17 Jul. 2006 (Mon.) 「この一週間ぐらい」

宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜書房)

けっこう間が開いてしまったので、まずは日誌的なメモから。

○12日(水)
 いろいろたいへんだった。出向いた先で作業をする仕事の最中、ハードディスクトラブルに見舞われる。反省することしきり。
○13日(木)
 ついにエアコンの出番。暑さというよりも部屋にこもる湿度が尋常でなく、「除湿」で対応。「冷房」はまだあとにとっておく。
○14日(金)
 夜、高円寺の「円盤」へ。川勝正幸さんと下井草秀さんによる月例イベント「文化デリックのPOP寄席」に宮沢(章夫)さんがゲスト出演する。前にも書いたけど、この件に関しては「川勝さんと宮沢さんのツーショットがたまらない、というただの子供」である私は、開場待ちの列の3番目を確保し、ちょっと躊躇はしたもののここはやっぱりイス席最前列を選んだ。しあわせだなあ。打ち上げに参加させてもらい、川勝さんとも少しだけしゃべった。「最近とみに大竹まことさんと顔が似てますよね」というのをどこかで言おうと思っていたが言えなかった。「ああそうですか」って話だしな、それ。3時にお開きになるまでおつきあいして、そのあと、木下君や米倉さんら、俗に言う(言わないけど)「大阪ワークショップチーム」の方々と居酒屋で始発を待つ。主に酔っ払った森下君の話をみんなで聞いていた。楽しいひととき。
○15日(土)
 前述のイベントが朝帰りとなったため半分あきらめていたものの、存外早く起きたので横浜へ行くことにした。「かながわ戯曲賞」の関連事業というか、神奈川芸術文化財団が主催する「戯曲セミナー」が神奈川県民ホールであって、宮沢さんが講師。みなとみらい線の「日本大通り」駅に着くと、数歩先を南波さんが歩いていた。ほか、上村君や田中夢ちゃん、関君、江尻君らの顔がある。終わって、近くのジョナサンで食事。上村君に先日の舞台『青い鳥』の感想を伝えたり、あと、「ブラジルいいよね」という話(W杯のことですね)で上村君とは意気投合した。とくにロナウドの「かわいらしさ」(幼年性?)を上村君は推し、私もそれに強く同意する。宮沢さんと永井さん、役者陣のみなさんはそのあと県民ホールに戻って、リーディング公演の上演空間となる施設をチェックする仕事があり、私はその手前でお別れ。帰りに立川の本屋で『東京大学「80年代地下文化論」講義』を買う。18日発売と告知されているものだが、もうふつうに書店に並んでいる様子。夜、本棚から別役実戯曲集『足のある死体/会議』を引っ張り出してきて明日の予習。前に読んだはずだがすっかり細部を忘れている。
○16日(日)
 青年団若手自主企画vol.29 『会議』を観に、小竹向原へ。きのうは背後から南波さんに声を掛けたが、今日は改札を出てぼんやりしているところを南波さんに声掛けられた。『会議』には熊谷さんが出ている。あと、演出の武藤真弓さんは数年前の「日本劇作家協会・戯曲セミナー(コント部門)」でいっしょだった人。それでもって今夜の回はアフタートークがあり、ゲストが宮沢さん。3日連続で宮沢さん。どうなんでしょうかそれは。アフタートーク後、劇場にそのまま残って缶ビールとおつまみによる打ち上げ。帰りは宮沢さんの車で新宿まで送ってもらったが、空きっ腹に入れたビールがいけなかったか少し気持ち悪くなってしまい、生あくびを繰り返しながらがまんする。
○17日(月)
 朝から雨で、やけに涼しい。どこへも出ず、『東京大学「80年代地下文化論」講義』を一気に読了する。

