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30 Oct. 2007 (Tue.) 「ひきつづき句会のこと」

28日に開かれた句会だが、合評の模様を採録した冊子は作るつもりでいる。そうして参加者の面々に配ろう。今回はほとんどが初参加の人たちなので、前回・前々回のときの冊子もいっしょに渡せればいいのではないかと思うが、むかし作ったものは全部配ってしまって手元に在庫がなく、そのデータがどこにあるかというのも探してみないとわからないことになっている。
DVテープに録画したものを確認し、音声ファイルに書き出す。ただ残念なことに、途中テープ交換をすっかり忘れていて、合評のうち「宵いまだ黒ぐろとねる秋なすび」の途中から、「はなくちとおるきんもくせい」までの分がないのだった。これらについては吉沼と協力し、記憶をもとにおおまかなところを再構成してしのごう。
録音されたものを聞いていてあらためて思うのは、俺、発言の途中の間(ま)が長いよ。ほんと長い。長年の友人など、よくこれに付き合ってくれているなあと、なんだかありがたい気分にさえなってくる。途中で言葉を切って、さんざん待たせた挙げ句けっきょくしゃべらないこともあって、嫌だよ、そんな奴はさ。それでいてしゃべっているときは早口気味だし、典型的に語尾の音量がすぼまるタイプだから、不親切な話し手であることこのうえない。と、いま反省してみても、きっと直らないんだろうけどね。
句会の創設メンバーのひとりで、今回は「句のみ参加」だった大竹君からはメールで、私の

 万感を胸にこれから風邪をひく

がよかったと褒めてもらった。合評のさいも、私の提出した句のなかではいちばん反応のよかったのがこれだ。まあ、「ポジティブな姿勢で詠まれる病の句」というところから出発してこれになったんだけど、作っていて気づいたのは、これ、「これから風邪をひく」シリーズとでもいうか、前の八文字を替えることでいくつでも出来るということだ。

 金髪の美女とこれから風邪をひく
 玄関の横でこれから風邪をひく
 八年も待ったこれから風邪をひく
 正体を明かしてこれから風邪をひく

 いまさら有季定型であるかどうかを気にするような句でもないけれど、「風邪」が入っていることで一応すでに冬の句として成立はしているから、前の八文字には何を入れても大丈夫だという安心感があるのもいい。ぽんぽんできるのだった。
ちょっと触れておきたいのは、合評でも同じ話題になったけど、「句のみ参加」の佐藤君(南波さんと同い年で、私の1コ上にあたるそうなんだけど、なぜだろうここはひとつ「君」でいきたいという気分なのだった)の作品群である。

 ふとんのそと りんごかじる音
 はなくちとおるきんもくせい
 おなかのすみのさなぎ

 はじめ私は、これが〈佐藤流〉とでも言うべきスタイルなのだと受けとめて「ほう」と思っていたんだけど、途中、句を預かってきてくれた南波さんが話したエピソードによって明らかとなったことがあり、つまりこれ、じつは「放哉かぶれ」ということらしいのだった。句会があるということを南波さんから聞いた佐藤君が、しかし「俳句ってぜんぜん知らないからなあ」と応えたときに、南波さんが貸したのが手元に一冊だけあった尾崎放哉の句集だった。で、佐藤君はそれを読み、「なるほどこれが俳句かあ」と得心したらしい。
とそこで、「いや、あのさ」と言いたくなるのは、佐藤君の句、それほど放哉っぽくもないんじゃないかということで、そりゃあたしかに「短い」ものの、リズム的な印象でしかないかもしれないけど、ストレートに「放哉かぶれ」と呼ぶには、佐藤君のなかでの放哉の受容がちょっと私とかとちがうのではないかと思えるのだった。良く言えば「解体」はさらに進んでいて、放哉よりももっと先の自由を手に入れているのかもしれない。やっぱり、〈佐藤流〉と呼ぶのがふさわしい何かがここにはあるように思える。一応、大人として、「ちがうと思うけどね、俳句って」とも言い添えておくけど。
あ、そうそう、リズム的な印象ということでいえば、より「放哉っぽい」のはたとえば大竹君のこれですね。

 旅に病んでタクで帰る

 笑ったなあ、これは。一応解説しておくと、松尾芭蕉の辞世(と意識して詠んだわけではないらしいけど、結果的に辞世になった句)、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が下敷きになっている。あと、ついでに紹介しておくと、第一回のときの大竹君吉沼(すまない、間違えた)のこれが、放哉のパロディということでいえばすごく秀逸だった。

 車のシート豹柄になっている

 あはははは。

(2007年10月31日 22:36)

28 Oct. 2007 (Sun.) 「句会」

築地本願寺にて。

句会だった。会については追ってくわしく書くけれども、最後の句の合評が終わったとたん、どっと疲れが出たのだった。基本的にとても静かな会だし、私も、流れをつくるために意識的にしゃべっていた面はあるものの、しゃべり倒すなどというわけもなく、ごくごく普段どおりに過ごしてしまったとすら反省しているくらいだが、終わってみたら、ぐったりしてしまった。それで、だから、帰り路で南波さんから近況を聞いたときもひどくぼんやりしていた。別れてから、いまのはもっと喰い付いていろいろ聞き出すべき話題だったんじゃないかと思い返すような具合だ。へえー、あそうですか、南波さん。それはそれは。
ぼんやりしたのは、そのとき、帰ってからやらなければならない仕事のことが急に頭に呼び戻されて憂鬱になったということでもあって、なぜそれを片付けてしまってから句会に臨まなかったかといまさら思ってみたりする。で、余韻に浸るまもなく(といって、わりと浸ってたけど)、それらの仕事に追われていたわけで、ちょっと遅くなったが、いまこうしてやっとおとといの日記を書きはじめている。
というわけで句会だった。銀座のルノアールの会議室を借りて、午後一時から五時までやっていた。
いつも髪を切ってもらっている店が銀座にあり、立川に越して以来とくにそうだが、銀座というのもあまりちょくちょく来る場所ではないから、ついでにと、午前中にその床屋の予約を入れた。入れたところ、ずいぶん早い時間に銀座に来なければならないことになり、髪を切り終わってまだ十時半である。ひとまず有楽町まで歩いてビックカメラに寄る。句会の記録用に使うDVテープを買ったほかはけっきょく何も買わなかった。Leopardも買わず。ただ、けっこう時間はつぶした。それからその近くにあるメガネ屋(alan mikli)に行き、フレームの調整をしてもらう。その後、思い立って築地本願寺まで歩いてみようと考えたのはひどく天気がよかったからだ。正面の本堂に上がり、焼香の匂いのなかでしばらくぼんやりする。で、その近くで寿司を食った。腹いっぱいになって銀座にとってかえすと、もうほどよい時間である。
句会の参加者は私を入れて七人。主宰のひとりである大学同窓の吉沼と、その妻の彩子さん。同じく大学同窓だが、こないだのゼミ同窓会が卒業以来の再会だった加島さんは、数年前に自費出版ながら第一句集も出している人で、何年かぶりになるこのわれわれの句会をまたやってみようかという主宰者たちの気分を決定づけたいちばんのきっかけでもある。そしてご存知、南波さん。近頃幻冬舎にうつった編集者の竹村さん。こないだまでは放送大学でアナウンサーをしていたりもした北田さん。で、私。それからここに、「句のみ参加」のかたちで、吉沼の高校同級の大竹君(創設メンバーのひとり)と、私の高校同級の永澤、あと、南波さんが引っぱりこんでくれたらしい『ニュータウン入口』の「浩」役、佐藤君の三人の句が加わる。これらの面々が集まり、「句会」という器を借りて何をするのかと言えば、会の終了後、加島さんにあっさり指摘されたとおりで、「けっこうふつうの句会」である。
とりたてて突飛なことは何もないが、一応その「やり方」を説明しておくと、各自持ち寄った句(一枚に一句ずつ、短冊状の紙に適当な明朝フォントで印刷してきてもらう)を、そのテーマ(秋、朝食、病、自由詠)ごとに分けて回収し、いったん封筒のなかに入れる。そうして無作為に、封筒から一枚取り出したその句を正面のホワイトボードに貼り、はじめは誰の詠んだものかわからない状態で、取り囲んで座っている面々がああだろうかこうだろうかと思いついたことを言う。で、もういいかなとなったら、封筒から次の句を取り出し……というのをずっと繰り返す。

 以下、今回の投句一覧。

【朝食】
こまり顔でおまえ何を焼いている 相馬
ふとんのそと りんごかじる音 佐藤
真白い朝コーヒーのみ黒くて 吉沼(晴)
梨梨梨梨梨梨ヨーグルト 大竹
ねばねばの力まだまだとがんばる 吉沼(彩)
すき焼きが残った翌日の雑炊 北田
台風一過朝食のクロワッサン 加島

