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31 Aug. 2007 (Fri.) 「案外本人なのではないか」

7月28日付の日記「同窓会」にコメントをもらったのだが、これが、わかりそうでいてもうひとつわからない。コメントにはただひとこと、「こら!」とあり、「天使」というハンドルネームを使って、誰かが——もしくは天使が——私に「こら!」と言っている。この「天使」さんが〈誰〉なのか、それがわからない。わからなくたってむろんいいのだけれど、名前に添えられているURLに行けばきっと誰なのかわかるのだろうと、はじめにそううっかり考えたばかりに、そこへ行ってみて存在しないドメインだと知れると俄に半端な気持ちにさせられてしまった。メールアドレスからもちょっと推測がつかない。
「同窓会」というこの日記にある記述で、「こら!」という叱責につながる文脈はおそらくふたつあり、ひとつは、その成城大学「石原千秋ゼミナール」同窓会の席で石原先生が私に言ったひとことからつなげて書いた次の箇所への応答である。

石原先生には開口一番「おまえブログに変なこと書いてんじゃないよ」とにこやかに言われ、「おっ!?」と思ったが、それはこの同窓会の通知のことを書いた7月4日の日記のことだった様子。研究に行き詰まると、ときおり「石原千秋」でネット検索をしているらしい。こりゃ滅多なことは書けないね。ってこんなことを書いてる時点で次にまた叱られるんだろうけど。

 つまり、「また叱られるんだろうけど」と書く私に対して案の定「こら!」と言ってみせるのは、ふたたび検索してここに辿り着いた石原先生本人か、あるいはそうであるかのように仮構されたキャラクターであるということになる。ただまあ、わからないが、「天使」という名前やその他の振る舞い方からして素直に本人だとは思いにくく、後者だとすれば、同窓であるとか先輩だとか、〈石原千秋〉でもってどこか私とつながっている者が想像されるのだが、推測できるのはそこまでだ。
可能性としてはもうひとつあって、その同窓会の席で再会した加島さんが「第4回ヘップバーン新人賞」という俳句の賞を獲ったことに絡み、こう書いたことへの「こら!」である。

「ヘップバーン」は「オードリー・ヘップバーン」の「ヘップバーン」だろうか。名前を冠するくらいだからオードリーが審査委員長を務めるのかもしれない。日本語読めるんだろうか。というか、死んでるんじゃないのか。日本語の読める女流俳人がオードリーの霊を降ろし、それで「This」とか言って選んでいるのだとすれば、われわれはヘップバーン新人賞の権威をどう考えればいいのかよくわからないことになるが、まちがいなくそんなことはないから大丈夫だ。

 そりゃあ、「こら!」だろう。仮にヘップバーン新人賞の関係者(オードリーの霊を降ろしている人など)が読んだとすれば怒声が降りかかったとしてもおかしくないところだ(ま、加島さんだって関係者だけど)。しかし、にしては、「こら!」はちょっと乾きすぎている。それほど怒っているようには見えないのが奇妙だ。
もちろんツッコミとしては、ヘップバーンのくだりに対してもらうほうがありがたいのだが、またべつの単純な事実として、アクセス解析を見るに、このコメントを書いた人は「まとめ検索」というブログ検索サイトで「石原千秋」を検索し、その結果からうちに来ていて、するとやっぱり、〈誰〉なのかということで言えば〈石原千秋〉でつながる誰かである可能性のほうが高いことになる。
あらためて書けば、〈誰〉であるのかを特定することにさしたる意味はなく、このどうでもいい話題でもってついついこれだけ書いてしまったのは、まあその、何だって書いていればついついこのぐらいの分量にはなってしまうよということと同時に、こうしてコメントに応答するかたちで次の記事を紡いでいくという方法が、昔ながらにウェブ的であり、ローカルなことを言えば「Yellow」的であるということの再確認である——むろん、コメントに本文記事で返していくというこの関係は根本的に非対称なものであり、おそらくあくまでもどこまでも対称性を理想とするだろう〈ウェブ〉を想像する場合において、この方法自体は「真にウェブ的なのではない」と思われるけれども。
と、ここまで書いてから、思いついて「天使 石原千秋」で検索してみたのだけれど、うーん、そうかあ参照1参照2参照3参照4、これ案外本人なんじゃないかって気にもなってきたな。

(2007年9月 3日 19:10)

30 Aug. 2007 (Thu.) 「句会へむけて」

少し前に[8月5日付]、大学同窓の加島さんにむけた呼びかけとして書いていた例の「句会」だけれど、開催にむけてちょっとずつ、何人かに声をかけはじめている。開催日は10月中の土・日・祝日のどこかということで考えはじめたが、おそらく、このままいけば10月27日(土)か28日(日)のどちらかになるだろう。場所、どうしようかな。ま、参加者の足の便のことを考えず、どこかに場所をとる面倒だけを避ければ立川のわが家でやるという手もあるけれど、参加人数によっては無理がある。やっぱりどこか会議室のようなところを借りるべきか。ちなみに第一回のときは参加者のひとり・吉沼のアパートの部屋だったが、そのときは四人だけだった。第二回のときは倍の八人ぐらいに人数が増えて、で、その人数にしては無闇に広い、台場区民センターというところの和室を借りた。あ、いまその当時の日記[2003年3月19日付]を読みかえしていたらちょうどそんな記述があったんだけど、西荻窪の「亜細庵」(というエスニック系の料理屋、もう何年も前に常連だった)でやるってのはどうか。というか、「亜細庵」はちゃんとまだあるのか。うーん。会議室のような場所のほうが無難かなあ。
ところで、声をかけるのと同時に開催日について都合・不都合を聞いてまわっているのだが、加島さんから来た返事には、「いまのところ10月の予定はこんな感じです」として、すでに埋まっている日程についてこうあったのだった。

