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Sep.
2005
Yellow

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/ 17 Sep. 2005 (Sat.) 「荒川の結婚式に出る」

余興で、自身ドレス姿のままベースを演奏する新婦。いっしょに写っている新郎は何をしているわけでもない。
「フラ」を踊るみえさん。
各テーブルの真ん中にはこのようなロウソクが。場内暗転し、このロウソクが七色に光を変えるなか、ディズニー的な音楽に乗って新郎新婦入場という演出があった。

高校の同級である荒川泰久と、里沙さんの結婚式当日。朝8時半にぎりぎり起きてわれわれ夫婦と恭子ちゃんと3人、下館(私の実家)から電車で宇都宮へ。次兄夫婦はそれとはべつに車で楽器等の荷物を載せ移動する。10時15分ごろに会場の東武ホテルに到着。10時半から12時ぐらいまで、実際の会場を使い余興の練習をさせてもらえることになっていて、われわれ3人が一番乗りだったが追ってぞくぞくと「マダムハニームーンバンド」14日の日記に関連記事あり)の面々が集まってくる──田村は栃木から、上山君は大阪から、永澤は長野から、吉沼夫妻は東京から、そして宇都宮それ自体は都心から遠いと言うには憚られるものの近いというわけでもない、つまるところ「面倒」な、微妙な位置にあった──。式は2時半から。時間はない。
神前式につづいては、いまどきちょっと珍しいのではないかというほど、結婚式と聞いて思い描くところのケレン味(イベント性?)にあふれた、そうした意味で「オーソドックス」な披露宴がはじまった。「なんでこの人が私の友達なんだろう」(褒め言葉)という具合であり、また、吉沼の言を借りれば、

もしこれが80年代で、演出の選択肢に「ゴンドラ」があったら、まずまちがいなく乗っていたね、彼らは。

 という按配である。
余興の時間に入り、まずはじめは新婦が所属しているガールズバンド「うらら」の演奏。新婦自らも演奏に参加し、ドレス姿でベースを弾く。そのあと、前日に妊娠が発覚したばかりの目出度い人、みえさん(私の義姉)が単独で「フラ」を踊り、ここでいったん新郎新婦が時間差でそれぞれお色直しのため退席するが、そのさい新郎は槇原敬之の曲を歌いながら退場するというやりたい放題を見せる。新郎新婦が再入場したのちが余興の第2部で、いよいよ「マダムハニームーンバンド」の出番である。
いやー、だめでしたね。いろいろ準備不足というか、考えが甘かった。披露宴の帰り、上山君は「だから、『笑いに来ていない』お客さんを笑わせるのがいかに難しいかってことだね」と、結婚式の余興についての反省の弁とも思えない、ちょっとどうなのかと思うような言葉を口にしていたが、まあ、だいたいそういうようなことである。
やっぱり人形劇はスケールが小さかった。2本向けたスタンドマイクではほとんど声が拾えず、「宴もたけなわ」であるところの各テーブルはうるさい。肉声でなんとか届くのではないかという判断が甘かった。テンポが悪くなろうとマイクは手に持たせるべきだった。頼みの綱は新郎で、事前の要望としては「俺(新郎)を楽しませてくれればいい」ということがあり、まあ最悪そこにだけ伝わればいいかとも考えていたが、どっこい高砂にいる新郎のところにはどんどんと人がビールを注ぎに来てしまうのだった。冒頭の映像(スライド)でそれなりに注意をこちらに惹けるのではないかという考えも当てが外れる。人形劇をやる舞台エリアとスクリーンは離れたところにあるのだが、舞台近くの席でせっかく注目してくれる一部の視線はガタガタと机を準備したり、楽器の音出しをしたりする舞台側のほうへ向いてしまっていて、いざはじまってもなかなかスクリーンに気づいてくれなかったらしい。「それでは後方のスクリーンにご注目ください」のアナウンスが一言あれば、ということだが、考えが至らなかった。そしてまあ、私も段取りと台詞を一部まちがえた。
最後、新郎を舞台に呼び込んで「乾杯」を歌わせるという無理やりな構成が、しかしわれわれを救う。「主役」が歌い出せば、そりゃあ注目は戻るし、盛り上がるのだった。そりゃそうだよ。
というわけでいろいろ反省。もう人形劇はやりません。メンバーのひとりである田村が来年5月に式を挙げることが決まっていて、次の「マダムハニームーンバンド」はもうそこと決まっているが、そのときにはこの反省をぜひ生かしたい。生かしまくりたい。うーん、やっぱり事前に何かビデオ作品を録ってそれを流すだけというのがラクで、手堅いだろうか。
まあ、そんなこんなで、おめでとう荒川君、里沙さん。

本日の参照画像
(2005年9月27日 01:51)

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