【秋】
赤に茶の木にあの山に葉が落ち 北田
秋燕の告げたる風の行方かな 加島
鐘鳴るやサモアの浜の栗拾い 吉沼(晴)
宵いまだ黒ぐろとねる秋なすび 相馬
沈黙の山まんじゅう囓る墓の前 南波
万灯の明りすいこむ夜の闇 吉沼(彩)
バス停に巣を張る蜘蛛とわれと待つ 大竹
はなくちとおるきんもくせい 佐藤

【自由】
ローファーの先ばかり見た檸檬のころ 竹村
それは雪ではない桜でもない 南波

【病】
父のもとへ走る君と冬の朝 竹村
あけぬ眼のわずかな動きに意志を聞き 永澤
青空がなだめてくれる検査の日 南波
おなかのすみのさなぎ 佐藤
旅に病んでタクで帰る 大竹
幸せかと問う弟花火のあと 竹村
なおしえぬ いのちのなみに ゆらぎつつ 永澤
万感を胸にこれから風邪をひく 相馬
紅葉且つ散る小康を疑はず 加島
鼻すすり子供のようにしかられる 吉沼(彩)
月に吠え陽へ病みこころしづかなり 吉沼(晴)

 句会のあいだはずっと音声録音用にハンディカムを回していて(カメラは固定でホワイトボードの句に向けてある)、前回・前々回はそこから文字を起こし、句と合評の様子を採録した冊子を作って、後日参加者に配ったりもした。またそれも作ろうかな。
もっと合評の様子を描写してこまかく報告するつもりだったが、前半余計なことをつるつると書いていたらもうだいぶ長くなってしまった。後日また書くかもしれない。いざとなったら作った冊子をPDFにして、まるまる載せてしまうという手もあるか。

(2007年10月30日 15:10)

26 Oct. 2007 (Fri.) 「Leopard発売とは関係がなく」

まだ終電ではないが、もうじき日付が変わるという中央線の各駅停車はそのときそれほど混むでもなくて、私は途中で席を得ていた。そのうち、私の隣と、反対側でそれと斜めに向かい合うぐらいの位置とに一人分ずつ空きができ、立ってしゃべっていた二人組の若者が分かれて一人ずつそこに座る。当然のごとくに二人は会話をつづけ、それが通路部分をはさんでお互い向かい側へと話しかけるからひどく声が大きい。それ、そんなに話したいハナシかよと思うと、ま、断片を聞くに共通のバイト先らしいラーメン屋で、いかに調理の効率を上げるかという話らしく、それを若々しく荒々しい口調で語り合っているのは、その、つい笑ってしまいそうになった。で、一人は私の隣である。ふつうに考えて、通路をはさんでいるという物理的な距離が単純に二人の声をでかくしているということはあるわけで、それでまあ、つい愉快になって立ち上がり、向かいに座っているほうにむかって「替わろうか?」と声をかけた。私の顔はそのとき、にこにこしていたと思う。で、席を替わり、二人は隣同士になったわけだが、七割方が予想したとおり、隣り合ってしゃべっても二人の声はでかいのだった。むしろ話しやすいからより弾んでいる。おっかしかったなあ。じゃ、明日はその作戦でいこうぜと、麺のゆで方についてらしい打ち合わせをしながら、二人は途中の駅で降りていった。

(2007年10月27日 15:19)

25 Oct. 2007 (Thu.) 「句会は間近/『不思議の国とアリス』サイトリニューアル」

兄が作る、3D-CG 中編アニメーション作品『不思議の国とアリス』、どうぞよろしく。サイトのデザインは私です。

ふと気づくと、例の「句会」はもう間近に迫っている。今週末である。たいして考えを深めていたわけでもなかった。大丈夫か、準備が足りなくはないかと不安になることしきりだ。会場はけっきょく、ここぞというところが見つかるでもなく、前から押さえてあったルノアールの会議室に落ち着いた。とりあえず、直前には多少余裕があるように自分の句をちゃっちゃと詠んでおく。ちゃっちゃと詠むとはいえ、それなりに苦心はする。なるべく「ああそうですか」ということにならぬようにと意識がはたらき、言葉を選ぶ。会の主眼は、どちらかといって句そのものにあるのではなく、合評という行為のほうにあって、いかにその場でセッションできるかということが少なくとも私にとってはほとんどの関心事である。ま、むずかしく考えてもろくなことはないし、つまるところ当日の体調によるとしか言えないだろう。
当日本人が来られないために事前に句だけを提出してもらうかたちの、「句のみ参加」の人が、今回はこれまでの二回よりも比率的に多い。〈ここにいない人〉で、かつ〈ぜんぜん知らない人〉の句というものを前に、どのように会が進行するのか興味深く、心配であるのと同時にわくわくもさせられる。
で、まったく残念なことに、友人の田村君から行けなくなってしまったと連絡がある。急な都合が出来たらしい。句が間に合えば、田村君もまた「句のみ参加」になる。で、はたと気づくわけだが、これで参加者のうち男子が私と吉沼の二人だけになってしまった。残りはみな女子である。しかもその二人の男子だけがこの集まりの経験者(主宰者でもあるけど)であり、女子は全員、今回はじめて声をかけた人たちなのであって、ここにも新たな局面が待ちかまえるのだった。
「句のみ参加」のひとり、永澤からはきのう、はやくも(?)句が送られてきた。テキストをくれればこっちで適当に印刷するよと言ったのだが、Illustratorのデータにまでしたものを送ってくれ、しかもそれが「CS3」のデータだった。持ってやがるのか「CS3」。永澤のくせに、とそこで少しばかり腹立たしい気分になるが、ま、それはいいとして、送られてきたのは「病」のテーマで二句。「申し訳ないですが,季無しです」とメールで断りが入れてあり、うちの会はべつに無季でも不定型でもかまわないからそれはいいんだけど、読んだ印象がさ、なんていうかな、世間ではふつうこれ、「川柳」と呼ぶんだと思う。あ、むろんうちの会は川柳も拒まないから大丈夫、心配ご無用。ていうか、句をありがとう、永澤。

25日・26日の両日(と、書いているいまはすでに終了している話ですが)、「東京コンテンツマーケット2007」という催しがあり、私の次兄、相馬彰が制作している3D-CGの中編アニメーション作品『不思議の国とアリス』もそれに出展していた。何度となくスケジュールを延ばし、ながらくお待たせしたが、いよいよ、もうじきそろそろ、完成するらしい。で、このコンテンツマーケットへの出展に機を合わせて、作品サイト(上記リンク)をリニューアルしたいと頼まれ、間際になってその作業をやっていたりした。
具体的には、一連のプロジェクトに沿ってごちゃごちゃとあったコンテンツを削ってすっきりさせ、とりあえず「予告編」と「制作日記ブログ」のみからなるサイトに構成しなおしてトップページのデザインも変える、という作業で、はじめ、デザインに用いる画像素材は予告編のムービーデータから適当に取ってくれという話だったから、どう処理したものかと考えていたけれど、思いのほかうまくまとまった。ま、一日で作ったにしてはちゃんとしているだろう。
デザインとは関係なく厄介だったのがブログで、まあ最初に設置したのも私なんだけど、これ、Movable Typeの「2.661」なのだった。設置した当時はまだバージョン3が出たばかりだったから、無料だということもあってバージョン2を使ったんだけれども、いや、もう、人は「便利」に慣れるものだな。バージョン2はいまやいろいろと不便なのだし、そもそもそのノウハウについていろいろと忘れてしまっている。これを機にブログソフトをWordPressに替え、過去の記事もそっくり移行するか、といったことも一瞬考えたけれど、さすがにいまその時間はない。ただ、(バージョンとはあまり関係ないが)過去の記事たちをまとめて書き替える「再構築」という作業に、やたら、鬼のように時間がかかるのはほんとうにちょっとどうかと思われ、それを改善するべく、いくつか策をほどこしたのだった。
などなど。

(2007年10月26日 23:23)

23 Oct. 2007 (Tue.) 「狙われない街」

こちらは「狙われた街」のメトロン星人。

あー、やっと終わった。長い期間に亘ったことの大半は私の怠惰によるのだが、これでひと区切りだ。最後の修正原稿をメールで送る。かたちになるのはまだもう少し、来年のアタマぐらいの話だろう。そのときにまた。
きのう(22日)は、プリセタの次回公演『モナコ』(前売りチケット絶賛発売中)の顔合わせがあり、夜、顔合わせのあとの飲み会にだけ途中から参加した。浅野(晋康)君にも会えるかと思っていたが、いなかった。早くに帰ってしまったのかな。

