だった。私も奥さんも枇杷系を観るのははじめて。
「シャックリのダンス」と呼ばれるらしい踊りの箇所があり、それはわりと長くつづくが、途中からふと、それを踊るふたりのダンサーの関係が、何て言うんでしょうか、ごくオーソドックスなかたちの漫才師ふたりのやりとりに見えてきて、すると不思議なことに急に面白くなってきたのだった。
終演後、ロビーに出てきた山本さんに会う。奥さんが買ってきた花を手渡し、そして入籍の件を報告する。山本さんはセリフを言いながら踊るシーンがあり、どうしてもそれが印象に残ったが、聞けばそれ(セリフのことか?)当日に付け足されたのだそうで、「ゲネまでなかったのぉー」と山本さんは言う。
ところで山本さんとうちの奥さんは仕事上でもつき合いがあり、うちの奥さんの会社が外注としてフランス語のできる山本さんに翻訳の仕事を頼んでいるらしいが、今度「ダンサー仲間で韓国語のできる人もいるから」と、山本さんが紹介してくれる人に韓国語の翻訳についてもお願いするかも知れないと奥さんは言い、で、どうやら、その紹介してくれる人というのが尹明希さんではないかと言うのだった。
その後、西荻窪へ。久しぶりの「亜細庵」で夕食。ここでも店主に入籍の報告をする。お祝いにランプと布をいただいた。

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(2004年6月11日 23:59)

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/ 10 Jun. 2004 (Thu.) 「いいボールペン」

これがそのボールペンとノート。

大学のころからずっと愛用してきたパイロット「ハイテックC」というボールペンに近頃違和感を覚え、それに代わる筆記用具を探していたが、先日買ったのは「SLIP-ON」というメーカーの「木軸ボールペン S」で、これがひどく書きやすい。
あるいは驚かれるかも知れないが、私の場合、こうして公開しているウェブ日記はまず最初にノートに手で書きなぐり、それをキーボードで打ち直していることが多い。紙とペンの段階である程度推敲が入り、そしてキーボードで打つときにまたそのリズムが要請する直しが入る。パソコンで直に書くこともあるが、いまのところそれでたいして時間が短縮されるわけではない。あと、ノートとペンは軽いしね。
というわけでいま、「SLIP-ON」が手放せない。
それはそれとして仕事が終わらず、会社に泊まる。

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(2004年6月10日 23:59)

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/ 9 Jun. 2004 (Wed.) 「リデザイン」

妻が買ってきた「BRITA」というドイツのメーカーの浄水ポット。水道水をただこのなかに入れておくだけでうまくなるという代物。関係ないがちなみによく見るとデジカメを構える妻が写り込んでいる。

仕事をする一日。あまりはかどらない。はかどらないついでに、このページをデザインし直す。かなりよくなったと自負するのだが。
今月のはじめにデザインを変えた際にはほんとうに日記(テキストと日々の写真)だけが収まればいいと考え、大幅に要素を削ぎ落としたが、他サイトへのリンクをもカットしたことに一部から不満の声が出、つまりその人はこのページにあるリンク集を足場のひとつにして日々のネットサーフィンをしていたそうなのだが、それがなくなってとても不便だという。で、一度リンク集を付け足し直してみたところが(もともとそのスペースのことを考えていないので)収まりが悪く、あれやこれやといじくっていたがふと、ものすごく中途半端な、作戦のないデザインになっていると気づいてしまい、そうなるともう駄目だから最初からデザインし直す。
そして掲示板を設置。tcup の無料掲示板を借りた。一番上、タイトル部分の左側、「相馬」と書かれた黒い四角のなかの「bbs」から行けます。
夜の献立。万能ネギ入り卵焼き、牛肉とごぼうのしぐれ煮(おそうざい)、納豆、梅干し、わさび漬け、長ネギと油揚げの味噌汁。

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(2004年6月 9日 23:59)

