28 February 2005 (Mon.) 「二月の残りをかけあしで」
○2/25(金)
ラストソングスのライブを観に行く。高円寺。

○2/26(土)
朝方、無事 amazon からアレの入った段ボールが届いたが、開けるのは先週から持ち越した自分の部屋の片付けが済んでからということにする。新宿へ出かけ、婚約指輪と結婚指輪を買う。その足で妻は同窓会のため埼玉の実家のほうへ。家に戻った私は部屋の片付けをぼちぼちと。『そして誰もいなくなった』を読了。

○2/27(日)
夜になって部屋はようやく片付いた。見違えんばかりの出来。おととしの10月に引っ越しを手伝ってくれた友人の何人かはその作業の際にこの部屋のなかを見ているが、それ以降、客の来るときはドアを閉ざして、われわれ夫婦以外の何者の目にも触れさせてこなかったのがこの部屋だ。ものすごく汚かった。1本だけキッチンに置いて使っていたスチール本棚もこの部屋に運び入れ、計6本のスチール本棚がひしめくこととなったが、しかし整然とならんだ様はそれほど圧迫感がない。そしてついにオレンジのアレを段ボールから出す。併せて買ったソフトは「マリオカート ダブルダッシュ !!」と「ゼルダの伝説 風のタクト」。

○2/28(月)
さて、宮沢さんが「富士日記2」に書いている「架空のバンド」の件だが、メンバーのひとりが架空の楽器をもっているというのはどうだろうか。サイトにあるメンバーの集合写真を見ると、ひとりだけどうやって弾くんだかわからないものをもっている。状況から見て楽器のようだが、叩くのだろうか。弦も2本だけ付いているがどう弾くのかのヒントにはならない。ライブの様子を報告するページの写真でついにそれを弾く彼の姿が示されるが、それでもなんだかよくわからない、といったような架空の楽器。
24 February 2005 (Thu.) 「雪が降る」
■夜、雪が降る。中央線を降り荻窪の駅を出ると雨が雪に変わるところで、そこからバスに乗り、駅から3つ目のバス停を降りるころにはすっかり雪になっていた。家で食事をして、明日の朝の燃えるゴミを出すように言われてそれを通りに出しに行くとすでにだいぶ積もっている。夜半には窓から外の様子を眺めた妻が「もう5センチぐらい積もってるよ」と言い、そうして積もった雪は翌朝(というのは25日の話になるが)の荻窪の舗道を覆っていたが、しかし驚いたことに会社のある四ツ谷・麹町近辺の道には脇にかき寄せられた少しばかりの雪が残るだけだった。このあたりはあまり降らなかったのだろうかと思うほどだが、あるいはここにも同様の雪が降ったのだとすれば、ああ、なんとも都会的な〈回復力〉だなと思うのだった。
■と、これを書いているいまは27日の未明。「仕事部屋」兼「書庫」という性格を与えられた私の部屋の掃除をしなければならないが、底冷えのする夜の室温にくじけていったんこたつへ引き返し、こうしてこれを書いている。「書庫」というのはつまり、ほかに引き取り手となるスペースもない5本のスチール本棚がそこに並べられているということだが、そもそも、おととしの10月にここへ越してきた時点で本の量は本棚5本分の収納力を超えていた。これはいらない(読まない)だろうという本など、引っ越したのちにあらためて整理しつつ本棚を整頓することを夢想してはいたものの、引っ越し直後のタイミングで段ボールから出した本をそのまま並べるだけ並べ、あふれた分を床に積んだまま、いまのいままでほんとうに何もしなかったのは暑さ寒さのせいばかりでもないが、まあだいたい暑さ寒さのせいだった。木製のラックに収まって Power Mac G4 もその部屋にあり、だから「仕事部屋」と当初の計画ではそう呼ばれもしたが、ろくな暖房・冷房のないその部屋は人を敬遠させるに充分で、12インチの新しい PowerBook G4 を買ってしまって以降はずっとそればかり使っていることもあって、デスクトップのマシンはここしばらく起動もせずにただそこにある状態がつづいている。この部屋がまったく機能していないことの弊害はそのほかの部屋に即座にあらわれ、新たに買った本やDVD、パソコン関係の機器やケーブル類が次々とリビングや寝室を浸食して妻を苛立たせている。