前回書いたように、「ウルトラマンマックス」(2005〜2006年)の第24話「狙われない街」をレンタルして見たのだった。言わずと知れた「ウルトラセブン」(1967〜1968年)の傑作「狙われた街」の、実相寺昭雄監督自身によるセルフパロディであり、続編的設定の話。同じ街(「北川町」)を舞台とし、「狙われた街」の40年後を描く今作で、メトロン星人(「2代目」でも「Jr.」でもなく「本人」。セブンに倒されたに見えた彼がじつは一命をとりとめ、その後ずっと潜伏して街の移り変わりを見てきたという設定)はついに、人類を「侵略する価値のないもの」と見かぎって、ウルトラマンとのしばしの対話ののち、ただ巨大化のみをして地球を去っていく。「真珠貝防衛指令」(「ウルトラマン」第14話)以来、首尾一貫して「ウルトラマンらしくないウルトラマン」を描いてきた監督の最終作は、ついにほんとうに「戦わない」、一方的な別れの話となって、呆気にとられたふうのウルトラマンはつい、つられるようにして手で「バイバイ」の仕種さえするのだった。
監督がすでに故人となり、結果的にこれが監督にとっての最後のウルトラ作品となったことがことさら見る者に感慨を起こさせるのだし、そこでたとえば「実相寺の、ウルトラマンへの遺言」としてこの作品を見ることは可能だが、しかし一点間違えてはならないことがあって、監督の姿を重ねるべきは、去っていったメトロン星人のほうではおそらくない。そうではなく、監督が自身にだぶらせているのはきっと、〈怪獣〉に去られ、呆気にとられてバイバイするウルトラマンのほうであるように思われるのだし(それほどまでに、バイバイするウルトラマンは素晴らしく〈子ども〉だった)、そしてだからこそ、夕日をバックに対峙するメトロン星人とウルトラマンの象徴的なカットをはじめ、「狙われた街」のさまざまなシーンを執拗に〈再現〉してみせつつ、それらがことごとく「狙われた街」よりも劣って見えるというそのこと自体が成功なのであり、この作品を成立させる要素なのだという透徹したかなしみが、ここにはある。
「狙われない街」はかなしい。そして、だから、そうした作品をしれっとした顔で撮ってしまう監督によって撮られたこの作品が、かなしいわけがない。ラストシーンでぶつっと裁ち切られたセリフ、「でも…」につづく唯一の希望はつまり、そうした「作ること」の姿勢のなかにこそあるのである。

(2007年10月24日 00:11)

21 Oct. 2007 (Sun.) 「手短に」

今日は手短にメモ程度。
20日は夜、戸田(昌宏)さんの出ている舞台、ペンギンプルペイルパイルズの『ゆらめき』を観る。感想は書けたらまたあとで。
なんだかんだ言っていたが結局見てしまったのは「ウルトラマンA」。DVDでいくつかの回を。あと、レンタルビデオ屋でウルトラシリーズの棚を物色していてはじめて知ったが「ウルトラマンマックス」という2005〜2006年放映のシリーズがあり、そのうちの2話分にまたもや実相寺昭雄監督が登板している。で、そのひとつがメトロン星人登場の「狙われない街」。言うまでもなく実相寺が演出した名作「狙われた街」(「ウルトラセブン」)のセルフパロディであり、続編的設定の話。と説明しているというのはつまり、借りてしまったよこれも。書けたらこれもまたあとで。
『cinra magazine』という季刊のフリーCDマガジンがあり、実物のCDマガジンは手にしていないからわからないが、どうやらWebサイト上でもほとんど(全部?)のコンテンツが閲覧できる様子。で、これを知ったのはついさっき、ぜんぜんちがう方面からのリンクでなのだけど、リンクを辿って驚いたことに、20日に発刊された最新号の「vol.15」には浅野(晋康)君のインタビューが載っているのだった(短い映像作品も入ってる)。まだ見てないんだけど、これもメモ代わりに。『cinra magazine』自体、面白そうな印象である。

(2007年10月22日 06:37)

18 Oct. 2007 (Thu.) 「エースのこと」

これが「A」。

打てば響くぞとばかりに永澤のブログが更新されていた。最近ネットの有料ストリーミングサービスで「ウルトラマンA(エース)」を見たらしく、そのことと私のきのうの日記とをシンクロニシティだと書いている。

ウルトラマンエースは,ちゃんと見たことがなかった.
第一話の変身シーンなんて,その突拍子のなさにびっくり.
怪奇大作戦がちゃんとしたドラマに思えてくる.

 しかし私はここで、できるかぎり「A」を擁護しよう。できるかぎりだ。
むろんいくつかの突出した作品はあって、たとえば第23話「逆転! ゾフィ只今参上」、第24話「見よ! 真夜中の大変身」はすごく面白い。ほとんど手放しで面白く、あるいはたんにわけがわからないと言ってもいいこの2作品は、「A」における〈ヘンな回〉担当であるところの真船禎が、演出のみならず脚本も担当していて充分に楽しませる(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」における〈ヘンな回〉担当が実相寺昭雄である、という意味での〈ヘンな回〉。もう少し言葉を選べば「映像派」ということになるのかなこの人は。〈ズレた回〉でもいいのだけど、とにかく褒め言葉)。またべつのところでは、第40話「パンダを返して!」(演出:鈴木俊継)もよかった。監督の個性に引きずられ、なんとなく「セブン」ぽい画面に仕上がっているのがこの回だ。
といったいくつかの作品のことを置くとして、「A」一般の魅力を語るとすれば、ひとつは戦闘シーンになるだろうか。「A」の戦闘シーンの特徴を挙げるなら、まず、「A、すごく強い」ということがある、あたりまえだけど。そして何よりも、「A」の戦闘シーンにおいては、その「逆転の妙味」が語られるべきだろう。変身していきなり、Aは苦戦におちいる。おちいるように見える。というのは、いきなり苦戦ふうの音楽がかかるからだ。やがてカラータイマーが点滅し、そこでついに逆転だが、そのタイミングはこのようにして来る。
 音楽が変わる。
 もう大丈夫だ。A、圧勝である。
あと、これは「A」にかぎらないが、円谷プロにおいてはもちろんミニチュアセットの魅力というものがあり、さらに誤解を恐れず言葉にするなら、「それ、あきらかに縮尺がちがうだろう」ということが魅力のひとつをなしている。ウルトラマンはでかい。ときおり、ものすごくでかい。ぜったい今お前「身長40メートル」じゃないだろうというその「でかさ」が、じつに単純に、シリーズそのもののリアリティを支えていると言っても過言ではないのだが、これは「タロウ」だったか「レオ」だったか、後期ウルトラにおいてはその戦闘シーンでのミニチュアワークにさらに別ベクトルへの加速がつき、たとえば市街地でナントカ星人と戦っているときに、ウルトラマンとナントカ星人とががんがんに走ったりする。で、どこまで行ってもミニチュアが作ってある。カメラはむろん、低い目線でウルトラマンの「でかい」足を追う。どこまでも街がつづく。それが愉快だ。
じゃあ、「A」はどうだったかというと、記憶では「ひとところで戦っている」というイメージだ。かなり広いステージ上にビル群のセットが建てられ、その中央に、ちょっと不自然に「戦う場所」が空いている。そこで思う存分戦うのだ。
擁護していないんじゃないかと思われるかもしれない。擁護していないのかもしれない。しかし私は擁護したいと思うのだ。なにせもう十年近く前に、「帰ってきたウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」までをずっととおして、ビデオを二本ぐらいずつ借りてきては見ていたそのときの記憶がたよりだから、記憶だけで書いていたらこんなになってしまった。きちんといまの言葉で褒めるには、またもう一度全話見なければだめだろう。それはいやだよ。でも、真船禎の23話と24話はちょっとまた見たいな。

(2007年10月20日 15:43)