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/ 8 Jun. 2004 (Tue.) 「『ビッグ・フィッシュ』がよかった、ということを思い出す」

『ビッグ・フィッシュ』。オフィシャルサイトと、Yahoo!ムービー

仕事をする一日。最近ではわりとはかどったほう。終電の一本手前に乗り帰宅。
夜。いか・ピーマン・玉ねぎのすき煮、赤ピーマンのアンチョビ炒め、納豆、梅干し、わさび漬け、ミニトマト、キャベツと油揚げの味噌汁。
献立の記述が以前よりこまかく(あるいは正確に)なったのは、うちの奥さんがその日の献立(何を食べたか、作ったか)を予定表のような専用ノートにメモするようになったからで、だったらと、その記述を拝借している次第。

ところでこれはしばらく日記の更新が止まっていたあいだの話だが、先日、ティム・バートン監督の新作『ビッグ・フィッシュ』を拓位さんと一緒に観に行った。金曜の夜にいつもより早く会社を出、オールナイトの初回を観る。封切りからさほど経っていないはずだが、新宿のその映画館はひどくまばらな人の入り。かたや、となりで上映している『トロイ』はすごい盛況である。『ビッグ・フィッシュ』を観終わって出てきて、長蛇の列に並んでいるその人たちを見、つい「『ビッグ・フィッシュ』にしたらどうかなあ。空いてるし、確実に2倍は面白いと思う」と、『トロイ』を観てもいないのに言うことではないが、言いそうになる。いや、だから『トロイ』観てないんだけど、2倍はかたい。
「やっぱりティム・バートンはいいよねえ」と知ったようなことを言うにはごくわずかな作品しか観ていないのだし、たとえば前作の『猿の惑星』も未見だが、最新の『InterCommunication』誌(No.49)に載った「青山真治×蓮見重彦」の対談を読めば、せっかく劇場にかかっている折りからこれを観ない手はないという気にさせられる。それで急遽、Yahoo! の映画情報ページで上映館とタイムスケジュールなど調べ、オールナイトをやっていると知って観に行った。
終映後に顔を見るまでもなく、となりでそれとわかったが拓位さんは泣いていた。ラスト近くのヘレナ・ボム=カーターのシーンで堰を切ったようだった。たとえば川島雄三が「映画がうまい」のと同じようにこの人も「映画がうまい」のではないかとごく感覚的に思ったのは、とにかくするするとラストシーンまで連れて行かれてしまったからで、体感で言えば15分ほどの映画だった。
ああ、よかったなあと思い出した。

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(2004年6月 8日 23:59)

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/ 7 Jun. 2004 (Mon.) 「入籍」

朝のあじさい。
写真はだいぶ前に撮ったものだが、これが拓位さん。

午前中、駅前の区民事務所に婚姻届を出す。
ところで、これまで「Pさん」と表記していた女性がその相手なのだが、名前を伏せていたのは一応(日記の内容と、それから「Pink」の写真など見られてしまえば名前を伏せてもほとんど意味はないが、一応)会社方面に内緒にしていたからで、まあいわゆる社内恋愛というやつである。むろん途中でばれて知っている者や、教えて知っている者もある。同居をはじめる際にまず社長に付き合っていることを伝えたが(そのときすでに社長もある筋から情報を得ていて「知ってるよ」と応えられたのだが)、とりあえず「はっきりするまで黙っとけばいいじゃないか」ということになったのだった。
で、このたびはっきりしたのでもう「Pさん」と表記する必要がなくなった。まだ社内に公式に報告してはおらず、それをするのはもう少し先に予定されているが、とりあえずネット上では名前も顔の写っている写真も解禁である。ついては今後、名前をどう表記しようかと考えるのだが、気づけば、すでに彼女の姓は「相馬」である。だからといって「相馬さん」と書いてもわけがわからないし、旧姓の「本田」で呼ぶという手もひとつにはあるかと思うが、じつは「本田」という苗字を(文字や響きといったレベルで)彼女自身が気に入っていないということがあり、それも却下するとすれば、あとは「拓位さん」か。ちょっと読めなかったかと思うが「拓位」で「ひろい」と読ませる。「相馬拓位」というのが、私の奥さんだ。
夜、終電を逃して会社からタクシーで帰り、鮭を焼いてもらう。

