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Apr.
2006
Yellow

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/ 27 Apr. 2006 (Thu.) 「眼鏡な話と」

セルの柄はこれではなく、微妙に異なるが、だいたいこんな感じ。
『不思議の国とアリス』のDVD特典のひとつとして使われる予定の、シロウサギのぬいぐるみ(編みぐるみ)。みえさんからの依頼を受け、妻が鋭意制作中である。

眼鏡が戻ってきた。
二週間ほど前だが、ごく久しぶりに新しい眼鏡をあつらえた。それを今週修理に出していたのは思いきり物にぶつけてしまったからで(というか、掛けたまま激しく物にぶつかってしまった)、レンズは無事だったが、よくよく見るとフレームが少し歪み、小さなネジが一本とれていた。店に持ち込むまでに少し日を置いため修理に日数がかかってしまった。ネジの抜けたセルフレームのネジ穴は次第に収縮をはじめるのだそうで、どうやるのかは知らないが、穏便に事を運ぶためにはまずそれをもう一度拡げてやらなければならない。
表参道にあるその眼鏡屋はメーカー直営の店舗だからということか、店員のメンテナンスの腕がひどくいい。そう感じる。ことによると感じるだけかもしれないが、もとより眼鏡の調整などというものはひどく微妙なものだ。「どこか掛け心地がおかしい」というとき、「ここがこうなってるんじゃないか(そのために気持ち悪いのではないか)」とこちらも当たりを付けはするものの、自信があるわけではない。「どうなさいました?」と聞かれ「ちょっと左側が下がってるように感じるんですが」と答えるこちらの見立てどおりにそのまま調整を施されても、それで違和感が解決するとはかぎらない。下手な店員というものはほんとうに下手だったりする。こちらが主観で述べたとおりのことしか調整できない、と言えばいいか。表参道のその店でも一応、「ツルが広がっちゃったのか、レンズが眼に近いように感じるんですが」などこちらの感じる症状を言いはするものの、店員はそんな素人の見立てなどほとんど聞いていないんじゃないかと思えるほどで、とにかくその場で眼鏡を掛けさせ、あれはどこを見ているのだろうか、ツルと耳との接触具合のようなところをチェックしては眼鏡を受け取り、奥へ消えていく。ここがこうなっていれば気持ちいいはずだというような、主観によらない物理的なセオリーのようなものがあるのだろう、たいがいはそれだけで違和感が消える。
田村の結婚式でやる「余興」について、吉沼からは「漫才はどう?」というメール。田村本人がここを見ているかもしれないなかで報告しているのは、まあ、それはやらないだろうということだけど、うーん、漫才はなあ、さすがに間に合わないと思うんだ。
説明すると、ここで吉沼が「漫才」と言っているのはおそらく私と荒川のコンビによるそれだ。高校時代、私が演劇部に所属していたことはあまり知られていないが──私、荒川、田村、永澤の四人は演劇部仲間である。私の結婚式のとき、荒川が余興(内スピーチ)でその経歴に触れると、司会をしていた笠木さんが「なんだよ、そうだったのかよ」というような視線を私に向けた。──、その演劇部での主な活動のひとつとして、私は荒川とコンビを組み、漫才をやっていたのだった。部として、高校演劇の地区大会のようなものにも一応出るのだが、なにせ私は当時「〈高校演劇〉的なるもの」が大嫌いだったし、やりたいのは漫才で、ある年の大会では無理やり「主人公が漫才師」という設定の創作劇を用意し、冒頭に劇中劇のようなかたちで漫才をしてみせた(で、そのコンビが楽屋に戻ったところから物語がはじまる、というような、たいへん申し訳ない構成)。
だからまあ結婚式の余興としては「友人がコンビ再結成」というような趣旨になるのだし、当時を知っている新郎はそれを懐かしんで喜んでくれる可能性が高いものの、でもなあ、やっぱり時間がないよ。ネタは? 書き下ろすのだとすればなおさら時間はないし、当時のネタをそのままやるのだとしても稽古時間が充分にとれない気がする。漫才という形式でぐだぐだになるのは、それはいやだよ。やるんだったらきっちりやりたいじゃないか。

本日の参照画像
(2006年4月30日 02:13)

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