17 Oct. 2007 (Wed.) 「あ、そうそう」

庭の花。名前は失念したと妻は言う(撮影も)。

これはセージだと妻の説明(撮影も)。

先日来、いまさらだが気づかされることがあり、それはこうした日記を書くにあたって、「あ、そうそう」はとても便利だということだ。「で」というのももちろん重宝するが、だからといってそう幾度も繰り返して使うわけにはいかない。段落がふたつぐらいつづけて「で、」ではじまるというのも、ときおり出会うぶんにはその「何も考えていない」感じが好ましいけれど、あまり目に付くのはどうかとも思われ、そこで、そこに変化を付けるという意味でも便利なのが「あ、そうそう」である。
「で」に関して言うと、言うまでもないけど同様の接続詞に「そして」があり、小学生の作文や読書感想文などでおちいりがちなのが、よく知られるように「『そして』が多い」という事態である。たとえば、行を改めるごとに「そして」と書いてしまう。自分のことを思い出してみても、やはりそれはあった。書いている途中でふと、あることに気がつく。ちょっと手をとめて原稿用紙の全体に目をやり、やっぱりそうだと知って愕然とする。なかにはつい口に出してしまう者もいて、ある者はこうつぶやく。
 「ぜんぶ『そして』だ」。
 全部はまずいだろう。ここを読んでいる小学生がいるとは思えないが、ひとつここでまともなアドバイスを書いておけば、「『そして』が多い」におちいった場合には単純な解決策がある。それらの「そして」はみな、どれもこれも「要らない」のである。「そして」を全部取っ払っても、たいていは文章がつながっていると思ってまちがいない。
って、なんてまともな、適用範囲のせまいアドバイスなんだ。つい、つるつると書いてしまったのがいけないといま反省している。
文章のアドバイスといえば、友人の永澤のブログはあれ以来ぱたりと更新がないな。忙しいのだろうし、これが毎度のペースといえばそうだけど、「文章がうまくなりたい」というのならもっとがんがん書けばいいと思うのだ。がんがん書いたところで文章がうまくなるなんてことはないのだから、安心してがんがん書けばいい。そうだよな、うまくなんかならないよな俺、と腹を決めて、その上でがんがん書こうじゃないか。
「Red」のわりと初期のころのコンテンツである、「スーパーマンレッセブン」を読み返していたりした。すげえな。時間あったんだな俺と思う。円谷プロの「ウルトラシリーズ」に材を借り、ウルトラ52番目の兄弟という設定(読み返して思い出した)で登場する巨大変身ヒーロー・スーパーマンレッセブンの活躍を描くこれは、つまり気分としてはオマージュに近いものである。1997年の末に一気に作り、長い中断を経て再開した2001年で更新が止まっている全11話のうち、「第1話」「第3話」「第9話」の3つがまともなシナリオ形式のもの、残りが「あらすじ」のみで構成されているのだが、そのシナリオのちゃんとしていることといったらない。たしか、その記法は、金城哲夫(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」等、シリーズ初期の主要作家のひとり)のじっさいのシナリオから学び、真似したものだったはずで、しかしそれにしてもすごく丁寧に作っている。好きだったんだなあ、ウルトラシリーズがとしか言いようがない。
読み返すうち、またこれ、ちょっと新しいのを書いてみようかなと気まぐれに思ってみたりもする。まあ、「あらすじ」ならいくらでも作れるだろう。問題はシナリオ形式のほうだよ。かなりな情熱がいる作業だ。「シナリオへの情熱」ではなく、「ウルトラへの情熱」がいる。また「Q(=ウルトラQ)」から「レオ(=ウルトラマンレオ)」までビデオで見返すところからはじまるのか。いやだなあ。あいだをとって「A(=ウルトラマンA[エース])」だけ見るのではだめか。

(2007年10月19日 02:49)

16 Oct. 2007 (Tue.) 「後安さんのこと」

眠たそうな表情の「ピー」(撮影は妻)。きのうの写真の毛は、これの腰に付いていた。

驚いたことに、14日のシンポジウムにパネリストのひとりとして登壇されていた後安美紀さん(「後安」は「ゴアン」と読ませます)から、コメント欄に書き込みをもらった。まさか後安さんがここを読んでくれているとは思わなかった。後安さんは「生態心理学」という分野を専門とする研究者で、具体的には演劇の舞台稽古をフィールドワークの対象とし、そこでの俳優や演出家の行為を取り上げるという作業をされてきた方である。そうした立場から平田オリザさんや太田省吾さんの現場に関わってこられた。という紹介の仕方でいいのかどうなのか、なにせ懇親会には出なかったこともあり、壇上にいる後安さんをこちらが一方的に見知っているというだけのことで詳しいことはよくわからないのだったが、しかしなにより「後安さん」という響きがいいじゃないか。ついつい口に出したくなる。ときにはゆっくりと、噛みしめるように言ってみるのも楽しい。後安さん。なにかこう、気持ちが落ち着くようでもある。
とかやっているといいかげん怒られると思うので、話を戻すけど、後安さんからのコメントにはたとえばこうあって、私を楽しい気分にさせる。

相馬さんのブログを楽しみに拝見しております。「ニュータウン入口」について示唆的なコメントを寄せておられ、我が家でも、相馬さんはあのように発言されていたがどう思うかなど、お会いしたこともないのに「相馬さん」という固有名をもった人格がすでに夫婦の会話のなかで形成されています。

 あはははは。いや、べつに笑うところじゃないというか、まったくありがたい話なんだけど、「相馬さんはあのように発言されていたがどう思うか」ってのはすごいな。笑ってしまった。そうですか、そんなことになってましたか。いやほんと、ありがたいというか、とくに後段にある「お会いしたこともないのに『相馬さん』という固有名をもった人格がすでに夫婦の会話のなかで形成され」るというその事態は、この「Yellow」の文章をとおして、私があわよくばと目論んでいることそのものでもあり、もしほんとうにそうしたことが起こっているのだとすれば、ただ単純にうれしい。それでこそのバーチャル、それでこそのウェブだ。
で、そのコメントで案内されていた後安さんの(というかご家族の)サイトへ行き、そのなかにある後安さんの日記(なにせコーナータイトルが「料理メモ」なのでサイトトップから辿るとわかりにくいのだが、これが日記を兼ねている。「Yellow」の私だって人のこたあ言えないが)も読んだ。で、いろいろあったのだが、笑ってしまったのは10月4日付の日記にあるこの箇所だ。

今日から新規雇用者が入られた。同世代の主婦の方で、親の目から見て小学校はどんなとこかなど、たくさんお話を聞かせてもらえそうでうれしい。太田省吾さんの稽古場の書き起こしをしてもらうことになっている。今日は手始めに『水の駅3』の本番のビデオを見ていただこうと思っていたが、誤って『砂の駅』のテレビ録画を流してしまった。1時間ほどして誤りに気付いた。無言劇、恐るべし。

 まあたぶん、ビデオをスタートさせてすぐその場を離れ、後安さんは別のことをしていたという話なのだと思うが、「無言劇、恐るべし」っていうのがね、なんだか笑ってしまった。
ところで、日記をつらつらと読むかぎりだが、後安さんは「中島みゆきファン」なのだろうか。要所々々で歌詞の引用などが出てくる。なかでも、大学組織への抗いのなかで疲弊する旦那さんへの愛を力強く記した次のくだりは、とてもいいが、しかしもうよくわからないことになっているのだった。

私は小器用で頭のいい人よりも「ど阿呆の変人」に人間として信頼をおいているので、夫の生き方を支持するし、そばにいたいと思う。きっと波乱万丈で飽きない人生になるだろう。もし大学をクビになったら、金八先生で加藤が逮捕されたシーンを想起しながら、中島みゆきの「世情」を歌ってあげるよ。

 ま、だいたいわかりますけどね、だいたい。
しまったな、後安さんでもってずいぶん書いてしまった。ほんとうは、「亀田家問題」についてたずねられたアントニオ猪木のコメントというのが面白かったので紹介しようと思っていたのだが、後安さんにつづけてソレというのもな。
あ、そうそう、宮沢(章夫)さんが書いている「富士日記 2.1」10月16日付)「HFN」の話だけど、ちなみにこれは「Hacking for New Trip」の頭文字。今回とほとんど同じようなことを、2003年5月26日、28日の「富士日記」でも書いているのでそちらを参照するとより詳しいことがわかります。当時はまだ新たなユーザーによるサイトが開かれておらず、アクセスすると「Not Found」になる状態だったときの話。あと「sevens.org」というのもあったはずだが、これもいまはドメインが切れてよその管理下にある。ページのデータはおそらくマシンに残っているのだろうから、だとすればぜひもう一度読めるようにしてもらいたいところではある。あ、うちのサーバ領域使いますか、宮沢さん?