■岡本喜八監督の訃報はたしか asahi.com ではじめ目にしたのではなかったか。その後、宮沢さんが日記でそのことに触れているのも読んだが、そこにも出てくる『独立愚連隊』や『日本のいちばん長い日』、『肉弾』、あるいは『吶喊』や『近頃なぜかチャールストン』といったおそらく代表作とおぼしい作品の多くをうっかりしたことに私はまだ観たことがなく、それで観たなかでいえば、私にとってはやはり『殺人狂時代』の人であり、『ジャズ大名』の人であるのが岡本喜八監督だ。『殺人狂時代』はラピュタ阿佐ヶ谷で妻といっしょに観たこともあった。観終わって映画館を出ると私よりも妻のほうが興奮していた。この映画を喜んでくれるということが結婚の決め手になったと言えばむろん嘘だが、それに近いうれしさのようなものはあった。「まだほとんど何も観ていない」ということの確認の意味を込め、jmdb.ne.jp にあるフィルモグラフィーで確認しつつ観たことのあるものを挙げると次のとおり。
- 『大菩薩峠』(1966)
- 『殺人狂時代』(1967)
- 『斬る』(1968)
- 『座頭市と用心棒』(1970)
- 『ジャズ大名』(1986)
- 『EAST MEETS WEST』(1995)
- 『助太刀屋助六』(2002)
あちゃー。こんだけか。ちなみに近作としてよく名前の出てくる『大誘拐』を観ていないのだけは意識的で、高校生(中学生だったか?)の私に『ジャズ大名』を教えてくれた、岡本喜八ファンであるところの長兄の『大誘拐』評が芳しくなかったからである。
21 February 2005 (Mon.) 「インフルエンザ前後」





■1月の終わりの京都での日々をまとめた前回の更新からまた間が空いてしまった。もう下旬だというのに2月はまだ2回目の更新であるのは不甲斐ないかぎりだが、言い訳はひとつだけ用意してあり、インフルエンザにかかって高熱の床に伏せていたというのがそれだ。じゃあしょうがないね。
■11日〜13日の三連休はまだインフルエンザにかかる前になる。連休前夜の10日(金)も夜のだいぶ早い時間に会社を退け、荻窪駅前にあるブックオフに寄ったのはあれ以来ずっと妻がそればかりやっている――むろん「ゲームはといえば」という意味での「そればかり」だが――「マリオカート64」に代わる新しいゲームを探すためである。
■「これやりたい」と妻が声を弾ませたのはスーパーファミコン用ソフトの「かまいたちの夜」だった。ネットで調べると1994年の発売だから10年前のソフトで私はその当時19歳という計算になり、こうしたものの適齢期がどのあたりにあるのかにわかに判断はつかないものの、まあ世代としてはど真ん中ということになるはずだし、そんなことを言い出したら私は、そもそも「テレビゲーム世代」というやつそのもののど真ん中に属しているべきはずの者なのだが、当時もいまもゲームから縁遠く暮らしてきてしまったとまるで人ごとのように思うのは、「サウンドノベル」とたしかそのようなジャンル名で呼ばれ、「面白い」と話題になっていたそのゲームのことだ。妻の声の響きから、かつて遊んだことのあるそれを久しぶりに見つけて懐かしがっているのかと思ったがそうではなかった。妻もやったことがないという。
■といったようにつらつら描写をはじめてしまったがどこへ向かおうというのか出口が見えない。いきおい話を端折ることになるがその晩、妻とふたり明け方ちかくまでプレイしてクリアしてしまった。もとよりゲームの特性のちがいから明らかだったとはいえ、「マリオカート64に代わる新しいゲーム」の任をまったく果たさない結果に終わったのだった。
■寝て起きると「『be found dead』DVD発売記念オールナイトイベント」のある11日である。上山君から電話があったのはお昼ぐらいだったか。夫婦でいま山梨に来ているのだという。永澤(共通の友人で山梨に住んでいる)の電話番号を教えてくれというのが用件。この連休を使って上京してくるということはすでに知っていたが、その途次で山梨に寄るとは思わなかった。ずいぶんと精力的なスケジュールを組んだものだと驚いていると、さらに電話口から「永澤は今晩のオールナイトを見に行くつもりだろうか」と上山君が私に聞く。さあ、わからないと答えたが、案の定「なりゆき」から2人揃ってオールナイトを観に行くことになったと夕方にまた電話があった。永澤の運転する車でこれから東京に向かうとのこと。