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(2004年6月 7日 23:59)

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/ 6 Jun. 2004 (Sun.) 「乾杯」

朝、日記を書く私。そんなものを撮ってどうする。

朝6時、直前にPさんに起こしてもらって寺の鐘を撞く。午前中の法事のために本堂の縁側を雑巾掛けし、ポット3つ分のお湯を沸かす。PowerBook で日記を書く。ところで兄が買い換えた新しい PowerBook は、昨夜それを腕にのせて操作しているところを見、はじめて知ったが、17インチのやつなのだった。でかい。
本宅で朝食をとり、それから兄の家に向かう。「プレ合宿」のつづき。予定どおり永澤は朝9時ごろに到着していた。入れ替わりに荒川が、何だかの資格試験があるとかでいったん栃木に戻った。それでまた試験終了後にとって返すという。ここにもまたよくわからない情熱にとりつかれた男がいた。
まだ見ていない永澤に見せるかたちで昨日のビデオをもう一度再生しながら、各曲ごとに誰が何を担当するか決めていく。で、ようやくコント部分も相談。結局事前に完成した台本を用意できなかったので、曲順が変わってつながらなくなったネタの修正など、その場で決め、「こうしようか」と口頭で伝える。修正前の台本を使って読み合わせ。来週末、できたらコントチームだけでも集まって練習しようということになり、きちんとした完成台本はそのときに渡すことにする。
みな役者ではないし、私を含めうまいやつはひとりもいないが、それ向きの台本にして最大限面白くなればと思う。というか、永澤はとにかくふつうに演ってくれさえすればそれでかなり面白いはずだ。
午後4時すぎに一同解散、下館をあとにする。しかし私はもうかなりふらふらである。山梨に帰る永澤が通り道だというので荻窪の家まで送ってくれることになったのはほんとうに助かった。3時間ほどの車中、ずっと寝る。それでだいぶ回復。
家に着いてまず1時間ほど「be found dead」関係の作業。小道具づくり。というのは、オムニバスのうちの1本に小道具としてエロ本が出てくるのだが、大写しになったりもする予定で、さすがに「あり物」をそのまま使うのはまずく、表紙を加工することになる。で、「あり物」の雑誌をスキャンし、そのデータを Photoshop でいじって、モデルの女性の顔を身内の女優さんのそれにすげ替える。そこまではおとといの晩に済ませておいたので、あとは雑誌のタイトルを少し変える作業だ。
作業を終え、Pさんといっしょにふたたび家を出る。Pさんには新宿TSUTAYAと吉祥寺DORAMAにそれぞれレンタルビデオを返しに行ってもらい、私は四ツ谷へ。キンコーズ四ツ谷店に行き、加工した表紙データを出力する。終わって西荻窪で落ち合い、タイ料理「ティーヌン」で食事。
ところで「合宿」でのわれわれの出し物だが、そのタイトルは「乾杯」である。披露宴の定番として知られる長渕剛の同名のヒット曲をもとに、換骨奪胎、歌あり笑いありの一大アドベンチャーミュージカルに仕立て上げる。構想3年、それから5年。どんな構想だったか、もうその5年の間にすっかり忘れてしまったが、なんとか完成に漕ぎつけたい。

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(2004年6月 6日 23:59)

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/ 5 Jun. 2004 (Sat.) 「プレ合宿」

兄宅に勢揃いする演奏+コントチーム。よくわからないだろうが左から彩子さん(吉沼・妻)、兄、吉沼、みえさん、荒川。写っていないが荒川のうしろ側に長谷川君がいる。
吉沼は酔っていた。手に持っているのは麦焼酎。
仰向けになったまま寝てしまった猫「タンゴ」。兄宅にはもう1匹猫がいる。