(2007年10月17日 15:38)

15 Oct. 2007 (Mon.) 「ありうるね」

猫の毛である。夏頃から、長毛種である「ピー」の腰のあたりの毛がからんで、数箇所で塊を形成していた。そのうちのひとつ、中くらいの塊がするっと抜けた。

きのうはシンポジウムのあと、懇親会に誘われもしたのだったが、ぐっとこらえた。さらに言えば、宮沢(章夫)さんの講演だけ聴いて、キリがよければそれで帰ろうかなとさえはじめは思っていたのだったが、というのも、「原稿が驚くほどたまっていた。困った。これはまずいんじゃないだろうか。だめなんじゃないだろうか」「富士日記 2.1」10月14日付)と宮沢さんが書くのと同じように(と言えばおこがましいが)、私もまたちょっとだめなんじゃないかというほど仕事が溜まりつつあったからだ。きのうの日記とか、あんなに丁寧に書いている場合ではないのだ。とはいうものの、「Yellow」の更新に関して言えば、日々書き続けていることにはやはり効果があって、同じ分量を書くのでもだいぶスピードが増している。出来事のこまかい粒が脳裏をよぎるさい、こう書けばまとまった文章になるなという素描が比較的容易に浮かびもするので、それでつい、あれもこれも書いて長くなるのだった。
といったような、油断たっぷりなことを言っているとその矢先、パタッと更新がやむということはままある。
熊谷さんにつづき、『洋楽コトハジメ』の構成・演出をされていた平松れい子さんからも丁寧なメールをいただいた。こちらこそありがとうございます。かえって恐縮っす。私のああした批評ふうの文章はたいてい、もっともらしいような顔をしつつ、ウラではただ自分自身の愉楽に揺られ気持ちよくなって書いているだけのことなのですと、なんだかそんな言い訳のひとつもしたくなるが、それはそうと、平松さんからのメールには不意に次のような一文が挟まれ、私を驚かす。熊谷さんについてだ。

稽古中はときどき細川俊之に似てました。

 なんてこったい。畏るべしだ熊谷さん。石坂浩二と細川俊之はどちらも映画『細雪』(市川崑監督、1983年)に出ているが、そのことと熊谷さんとは何か関係があるのか、ないのか。ないとして、「ないのかよ」というこの気持ちをどうするか。どうするかって言われてもねえと、私が同意を求める相手とはいったい? 謎が謎を呼ぶが、あ、そうそう、「稽古中はときどき細川俊之に似て」いたらしいと妻に伝えると、納得するらしい顔をみせ、「ありうるね」と言っていた。

(2007年10月16日 12:06)

14 Oct. 2007 (Sun.) 「東洋大学へ、ほか」

熊谷(知彦)さんからメール。きのうの日記に書いた感想はよろこんでもらえたらしい。あたりまえだが、石坂浩二はまったく意識していなかったという。ただ、なぜ石坂浩二に似て見えたんだろうとして私が書いた〈いやらしくてだめな男前〉という説明については、「意図していたものに近かったので嬉しかった」とあった。そうか、意図してもいたのか。私にはたくまずして滲み出てくるもののように見え、とすればなおさら成功していたということだろう。そういえば、妻は今回その舞台を観ていないのだが、きのうの日記のその箇所、

途中から、どうしても石坂浩二に見えてきてしかたがなかった。単純に「似て」見えたんだけど、なんだろう、〈いやらしくてだめな男前〉ってことかなあ。

をとなりで読んでいた妻は、「わかる、わかるよー」と強い語気でうなずいていた。観てないでしょ、あんた、とも言いたくなったけれど、しかし、おそらく妻はその瞬間、舞台上の熊谷さんを正確に想像し得ていたはずだ。なにしろ妻は熊谷知彦ファンである。
基本的な傾向としてうちのサイトは土日にアクセスが減るということがあり、そのせいも多少あるのだろうけど、「〈総理大臣といえば〉アンケート」は低調な滑り出しだ。さびしいので、まだ答えていない方、ぜひ参加してもらえればと思います。まあこれ、要は読者の年齢層を尋ねているという面が強いのだけど、じゃあ直接年齢を訊けばいいかというと、なんというかその、数字で年齢を言われてもそれほどピンと来ないということがある。それが、「総理大臣といえば池田だね」とか、「海部だね」とか言われるとより強くピンと来るというか、へえーと思うのだった。「へえー」かよ、ということでもあるけれど、ま、なぜだか知らず楽しいので、一票投じていただければと思います。
昼間に出掛けて、東洋大学の白山キャンパスへ。東洋大学は受験した大学のひとつで、そのときの会場がはたして白山キャンパスだったのか、校舎がどんなふうだったか、なにひとつ記憶にないのだったが、少なくともこんなにきれいではなかったはずだ。大学受験ももう十年以上前のことになってしまった。
で、今日は、日本パーソナリティ心理学会が主催する公開講演とシンポジウム、題して「演劇におけるHow to個性記述」へとやって来た。宮沢(章夫)さんが講演者として40分ほど話をし、そのあと他のパネリストも加わっての討議となる。えーと、「演劇におけるHow to個性記述」というネーミングセンスがまずちょっとどうなのかということはあるけれど(たんに「演劇における個性記述」でいいじゃないか。あるいは「演劇的な個性記述とは何か」とかさ)、それはさておき、門外漢ながらに理解したところを説明すれば、個体間の差異の数値化といった面には長けている心理学が、しかしそのために不得意とするのが個体そのものがもつ——そして「いま・ここ」に現れる——〈その人らしさ〉の記述であり、従来の研究からこぼれ落ちてしまうこの「そのもの性」(ひいては絶対的な「多者性」)の問題を扱う方法の模索にあたって、演劇というまた異なる志向性をもつジャンルから人を招き、その「演劇知」のようなものに触れてみようというのが今回のおおまかな趣旨である。
で、宮沢さんの講演は、「演劇」と言うときに意味されるふたつのもの、〈ドラマ〉と〈身体〉とをまず分け、前者から後者へとむかった歴史的な変遷(ベケットの登場を機として、とくに'60年代以降、演劇は〈ドラマ〉を捨て〈身体〉をめざした)、そしていま、ふたたび〈ドラマ〉(=言葉)を取り戻しつつ、どちらか一方なのではなく、両者の統一のなかからこそ現在的な演劇が立ち現れるはずだという展望、そこに別役実さんが『ベケットといじめ』で取り上げているドラマツルギーの問題を絡め、また、具体的な〈身体性〉の現れの例としてワークショップでの体験などを紹介していたわけだが、で、いま「富士日記 2.1」を読んでみれば、

予定ではまだものすごく話すことがあったのだ。現在的な身体から考えられる「個性記述」といったものをきのう考えており、そこまで話さなかったらだめだったと思う。失敗。

とあって、なんだよそれ、そうなのかよって話だけど、まあうん、そうだな、聞きたかったなそれ。あるいはその「考え」は、先日来「富士日記 2.1」で言われている「('00年代にあっての)論」の、そのひとつの道筋にもなったりするのだろうか。
会場に行ったら編集者の竹村さんがいた。竹村さんは今度の「句会」の参加者でもある。で、句がなかなかできないことの苦悩を訴え、「季語がわからない、それは必要なのか」と根本的なところを投げかけてきた。季語はね、面倒だよね。うちの「句会」は会のスタイルがあるわけでもないので、なんだったらべつに「無季」でも、「不定型」でもかまわないと思う。第一回のときは私、「短歌」出しちゃったしね。ま、なんだかんだ言って、きっと素晴らしい句を出してくるにちがいないのが竹村さんである。
あと、『ニュータウン入口』に出ていた杉浦(千鶴子)さん、演出助手だった白井(勇太)君も来ていた。制作の永井さんは受付で働いていた。ショートカットになっていたのではじめ気がつかなかった(といって「ショートカットの永井さん」はたしか前にも見たことがあるはずだが)。うーん、やっぱショートカットがいいよ、永井さん。
そうそう、こないだネット某所で白井君の文章を見つけたのだった。なにせハタチであるところのその若々しい文章を「なるほどなあ」というふうに読む。ひるがえって俺、ハタチのころにはどんな文章を書いていたのか。いまでこそこうして「日記」(結局あまり「日記」になってないけど)を書いているが、ウェブサイトを開設したばかりの十年ほど前、私はウェブ上に置かれる「日記」について否定的に捉えていた。少なくとも「俺はあれはやるまい」と思っていた。というのは、まず、〈個人ホームページ的なるもの〉が大嫌いだったのである。それがあるとき変わった。〈個人ホームページ的なるもの〉を面白いと思うようになった。あ、だからハタチのころの文章というと、たとえばこれ(1996年)とかになる。べつにいまとあまり変わらないようにも思えるが、若いといえばやはり若い。いまだって充分若いわけだけど、「日記」をコンテンツとして提出してみせられるほどには、多少老獪になったということだろう。

(2007年10月15日 13:30)