■そいつらのことはそいつらのこととして、われわれは夕方から出掛けるつもりでいた。会場となるテアトル新宿では昼間『トニー滝谷』という映画をやっていて、それを観たのちに食事をしてオールナイトに突入することを目論んでいたのだったが、このところ風邪気味だった妻の具合がよくなく、悪化したようで、その様子を見つつ家で過ごすうちに『トニー滝谷』はあきらめることになり、あきらめてさらにベッドでゆっくりしていたが妻の具合は好転せず、結局、そうこうするうちに到着してしまう永澤の車を待って、私ひとりみんなと出掛けることにする。
■早く新宿に着いてしまったのでモスバーガーに入ったのはほかに適当な店を見つけられなかったからだ。「風邪でね」と妻のことを説明すると永澤は「インフルエンザではないの?」と言い、私は言下に否定したが、じつのところ妻がインフルエンザだったことは翌日になって知れることになる。その日の夜のうちに高熱が出、心細くなった妻は未明に何度も電話とメールをくれたらしいが、私は劇場で携帯の電源を切ったまま、それをふたたびオンにするのを忘れてオールナイト明けの新宿の朝を何人かの役者さんたちと「つぼ八」で過ごしていた。
■連休の残りの二日は妻のとなりで寝て過ごした。そのようにしていればインフルエンザがうつるだろうぐらいのことは目に見えていそうなものだが根拠のない自信に支えられていたにちがいない。当然のことながら根拠のない自信には根拠がないのだった。月曜になり、会社で「おや」と思ったときにはすでに悪寒の予兆があった。午後、会社近くの医者に診てもらう。病院の受付ではじめて熱を計ったところが37度ほどで、熱の度合いから言えばまだ発症していないことになりそうだが状況からいってインフルエンザとおぼしいこと、それとはまたべつに1月の本公演に端を発している咳と痰が治りそうで治らず、すでに一ヶ月も引きずっていることを訴えた。細長い綿棒のようなものを鼻の奥にぐっと突き刺すインフルエンザのテストをはじめて経験する。ひとことで言えば痛いのだが、綿棒はものすごく深いところまで到達し、ことによるとこれで治るのではないかとよくわからない気分にさせられる。よく知られるように人間の鼻の穴は二つあるが、その両方に刺す。
■医者はしかし「一ヶ月も引きずっている咳」ということのほうにより心配そうな表情を見せ、その勧めにしたがって胸部のレントゲンも撮る。レントゲンというものの原理もその見方もわからないから指し示されたその写真を見ても「ああ、撮れましたね」というほどの感想以外に何もないが、医者の言うのにはさしあたってこれという異常は認められないのだそうでそれは一安心。そしてインフルエンザは陽性と出た。その日大事をとって早めに会社を退けたあと、結局木曜(17日)まで会社を休むことになる。妻のほうは火曜ぐらいに恢復。
■単純な話で『レイクサイドマーダーケース』を観たことが引き金になっているとおぼしいが、ついついミステリー小説に手を伸ばす日々が続いておりこれはインフルエンザ前だが島田荘司『斜め屋敷の犯罪』(講談社文庫)を読み、恢復へと向かいつつある病床で法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(角川書店)を読了する。いずれもつまらなくはないが、どうも「これ」という感動がないのはどうしたものか。あるいは気づくのが遅いだけでミステリーというジャンルそれ自体を私は好きではないのではないかとさえ思うのは両者ともミステリー好きの間では傑作の誉れ高い(少なくとも定評のある)作品であるらしいからで――ちなみに『生首に聞いてみろ』は例の「このミステリーがすごい!」2005年度版の国内第1位作品――、しかしミステリーを嫌いだと言うには比較対象としてたとえば横溝正史の『犬神家の一族』や『獄門島』などが私のなかには厳然たる傑作としてあるのであって、いま思えばあれはなぜあんなに面白かったのかというほど面白かった。
■DVDで『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』を観たのはたしか金曜日(18日)だった。土曜日(19日)の夜には『トーキョー/不在/ハムレット』に出演していた熊谷さんの所属するパパ・タラフマラの新作2本立て公演『三人姉妹』『ヲg』を観に行く。元演出助手仲間の江尻君、三浦さんがそれぞれ観に来ていた。日曜日は私の部屋の片づけをしたが、これはまだ作業がたっぷり残っていて、そのことについて書く機会がいずれあるだろうからそのときにまた。
9 February 2005 (Wed.) 「まとめ・京都の日々」




■いかがおすごしでしょうか。