思わぬ伏兵(相馬の入籍)によってちょっとまぎらわしいことになってしまったこともあり、前回少し説明が足りなかったかと思うのであらためて書けば、6月19・20日に予定されている「結婚披露合宿」というのは、もともと去年の11月に入籍した上山君夫妻の結婚披露の場として企画された催しである。企画したのは上山君本人。水面下ではだいぶ以前から連絡用の専用ページなど立ち上げられていて、そのアドレスは参加者のみに公開というかたちなのでここからリンクを張るわけにはいかないが、しかしその「参加資格」は非常にゆるく設定されている。だいたい上山君は当日、キャンプ場で客として隣り合わせるらしい早稲田の大学生グループとうまくいっしょに盛り上がれないかということを夢想している始末で、つまりは「祝う気持ちと開かれた心があればOK」ということなんだけど、新郎新婦の直接の友達だけではなく、噂を聞きつけたそのまた友達が参加表明してもかまわない。「披露宴」ならぬ「披露縁」ということを上山君自身が言うように、夫婦がたがいの縁(つながり)を披露しあうのが骨子だ。いや、「『披露宴』じゃなくて『合宿』ってのはどう?」っていうだけの単純なところから出発してるんだけどね、おそらく。
で、その「合宿」で、私を含めた9人が「歌と演奏とコント」の出し物をすることになったのであり、そのコントチームの責任者が私だ。台本と(コント部分の)演出。演奏チームを取りまとめるのが私の次兄と吉沼で、その次兄の家(つまり私の実家の向かい)に全員が集まり、「プレ合宿」と称してミーティングが行われるのが今日、明日である。
私はというともう一方の用事も抱えていて、つまり入籍の件だが、それでまず、埼玉にあるPさんの実家に行く。実家に伺うのは今年の正月以来で、2回目。さらに入籍の話が出て以降で言うとはじめてお義父さんと顔を合わせるのであり、まあだから「結婚のご挨拶」というやつに伺うかたちなのだが、そうしたものの勝手がわからず、午後2時すぎに着くとまず寿司をごちそうになり、さらにあれやこれやごちそうになり、「横ンなってラクにしてください」と気遣われ、「よろしくお願いしますね」とお義父さんのほうから言うのを「はい、こちらこそ」と返す程度で、あらたまった発言のひとつもないままに済んでしまい6時までおじゃました。お義父さんに婚姻届の「証人」欄に記入してもらう。
電車で移動し、下館の私の実家に着いたのが9時ちかく。夕飯を食べ、そしてこちらは母に「証人」欄を書いてもらい、来年4月の結婚式および披露宴をどうするかといったざっとした話し合いなどする。
通りを隔てて向かいに建っている次兄夫婦の家に11時すぎに移動。するとそこではもう、吉沼夫妻、荒川、荒川の友人の長谷川君がみな集まっていて「プレ合宿」が行われている最中。兄夫婦を含めたその6人は午後早い段階から集合していて、小山とかそのあたりの河原で一度練習してきたのであり、その模様を収めたビデオを鑑賞しているところである。もうひとり参加予定の永澤は静岡での学会のあと、車で移動して深夜0時ちかくに下館に着くという手筈だったが予定が狂い、いよいよ午前2時とかでないと着かないことになって、それで遠慮して一度山梨に帰り、出直して明日の朝9時ごろに来るのだという。何だかよくわからない情熱。
その永澤と、荒川、長谷川君がコントチームということになるが、所属チームにかかわらず基本的にみな演奏には(演奏と呼べるかどうかはべつとして)駆り出されることになる構成で、今日の練習のビデオでもさっそく荒川と長谷川君が活躍している。それはそうと久しぶりに会う吉沼は相変わらず面白い。なぜこんなに面白いのかと思ったが、気づけば(これまた相変わらず)酔っぱらっていた。
午前2時すぎ、いいかげんみな疲労困憊気味なのでお開き。私らは実家(本宅)に戻り、それ以外は兄宅にざこ寝する。