×日 句会(xx:xx〜@□□□
×日 ○○○○
×日 ○○○○(xx:xx〜@□□□

 うわ。本物がいたよ。って、むろん加島さんが本物だ(同人に参加して賞を得、自費出版ながら句集を出している)というのは知っていたことだが、そうかあ、やってますか、句会。
あと、南波(典子)さんにも声をかけ、「ぜひ」という色よい返事をもらってあるのだが、そのメールのつづきで「久々だなあ、句会」と書いているこの句会はあれかな、以前、南波さんのサイトの「しいたけ園←ブロッコリー」上で知人らの投稿を募り、自作も含めて定期的にそれらを紹介していた「ばもー木曜句会」のことかな。それとも私が読み落としているすきに、どこぞの同人の句会を経験していたりするのだろうか。ちなみにいま、そのバックナンバーを辿り直してみると、サイト上で南波さんがはじめて俳句について触れているのは2003年12月7日の文章であると知れ、そこにはこのように記述がある。

久保さんは俳句を詠んだことはありますか。私はまだ一度も自分で詠んだことがありません。どうしたらいいものかさっぱりわからない。ただ俳句の世界が面白そうでとても気になっているのです。よく「句会」の話など聞きますが、その場で考えて詠むなんて私にはとてもできそうにないなあ。

さて、むろん当方の「句会」はれっきとしたニセモノであり、ま、ニセモノといってもべつに「四・八・四」で詠むとか、そういうことではないが、何て言うのかな、文化祭の教室で学生がやる飲食店のような、そうしたニセモノである。とりあえず〈場の設定〉として「峠の茶屋」なり、「句会」なりがあればいいのであって、きっと俺、当日はあんまり俳句のことを考えていないと思う。といって、まるきり誰ひとりとして店のことを考えていないとなれば「峠の茶屋」はそもそも成り立たないわけだが、そのへんはほら、共同企画者で心配性な吉沼のほうがしっかり考えてくれるだろう。そうした点で吉沼はじつにたのもしい。
第一回の記憶のことを書いても、そもそもの中心軸となるのは吉沼である。吉沼を基点として、その高校同級の大竹君と、大学同窓の私というふたりの男がおり、このふたりは吉沼のサイトから張られた双方のサイトへのリンクを辿ってネット上ではすでに知り合っていたものの、それまでじっさいに顔を合わせたことはなく、折りも折り、その春から大竹君が東北大学の院に進んで遠くに越すということから、じゃあ、その前に一度会っておきますかというのが、この「句会」という企画のそもそものはじまりで、さらにただ会うというのもなんだからと、「じゃあ、句会ってことにしようか」といきなりなことを提案したのはたしか吉沼だったはずだ。で、その経緯を私が日記に書いたところ、私の高校同級である上山君がそれを読み、面白そうだといって急遽参加を果たして、結果、吉沼と私がそれぞれの高校同級を連れてきて紹介しあうというような、そうした構図になったのだった。
で、句会というか、句の合評はなかなか白熱したものになったわけだが、考えてみれば、「句会」という企画がOKになる時点ですでに四人ともかなり垣根の低い関係だったのだとも言えよう。その初期メンバーの四人ともが本物の句会についてはなにも知らず、それで、独自に会の方式を案出したのも吉沼だったと記憶している。以下、われわれがここで「句会」と呼んでいるこのアソビについて、あらためてそのやり方のようなものを書けばこういう具合だ(で、想像だけど、本物の句会というのもきっと、わりとこれに近いかたちをしているのじゃないかな)

  1. 事前に共通テーマ=お題を決め、それを参加者にお知らせします(たとえば「夏」「老い」など。1題か2題ぐらい)。
  2. 参加者はそれを受けて、「テーマに添った句」と「自由に詠んだ句」をそれぞれ最大2句ずつぐらい、あらかじめ作っておきます。
  3. そのさい、できる環境があればですが、自分の句を1句ずつ紙にプリントアウトして、その紙を当日持ち寄ります(白い紙に適当な明朝フォントで。できれば短冊状の、細長いかたちにした紙が好ましい。プリンタ等がなくてそれができない人については応相談)。
  4. 当日、みんなから集めたその紙をシャッフルし、誰の句かというのをはじめは隠したかたちで、1句ずつ順に取り上げていきます(テーマごとにわけてやります)。
  5. 1句ずつ、取り上げられたその句の解釈について、みんなでああだこうだ自由にしゃべります(ここがアソビのメインです)。
(2007年8月31日 20:15)