13 Oct. 2007 (Sat.) 「総理大臣といえば/プリセタ/『洋楽コトハジメ』」

プリセタ第9回公演『モナコ』のチラシ。チラシのデザインは言わずとしれたなんきんさん。

ものはついでということで、「〈総理大臣といえば〉アンケート」を開始。それを聞いて、で、どうするという考えはないが、参加していただければさいわいです。
戸田昌宏さんの主宰する劇団「プリセタ」の第9回公演『モナコ』が、本日チケット予約開始。公演は11月29日(木)〜12月4日(火)の全8ステージ。これも私がWebデザインを担当しているので宣伝しておきます。そういえば、チラシにそう書いてあるのを見て「あ、そうなんだ」と思ったということ以上の情報はまだないんですが、今回の公演には浅野(晋康)が演出助手として参加するらしい。あ、そうなんだ。
午後、門前仲町へ芝居を観に。ミズノオト・シアターカンパニー公演『洋楽コトハジメ』。試演・第1弾(Work in progress #1)というふうに案内にあるそれは50分ほどの一人芝居で、出演する熊谷(知彦)さんにとっては復帰第一作でもある。テーマである「日本における音階の近代化」をめぐって、多くはおそらく文献からの引用ではないかと思われるテキスト群がごつごつと並べられ、それを熊谷さんの身体が必死につないでいく。〈枠〉としていちばん外側にあるのは現代風のDJが提供するラジオ番組という設定だが、そのひとつ内側にあって、もうひとつの基調となるのが「呂律の害について」と題された講演である(呂律=ロレツは邦楽の音階の名称のひとつ)。もちろんそこではチェーホフの『煙草の害について』が利用されているのだけど、その講演者である明治の男性を演じる熊谷さんが、途中から、どうしても石坂浩二に見えてきてしかたがなかった。単純に「似て」見えたんだけど、なんだろう、〈いやらしくてだめな男前〉ってことかなあ。なんなんだろうこの人はと思って熊谷さんを見ていたのだった。
講演のなかにはさらにさまざまな声=テクスト=身体が折り畳まれているのだが、途中、「蛍の光」の原曲であるスコットランド民謡の「Auld Lang Syne」(たぶん)がかかるなか、講演者は「赤(い)紙」に印刷された「蛍の光」の歌詞カードを客席に配って歩き、やがてそれを歌いはじめる。きちんと、歌詞カードはひとりに一枚ずつ行き渡って、私も隣の人から受け取ったその紙をしばらく、飽かず眺めることになった。

蛍の光 窓の雪
ふみよむつき日 かさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく

千島の奥も 沖縄も
八島の内の(我らの国の) 守りなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

台湾の果ても 樺太も
我らの国の 守りなり
いたらんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

 現在もよく知られる「1番」の歌詞につづいてここにある、二連目と三連目の歌詞は、じっさいに明治時代、文部省が採用・改変して小學唱歌集に載せた、「蛍の光」の「4番」の歌詞である。二連目のほうがその初出時(1881年)の歌詞で、日露戦争後、領土の拡大にともなって文部省はそれを三連目の歌詞に改変したのである。
これ、この歌詞をそのまま熊谷さんが歌い上げていたら、それでもうある種のカタルシスはあったんじゃないかと思うのだが、しかし、「いまさらそんなことが言いたいんじゃないよ」とばかりに、熊谷さんは途中で歌詞を放棄し、メロディーにあわせてただ「アー、アー」と声を張り上げるだけになる。だからなおさら、われわれは手にしたその赤紙の文字を読まされることになる。
熊谷さんの魅力もあるし、あと、「国民身体の近代化」という(たぶんに〈国文学〉的な)テーマは、やっぱり私にとっては面白い。ごくささやかに添えられた当日パンフにはいくつかの参考文献が挙げられてもいて、エドワード・サイードの『知識人とは何か』とか、姜尚中の『ポストコロニアリズム』といったものもそこに含まれるが、こうした問題を考えるにあたっては、兵藤裕己先生のいくつかの仕事(『〈声〉の国民国家・日本』や『演じられた近代—〈国民〉の身体とパフォーマンス—』など)もやはり参考になるのではないかと思う。
ともあれ、熊谷さんは元気そうだった。終演後に少しだけ話す。あと、客席には三坂(知絵子)さんも来ていた。三坂さんは、こないだの『コンテナ』(三坂さん作・演出の舞台)を私が観に行っていたことをまだ知らなかったようだ。で、少し立ち話をする。三坂さんは「片倉(裕介)さんといっしょにやることの楽しさ」について、「とにかく、私の提案にことごとく反対するのが、やっていて楽しい」と、ま、ハナからそこを楽しむのもどうかとは思うものの、そう言っていた。セーラー服や、スモーク、裸といった〈三坂的なるもの〉たちに、片倉さんはいちいち異を唱えていたらしい(で、最終的には押し切られて、その全部が舞台上にあったのだけど)。その声と姿が想像されて笑ってしまったのは、スモークをたくことに反対して片倉さんが言ったという言葉だ。「そのスモークはいったいどこから出ているんだ」。ごもっともです、片倉さん。
明日は、宮沢(章夫)さんが講演者として出る、日本パーソナリティ心理学会主催のシンポジウム「演劇におけるHow to個性記述 〜パーソナリティの記述のもうひとつのかたちを求めて」へ行ってきます。

(2007年10月14日 01:26)

11 Oct. 2007 (Thu.) 「〈総理大臣といえば中曾根〉世代」

これが大平正芳・第68、69代内閣総理大臣。こころなしか恭子ちゃんに似ていなくもない。あ、そういえば恭子ちゃんの顔は「Red」のこのページで見られる(いっしょに写っているのが上山君)。

実家にあったのはこれ。

たしかこれもあったと思う。

「句会」(以前の日記のうちのこのあたりを参照ください)にもっていく句のうち、「病」をテーマとしたものはできた。できたというか、ま、これでいいだろう。そして「秋」と「朝食」はもう少しちゃんと考えようと思う。
大阪府茨木市にある小さな喫茶店にスペースを借り、はじめての個展(お近くの方、ぜひどうぞ)を開いている知り合いの(上山)恭子ちゃんについて、きのう、その個展を宣伝するついでに、

「web-conte.comを見て来た」と言ってもらえれば、もれなく恭子ちゃんが大平首相のものまねをしてくれます。しかも「あーうー」は封印して顔まねで勝負です。

と適当なことを書いたら、案の定、律儀なコメントを寄せる恭子ちゃんだ。

ありがとうございます。
大平首相のことはよく知らないので、調べておきます。

 そうだろうな、きっと知らないだろうなとは思いつつ書いていた。だいたい、書いている私自身が「総理大臣といえば中曾根」世代であって、その手前の福田〜大平〜鈴木といったあたりはほとんど記憶になく、さらに恭子ちゃんはたしか私の2コ下である。「あーうー」は封印して、と言われても困るだろうと思う。
私がたまたま「あーうー」を知っているのは、いしいひさいちの漫画をとおしてである。たぶん『がんばれ!!タブチくん!!』だったはずだ。あれはふたりの兄(10コ上と7ツ上)のどちらの買い物だったのだろうか、実家に単行本があり、それを子どものころに読んだ。政治ネタの四コマもそのなかに収められていたんだと思うが、デフォルメされた大平首相はただひたすら「あーうー」言っていた。福田(赳夫)はなんだっけかなあ、「は、ひゃ、ふぁ」とか言っていた気がする。
まったく関係ないが、13日は俳優・熊谷知彦さんの復帰第一弾となる一人芝居の舞台『洋楽コトハジメ』を観に行く予定にしている。楽しみである。
えー、今日はちょっと短いけどこのへんで。

(2007年10月12日 16:08)

10 Oct. 2007 (Wed.) 「こまめに爪を切る」

MEDIA SKIN(オレンジ)

neon(水色)

INFOBAR(市松)

携帯はいま、auの「MEDIA SKIN」を使っている。「MEDIA SKIN」はかなりボタンが小さいのだが、指の腹で押すのではなく、爪の先をあてるようにすると一見したほどの押しにくさはない。ただ、そのために、爪が伸びていると、押しにくさというか指先の気持ち悪さがいや増すということはある。「MEDIA SKIN」の前は同じ au design project シリーズの「neon」を、その前は「INFOBAR」を使っていたが、先ごろ発表されたという「INFOBAR 2」にはまったく興味がない。なんで丸みをもたせちゃうかなあ。だから妻とはこのあいだ、その反動として期待される「INFOBAR 3」のことを話していた。「INFOBAR 3」のコンセプトは「岩」である。というか岩だ。ごつごつしているのだし、店頭に行ってみても、ひとつひとつ形はまちまちであるにちがいない。そもそもただの岩だから電話はかけられない。でかいのもあって、それは重い。ポケットに入れればパンパンである。それはとてもいいが、でも電話がかけられないんじゃなあという話になったのだった。
きのうの日記のコメント欄で、上山君にニール・ヤングの『AFTER THE GOLD RUSH』をすすめられた。