『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読んだあと、これは半ばノスタルジックな行為だけれど(そして、「80年代」というタームに引きつけるには無理のある、まさに「90年代」へと走り出そうとするアイテムだけど)、雑誌「03 TOKYO CALLING」(通称ゼロサン)のバックナンバーたち(1989年11月の「創刊準備号」から1991年11月の「24号」まで)を引っ張り出してぱらぱらと読んでいた。これ、全部あるんですよ、うち。何年か前にネット経由でごっそり買った。古本ではなく、「03」のアートディレクターをしていた駿東宏さんのサイトで、倉庫に残っていたという新品在庫を売りに出していた。これだって私はリアルタイムに買って読んでいた読者ではないが、前田日明を起用した広告などは記憶に残っていて、やけにチカラの入った、ある意味ヘンな雑誌である(Music/Book/Movie...というような毎月の文化時評で、たとえば「アンビエントミュージック」という項目を書いているのが細野さんだったりする)ということを当時教えてくれたのは7つ上の次兄だった。いとうせいこうさんやえのきどいちろうさんもしばしば特集記事に携わっていて、たとえばえのきどさんは90年12月号の特集「東京 - 暴走する怪物都市」のなかで、パルコ出現前や、さらにそれ以前の渋谷の街を、当時を知る何人かに記憶をたよりにした地図を手書いてもらい、その記憶の集合のなかから再構築しようとする「渋谷記憶地図」という記事を書いていて、その、『ヒネミ』(92年11月)とのちょっとしたシンクロニシティが興味深い。ちなみに、宮沢さんは文化時評のコーナーに2本書いている(「チェビー・チェイス」と「ルイス・ブニュエル」)。紹介される側では「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」最後の『砂漠監視隊』と、『遊園地再生』とがその公演前に取り上げられていて、あらためてその時間的な距離のようなものを「ああそうか」と認識する。『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読んだばかりだというのも当然あるが、そうでなくとも、なぜか「80年代」という時間は私のなかにごく身近なものとしてあって、その感覚にどこか生じている歪みを矯正する役割を、「03」という端境期の記憶が果たしてくれるかのようである。そうか、「90年代」ってこんなに遠いのかと驚く気分にもなるのだった。
あー、「03」をぱらぱら見返したという話をさらっとして「導入」にするつもりが思いのほか書いてしまった。ここで時間切れ。というわけでつづきはまた明日。

(2006.7.18 21:49)

11 Jul. 2006 (Tue.) 「ドアが開いて乗客は一喜一憂する」

そこにいても、風はこないのだよ。

じっとりとした夜である。家ではいまだクーラーをつけていない。日中は会社にいてその冷気の恩恵に与っているから、これが丸一日家にいたとしたらつけていなかったかはわからないが、それでもこれまでの土日はなんとかやり過ごしてきた。扇風機のすばらしさよ。扇風機は、「弱」のさらに下の「そよ風」というやつで、弱風を送ってはしばらく止んで、また弱風に戻るというそれに、首を振らせている。いつかどこかでたまらず、これを「弱」に切り替えれば、そこから先は転げ落ちるようにしてクーラーのスイッチを押すところまでまっしぐらだろうか。猫は自分で涼しいところを見つけて寝ている。いや、そこがどういう兼ね合いでどれほど涼しいのか、こちらにはちょっと判然としない場所もあるが、その寝顔は涼しそうにも映る。かと思えばまったく暑そうな顔で考えもない場所に巨体を横たえていることもある。
夜、電車をひと駅乗り過ごした。閉まりかける扉の向こうに見えるプレートのあの文字は、あれは「立川」じゃないかというふうに気がついて、ひと駅先の「日野」まで行った。終電だったので折り返すこともできずタクシーに乗る。三割増の深夜料金で1,500円ほど。寝過ごしたわけではなかった。途中で座席にありついたのがあだとなったか、本に夢中になっていた。しかも夢中になっていたのは奥浩平『青春の墓標』である。ばかか私は、と日野へと走る電車のなかで思う。
それにしても、電車の冷房は、あれはなんとかならないものか。いまにはじまった話ではないものの、あれはやっぱり寒いよ。「弱冷房車」にはまったくほっとする。どうせならいっそのこと「暖房」の車輌も用意したらどうだろうか。「冷房」「弱冷房」「暖房」の車輌があって、どの車輌がどれかはわからない仕掛けだ。その日によってちがう。ドアが開いては一喜一憂である。暖房だった者の落胆はひとかどではない。って、乗らなきゃいいんだけど。(あの、あれですね、この連想は「クイズ・ドレミファドン」の「セイロクマン」とか、ほら、あれですね。)

(2006.7.13 2:49)