26 Aug. 2007 (Sun.) 「高校演劇とシュヴァンクマイエル展、友人たち」

これを書いているいまごろ、NHK衛星第2では「青春舞台2007」の生放送中だろう。もとからそのように「富士日記2」には書いてあった[8月7日付]といまは知れるが、いや、宮沢(章夫)さんが生放送のスタジオゲストとして出るとは思っていなかった。読み落としていた。あと、録画中継される舞台も国立劇場での公演ではなく、島根の全国大会のときのものが流されるのだろうと、とくに根拠もなくそう勘違いしていた。今朝(27日)のことだが友人の上山君に、「優秀校が決まっていない大会の時点で全舞台ずっとテープ回しとくのも効率悪いでしょう」とごく冷静なことを言われ、それもそうだなと気づかされた。
というわけで話は前後するが、25日(土曜日)には国立劇場へ、その優秀校の東京公演を観に行ってきた。二日開催されるうちの一日目で、演劇の部では母校・栃木県立栃木高等学校の『塩原町長選挙』と、静岡県立富士高等学校の『紙屋悦子の青春』が上演された。同級で、同じ演劇部だった荒川と田村もそれぞれ奥さんを連れ、わざわざ栃木から足を運んできたので彼らと半蔵門駅でおちあい、演劇の部がはじまる手前の午後3時すぎに劇場に入る。
栃木高校の『塩原町長選挙』はまあ、宮沢さんが「富士日記2」でおおまかに評していたとおりと言えばとおりで、くだらなさの点において非常に好ましいのだけれど、そのいっぽうで後半、メッセージ性のある台詞が発せられるようになると途端にそのシーンから笑いの要素がすとんと消えるのは、それはちょっとどうなのかとOBとしては苦言を呈しておきたいところだ。はじめからしまいまでメッセージ性のない完全なナンセンスというのはむろんむずかしいだろうけれど、でも、そのメッセージ性を含んだシーンにだって笑いを絡めることは充分可能なのだし、それにさ、それをやらなきゃ、もったいないよ。
国立劇場のお客さんは充分にあたたかく、前半ではかなり笑いを取っていてその〈運動エネルギー〉もあり、メッセージを発するシリアスな熱演もそれはそれでまあまあ成功していて〈位置エネルギー〉だってあるのだから、やや冒険めくのかもしれないが、なおのことメッセージをさらに異化する笑いをそこに入れてほしかったし、どうせならあくまで、「くだらなさ」のただなかにメッセージを浮かべてほしかった。
たとえばこまかいところで言えば、あそこがさあ、もっといろいろ方法があると思うんだよ。「塩吉」の小学校に塩吉の兄が尋ねてきた放課後、兄と担任の教師とが下手側の位置で会話していて、やや離れた上手側では塩吉がひとり黙々と机のまわりを雑巾掛けしているシーン。結局、両者の世界はつながらずに(あるいは逆にそれが演出の意図だったのかもしれないが)、塩吉はただ掃除を終えて、会話を終えた兄がそれに声を掛け、いっしょに帰ろうということになるだけなのだが、ここ、黙々となされる塩吉の掃除の側にもっと何か仕掛けられなかったかと思う。「ものすごく掃除の要領がわるい」とかね。ま、そのへんのさじ加減はむずかしいし力量も関係してくるけど、後景にある「塩吉の掃除」に何か微妙でくだらないことをさせつづけ、それで最後に下手の会話がそこにスポットを当てることができれば、それ、つまり「チーズ・ショップ」の構図が使えるのに、と、そんなことばかり考えているOBの意見になど耳を貸すべきではないとわれながら思うけれど。
『紙屋悦子の青春』は非常によくできていた。うまいなあと単純に感心させられた。栃木高校がそのくだらなさにおいて〈高校演劇的なるもの〉あるいは〈全国大会的なるもの〉からはみ出しているのと同様、これだってきっと高校演劇のメインストリームからははずれているのだろうと想像される(で、もちろん、優秀校とされた残りの二校もきっとそうなのだろう)。あと、ちょっと思わされたのは、むろん前提として力量がともなうことが必要なのだろうが、そこをクリアすれば、「高校生が演じる戦時中の人間」には違和がなく、かえって奇妙な説得力が立ち現れるということだ。
それやこれや、いろいろ。帰りにちかくの中華料理屋に入り、田村の結婚式以来ひさびさに会う五人で食事をした。思い出すに俺、すごくしゃべってたんじゃないか。
それで、翌26日(日曜日)には大阪から上山君が来た(ちなみに上山君も栃木高校の同級だが演劇部ではない)。夕方、原宿駅で待ち合わせてふたりで「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」を観、そのあと立川へ行ってわが家に一泊した。

(2007年8月27日 16:03)

