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Apr.
2007
Yellow

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/ 1 Apr. 2007 (Sun.) 「泣くとは思わなかったのだ」

先週の火曜日からずっと首に激しい痛みがあって、まっすぐ正面を向くために顔を持ち上げるのにも支障をきたすから、痛みにさからうまいとして首の姿勢が悪くなるという悪循環である。要はひどく凝っているという状態なのだが、それが尋常ではない。原因は不明ながらも、ことによるとそういうことではあるまいかと夢想したところが少しく正解したかたちで、こうした情報を見つけ、まあ状況から見てこれなんじゃないかということになる(ちなみに私が想像したのはよりドラマティックな見立てで、じつは元来これだけの肩の凝りが常に私には存在していたのであり、これまではタバコの鎮静作用的なものがそれを麻痺させていた──というものだが、むろんでたらめ)。
というわけで禁煙して二週間になる。

1975年の生まれであるにしては、クレージーキャッツへの愛着は深い。深いと言えども、なにせ1975年の生まれである。リアルタイムと呼べる作品は、それこそ「オヨビでない奴!」(1987年)ぐらいのものだ。あ、それと、1986年に「木曜スペシャル」枠で一夜だけ復活した「シャボン玉ホリデー」はたしかに見ているはずなんだよ。するとそれ、小学生だ。
現在へと通じる自分の趣味の来歴について、小学校高学年から高校へと至る記憶がどうも融解してしまっていて、たとえばモンティ・パイソンをはじめて見たあの衝撃の夜がいったいどこに位置しているかだの、そうしたことを時間軸の上にはっきりと並べ直せずにいる私が今いるわけだが、クレージーキャッツの享受をめぐる記憶もまた少し靄がかかったようになっている。「木曜スペシャル」の「シャボン玉ホリデー」も、あるいは兄がビデオ録画したものをもう少し後年になって見たのだったか。青島幸男の著書『わかっちゃいるけど…―シャボン玉の頃』(文藝春秋)は、地元の、当時駅前にあった本屋の新刊コーナーにあったのを買ったと記憶しているのだが、刊行年からするとそれが1988年で、私は13歳だ。うーん、これもどうだろう。はたして13歳が『わかっちゃいるけど…―シャボン玉の頃』を買うのか。「新刊コーナーにあった」というのが記憶ちがいだろうか。とはいえ、三宅裕司司会の「テレビ探偵団」が1986年にスタートしている。この番組の初期のころはだいたい毎週見ていた。ウィキペディアの記述を信じれば、第6回のゲストが青島幸男で、第9回が中尾ミエ、第17回がハナ肇だったそうで、このへんはまずまちがいなく見ていたはずだから、やっぱり小学校高学年のこの時期から、少なくともなにがしかのクレージーキャッツ映像に触れてきたことは再確認できそうだ。
都合よく再構成された記憶の、いちばん原初にあるのがカセットテープである。主だった曲がほとんど網羅され、ひとつのテープにまとめられていた。兄がレコードからダビングして自作したと思われるそのテープを、さらに複製して何度も聴いていた。
いやあ、ここも怪しいなあ。ドリフターズのカセットテープで同様の体験をしているというのはよりたしかな記憶なのだけれど、クレージーキャッツの場合はそののち、自分でベスト盤のようなCDを借りてきてダビングしたのだっけか。だいたい、「ダビング」という技術を考えるにこれはどうしたって私の場合中学以降の話であって、時間的に「原初」であるはずはないのだが、とにかくクレージーキャッツ体験の根幹にその曲と詞があったということなのだろう。飽かず、繰り返し繰り返し聴いていたあれは、うーん、高校時代のことだったのかなあ。当時も今も変わらず、一曲選べと言われたらやっぱり「ホンダラ行進曲」を選ぶ。あと、「悲しきわがこころ」も捨てがたいなあ。また、詞世界の強靱なでたらめさということで言えば、紹介したくなるのはたとえば「無責任数え唄」の次のようなくだりだ。

四つとせ、酔って騒いで高いびき、気がつきゃ会社の大社長
九つとせ、子供のケンカにゃ親が出る、親のケンカにゃ俺が出る

夜、TBSでやっていた植木等追悼番組をなんとなく最後まで見てしまった。追悼アイテムとしてはこの日、自前でDVD4枚組の『クレージーキャッツ無責任ボックス』を買ってきてもいて、追悼番組のほうはそれほど見ようと思って見ていたわけではなかった。終始、司会のひとり(ABブラザーズの人)がただただ邪魔でしかないことに苛立ちつつ見なければならなかったし、スタジオゲストである小松政夫の呂律が怪しいことのほうに追い打ちをかけられるようなショックを受けていた。番組の最後に、徳光和夫アナウンサーが谷啓からのメッセージを代読する。これもむしろ、「本日は体調を崩されまして残念ながらスタジオにはお越しいただけませんでした谷啓さんから…」という説明のほうに冷静な不安を覚えた。徳光アナが読み上げるメッセージは、ひどく凡庸な、友への呼びかけである。なんの変哲も、てらいもないただの手紙。そのなかで谷啓が、こんなことを言うんだ。

 「楽屋が広いよ」

ちょっとこらえようと思ったがだめだった。あきらめて、声をあげて泣いた。わんわん泣きました。隣にいた妻がまたもらって泣く。

さかのぼって3月30日の夜は「CLUBKING DELUXE」というイベントに行き、それで最後(翌朝5時)までいたのだけど、そのなかの出し物のひとつである「出前POP寄席(宮沢章夫&川勝正幸&下井草秀—)」のテーマのひとつが「植木等さん追悼」だった。が、川勝さんがもってくるディスクを間違える。植木等を特集した映像集をもってくるつもりが、鞄から出てきたのは谷啓特集のそれで、少し再生したところで気がついた川勝さんが申し訳なさそうに「間違えました」と説明し、「今から家にとって返してすぐ戻ってくれば、朝までには…」と提案しだすのを、宮沢さんが「いや、それはたいへんだよ」と取りなした。で、もうひとつのテーマ「過去の都知事選泡沫候補の政見放送」でもって乗り切り、出前POP寄席は無事終了したのだったが、そこでいったん帰った川勝さんは結局、(東京ミッドタウンのオープン日であるこの日、タクシー難民となりつつも)明け方、植木等特集のディスクを手に、ふたたび会場へと戻ってきたのだった。というわけでイベントのフィナーレはクレージーキャッツの映像でしめくくられた。

(全員で)
はやく就職してみても 万年課長かヒラ社員
あせるな 怒るな あわてるな 俺たちゃ大学八年生
あァ楽しいわがこころ

(2007年4月 2日 11:38)

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