「Only Love Can Break Your Heart」はニール・ヤングの「AFTER THE GOLD RUSH」というアルバムに収められた曲ですが、昔ケーブルテレビでやってた中村一義の番組(たしか「喫茶ひぐらし」というミニ番組)の中で、中村君がこの「AFTER THE GOLD RUSH」(アルバムと同名の曲)をBGMに原チャで街や河原を走るという、すごく印象的なVTRがあって、自分も通勤時なんかに河原をチャリで走っていて、シャッフル聴きのiPodからこの曲が流れ出したりすると、なぜか涙が出そうなくらい嬉しくなります。こんな情報をここで書いてだから何だという話ですが、いいよ、「AFTER THE GOLD RUSH」は。ってニール・ヤングはそれしか持ってないんだけどさ。

 誕生日がまるきり同じ人の言うことには説得力がある。わかったよ。買いますよ。ていうか、わからないけど、想像するにこの「『AFTER THE GOLD RUSH』いいよ」というのはたとえば「『七人の侍』いいよ」とか、「『坊っちゃん』いいよ」とか、俺、そういうたぐいのことを言われているのではないのか。どうだろう。で、じっさい、iTunes Music Storeで買いました。アルバムで1,000円だったし(あ、まったく同じものと思われる『AFTER THE GOLD RUSH』で1,000円のと1,500円のとがあったんだけど、あれは何かちがうのだろうか)
その上山君の奥さん、恭子ちゃんのはじめての個展(というか、正確には二人展)が、いよいよ今日(10日)からはじまっているはずだ。こないだからページ上部にあるバナーがそうなのだが、バナーだけ作って何も説明していなかったのは不親切だった。バナーのリンク先と同じページだが、詳しくはこちら「散歩道 ねじまきのすけ/上山恭子 二人展」をご覧ください。大阪の茨木市にある小さな喫茶店でやっています。28日まで。お近くの方がいらっしゃいましたら、ぜひ。「web-conte.comを見て来た」と言ってもらえれば、もれなく恭子ちゃんが大平首相のものまねをしてくれます。しかも「あーうー」は封印して顔まねで勝負です。してくれるといいな。

(2007年10月11日 12:04)

9 Oct. 2007 (Tue.) 「おめでとう。知らなかったけど。」

ひょんなことから、人は人の誕生日を知る。知人の米倉さんのブログ(の「素晴らしき日曜日/ドンマイな感じで笑う」に、「あと偶然今日非表示のコメントをくださったSさん」とあるのは私のことだ。私がコメントを非公開にしたので気を遣ってイニシャルにしてくれたのだろう。非公開にしたのは、まあその、つまるところ内容が「励まし」なのでちょっと恥ずかしいということがあり、だったらメールで送ればいいじゃないかという話だが、そこでふと、米倉さんが利用しているFC2ブログのサービスには「非公開コメント」という使ったことのない機能があるのを思い出して、どんな案配なのかとついつい試したくなったのだった。あと、私の「励まし」がその日のブログ記事「今日」に引っかけた文章だということもあってメールでなくコメントにしたわけだが、しかし冷静にみて、やはり「非公開コメント」は面白くないのだった。われながら、公開しろよってハナシですよ。ああそうですかと言われるのは覚悟の上だが、非公開コメントはまったく「相馬的でない」。
で、投稿時に設定したパスワードを用いてコメントを修正し、公開扱いに直せたりするのかと思ったのだができないようなので、わけがわからないがここに公開しよう。「今日」というタイトルの下、本文には「いっしょにいてくれた人。ありがとう」とだけつづき、そうして「Only Love Can Break Your Heart」のYouTube動画が貼られたその記事に、私は(たしか、だいたい)こうコメントを書いた。

ひょっとすると今日、私はいっしょにいなかったかもしれないが、しかし、こうなったらいたも同然である。だから大丈夫だ。「何が?」と言われると困るが、でも大丈夫だ。

またどこかで会えるといいな。(私の日記を読んでいるかわからないけど)「句会」来る?

 このよくわからないふざけたコメントが「励まし」として届いてくれるのだから、米倉さんはありがたい人だ。で、さらに、じつはこの日が米倉さんの誕生日だったということはまったく知らなかった。そうだったのか。おめでしょう。というのはいま打ち間違ったのだが、ま、このさいそれも愛嬌があっていいのではないか。誕生日、おめでしょうごます。
そういえば俺、友人たちの誕生日をほとんど知らないな。付き合いのなかで話題にのぼったこともあったろうから「覚えてない」が正しいだろうか。むろん上山君だけは例外的に知っている。というのは私と同じ日だからだ。
「Only Love Can Break Your Heart」は、どこかで聴いたことがあるなあと思ったら高橋幸宏によるカバーだった(アルバム『A Day In The Next Life』[1991年] に所収)。そうですか、これがオリジナルですか。

(2007年10月10日 13:14)

8 Oct. 2007 (Mon.) 「浩と坂庭」

きのうの日記に対しては、宮沢(章夫)さんから直接コメントの書き込みがあった。「いちおうはっきりしておこうと思うのだ」ともあるのでここにも全文引用しておこう。

なにもいちいち書くことではないけれど、いちおうはっきりしておこうと思うのだ。小道具用に名刺を印刷した(っていうか、プリントアウトした)永井に聞いてもらえばわかるが、稽古の早い段階から、名刺には、「坂庭庭男」の名前が記されていたのだった。

 だそうです。考えてみればそうだよな。名刺が小道具として存在する時点でフルネームは必要になるのだから、「庭男」という名前が設定されたのはそれ以前ということになる。「それ、いま考えたでしょ」というのはツッコミとしてこそ成立するが、事実関係としてはありえないのだった。
あ、逆に(ってこれもむろんありえない話だけど)、小道具を用意した永井さんのアドリブだったら笑うなあ。なんて勝手なんだ。夜、部屋でひとりパソコンに向かい、Wordに「ダンス普及会事務局長 坂庭」まで打って少し考え、「庭男でいっか」とか言ってる永井さんを想像し出すとちょっと楽しくなるが、えー、くり返しますがこれはありえません。

さて、こうして図らずも、舞台上に見えないかたちで、しかしたしかに織り込まれていた坂庭のフルネームを宮沢さんから引き出せたことにより、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いは大きく前進したことになるが、けれど、これで問いがまるまる解決するわけではない。まずこまかいことを言えば、テクストが抱える事実としての「坂庭庭男」というフルネームとは関係なく、浩が坂庭を呼ぶ愛称の「ニワさん」が、はたして「庭男」という下の名前の頭をとった単純なものなのか、はたまた「庭庭(ニワニワ)」と連続する文字(音)を茶化したような響きをもつものなのか、あるいは——という「読み」については、依然読者の手にゆだねられているということがある。
そしてまた、『ニュータウン入口』全体を読む場合により問題となるのは、浩が「ニワさん」という愛称を用いることそれ自体の意味——そこから引き出せるかもしれない浩と坂庭の関係性である。なにしろ、少なくとも劇中では、坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけだということがある。ひとまず浩を〈こども〉だとしてみよう。その場合、もし、加奈子をはじめとする〈大人〉たちのあいだでもう少し「ニワさん(もしくはニワ君)」という愛称が流通していれば、大人たちのあいだで飛び交うその記号を浩もまた自然に自分のものとした、ということが考えられるだろう。それであれば、浩と坂庭とのあいだに直接的な交流がそれほどなくても「ニワさん」という呼びかけは成立する。けれど、くり返すように劇中で坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけである。であれば、「ニワさん」という浩の呼びかけが象徴するものは、浩と坂庭との(相互的なものか一方的なものかは別として)何らかの直接的な関係性だということになる。そしてこの関係性の中身について考えるとき、そこであらためて「ニワさん」という愛称の由来、そこに含まれる響きが問題となるだろうし、こうした細部の読みを詰めていくなかで、やがて、ところで浩は〈こども〉なのか?という大きな問いにぶつかることになるかもしれない——というざっとした見通しを、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いについては(かなり後付けで)想定することができるわけだが、でもなあ、「坂庭庭男」だからなあ、そんな名前のやつのことをまじめに考える気にならないじゃないか。
あ、あと、周辺的な問いとして、なぜ坂庭だけが名刺を配るのか、坂庭はなぜアタッシュケースか、といったことがこのことには関わるかもしれない。

