7
Jul.
2007
Yellow

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/ 5 Jul. 2007 (Thu.) 「わっ、血だ!」

『細雪』市川崑監督、1983年。

『病院坂の首縊りの家』市川崑監督、1979年。

『暗いところで待ち合わせ』天願大介監督、2006年。

長いよ。こんなに書くつもりじゃなかったのだ。だだーっと書いてしまった。これ、誰も読む気しないんじゃないかと思うと暗澹たる気持ちになる。

家に帰るとテレビが点いていて、DVDで市川崑の『細雪』(1983年)を流しながら妻が夕食を用意していた。妻はこの映画が大好きである。冷静にみても好みの要素が満載されている。何度も書いていることだが、まずもって妻は岸惠子のファンだ。それから「みどり色」も好きである。好きな色だけにかえって要求するところは高く、どんなみどりでも、どんなモノに使われているみどりでもいいというわけではないところが厄介だが、そんな妻をして「このみどりっすよ、このみどり!」と言わしめるみどり色(市川崑め!)の着物を、岸惠子が着る。
前に書いたかもしれないが、私がはじめて『細雪』を見たのも妻に勧められてのことだった。付き合ってまもないころのこと、「私、『細雪』っていう映画が大好きなの」という表明からつづいて、「その映画のなかで、岸惠子の台詞なんだけど、大好きな台詞があって」という話になった。「その台詞を聞きたくなっては何度借りて見たことかっていうね……なんでもないひと言なんだけど、それが大っ好きで……まあ、当ててみて、ってことなんだけど……いや、ほんとべつに劇的な台詞ってわけじゃなくてふつうの言葉だからなあ……」。その帰りにTSUTAYAで借りて、まあ有無を言わさずに当てましたね、私は。
石坂浩二(言うところの「へいちゃん」ですね)もまた妻の好きな要素のひとつだ。へいちゃん演じるところの「貞之助」だが、妻が言うのに、谷崎潤一郎の原作ではべつに「いやらしい女たらし」に設定されているわけではないらしい。映画にある衝撃的なシーンのひとつなどはまったく原作に存在しないものだという。まあ、市川崑にとっては「映画にする/映画になる」ということにおいて必要な脚色だったのだろうと想像されるが、でまた、石坂浩二のその「いやらしさ」がたまらないのだ(いきなりな譬えだが、『女王蜂』のタイトル前、死体から千切れた腕がヒロインのほうに向かって飛んでいくという、ちょっとそれどうなんだって付け足しがあるが[それだけじゃなくて金田一シリーズいろいろあるが]、そうしたことと同じようなものなのだろうな。で、横溝正史の小説は、そういう意味でドロドロはまったくしていない)。さらに妻がついこないだ力説していたのは、ほんのチョイ役で出てくる白石加代子のすばらしさについてで、「もうほんと、ナニ、あの人は!」とその日の食卓は白石加代子でもちきりだった。
市川崑つながりでもってほとんど関係のない話をしたいというのは、購買パターンに合わせて自動的にアマゾンから送られてくるあの「おすすめ」メールで、先日、つながりのよくわからない「おすすめ」があったことだ。

Amazon.co.jpで、以前に『病院坂の首縊りの家』をチェックされたお客様に、DVD『暗いところで待ち合わせ プレミアム・エディション』のご案内をお送りしています。

 これ、ちょっとわかんないと思うんだ。『暗いところで待ち合わせ』(天願大介監督、2006年)のほうはまだDVD発売前の時点での案内だから、『病院坂』を買った人の多くが『暗いところで』を買っているということでもないはずだ。天願大介は今村昌平の息子だけれど、だからといって市川崑につながるわけでもない。で、メールに添えられていた作品解説を読んで〈つながり〉を探る(ちなみに私は『暗いところで待ち合わせ』を未見)

 事故で視力を失ったミチルは、父と二人暮らしだったが、その父も病で亡くなり、ひとりぼっちになってしまう。気丈にふるまうミチル。そんな彼女の家に、家の前で起きた殺人事件の容疑者のアキヒロが、しのびこんできた。ミチルが目が不自由だとわかっていて家宅侵入をしたアキヒロは、ミチルに見つからないように気を配りながら、その家にいついてしまう。しかしミチルは人の気配を感じるようになり…。
 乙一の傑作サスペンスを映画化。言葉をかわさないまま、音もたてずに、ミチル宅に潜むアキヒロ。何も知らずに生活をするミチル。家族を失った目の不自由な女性と居場所を失った男性が、お互い見知らぬ関係のまま、ひとつ屋根の下で生活をする姿は、状況を考えるとかなりサスペンスだが、本作はサスペンスに趣を置かず、孤独なふたりの間にたゆたう空気をていねいにすくいとって魅了する。ミチル役は田中麗奈、アキヒロは台湾の人気俳優チェン・ボーリン。監督は「AIKI」の天大介。(斎藤 香)

