9
Sep.
2007
Yellow

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/ 26 Sep. 2007 (Wed.) 「永澤の相談に乗る」

ひさびさに猫の写真でも貼ろう。これを携帯で撮影した妻の報告によれば、それを信じるならば、台所で作業をしているとき、リビングのほうから「パカー」という音が聞こえてきたという。で、行ってみるとこうなっていた。

『ニュータウン入口』は長文を呼ぶ、ってことかどうかは知らないが、笠木(泉)さんがその名も「『ニュータウン入口』についての長文」というタイトルのブログ記事を更新していて、読んでいたら私が出てきた。

ここまで書いて、小休止して、ふと宮沢さんの日記を読みそして相馬くんのブログを読んだのだが、ちょっと自分の文章があまりに稚拙で恥ずかしい気持ちになり全部消してしまおうかと思ったが、せっかく書いたので消さないことにした。

 いやあほんと、消さないでくれてよかった。ていうかいったい何が「恥ずかしい」ってんだべらぼうめ、ふざけるな、ちょっとここへ座れ、来てもらってわるいね。コーヒーでいい? あ、インスタントしかないや。と言ったあとでおもむろに横っ面を張ってやりたいくらいだ。何を言っているのかわからないが。
だいたいね、較べるのがまちがっているよ(あ、その、不遜な意味じゃなくてね)。私のはあれは、ただもう自分の得意なほうへ得意なほうへと引っ張り込んでいるだけで、「面白い」「かっこいい」「とにかくいい」といった言葉たちを引き伸ばそうとすればああいうふうにしか書けないのが私だし、その意味では笠木さんもまた自分の土俵へとぐいぐい引き寄せて読ませる。

切り替えが早いよ、アンティゴネ!

 は笑ったなあ。まあ、たしかにそうか。
で、これまた昭和50年生まれの同い年である永澤は、ブログ(9月26日付「物書き」)のなかで自身の文章の拙さを嘆いてみせ、「上手くなりたいなあ,本当に.」と言う。『解決!書く技術』という本を買ったともあり、どうもわりと深刻に悩んでいるらしいので、ここはひとつ相談に乗ってみよう。

そういえば,これまでも,相馬さんには,いろんな文書で,
だめ出しをもらっている.

 じゃあまずここからダメを出そうか。「読点多いよ」というのはひとまず置くとして、なにより永澤の文章を特徴付けているのはその「性急さ」にあるように思う(そう、こんなに読点を打っているのに、である。あるいは逆に、その性急さが読点を打たせているのではないかとも思えるが)。上の一文でひっかかるのは、長く永澤の文章を読んできた立場から言えば、「文書で」だ。これがひどく性急さを感じさせる。文意が曖昧であるのは、私(相馬)が折に触れ、いろいろな文書「をとおして」ダメ出しをしてきたのか、それとも永澤の書くいろいろな文書「に際して」私がダメ出しをしてきたのか──つまりこの「文書」が相馬の文書である場合と、永澤の文書である場合と──、そのどちらともとれるからである(ま、どっちにしたって述べられている内容に大差はないが、でもそのぐらい読者に分からせたっていいじゃないか)。あたかも、一度読点を打ったらもう振り返らないといった具合に、性急な永澤はそこを駆け抜けていってしまう。ひょっとして「文書」って「文章」の打ち間違いなんじゃないかと疑りたくなるほどの速度である。

気分先行で書いてるから,まとまりがないんだろう.

 気分は先行させなきゃだめだ。じゃなきゃ、楽しくないじゃないか。あくまで気分には先を走っていてもらう。というか、自由に走ってもらう。で、最後の最後、ゴール手前で抜き去れるように、その気分のうしろをずっと伴走できるかどうかがテクニックだ。

プレジデントムックで,「解決!書く技術」という本を
買って眺めている.
ペンで書くことの重要性が巻頭で述べられている.
そうか,手書きか.字が下手で震えもある俺は,
ここ数年は極力パソコンで文章を書いてきた.
これが駄目な原因なのだろうか.
そういえば,相馬さんも,blogの文章はノートに
下書きしていたよなあ.

 私は現代っ子(ポストモダンっ子?)なので、キーボード入力よりも手書きがすぐれているとは思わない。その逆だというのでもない。単純にみて、両者はそれぞれに異なる技術なのだし、「手が書いている」という地平においては等価でもある。もちろん「手書きの魅力」はある。それこそ今日では「フォントからの解放」ということが魅力のひとつとしてあるけれど、それって、つまり「下手な字が書ける」ということにほかならないわけで、べつに「上手い字」がよいというわけではない(あ、それとはまたべつに、リスペクトされるべき対象として「ていねいな字」というのはあると思うけど)
ところで再度引用すると、

ここ数年は極力パソコンで文章を書いてきた.
これが駄目な原因なのだろうか.

 とあるのだが、身も蓋もないツッコミを入れれば(というか素朴な疑問なのだが)、悩んでいるところの文章の拙さは「ここ数年」の問題なんですかね? それ以前は大丈夫だったのだろうか。大丈夫だったとすれば、その場合「パソコンのせい」ということはたしかにあるかもしれない。
私が日記(ブログ)の文章をノートに下書きしているという話だけど、これはまあ、突き詰めてしまえば「PowerBookよりもノートとボールペンのほうが軽い」ということ以上の理由はない。あくまでメモであり、とにかく浮かんだリズムを忘れないためにだだーっと書いている。ノートの字はやたら汚い。場合によっては、ノートに書いている時点ですごく推敲もしている。しているけれど、キーボード入力のときは「清書」だけ、ということではないし、全部が全部下書きを経ているわけでもむろんない。推敲を重ね、すっかり下書きしたつもりの文章でも、キーボードで打ってみると「ここはちょっとリズムがちがうな」という箇所はきっとある(それこそ、手書きとキーボード入力が異なる技術だからかもしれない)
いや、そんな話をつづけていてもあんまり参考にならないだろうから、ここらで最後にアドバイスを、ということにしたいが、うーん、なんだろうな、アドバイス。「ていねいに書いてみたら?」とかかな。

本日の参照画像
(2007年9月27日 17:14)

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