■5日の土曜に映画『レイクサイドマーダーケース』を妻と観、翌日曜日には宮沢さんが審査委員長を務める「かながわ戯曲賞」の公開審査を聞きに横浜のSTスポットに足を運んだ。STスポットといえば『トーキョー/不在/ハムレット』の「実験公演」を行った場所だが驚いたのはその狭さで、いや、たしかにわれわれもここであれをやったのだが、こんなに狭かったっけというほど再訪したそこは狭かった。
■そして2月1日から会社に戻っている私はWebデザイナーとしての日常があり、忙しかったりそうでもなかったりする日々のなかでしかしなかなか日記を更新できずにいたことのひとつには、「会社で更新するんじゃない。そんなことをしているんだったらさっさと仕事を片づけてその分早く帰ってきなさい」と妻にこっぴどく叱られたことがあり、それで会社では更新作業をせず、しかし夜遅く家に帰ってくれば何かと取り紛れてしまうことが多いのだった。
■そうこうするうちに宮沢さんの「不在日記」は最終回を迎え、つづく「富士日記2」もずんずんと前へ進むかのようにして順調な更新ペースを恢復しつつあるなか、ひどくいまさらの感もあるのだったが、とはいえせっかく撮った写真もあり、途中まで書いた日記も残っていて、遅ればせながらここで京都公演の楽日(1/29)とその翌日(1/30)の京都の日々だけまとめさせてもらばそれは次のようなものだった。
○1/29(土)
□短い報告で済まさせてもらうが、一年間に及ぶ『トーキョー/不在/ハムレット』のオーラス、京都公演・楽日の舞台は午後3時に開演。1階席はほぼいっぱいのお客さんで、宮沢さんは2階席、私のななめうしろの席で観る。ということで、今日はカーテンコールに宮沢さんが出ることはない。2階席の映像ブースには映像出し用の機材としてハンディカムもあるので、やろうと思えばそれでうしろにいる宮沢さんを生中継し、スリットにでかでかと映写することも可能で、実際、開場直前に浅野君にも手伝ってもらいテストも行っておいたが、まあ、それはナシ。
□「この日を一年間待っていたのかも知れない」と日記に書く大阪在住の上山君夫妻が観に来てくれる。そしてさらには、トラムで2回観た上、呆れたことに京都までやって来てしまった都内在住の吉沼夫妻も来てくれた。私もまた前作『トーキョー・ボディ』を客として3回観たクチなのだが、それだけに、『トーキョー/不在/ハムレット』が「3回観る者の現れる」舞台になったということは単純にうれしい。
□終演後、すぐに宮沢さんと美邦さんは学内の別会場で行われるシンポジウムに出席するためそちらに移動するが、一方、役者・スタッフ陣は後片付けがあって劇場に残らねばならないのでそのシンポジウムを聞くことはできない。役者さんたちとわれわれ映像チームは今夜その後片付けの済んだ時点で現地解散という扱いになっていて、ほとんどが自分たちでとった宿にもう一泊するものの、なかには都合で帰る人もいて、全員揃っての打ち上げの場が用意されていないこともあり、シンポジウムを終えた宮沢さんが戻ってきた時点でいったん楽屋に集合、そこで宮沢さんの最後のお話を聞く。片付けに手間取ったわれわれが一番最後に楽屋に着くとすでに宮沢さんを含め「一年間のプロジェクトに付き合ってきた者ら」全員が揃っていたが、気がつくと、「贄田継司」役の片倉さんの髪がいつのまにか短くなっている。終演後すぐに近くの床屋に切りに行ったのだという。
□そのあと、「もう一泊」組の役者さんらが揃って予約したホテルに移動、荷物を置いたあと、河原町三条のあたりの店に入って打ち上げ。上山君夫妻と吉沼夫妻はシンポジウムまで聞いて、それから(吉沼が劇場近くにホテルをとっていたので)大学近辺で食事をしていたらしいが、それで吉沼と別れたあと、上山君夫妻にはこっちの打ち上げに合流してもらった。私はこの日、みんなと同じホテルではなく大阪の上山君宅に泊まらせてもらうことになっていて、1時間ほど打ち上げを楽しんだのち、上山君といっしょに店をあとにした。
■と、ここまで書いてすっかり時間切れ。翌30日の分は写真だけでお茶を濁すが、その日、われわれは金閣寺→龍安寺→清水寺と観光をした。写真(ハンディカムで撮ったムービーからのキャプチャだが)はすべて金閣寺でのもの。
○1/30(日)

■なお、この日清水寺で撮ったムービーのほうはブログのこちらの記事に載せたので、よろしければ見てください。
2005年1月下旬の日記はこちら。



