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Sep.
2005
Yellow

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/ 16 Sep. 2005 (Fri.) 「下館へ。靖国問題ふたたび」

ひさしぶりに新幹線を使い下館へ。

明日に控えた荒川の結婚式は、栃木の宇都宮にあるホテルが会場だ。「マダムハニームーンバンド」の余興14日付けの日記を参照のこと)の準備もあり、今日のうちに下館(茨城)の私の実家に帰る。実家の向かいに住んでいる次兄夫婦も明日の式に呼ばれていて、「マダムハニームーンバンド」のメンバー(音楽班)である。それから、同じく音楽班の恭子ちゃん(上山君夫人)も単身下館まで来てくれることになった。上山君、永澤、吉沼夫妻は都合上当日の朝に宇都宮入りするしかなく(上山君と永澤は仕事。吉沼はなんとかなるらしいが夫人の彩子さんがいま矢内原美邦さんのワークショップに参加していて、それがちょうど今日あり、夜遅くまで横浜にいることになるので無理)、結局全員揃うのは明日の10時半である(式は14時半から)。当初は田村(栃木在住)も下館に来てくれる予定だったが、田村は「マダムハニームーンバンド」の余興とはべつに通常のスピーチもたのまれていて、その原稿を書かねばならないとかで来られなくなった。
音楽班(次兄夫婦と恭子ちゃん)の演奏を、出し物の人形劇のなかでどのように挿入するかといったことをまったく打ち合わせておらず、それを決める作業と若干の練習を兄の家でする。終わったのは未明の3時近く。

で、私はちょうどこの日、この「Yellow」のまとめ書きをはじめていたところで、新幹線のなかで途中まで書いた13日付けの日記をその場でみんなに見せていたりしたが、「靖国問題」を扱ったそのかなり硬直気味の感のある文章を前に、兄はしなやかな口調でこう言ったのだった。

「靖国」ってさあ、あれ、たぶん「お盆」だと思うんだよね。

 よりにもよって8月15日なんかに終戦しちゃったもんだから、日本人としてはつい「お盆」感覚で「参り」たくなるんだよ、とつづける兄の論旨は、つまるところ次のような答えに行き着くところのものだ。

「参り」たくなっちゃったら、(靖国ではなく、個々の菩提寺の)お墓に行けばいい。

「靖国問題」という言説群のなかにあって一見ひどく「のんきな意見」のようにも聞こえるが、しかしこれをきちんとした批評の言葉のなかに置いたとき、たとえばそれは、次のような言葉に連なってくるはずのものなのではないか。

 例えば大災害があったとします。そのときに消防士などが亡くなったときにどうするのか。それを国家が、何らかの施設で「あなたのお陰で」というようなものは今のところはない。戦争の死者だけを、国家はなぜ追悼や慰霊をする施設を求めようとするのか、そこが問題です。国家は何故そういうものを求めるのか。憲法九条で日本は非戦国家だという宣言をした。実態はそうでないとしても、それは武力を持たず、交戦権も否認し、戦争を放棄し、要するに主権国家というものを自ら制限した。これは、二〇世紀途中までの全世界の国民国家のあり方とは異なる国のあり方を指し示した。憲法制定者がどこまで意識していたかはわかりませんが、後の世代はそう受け止めるべきだと思います。国のために死ぬということを、戦後の日本は国家としても個人としても選択していない。だとすれば、そのための国家施設というのはもともと不要です。これは子安宣邦さんの論(『国家と祭祀』)と重なりますが。
 ですから、「代替施設」という考え方自体がおかしい。靖国神社の代替の国立の施設を新たに求めるということは、つまり新たな死者を予定しているということにほかならない。私は共同体の集団的追悼にも疑問を持っています。それは共同体に国家が介入してくる危険性を排除できないと思っているからです。
──「討議 〈靖国〉で問われているもの」(『現代思想』2005年8月号所収)での田中伸尚の発言より。太字強調は引用者。

本日の参照画像
(2005年9月24日 02:47)

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