本日の参照画像
(2004年6月 5日 23:59)

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/ 4 Jun. 2004 (Fri.) 「コントのことを忘れていた」

高校の同級で、いま大阪府在住の上山君夫妻が企画・主催する「結婚披露合宿」(以下、「合宿」)が6月19・20日にあきる野市のキャンプ場を借りて行われ、私も参加することになっているが、その合宿のなかで私の次兄夫婦のバンド「シカバンド」(MP3の音源はこちら)と、「好き放題」というユニット(同じく音源はこちら)で音楽活動をしていた吉沼(大学同級)、それに吉沼の奥さんが組み、「シカ放題(仮)」の名前でライブ演奏をすることになっていて、その際、曲と曲の間を寸劇(コント)でつなぐのはどうかということになって、それでその台本を私が書くことになったのだった。演じるのは私を含めたまたべつの寸劇チーム。気楽に筆がすすみ、半分ほど勢いよく書くことができたが、そのまま途中で放り出しておいたところがずいぶん時間が経ってしまった。その後曲順の変更などもあり、それにあわせてすでに書いた部分にも変更が必要なのだが、その作業を少しもやっていない。まずい。
まずいというのは、合宿に向けた「プレ合宿」が演奏チームを主体にしてこの土日に開かれるからで、できればそこで完成した台本を渡したいところだが間に合うかどうかわからない。まあ、間に合わないな。
さらに明日は埼玉のPさんの実家に行き、とっておいてもらったPさんの戸籍謄本を受け取り、そして「証人」の欄に署名してもらうというのは、つまり婚姻届の話で、さらにそのあと茨城の私の実家に行って同じことを済ませてしまい、それで準備は整うので何事もなければ7日の月曜にも籍を入れることになる。とりあえず籍だけ。式も挙げるものの、それは「トーキョー/不在/ハムレット」の本公演を終えたあと、4月アタマあたりに築地本願寺で行う予定。
いろいろ後回しにしていた仕事が一様に締め切りを迎えだし、あまつさえ来週は来週でまた別の仕事が控えている。終電で帰り、夜、家で食事。牛肉ときのこのにんにく炒め、ニラ玉、納豆、みょうが、わさび漬け、笹かま、味噌汁(大根、油揚げ)。

(2004年6月 4日 23:59)

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/ 3 Jun. 2004 (Thu.) 「上野へ」

ほぼ完徹し、朝9時に会社を出たのは上野方面に向かうためで、今日はまた一日、おととい大阪まで出張した仕事のつづき。会場を東京に移して同様の展示会があり、私もまたそこで同じ作業をする。
最近はほとんど OS X で使っている PowerBook G4 を仕事用に OS 9 で起動させ、会場の共同控室の一角でひとりそれに向かう。前夜、下準備を少し済ませることができたので大阪のときよりかは気分的にゆったり構えることができたが、しかしそれはそれとして丸一日、缶コーヒーとタバコだけを伴として夜9時まで、ほとんどマウスを動かすかキーボードを打つかしている状態だったのは何というか濃密な時間だった。まあ、クライアントがとなりにいて、「どうですか?」などと言いつつこちらの作業を見ていたりするわけで、何にせよ、「驚かせてやろう」という動機が底にあってやる気につながっているような人間にとって途中の作業をずっと見られているというのはどうもやりにくいとあらためて思った。
作業中はさして眠くならなかったものの、終わってどっと疲れがきた。ふらふらになりながら会社に戻る。今回は会場にネット環境がなく、作ったデータは最終的に会社に帰ってからサーバにアップする手筈。それからその他の仕事など。四ッ谷0:50の終電で帰り、夜は荻窪駅前の「花月」でラーメン。何もできずすぐに寝た。