話は変わるが、きのうだかおととい、笠木(泉)さんのブログに一度アップされ、その後なぜか削除されてしまった記事のなかに私に関する記述があり、(仮に削除理由があったとしてこれは関係ない部分だと思うので引用するが)笠木さんによれば、「相馬くんの文章は内容云々よりもリズムが落語に近いので面白い」のだそうだ。これはちょっと不意を突かれる思いがしてうれしかった。
というのは、たしかに自分の文章についてはかなりリズム重視で書いているのだけれど、「落語」を意識したことはなかったからで、もとよりそのときどきの読書に影響されやすいたちではあるのだが、ある一定のところを自己分析すれば、影響度として、自分のリズムの土台となっていると思っているのは宮沢章夫さんの文章とえのきどいちろうさんの文章であり、そこに(おもむろだが)古井由吉がまぶされているといった感じだと認識している。で、むろん落語は好きなのだが(こないだも結局、『落語研究会 柳家小三治全集』のDVDセット買っちゃったわけですが)、落語それ自体を意識して文章を書いたことはない。ないんだけど、でも、知らず知らずのうちに「落語的」ともとれるリズムが生まれているのだとすれば、それはなんというか、そうしたことをひとつの表れとして、だんだん私の文体もひとり歩きをはじめたのかなと、そのように感じてうれしいのだった。

(2007年10月 9日 14:26)

7 Oct. 2007 (Sun.) 「庭男かよ」

くっそー、くやしいなあ。もっていかれたよ。
あ、7日の朝に更新された「富士日記 2.1」の10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」をもしまだお読みでなければそちらを先にどうぞ。

坂庭庭男
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

やられたなあ。やられたよ。朝、声に出して笑った。パソコンを離れて、換気扇のところで煙草を喫いながらまた笑っていると妻が起きてきた。「どうしたの?」と言うので「富士日記 2.1」を見せると、読んで妻は言う。「よかったね」。
あるいはじっさい、稽古場においてはすでに、たとえば私もよく知る例の「笑えるダメ出し」の折りなどにこの「〈ニワさん〉の真実」についての言及があったのかもしれず、その可能性を補強する材料としてはこの「ニワさん」という浩の呼びかけが本公演用の台本で新たに付け加わったものだということがある。プレ公演まではこの呼びかけはなく、記憶がたしかなら、「のどが渇いた、ジュース、買って来ちゃだめ?」というここの浩のセリフは坂庭でなく、加奈子に対して直接発せられていたはずだ。(あ、だから「ニワさん」という浩の呼びかけに私がひっかかりをもったというのはほんとう。というか最初はあそこ、浩が何と言っているのかわからなかった。)
ではあるけれど、大笑いののち、私としてはひとまずこう言わねばならない。

 それ、いま考えたでしょ。ぜったい。

 ま、そう考えるとうれしいってことがあるわけですがね。と同時にこれ、くやしいのは、もし自分が「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」をほんとうに書いていたとして、俺、「坂庭庭男」といった方向に跳べたかなあということだ。なんてくだらないんだ、「坂庭庭男」。
ところで、「ポリュネイケス再考」[10月2日付]のようなものを書くときの私の基本的な態度はいわば「テクスト派」と呼ばれるものになるが、〈作者の死〉を宣告したロラン・バルトに源流を置くその態度からすれば、むろん、テクストをめぐって宮沢さんが言う、

作者もわからない。
「富士日記 2.1」(10月6日付「たとえば、『ニュータウン入口』ガイドブック構想」)

というその事態はしごく当然のことでもあると、まじめな方向からはそれを指摘しておきたい。まさしく「引用の織物」であるテクスト(あるいはインターテクスト)のなかでは、作者も読者も、等しくその結節点のひとつして存在するほかはない。
で、それはそれとして、しつこいけどいまは「坂庭庭男」だ。やられたよ。また新たなテクストが織られた。「ペリドットと行く、さっぽろラーメン食べ歩き四週間——ほかのものも食べました」はただもう宮沢さんを笑わすことだけ考えていたのだが、見事にひっくり返された。カド取られた。(ってなんの日記だこれは。)
さて、きのう(6日)は昭和女子大学人見記念講堂で行われた『サンディーズフラスタジオ ホイケ2007』へ。かつてのサンディー&ザ・サンセッツで知られるサンディーさんが開いているフラ教室(いわゆるフラダンスの「フラ」。本来はダンス、演奏、詠唱、歌唱のすべてを含んで「フラ」)の「ホイケ(お披露目)」で、義姉がその中級クラスに籍を置き、出演したのを妻と観に行った。サンディーさん、いいね。あと、やっぱりうまい人はうまい。大人のうまさがあるのと同時に、こども(いまどきでかなり背が高いのだが中学生とか、ひょっとすると小学校高学年ぐらい?)のうまさもあり、それ、やっぱり小さいころからやってるとすごいよといったような、いわば「スポーツ的」なうまさの魅力だ。
で、きょう(7日)は朝、回覧板で呼びかけられていた、町内会の廃品回収の手伝いへ。はじめて出た。わりと働いたよ。しかしまあ、異なる世代の会話というか、町内会のおやじたちがしゃべっているのを横で聞いているは楽しい。培われた個性の魅力もあるし、あと単純な話、生の会話のなかで「ずっこける」といった言葉(東京方言で、落語の「ずっこけ」にあるような本来の用法で使われたそれ)が出てくるのにもちょっとうれしくなる。

(2007年10月 8日 07:56)

4 Oct. 2007 (Thu.) 「いまさらのアイデア出しなど」

書いてから考えてみたら、これこそ直接的に〈ネタバレ〉じゃないかということで、NHKの放送を楽しみにしている人のためにまた非表示にしておきます。上村(聡)君へ宛てた、いまさらのアイデア出し(クリックで展開表示)。 ※携帯でご覧の場合にはあらかじめ以下に見えています。

(非表示に戻す)
黒澤明の『乱』ではそのオープニング、躍動的な猪狩りのカットにつづけて不意に、黒地に赤の「乱」のタイトルが出るわけだが、有名な話としてこれには結局採用されなかった音楽監督・武満徹のアイデアがあり、それはこの「乱」の文字に「ラン!」という掛け声をかぶせるというものだった。という話を思い出したのは、つまり『ニュータウン入口』のビデオショップのワンシーン、上村君演じるイスメネが、同時にしゃべって聞こえやしない複数の客たちのリクエストをとりまとめ、でたらめな映画の概要を話すところで出てくる例の〈黒澤メドレー〉だが、あそこの「乱」を、不意に立派な声で「ラン(!)」とやるのはどうかと思ったのだった。ってだめかこれは。やっていたやり方より、「笑い」になるかどうかが相当微妙だな。

ところできのう、「アンティゴネの二重性」についての文章を思いついたようなそぶりを見せて、結局「それはまた次の機会にゆずろう」と書いたことに対し、ふたたび友人の上山君からコメントをもらった(日ごろ月別のページをご覧になっているとわかりにくいかもしれませんが、この日記、日別のページもあって、ブログシステムを使っているのでコメントもトラックバックもあります、念のため)。上山君はそのなかで、

これ、絶対に結局書かないパターンなので、
うちのこと[引用者註:大阪在住の上山君は『ニュータウン入口』を観ておらず、NHKで放送されるのを楽しみに待っている]は気にしないで是非書いてください。

 と言い、私は対して、

「アンティゴネの二重性」は、何を書くつもりだったのかもう忘れちゃった。というのは嘘だけど、〈核となる発見〉がね、まだいまひとつだ。あと、いま思ったけど、このパターン(=結局書かない)を使って面白そうな批評のタイトルだけ次々予告するという手もあるな。「反転するイスメネ」とか。「はじまりの浩——浩とオイディプス」、「Fの系譜」、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」、「ペリドットと行く、さっぽろラーメン食べ歩き四週間——ほかのものも食べました」などはどうだろう。

 と返したのだが、ここにただ思いつきだけで書いた「はじまりの浩——浩とオイディプス」はしかしすごく面白そうだ。俺が読みたいよ、それ。誰か書かないかな。ていうか、なんだか書けそうな気さえしてきたのだった。
という話はじつは前置きで(そうなってないけど)、その「浩」を演じていた佐藤拓道さん(君なのかな、年齢がよくわからないのだ)が、今度の「句会」に、本人は来られず「句」だけなのだが、参加してくれるという。参加者のひとりである南波(典子)さんからメールで、「そういう参加のしかたもありですか?」と打診があり、むろんOKしたのだが、誰なのか訊いてみたら佐藤さんだった。どうやって知ったのかな。南波さんが話したのだろうか、それともここを読んだのかな。