23 Aug. 2007 (Thu.) 「仕事と逃避と薬師丸ひろ子」

『Wの悲劇』(澤井信一郞監督、薬師丸ひろ子主演、角川春樹事務所、1984年)。

『レイクサイド マーダーケース』(青山真治監督、フジテレビジョン、2004年)。「私が殺したのよ」という台詞で20年という時間がつながる娯楽作。

だいぶ間があいてしまったことについては、きっと忙しかったのだろうと想像してもらえればさいわいだ。じっさい忙しかった。いまも忙しい。
お盆は一泊だけ実家にもどった。15日の夜に帰省し、16日の送り盆を手伝って帰ってきた(実家は寺であり、私はその三男坊だ)
そしていくつかの仕事。むろん逃避もしていた。前回の日記のあとで結局私もまた妻の読み終えた『花より男子』(完全版コミックス、全20巻)を、丸一日にちかい時間をかけて読んでしまったというのがまごうかたなき逃避なら、WOWOWでやっていた映画『Wの悲劇』(澤井信一郎監督、1984年)を見てしまったというのも逃避だ。よもやレンタルビデオ屋で『人間の証明』(佐藤純彌監督、1977年)を借りて見ようなど、予想だにしなかったことだが、それもしてしまった三十一歳の夏である。『人間の証明』はなるほど、そういう話だったのか。
『Wの悲劇』が放つ魅力は寸分たがわず、ひとえに、薬師丸ひろ子のそれである。原作としてクレジットされている夏樹静子の同名推理小説は〈劇中劇〉としてあって、その舞台を公演する、とある劇団が物語の前景に据えられる。薬師丸ひろ子はその若手劇団員で、いわゆる大文字の〈女優〉にあこがれる存在である。薬師丸に思いをよせる世良公則もまた以前役者をしていた者であることが途中で判明し、つまるところこれは〈演劇〉をめぐる映画なのだけれど、まあ、そうした〈演劇〉のことは私はよく知らない。

「女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲のものに憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに耐えてみせますわ。屋根裏住まいをしても、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだって構わない。その代わり、わたしは要求するのよ、名声を……、本当の割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする、ああ!」

 映画の冒頭ちかく、薬師丸が無人の公園(じつはベンチに寝ていた世良公則が居合わせていて、このあと起きあがって拍手を送るのだが)でひとりしゃべるのは『かもめ』のニーナの台詞であり、そのことが象徴するようにやはりここでの〈女優〉はチェーホフが造形したニーナからつづくある系譜のなかにあって、「で、じっさい女優ってそうなの?」という問いとは別の、無形無名の〈ひとびとの欲望〉を吸いあげて膨らんだ愚かしい何者かである。そしてここにもうひとつ、同じ女性によって吸いあげられていく無形無名の〈ひとびとの欲望〉が並置されるのであり、その欲望とはいうまでもなく、「等身大で成長する、生身の薬師丸ひろ子をスクリーンで観たい」というそれだ。大文字の〈女優〉も小文字の〈薬師丸ひろ子〉も同様に〈根のある非現実〉であり、その意味において、つまり薬師丸ひろ子はかわいい。
いくつかある仕事のひとつは戸田昌宏さんの主宰する劇団「プリセタ」のサイト制作で、そのリニューアルのようなものをしていた。だいたいかたちはできたが、まだまだ作り足していく部分が残っている。ほかのさまざまな仕事と同時並行の、合間を見ての作業なのでちょっと待たせてしまったところもあるが、まあ、そんなことを言ったらさらに待たせているのが笠木(泉)さんだ。じつに待たせている。でも、結果的にこの順番がよかったというのは笠木さんのサイトで使っている「WordPress」というブログソフトウェアのことで、同じものを「プリセタ」のブログでも使い、それを今回バージョンアップ(2.0.3→2.2.1)+メンテナンスしたのだが、だいぶ忘れてしまっていたこともあり、さらに最近の動向はすっかり見失ってたのであらためて学ぶことは多く、つまりこう言っちゃなんだが、「プリセタ」でかなり練習することができたのだ。これでかなり、笠木さんのサイトのほうはすんなりいくだろう。
あと、またべつの仕事として、とある翻訳原稿の校正のようなものをしているのだが、夜中、ふらふらになりながらチェックしていて、しかしそんな状況だというのに、その翻訳原稿を読みつつ単純に声をあげて笑ってしまうことがあり、まあその、ぼやかした説明のせいで何のことだかよくわからないかと思うが、やっぱり面白いなあこれはと思っているのだった。
土曜日(25日)には国立劇場へ行き、栃木県立栃木高等学校・演劇部の公演を観る予定。高校同級の荒川と田村が栃木から出てくるので、おちあっていっしょに観る。それから日曜日(26日)には同じく高校同級の上山君が大阪から来る。月曜が東京出張なのだそうで、日曜の夕方、ラフォーレ原宿でやっているという「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」をいっしょに観たあと、夜、うちに泊まる予定だ。上山君に寝てもらう部屋をそれまでにきちんと片付けなければならないと、妻にきつく言われている私だ。やることは山積みである。

(2007年8月24日 15:01)

13 Aug. 2007 (Mon.) 「妻は虚脱状態にある」

妻が『花より男子』(神尾葉子)の全巻を一気に読み、立てつづけに再読までしたのがこの週末のことだ。厚めの完全版コミックスで二十巻にもなるそれは連載期間にして十一年ものあいだ書き継がれた大河(?)少女漫画だが、すでに完結して次回を待つ必要のないいま、現代っ子(近代っ子?)が集中してかかれば、あっけなくも二日足らずの夢であった。そして妻はいま、虚脱している。読むものを失って途方に暮れている様子の妻に与えるべく、いしいひさいちの単行本を二冊ばかり買ってきたのだが、いしいひさいちではだめらしい。見向きもしやがらねえ。面白いのになあ。
この虚脱状態に対症療法で臨むとするならば、たとえば『王家の紋章』(細川智栄子)などしかないのではないかと妻は言う。よく知らないが、長いらしい。
一方、いしいひさいちの二冊というのは、『ドーナッツブックス—いしいひさいち選集』の第三十九集(2006年、双葉社)と、戦争モノの連載をまとめた『眼前の敵』(2003年、河出書房新社)である。「ファン」が何を言ったところでさほどの説得力をもたないと思うが、どちらも面白い。たまにものすごいものが含まれている。
ところでいま、ふいにそのことに思い至ったのだけど、「ドーナッツブックス」ってあれか、「ピーナッツブックス」のもじりか。

