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Oct.
2006
Yellow

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/ 22 Oct. 2006 (Sun.) 「誰が鵺を弔うのか」

さらに上村君の役について考える。いや、それで何かアドバイスをしようというのではなく、たんに考えるのが楽しくなってしまったから考える。
リーディング公演の際のポストトークで観客から出た感想のひとつに、「劇中の多重な対比構造」について言及するものがあり、そこで指摘されたことのひとつが「記憶を無くしていく男と、どんどん記録していく男」の対比だ。上村君のなかではある程度この解釈が引っかかっているようで、「そういう関係性のようなものがうまく舞台に出現しているか」ということを心配していた。で、そもそも、このふたりはそうした対立関係のなかにあるのだろうかというのが私の引っかかり。というのも、上村君演じる自称「映像作家」が覗くカメラのファインダは、いまを「記録」するのではなく「消費」するように見えるからだ。言い換えれば、カメラを向けることでしか彼はいまを消費できない。記録それ自体が目的なのではなく、記録することでいまを「過去(/歴史?)」へと変換することが目的なのである。だからこそ彼がこだわるのは「旅の思い出」でなければならない。一方、「黒ずくめの男」が無くしていくのは何度も強調されるように新しい、日常的な記憶であり、男の歴史性をいまへとつなげる身体である。いまと切り離されて「歴史」になろうとするあの遠い時間はけっして彼のなかで消えることがない。その意味で、むしろふたりは奇妙な相似形をなしているとも見ることができる。
「新宿」もなくなり、「あの時代」が歴史になろうとするときに、鵺は現れた。

旅の僧が熊野から都への途中、摂津の国蘆屋の里に着く。川崎の御堂で一泊すると、所の者の言うとおり、異様な風体の舟人が空舟(うつおぶね)に乗ってあらわれる。それは、近衛の院の御代に源の頼政の矢に射られて命を失った鵺の亡魂であった。その時の有様を語った後、また空舟に乗って夜の波間に消える(中入)。僧の弔いに鵺そのものの姿で再びあらわれた亡魂は、供養に感謝した後、退治された時の模様、それによって頼政が名を上げたことを語り、空舟に押し入れられて淀川に流され、暗黒の世界、冥途の闇路にある身を、はるかかなたから照らしたまえと願って、海中に消えていく。

 というのは、小学館の『新編日本古典文学全集 謡曲集 (2)』にある「鵺」の梗概(「内容」の項)だが、ここで鵺が、頼政による鵺退治の場面を前段では退治する頼政の視点から語り、その後、鵺自身の視点から語り直しているということが興味深い。鵺が成仏するためには、「正史」の語りに対抗する(『1968年』的に言えば)「偽史」の語りがなくてはならなかった。
ところで、「黒ずくめの男」と「演出家」の邂逅は、それを謡曲「鵺」の構造のなかで考えたとき、奇妙なねじれをはらむものであることに気がつく。当然のごとく、劇のメインキャラクターであるこのふたりは能でいう「シテ(鵺)」と「ワキ(旅の僧)」であるかのように見える。しかし、「黒ずくめの男」が「鵺」であるのはまちがいないとしても、では、「演出家」は「旅の僧」なのだろうか。「黒ずくめの男」を(劇中の言葉で言えば)裏切り、そののち世界的に名を馳せることになった演出家は、まさしく「頼政」ではないのか。ここでは「鵺」と「頼政」が出会っている。頼政は鵺を弔うのではなく、鵺とともにある(だからこそ、ラストシーンに書き加えられたあの設定があるのだろう)。
では、「旅の僧」は誰か。誰が「鵺」を弔うのか。それは、いまの身体から「あの時代の言葉」を発し、劇中劇を演じる若い俳優たちでなければならないだろう。だからこそあの劇中劇は、(黒ずくめの男に「ちがう!」と否定されつつもなお)魅力的であるのだ。

(2006年10月23日 12:40)

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