10 Jul. 2006 (Mon.) 「『いま』を愛することはやっぱりむずかしい」

いいんですよこれが、ほんとうに。コーラスでトム・ウェイツも参加。

高森さんが「ヨミヒトシラズ」を閉鎖。真摯なお別れの挨拶がトップページに残された。すぱっとした終わり方だ。ところで、おそらくだけど、「web-conte.com」はこうならないだろう。「更新できないので閉鎖します」という心性はよく見かけるところだが、それにはあまり納得しないのである。「更新できなくとも閉鎖はしない」という態度を、おそらく私はとることになるだろう(ここで言う「閉鎖」は、「今後更新がないことを宣言すること」ではなく、「過去のコンテンツへのアクセス可能性(リンク)を閉ざすこと」である)。それはいわば「アーカイブの思想」だ。だから、友人の永澤がかつてはじめて自分のホームページを作ったとき——最新の日記が書かれたトップページが一枚だけ存在し、更新のたびにそれが上書かれて常に最新の日記しか存在しない、という体裁だった——、そこに「アーカイブ」という概念がまったくないことにすごく驚いたわけだ。それはそれで新鮮だった。だから、まあ、人それぞれである。
ちなみに、高森さんの過去の日記が読みたいという欲望には、若干ながら「Internet Archive Wayback Machine」が応えてくれる。表示が文字化ける場合はブラウザの文字エンコーディングを手動で「Shift JIS」に変更してください。
2日、ブログのほうに「ブラジル敗退」という記事を書いたことでもわかるように、私はその日、ワールドカップの「ブラジルーフランス」戦をテレビで観ていた。それにしても、「結果」を愛するのではなく「いま」を愛することの、なんと困難なことであるかというのは、その「ブラジル敗退」という記事自体がいやらしく露呈している。

私のワールドカップが終わった。わが家はかなりうなだれている。われわれが愛すべきは「いま」なのだから、その意味で結果は問題ではないが、しかしこの試合で、ブラジルはどれだけ「いま」とともにあっただろうか。NHKのアナウンサーが仕立て上げる「物語」に毒されていたのは単に私のほうなのかもしれないが、しかし選手たちも(ロナウジーニョでさえも)またどこか、「8年前の決勝で敗れたフランスへのリベンジ」というまったくどうでもいい「物語」のなかへと、自らの試合の「意味」を回収してしまっていたように思えてならない。われわれが見たいのは「いまーここ」においてのみ充足する美しさであり、因果的に再編成された「物語」などでは少しもない。そこはここではないのだ。そしてその一方、今大会かぎりでの引退を表明しているジダンが向き合っていたのは終始「個としての自分」だったということだろうか、彼がひとり、「いまーここ」をプレーしているようでもあった。
「ブラジル敗退」

 おそらくはこの私の文章自体が、この試合に「物語」としての枠組みを与えようとする欲望から自由ではないのであり、その欲望はどう考えたって「結果」への動揺から発している。「あーあ、ちくしょう、負けちゃったよ」ってことですよ、要するに上の文章は。

「結果」を愛するのではなく「いま」を愛すること。それはたやすいことではない。なぜなら私たちは「いま」というものの正体を、なかなか知り尽くせないからだ。だが、「いま」を愛することなくして、過去も未来も愛することはできない。
今福龍太「結果を愛するのではなく」『フットボールの新世紀 美と快楽の身体』(廣済堂ライブラリー)

で、フランス—イタリアの決勝もうつらうつらしながら観ていた。後半はうつらうつらが激しくなって、ちょうど「ジダン退場」のところを見逃し、「どうやら頭突きをしたらしい」というぼんやりした情報のまま、翌朝、賢明にも観戦せずに睡眠をとった妻に結果を伝えた。その妻の反応がなんとも頼もしい。「で、延長後半にジダン退場」「退場?」「なんかね、頭突きしたみたい、相手選手に」「怒って?」「そうじゃないかな」「じゃあしょうがないね。よっぽどのことがあったんだよ」と妻。ニュアンスを説明すると、この「じゃあしょうがないね」は「退場(レッドカード)になってもしょうがない」ではなくて、「頭突きをしてもしょうがない」ということである。笑ったなあ。そうだよ。この「今福龍太かぶれ」であるところの私が擁護しなければならないのもまた、このジダンのある意味子供っぽい振る舞いのほうであるにちがいないのだ。
というようなことを考えているときに、「反逆児ジダンの頭突きを支持! 21世紀サッカーのために」というブログ記事を目にする。今福龍太の「二○世紀最後のワールドカップのために」にリンクを張りつつ、筆者はまさに「今福調」のサッカー批評を展開する。以下はその途中から。