(2007年8月15日 02:18)

12 Aug. 2007 (Sun.) 「またいつでも交換しよう」

2004年に「web-conte.com」のドメインを取り、散らばっていた複数のサイトを統合した折り、過去のコンテンツたちもなるべく同じ(新しい)枠デザインのなかに組み入れてサイトの整合性を高めようとしたのだが、ま、とくに「Red(Superman Red)は厖大で、かつ手書き制作だから途中で力尽き、「これはいいか、このままで」と古いHTMLのままに放置していたページたちがいくつかある。このあいだ、じつに6年ぶりの更新だったことを報告した「広川太一郎データベース」もそのひとつ。
で、「広川太一郎データベース」のリニューアルをとおして、ほかのコンテンツにも流用できる共通フォーマットのようなものができたから、あとはぐっとラクだろうという思惑のもと、ひきつづき「多者の交換日記」「気持ちのいい連中」「ハーポがしゃべった!」「空飛ぶモンティ・パイソン、スケッチ台本の和訳」をデザイン変更した。あと、「コーナーの日記」の2002年6月以前の分もそれ以降のフォーマットに合わせた。
そんなことをしている場合かよ。
作業のなかで自然と自分の昔の文章たちに出会うかたちになって、むろん出来不出来はさまざまだが、書いたことをすっかり忘れていたものなどもあり、案外面白いのでびっくりした。たとえば「多者の交換日記」というのは2001年7月〜2002年7月までつづいた企画で、一言でいうと〈署名を交換〉する交換日記である。投稿フォームを設けて私(相馬称)の日記を募集、書いてくれたその人の日記を私が書いて、両者を同時に掲載する。「で、結局何がしたいのか」ということがもうひとつ判然としない企画ではあるが、当時は〈個人ホームページなるもの〉についてしばしば考えていた時期で、これは何だろう、〈個人〉を融解させようという試みだったのかな、ちがうか(運営上「署名が交換されている」というルールは明かされているから、当然融解なんかしないわけだけど)。こういったものはむろん、企画がじっさいに進行しているなかでしか生まれない楽しさがあって、その〈出来事〉性に支えられていた部分などは〈当時〉を共有していない人が読んだときに「もたない」わけだが、でもまあ自分で読み返すに、結局書く段になれば企画の意図などまっさきにどうでもよくなっていることがわかり、単純に「相馬称」という署名から解放されて「なんでもいいのだ」というその状況を謳歌していたように見えて、たとえば、2002年4月4日の「まくらざか」さんとの交換日記で私が書く「まくらざか」さんの日記はこんなにでたらめだ。

思い出したが、私は禁煙中だ。
禁煙中だということを忘れて、この十数年たばこを喫ってきてしまったのは、まったくうっかりしていたことだ。スパスパ喫っていた。
それで思い出したが、新聞を発明したのは私だ。自分で発明したことも忘れて、毎日読んでいたのはまったくうっかりしていたものだ。
スパスパ喫っては読んでいた。
(まくらざか)

「気持ちのいい連中」は同じ時期に設けたコーナー枠で、〈デジカメ写真日記〉というものに手を付けたはじめのもの。そのころ使っていたデジカメが「FinePix」シリーズの「50i」で、そこからコーナータイトルを「Fine Pixes」と付け、さらに意訳して「気持ちのいい連中」である。どんなものをアップしていたかほとんど忘れていたのだが、「思いがけぬこと」はちょっと自分で笑ってしまった。思いがけなかった。
などなど。
先に触れた「多者の交換日記」だけど、デザイン変更ついでに「相馬の日記を書いて送る投稿フォーム」もメンテナンスしておいた。いままた私の日記を書いてくれる者さえあれば、いつでも交換しようと思う。

(2007年8月13日 19:22)

7 Aug. 2007 (Tue.) 「ひきつづき「栃高」の話」

「富士日記2」での言及リンクから来られた方は、まずきのうの日記へどうぞ。
で、きのうの日記の末尾、ウィキペディア上の「栃木県立栃木高等学校」(ちなみに略称の「栃高」が「とちたか」であるのは「栃木工業高等学校」の「栃工」と区別するため)の記述に触れて私は、

関係ないけど、いまウィキペディアにある「栃木県立栃木高等学校」の項目を見たら、概説のところにいきなり次の記述があって笑ってしまった。

なお、平成18年の末から各学年の教室にてエアコンの設置工事が進められており、平成19年の夏季から使用される予定である。

 それ重要かよ。あきらかに〈エアコンの有無が重要な問題である人間〉が編集してるだろう、これ。あそこの教室のやつか。

 と書いた。この場合は、〈内部の人間〉というか、要するに生徒ですけど、そいつがこのエアコンに関する記述を書き加えた(あるいはほかの記述もこいつが書いているが、エアコンに関してだけ、事の重要度についての価値判断が乱れた)のではないかと楽しく想像され、その意味で(辞書的な〈透明性〉を欠いた、〈顔〉のようなものが現れたことに対して)「誰だよおまえは」ってことになるわけだが、つづいてネットサーフィンをするうち、ウィキペディア界にはそれとはまたべつの「誰だよおまえは」があることを私は知ることになる。
というのは、「栃木県立栃木高等学校」(きのう説明したように男子校である)とも非常にちかしい関係にある女子校、「栃木県立栃木女子高等学校」(略称は「栃女/とちじょ」)についての記述だ。むろん「栃女」においても、「栃高」と似たような〈記述者の顔の現れ〉はあり、たとえば概説の部分に書かれる、

