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Jan.
2007
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/ 26 Jan. 2007 (Fri.) 「上山君の質問に答える、その前に」

成田龍一『「大菩薩峠」論』(青土社)

中里介山『大菩薩峠』(ちくま文庫、全20巻)

私の文章にその折々の調子のちがい、リズムの移り変わりがあるとすれば理由はおそらく単純で、そのとき読んでいるものに体もなく影響されているだけであることについては多少なりとも自覚しているところだけれども、とすると、その法則でいくならば、と思い返してとても危惧するのは、ひょっとしていま私は「中里介山」になっていやしないかということであります。
きっかけは成田龍一『「大菩薩峠」論』(青土社)。そっちはいったん中途にし、やっぱりここはひとつ、とちくま文庫で『大菩薩峠』に再挑戦することにした。
前回はたしか大学生の時分、そのちくま文庫版(全20巻)と、同じく筑摩書房から出された愛蔵版(全10巻)とが相次いで刊行されはじめた当時に、そのときは愛蔵版の第一巻を買ったと記憶している。西暦を計算するのは面倒だが、「編集協力」として載っている紅野謙介の名前に「へえ」と思った覚えもあって(大学のゼミで一年間だけ、石原千秋の代打をつとめた)、その名を知っていたからには、たしかにあれは大学のときのことになる。そして、このときは早々に挫折した。挫折の理由はわりとはっきり覚えていて、中里介山の特徴と言ってもいい、「です・ます調」と「だ・である調」の不統一が、当時の私には決定的に気持ち悪くてしかたがなかったのだった。それは、たとえばこうした調子であります。

 妙見の社の縁に腰をかけて話し込んでいるのは老人と若い男です。この両人は別に怪しいものではない、このあたりの山里に住んで、木も伐れば焼畑も作るという人たちであります。
 これらの人は、この妙見の社を市場として一種の奇妙なる物々交換を行う。
 萩原から米を持って来て、妙見の社へ置いて帰ると、数日を経て小菅から炭を持って来て、そこへ置き、さきに置いてあった萩原の米を持って帰る。萩原は甲斐を代表し、小菅は武蔵を代表する。小菅が海を代表して魚塩をはこぶことがあっても、萩原はいつでも山のものです。もしもそれらの荷物を置きばなしにして冬を越すことがあっても、なくなる気づかいはない──大菩薩峠は甲斐と武蔵の事実上の国境であります。(「甲源一刀流の巻」一)

 「潔癖だった」とでもいうのか、あのときはこの混淆にどうにもリズムを狂わされた。いまは大丈夫である。たまにずっこけることもなくはないが、そうしたことは『大菩薩峠』の魅力をいささかも減じるものではない。たとえば松岡正剛がきっぱりと次のように述べるのは、そう述べることが何ら作品の否定につながらないことへの驚きとともにである。

文章がヘタだし(全編「です・ます調」になっている)、中だるみもあるのに、松岡正剛の千夜千冊『大菩薩峠』全12巻中里介山

で、まったく関係ないが、週の半ばぐらいに「教えて、魔法使い!」というタイトルで上山君からスタイルシートに関する質問メールが来ていたのだった。引用してみたところで、わからない人にはさっぱりな質問内容だと思うが、

4231(註:上山君のサイト)のソースをテーブルからスタイルシートに書き換えているのですが、floatタグで英夫日記を左に寄せて、恭子日記を右に来るようにすると、恭子日記で写真がある後にclear:leftしたときに、次の行が英夫日記の下まで飛んでしまいます。

clearが一個上のfloatまでしか効かないようにするにはどうすればいいのでしょうか?

 これ、言いたいことはすぐにわかるのだ。あーそれなあ、それはなあという「問題」で、私も何度かブラウザのこの挙動を回避しようとつとめたことがあるが、そのつど場当たりに対処してきただけのことで、体系立った知識として説明することができないから、これはちょっとあらためて検証しつつ、調べなければならなくなった。「links for 2007-01-24」にあるリンクのいくつかが、このときの調べ物の成果。上山君に回答できる用意はととのったけれど、それはまた長くなり、専門的になりもするので別の記事で。

本日の参照画像
(2007年1月31日 01:50)

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