(2004年6月 3日 23:59)

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/ 2 Jun. 2004 (Wed.) 「後悔」

そんなことをしている場合ではなかったと後悔したのはこの「Superman Yellow」改め「相馬」を作っていたことで、毎回そうだけれどもシンプルなものにしたいと考え、しかしそう考えることが逆に試行錯誤の原因となって、あれを付け足してみてはそれを削り、ということを繰り返すうち、結局なにを作るにしても同じだけ時間はかかるのだということだけれども、ほんとうにそんなことをしている場合ではなかったと、だいぶすっきりした「相馬」の画面を見て思うのだった。
すっきりしたのはいいけれども、これまでの過去の日記や掲示板などすっぱり削ってしまったのはいかがなものかとそれはやはり思い、さらには、とばっちりを受けるかたちでこの際「Superman blue」も削除してしまうのはどうかと考えたのは、いよいよ更新している時間がないからだ。「Red」とこの「相馬」だけということになれば、これはだいぶせいせいする。掲示板は「tcup」の無料掲示板を借りるということでどうだろうか。一度も借りたことがないのだった。借りておくべきではないか。想像するのは、「tcup」無料掲示板を借りたとき、人はシンプルな気分になるのではないかということだ。いや、気分だけじゃだめだけど。
仕事が終わらず、会社に泊まる。夜、食べず。

(2004年6月 2日 23:59)

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/ 1 Jun. 2004 (Tue.) 「相馬」

一日、ウェブの仕事で大阪へ出張だった。とあるメーカーが開催する新商品の展示会が大阪であり、その様子をデジカメで撮影(撮るのはカメラマン)、即日編集してネット上にあげるという仕事で、朝6時に家を出、7:03東京発の新幹線に乗る。東京の朝は雨。荷物の PowerBook G4 が重い。前夜2時間ほどしか睡眠がとれず、行きの新幹線ではずっと寝ていた。ただ長い出勤をするというようなもので、「大阪に来ている」という躁ぎは微塵もないものの、新大阪駅の改札を出、右に曲がって地下鉄へと向かうところで以前の見覚えがよみがえった。
展示会は11時から5時まで。地下が今回の展示会々場になっているホテルの一室でずっと作業。終わってまた新幹線で帰京。バッグに入れておいた古井由吉の『野川』を読もうと思っていたが、数ページ読んだところでしつこい眠気におそわれ、起きるともう横浜のあたりを走っていた。
10時をまわって会社に到着。大阪でプライベートアドレスのほうのメールを全然確認できなかったのでそれをチェックすると、制作の永井さんから2通来ていて、それは今度の映像作品『be found dead』のうちの1本で使う小道具の作成(含むデジタル処理)をたのまれていた件だが、その締め切りが決まり、来週の月曜だという。この件もまた次兄にたのんでしまえればそれが安心と考えていたが、来週の月曜となると今週すでに予定がつまっている兄は作業時間がとれず無理で、同じく私もまた無理に近いものの、まあなんとかいけるのではないかと判断して自分でやることにする。一部その素材の指定が来たのでそれを使い、完成見本のようなものを簡単に作ってメールで送る。
そうこうするうちに終電の時間になり、会社を出る。帰りの中央線で古井由吉の『野川』をゆるゆると読むうちに、また、つい書きたくなった。日記を再開しようという心持ちになる。デザインを変え、『野川』への憧れからページのタイトルを「相馬」に変えた。「手近にあった漢字二文字」というほどの意味である。
帰宅して食事。豚肉の生姜焼き、アンチョビのポテトピザ(吉祥寺「伊万里」ふう)、味噌汁(油揚げ、長ネギ)、納豆、刻みみょうが、わさび漬け。

(2004年6月 1日 23:59)

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