近くにある太平山の麓には「ファイト、栃女」と書かれた石がある。

 というどうでもいい情報や、

毎年校内では大平山耐久レースという行事が行われ、女子校で有るにもかかわらず、山道を含む約15kmを走らされる。[強調引用者]

 という恨み辛みには、ぼんやりながら卒業生の〈顔〉が浮かんでくるけれども(「女子校で15km」というのが全国的にみてどうなのか、そこのところ私は判断材料をもたないが、ちなみに「栃高」の「耐久レース(マラソン大会)」は32kmだ。ばかである)、しかしいま、私がより問題にしたいというのは、たとえば「制服」の項にある次のような記述のことである。

ここ数年でスカート丈を短く上げたり、スカーフを付けなかったり、カフスを開けたままにしたりする着こなしが見られるようになった。

 誰なんだいったいおまえは。「ここ数年」での変化を指摘するからには、それ以前から、少なくとも十年ぐらいにわたって彼女らの着こなしの流行、その変遷を見つづけてきたにちがいない者がここにいることになり、そう考えたとき俄に、純粋な事実の列記であるかのようにも見える直前の記述のなかにもまた、その記述が抱え込む〈視線〉のあやしさが透けてくることに気づいて、慄然とさせられるのだ。

デザインは近くにある栃木県立栃木商業高等学校と同じであるため、校外で共に校章バッジを外してしまうと区別できない。

 いいじゃないかと私は言いたい。区別できなくたってさ。でも、これを書く者にとってはちがうのだ。制服のディテールを記憶し、見分けることの欲望に貫かれた者がそこにはいる(ように読め、で、笑ってしまった)
さて。きのうの日記を読んだ永澤(高校同級で、演劇部仲間のひとり)コメント欄に書き込んでくれていて、そこにはこうある(抜粋)

ウィキペディアの注意書きに,
「中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。」ってあるけど,どこのことかな?エアコン設置への想いがチベット経験者とそれ以外で違うってこと?

 で、ここに出てくる「チベット」が読者にはよくわからないと思うので(まったくどうでもいいことながら)解説しておけば、つまり私が「あそこの教室のやつか」と書いたその教室のことを、古くから生徒たちは「チベット」と呼び習わしていて、ま、端的にいって冬、校舎の構造や日当たり等の条件によるものか、他の階や棟にある教室とはまったく不公平に、「ものすごく寒い」一角があるのだった。
いや、だからそんなことはどうでもいいんだけど、それより永澤には、どうせだったらおとといの日記に書いた呼び掛けのほう、

ていうか、みんなお盆休みとか予定はどうなんだ。上山君はまだ中国に行ったっきりか。永澤は何をしている。荒川はいったい今年で何歳だ。

 にこそコメントをもらいたかったのであり、ずるいことを書くが、たとえば私が期待したコメントは次のようなものだ。

お盆は実家にいると思うよ。あと、荒川君はぼくらと同級だから、今年で32歳じゃないかな。

 このコメントが書かれることによってようやくあの日記は完結するのだ。完結したってどうなるものでもないけど。

(2007年8月 8日 20:59)

6 Aug. 2007 (Mon.) 「母校のことを忘れていた」

宮沢(章夫)さんが審査員として体験した高校演劇全国大会の様子が「富士日記2」[8月2日付]に報告されていて、高校演劇出身者のひとり(一応ね。そう言っても嘘ではない)として興味深く読んだが、ひとつすっかり忘れていたことがあって、それ、私の母校(ってだけでなく「母部」になるわけだけど、栃木県立栃木高等学校・演劇部)も出場していたのだった。
全国大会で優秀校に選ばれた4校(宮沢さんが最優秀作と書いている「文部科学大臣賞」1校と、その他「文化庁長官賞」3校)が、その受賞作を国立劇場で上演する「東京公演」が8月25日、26日にある。そのことを知らせてくれたのは同級で演劇部仲間だった田村君で、「BBS」のほうに書き込みをくれたのだったが、それで「ん?」と思いあらためて大会の審査結果を調べてみると、母校、「文化庁長官賞」をとってやがった。

文部科学大臣賞 岐阜県 県立岐阜農林高等学校 『躾——モウと暮らした50日』
文化庁長官賞 大阪府 追手門学院大手前高等学校 『あげとーふ』
静岡県 県立富士高等学校 『紙屋悦子の青春』
栃木県 県立栃木高等学校 『塩原町長選挙』