 結局わかんないんだけど、ひょっとしてここかなあと思うのは〈ひとつ屋根の下で生活をするふたつの存在〉という要素だ。原作上、『病院坂の首縊りの家』は金田一耕助最後の事件と設定されるものだが、物語は親子三代にわたる悲劇を描いていて、原作では、解決までに二十八年の時間がかかる。上下巻の「上」が二十八年前の事件と捜査を、「下」が現在(二十八年後)を物語るのだが、久里子亭(「クリスティ」のもじりで市川崑のペンネーム)・日高真也コンビによる脚本はそれを現在時のみの数ヶ月間にまとめ、そのかわりに、時間的/水平的な関係にあった〈上・下〉を、空間的/垂直的な文字どおりの〈上・下〉に置き換えた。つまり、舞台となる家の二階(屋根裏)にひっそりと、床に伏せった二十八年前の事件を象徴する人物が住まうのである。
いやぜったいちがうよなー。アマゾンの自動アルゴリズムがそんな〈つながり〉を読みはしまいよ。

サイトのアクセス解析を設置してあるのだが、今日はひとり、「気がつきゃ大学八年生」で検索してやって来た人がいた。試しにGoogleで検索してみると6件しか該当ページがないなかに、今年の4月1日の日記「泣くとは思わなかったのだ」がひっかかっている。何を探していたのかなあ。(クレージーキャッツ「悲しきわがこころ」の)歌詞かなあ。歌詞だとしたら、件の日記には部分的にしか引用していないから悪いことをしたなあ、と変なことを反省する。
あるいは、いまどきなかなかいないと思うけど、本物の「大学八年生」が検索してきたのかもしれない。その人は、ほんとうに、ふと、気がついたら大学八年生になっていた。で、思わず検索窓に打ち込んだにちがいない。「気がつきゃ大学八年生」。でもなあ、七月だよ。いま気づくか、お前。さすがは大学八年生と言うべきか。
アクセス解析といえばこのあいだ笠木(泉)さんに頼まれて、彼女のブログ「aplacetodie/ツイノスミカ」にアクセス解析を仕込んだ。たぶん、いまもっとも気軽に利用されているアクセス解析ツールというと「NINJA TOOLS」のそれじゃないかと思うが(ここも一部利用しているが)、あれはブログサイトの解析にはむいていない。で、いろいろと無料のサービス、配布されているプログラムなどを探したんだけど、性能だけを求めればいいわけでもなくて苦労した。けっこう探してた。(高性能なものは比例して解析結果の表示も複雑になり、肝心の笠木さんを敬遠させてしまうのだった。ブログの解析にむいていることを最低条件としたうえで、解析内容の簡潔さ・わかりやすさが求められた。理解のしやすさの点で海外のサービスも避けた。) で、探すなかで見つけ、「ツイノスミカ」には採用しなかったものの、私自身が惹かれたのが「Performancing Metrics」という海外のサービス。これいいなあ。まあ、この話題はあとで「blue」のほう──と言ってもいまはその名称が表にないので通じないと思いますが、トップページというか、「HOME」のタブ内にあるほうのブログが「blue」なのです──にでも書こう。
で、その「ツイノスミカ」を見たら笠木さんにデザインリニューアルの催促をされていた。

このブログを作ってくれた相馬くんにサイトリニュアルの提案をしている。しかし相馬くんはとても忙しい人だ。ゆっくり待つとしよう!
aplacetodie/ツイノスミカ » Blog Archive » よろしくね

 あきらかに催促だ。まあね、こんな長い日記を書いていれば、「あいつ、ひょっとしてヒマなんじゃないか」という疑念を持たれてもおかしくはないところだ。やりますよ、やりますから。で、この記事のタイトル「よろしくね」は私に言っているのかとはじめ思ったけど、そうか(その前段で話題になっている)「ゆーとぴあ」のあれか、「よろしくーねっ!」か。

本日の参照画像
(2007年7月 6日 19:24)

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