 警告を受けないギリギリの範囲でネトネトと削りにくるディフェンスプレイと、審判には聞こえない執拗な言葉の攻撃で挑発をしかけてくるウザイ相手に対し、マルセイユの路地裏の少年に戻ったジダンは、思いっきり頭突きを炸裂させた。それも全世界、全フランス国民が見守るテレビカメラの目の前で、隠れることなく。
 そこにはフェアプレイやスポーツマンシップという、近代スポーツが掲げる美辞麗句の背後にある帝国主義的なイデオロギーに対する反逆、そして、サッカーが本来持つ美しさや快楽を抑圧し、「負けないこと」を至上価値とする近代サッカーの横行への反逆があった。そして、そのまま試合を終えれば、たとえ優勝しなかったとしても、間違いなく「英雄最後の勇姿」として称賛を浴び、栄光のサッカー人生に輝かしく幕を下ろすことができたはずである。しかし、ジダンは、それさえも拒否した。というより、そうした過剰に美しい「英雄」の物語として自らを飾り立て、消費してしまうメディアの力にこそ、ジダンは頭突きを食らわしたのかもしれない。
 いずれにしても、お子様ジダンが見せてくれた最後のお辞儀に、サッカーをつまらなくするな、という強いロック魂を見た思いがして、僕は救われたのだった。
take2o2 memo: 反逆児ジダンの頭突きを支持! 21世紀サッカーのために

そうそう、今福龍太といえば、何年か前の日経新聞に「神はブラジル人?」というエッセイを寄せていたらしいという情報を先日つかみ、それ読みたいなあと思っていたのだが(さいわいなことに国立国会図書館は仕事場から一駅だが、最近はそこまでフットワークが軽くない)、これも、その記事を(たぶん全文ではないけど)引用してくれるブログ記事に出会った。
ブラジルのセレソン(ナショナルチーム)はどこか決定的に「キャラが立ってる」ように思えるのだが、どうだろうか。試合に出ていた選手に関してはほぼ全員、すんなりと名前を覚えてしまったことにそれは象徴される。申し訳ないが、日本代表の顔と名前はほとんど一致しない私だ。って、それはたんに興味の強弱の問題か。どうでもいい話で恐縮だが、「もし言い寄られたら拒否できるだろうか度」でいけば、私の一番はキーパーのジダだ。かなりセクシーである。
ちょっと前に「富士日記2」で紹介されていた、Gavin Bryars の「Jesus' Blood Never Failed Me Yet」にいま、どっぷりと浸かっている。いや、ほんとうに仕事がはかどるよこれは。曲のタイトルのことなどすっかり忘れていた私は、宮沢さんが先月の21日に「精神の安定のためにはこの音楽がとてもいい」と日記でこの曲を紹介したとき、知らない曲だと思っていたのだったが、聞いてみたら知っていた。というか、これは『トーキョー/不在/ハムレット』の「リーディング公演」で、その次の「映像公演(『be found dead』)」でできあがる桜井圭介さん作のいわゆる「詩人のテーマ」がまだない当時に、「詩人の独白」のシーンのバックに流されていた曲である(あ、記憶違いだったら、演出助手のくせにすいません)。どういう曲かというのは、Amazonのページにあるカスタマーレビューのひとつがなかなかわかりやすい。

本作品はもともとホームレスの老人の唄を基に1975年に作った約25分の作品で、CDが登場し長時間作品の収録が可能になったため1993年に録音し直したとのことです。"Jesus' blood never failed me yet, never failed me yet, Jesus' blood never failed me yet, never failed me yet, this one thing I know, for he loves me so. "という僅か25秒の歌を延々と繰り返し、これにだんだんオーケストラが加わったりコーラスが入ったりして盛り上がっていく曲で、一応チャプターがついていますが連続した一つの作品です(25秒が延々と約75分続く曲と思ってください)。
Amazonのカスタマーレビューより

 あと、Amazonでは一部試聴も可能。
余談。それで、むろん最終的にはAmazonでCDを購入したのだけど、ちょっと商品の到着を待ちきれずに、先にとある方面から入手してそれを聞いていたのだった。で、入手先のもとのデータがそうなっていたのか、データ転送のさいにおかしくなったのかは不明だが、それには冒頭近くにデジタルノイズが入っていた。スケッチ・ショウなどが「音」として使っているあの「プチプチッ」というやつ(もっと適当な擬音があるはずだが思い浮かばない)。結論からいってむろんそれは「本物」の(意図的ではない)デジタルノイズなのだが、でも、大きな音で聴けば逆に、それがけっこう絶妙に入っていて楽しめるのだった。すごいな、「デジタルノイズを聴く耳」を作ってしまったエレクトロニカなるものは。ね。

(2006.7.11 12:38)