 で、田村君はその「東京公演」を指して、

誰か見に行きますか?田村家は26日に見に行く予定です。

 と書くのだが、それに答えようと思い公演情報のページを探すと、あきらかに「栃高」(「栃木高校」の略称/愛称で「トチタカ」と読ませる)が出るのは25日だけであることがわかり、おまえそれわかってるのかよ、というのが「BBS」でのやりとり。
公演情報のページを見てもらえばわかるが、ちなみに25日が『塩原町長選挙』と『紙屋悦子の青春』で、26日が『あげとーふ』と『躾——モウと暮らした50日』。あと、「全国高等学校総合文化祭・優秀校東京公演」というのが全体の公演名であるとおり、演劇だけやるのではなく、プログラムのなかには日本音楽部門、郷土芸能部門の優秀校の公演も含まれる。
私はいま、どのようにして「先輩ヅラ」をすればいいか、そのことを考えているが、それにはやっぱりあれかな、「ニセの演劇部史」を創造して提示するのがいいだろうか。いかにわれわれが弾圧を受け、廃部の危機に瀕しながらも潜伏と抵抗を繰り返し、いまの隆盛へとつながる〈部の命脈〉を保ったかという物語だ。三人ぐらい犠牲者を出したことにしよう。尊い犠牲だったな、あれは。えーとね、タカシマ君だ。タカシマ君とね、もう二人はえーと、そうだな、三つ子のタカシマ君でいいや。似ていたなあ三人とも。そっくりだった。
ところで栃木県立栃木高等学校は男子校である。言い換える必要もないけどつまり女子がいないのであり、するとどうしたって演じられる戯曲の幅に決定的な制限が生まれるのは厄介だ。ま、全国大会に出た後輩たちの芸風(?)がどんなものかは知らないが、われわれの知っている当時の栃高演劇部は「全国」を狙うようなそういう部活動ではなかったから気は楽で、「カツラかぶって女の子役」っていう選択肢も絶対ないわけじゃなかった。ていうかそれもう「コント」ですけどね。とくに私は部長でありながら「高校演劇なるもの」(それこそ仮想された、ジャンルの総体としての〈高校演劇〉)が嫌いだったので、一度は地区の大会で純粋に「漫才」で笑わせようとしたり、あと、10分ぐらいで終わったり、そういう調子だったわけで、いや、申し訳ない、廃部の危機に瀕させていたのはぼくらです。(あ、でも私のときは結局「カツラかぶって女の子役」ってのはやらなかったかな。あれはあれで才能と力量が要るという判断だったか、それともたんに「面白くない」と思ったか。)
関係ないけど、いまウィキペディアにある「栃木県立栃木高等学校」の項目を見たら、概説のところにいきなり次の記述があって笑ってしまった。

なお、平成18年の末から各学年の教室にてエアコンの設置工事が進められており、平成19年の夏季から使用される予定である。

 それ重要かよ。あきらかに〈エアコンの有無が重要な問題である人間〉が編集してるだろう、これ。あそこの教室のやつか。

(2007年8月 7日 15:14)

5 Aug. 2007 (Sun.) 「加島さんと、そして句会」

句集『Tシャツ』の著者である、大学同窓の加島さんからはメールをもらった。以前の日記[7月28日付]に私は、

『Tシャツ』は帰ってすぐ楽天ブックスで注文した。「読んでもらえるんなら送りますよ」と言ってくれたのだったが、まあ、こっそり注文だ。読んでなにがしか感想を送れればと思うが、いや、そういえば俺、こっそりしすぎてかしまさんの連絡先を何も知らないんじゃないのか。どう送るってんだ。それこそ、「かしまゆう」で検索してここを見つけてくれることを願ってやまない私がいまここにいる。

 と書いたのだったが、その後届いた『Tシャツ』には著者の略歴と並んで連絡先(実家の住所と電話番号)も載っていて、そこに掛けてみたところ本人は不在、出られたお母さんに、「時間のあるときに携帯まで連絡をもらえればとお伝えください」とこっちの番号を教えてあった。その加島さんから電話ではなく先にメールをもらったのは、つまりその、ほんとうに「『かしまゆう』で検索してここを見つけてくれ」ていたというわけで、前掲の箇所を読み、むこうも相馬に連絡をしてみようと思っていたところへ、先に私の電話があったということらしい。
なんだよ、読んでたのか。じゃあ話は早いというか、話はもうないというか、伝えたかったのはつまるところメールとサイトのアドレスで、「ウェブ上に感想書いたから読んでね」ってことだからなあ。
そうそう、俳句といえば私も以前アソビで「句会」と称するものをやっていた(メンバーは大学同窓の吉沼や、高校同級の上山君など)。これまで二回ほど開催し、第一回当日の様子を書いた日記がここに、第二回を終えてしばらくのちの日記がここにある。ホンモノの「句会」がいったいどういうかたちをしているのか、ちっとも知らずにわれわれはただ遊んでいたのだが、テーマ(「夏」「年甲斐もなく」等)を決め、参加者はテーマに添った句と自由に詠んだ句をあらかじめ用意して、それを短冊状の紙にプリントアウトして当日持ち寄る。紙はシャッフルされ、誰の句かというのをはじめは隠したかたちで、ひとつずつ順に取り上げ、みんなで合評するというか、たぶんに勝手な「解釈」をしゃべりあう。会の眼目は句そのものよりも合評のほうにあって、その場で発生する掛け合いをややスリリングなものとして楽しんでいた。また、たいてい記録係を兼ねてくれる吉沼が音声を拾う目的でビデオを回し、それをもとに後日、合評の様子をテキストで採録した冊子を作成、参加者に配ったりもしていた。
いくつかの句と、その合評の模様は「Red」にも掲載したが、ま、くだらない会合っすよというところを理解してもらうために挙げれば、そのひとつはたとえばこうした調子である。
で、この「句会」、枠設定があるようでいてあまりないというバランスが遊びとしてはなかなかよくできていて、できれば近くまたやろうよという話もあるのだけれど、そこに、加島さんも呼ぶというのはどうか。来てくれるかわからないけれども、ぜひとも呼びたいところだ。面白くなると思う。ていうか、みんなお盆休みとか予定はどうなんだ。上山君はまだ中国に行ったっきりか。永澤は何をしている。荒川はいったい今年で何歳だ。

