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Aug.
2007
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/ 26 Aug. 2007 (Sun.) 「高校演劇とシュヴァンクマイエル展、友人たち」

これを書いているいまごろ、NHK衛星第2では「青春舞台2007」の生放送中だろう。もとからそのように「富士日記2」には書いてあった[8月7日付]といまは知れるが、いや、宮沢(章夫)さんが生放送のスタジオゲストとして出るとは思っていなかった。読み落としていた。あと、録画中継される舞台も国立劇場での公演ではなく、島根の全国大会のときのものが流されるのだろうと、とくに根拠もなくそう勘違いしていた。今朝(27日)のことだが友人の上山君に、「優秀校が決まっていない大会の時点で全舞台ずっとテープ回しとくのも効率悪いでしょう」とごく冷静なことを言われ、それもそうだなと気づかされた。
というわけで話は前後するが、25日(土曜日)には国立劇場へ、その優秀校の東京公演を観に行ってきた。二日開催されるうちの一日目で、演劇の部では母校・栃木県立栃木高等学校の『塩原町長選挙』と、静岡県立富士高等学校の『紙屋悦子の青春』が上演された。同級で、同じ演劇部だった荒川と田村もそれぞれ奥さんを連れ、わざわざ栃木から足を運んできたので彼らと半蔵門駅でおちあい、演劇の部がはじまる手前の午後3時すぎに劇場に入る。
栃木高校の『塩原町長選挙』はまあ、宮沢さんが「富士日記2」でおおまかに評していたとおりと言えばとおりで、くだらなさの点において非常に好ましいのだけれど、そのいっぽうで後半、メッセージ性のある台詞が発せられるようになると途端にそのシーンから笑いの要素がすとんと消えるのは、それはちょっとどうなのかとOBとしては苦言を呈しておきたいところだ。はじめからしまいまでメッセージ性のない完全なナンセンスというのはむろんむずかしいだろうけれど、でも、そのメッセージ性を含んだシーンにだって笑いを絡めることは充分可能なのだし、それにさ、それをやらなきゃ、もったいないよ。
国立劇場のお客さんは充分にあたたかく、前半ではかなり笑いを取っていてその〈運動エネルギー〉もあり、メッセージを発するシリアスな熱演もそれはそれでまあまあ成功していて〈位置エネルギー〉だってあるのだから、やや冒険めくのかもしれないが、なおのことメッセージをさらに異化する笑いをそこに入れてほしかったし、どうせならあくまで、「くだらなさ」のただなかにメッセージを浮かべてほしかった。
たとえばこまかいところで言えば、あそこがさあ、もっといろいろ方法があると思うんだよ。「塩吉」の小学校に塩吉の兄が尋ねてきた放課後、兄と担任の教師とが下手側の位置で会話していて、やや離れた上手側では塩吉がひとり黙々と机のまわりを雑巾掛けしているシーン。結局、両者の世界はつながらずに(あるいは逆にそれが演出の意図だったのかもしれないが)、塩吉はただ掃除を終えて、会話を終えた兄がそれに声を掛け、いっしょに帰ろうということになるだけなのだが、ここ、黙々となされる塩吉の掃除の側にもっと何か仕掛けられなかったかと思う。「ものすごく掃除の要領がわるい」とかね。ま、そのへんのさじ加減はむずかしいし力量も関係してくるけど、後景にある「塩吉の掃除」に何か微妙でくだらないことをさせつづけ、それで最後に下手の会話がそこにスポットを当てることができれば、それ、つまり「チーズ・ショップ」の構図が使えるのに、と、そんなことばかり考えているOBの意見になど耳を貸すべきではないとわれながら思うけれど。
『紙屋悦子の青春』は非常によくできていた。うまいなあと単純に感心させられた。栃木高校がそのくだらなさにおいて〈高校演劇的なるもの〉あるいは〈全国大会的なるもの〉からはみ出しているのと同様、これだってきっと高校演劇のメインストリームからははずれているのだろうと想像される(で、もちろん、優秀校とされた残りの二校もきっとそうなのだろう)。あと、ちょっと思わされたのは、むろん前提として力量がともなうことが必要なのだろうが、そこをクリアすれば、「高校生が演じる戦時中の人間」には違和がなく、かえって奇妙な説得力が立ち現れるということだ。
それやこれや、いろいろ。帰りにちかくの中華料理屋に入り、田村の結婚式以来ひさびさに会う五人で食事をした。思い出すに俺、すごくしゃべってたんじゃないか。
それで、翌26日(日曜日)には大阪から上山君が来た(ちなみに上山君も栃木高校の同級だが演劇部ではない)。夕方、原宿駅で待ち合わせてふたりで「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展」を観、そのあと立川へ行ってわが家に一泊した。

(2007年8月27日 16:03)

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