(2007年8月 6日 21:56)

1 Aug. 2007 (Wed.) 「八月は小田亮さん推進月間」

最左欄、丸数字の「8」の下にある八月の写真のボツ案。オリーブ。

本橋哲也『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店、2002年)。入門というか、思考するきっかけとして手ごろな啓蒙的一冊。平易な文章であることがかえって厄介なほどに、扱われる内容は平易ではない。

かしまゆう『Tシャツ』(文學の森、2004年)。楽天ブックスで扱っている。商品ページはこちら

大学時代に教わった先生のひとりである小田亮さんがブログ(はてなダイアリー)をはじめていたことをいまになって知った。そのひどく〈分厚い〉ブログを見つけた興奮のようなものはひとまず「blue」のほうに書いたのでそっちを参照していただきたい。

 その小田さんのブログはあまりの〈分厚さ〉ゆえ、たんにリンクを張ったくらいではたしてその一次テキスト(というのはつまり小田さんのブログ記事)をどのぐらいの人が読み進んでくれるだろうかとちょっと不安でもあり、おこがましいけれどもできれば私なりにその内容(とりわけ刺激的な部分について)を紹介——することをつうじて自分自身の理解するところを整理——したいと思うのだけれど、たったいまはその時間がないのでまたいずれ。
ほかに最近買って読んでいるのは本橋哲也さんの『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店、2002年)。「カルチュラル・スタディーズ(文化研究)」はすでに私の学生時代、かつての「テクスト論」に取って代わり、文学研究においてそのメインストリームとなりつつあったもので、さらにはいわゆる「カルスタ」なる略称(基本的にはたんなる略語だが、人によっては「軽スタ」の響きを含み、「お手軽な研究手法」という皮肉が込められる)も当時から広く出回っていたけれど、いまふたたびそこへ「招待」されてみようというきっかけは何だったか。えーと、忘れたな。例によってアマゾンで買ったのだけど、その商品ページにあるカスタマーレビューのひとつがすごくひどいので紹介しよう。「くだらない。本当にくだらない」と書き出してからそのレビュアーはこうつづける。

そもそもカルチュラル・スタディーズとは、学問ではない。左翼やマルクス主義者の隠れ蓑(つまり学問を装った政治運動)である。それを大学で「教えて」いたり、もっともらしい言葉をしたり顔で使ったり、カタカナ語を多様したりするから、生真面目な人は勘違いしてしまう。

 これ、ある意味において応えるなら「おっしゃるとおり」である。透明であるかのような「学問」という価値の体系そのもの(何が学問であり、何が学問でないのか)が、すでに何らかの政治性をともなっているのであって、むしろそのことを指摘してみせるのがカルチュラル・スタディーズの典型的な仕事であるからだ(むろん、たんにそこに政治性があることを指摘するだけで事足れりとしてしまう論は、それこそ「カルスタ」の悪例だけれど)
7月28日付の日記に書いた句集、かしまゆう『Tシャツ』(文學の森、2004年)も届いた。一読。

俳句を作るようになってから、移ろう季節の中で風も水も輝きはじめました。私が感じた夏草を揺らす風を、この本を手に取ってくださった誰かに伝えることができたなら、それほど嬉しいことはありません。

 と、かしまさんは「あとがき」のなかに書くが、まああれだよね、「十七音でしゃべる技術」ってことだよね、ひとまず俳句は。むろん十七音は短い。短いがゆえに、直接詠まれている言葉以上の情景をそこに呼び起こしてみせるという技術なり、その魅力なりといったものがあるのだろうが、それとはまたべつに、十七音で、きっかり十七音分の情景を差し出してみせるという技術があるように思え、さしあたり私が魅力を覚えるのもそちらの技術である。たとえばこれはどうか。

 裃を着て舞猿の叱らるる

 裃(かみしも)を着た猿回しの猿が叱られていたのだろう。それだけのことである。それだけのことなのだけど、「十七音でしゃべる技術」(もしくは「十七音で視る技術」)をもった者はついそれを〈詠む〉のだ。

 一着の馬七夕の雨の中

 これは多少野心的な作りなのかなとも思うが、しかし、これも〈きっかり十七音分の情景〉であるところが私には好ましい。

 見送りに行かざる髪を洗ひけり

 これ、ついつい五・七・五のリズムでもって、「見送りに/行かざる髪を/洗ひけり」と読むと「見送りに行かざる髪」という〈女の物語〉がやにわに立ち上がるのだが、あえて不定律俳句ふうに読み、「見送りに行かざる/髪を洗ひけり」と考えると、これはまたべつの、〈きっかり十七音分の情景〉が浮かんで面白い。

(2007年8月 3日 05:53)