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Oct.
2007
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/ 8 Oct. 2007 (Mon.) 「浩と坂庭」

きのうの日記に対しては、宮沢(章夫)さんから直接コメントの書き込みがあった。「いちおうはっきりしておこうと思うのだ」ともあるのでここにも全文引用しておこう。

なにもいちいち書くことではないけれど、いちおうはっきりしておこうと思うのだ。小道具用に名刺を印刷した(っていうか、プリントアウトした)永井に聞いてもらえばわかるが、稽古の早い段階から、名刺には、「坂庭庭男」の名前が記されていたのだった。

 だそうです。考えてみればそうだよな。名刺が小道具として存在する時点でフルネームは必要になるのだから、「庭男」という名前が設定されたのはそれ以前ということになる。「それ、いま考えたでしょ」というのはツッコミとしてこそ成立するが、事実関係としてはありえないのだった。
あ、逆に(ってこれもむろんありえない話だけど)、小道具を用意した永井さんのアドリブだったら笑うなあ。なんて勝手なんだ。夜、部屋でひとりパソコンに向かい、Wordに「ダンス普及会事務局長 坂庭」まで打って少し考え、「庭男でいっか」とか言ってる永井さんを想像し出すとちょっと楽しくなるが、えー、くり返しますがこれはありえません。

さて、こうして図らずも、舞台上に見えないかたちで、しかしたしかに織り込まれていた坂庭のフルネームを宮沢さんから引き出せたことにより、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いは大きく前進したことになるが、けれど、これで問いがまるまる解決するわけではない。まずこまかいことを言えば、テクストが抱える事実としての「坂庭庭男」というフルネームとは関係なく、浩が坂庭を呼ぶ愛称の「ニワさん」が、はたして「庭男」という下の名前の頭をとった単純なものなのか、はたまた「庭庭(ニワニワ)」と連続する文字(音)を茶化したような響きをもつものなのか、あるいは──という「読み」については、依然読者の手にゆだねられているということがある。
そしてまた、『ニュータウン入口』全体を読む場合により問題となるのは、浩が「ニワさん」という愛称を用いることそれ自体の意味──そこから引き出せるかもしれない浩と坂庭の関係性である。なにしろ、少なくとも劇中では、坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけだということがある。ひとまず浩を〈こども〉だとしてみよう。その場合、もし、加奈子をはじめとする〈大人〉たちのあいだでもう少し「ニワさん(もしくはニワ君)」という愛称が流通していれば、大人たちのあいだで飛び交うその記号を浩もまた自然に自分のものとした、ということが考えられるだろう。それであれば、浩と坂庭とのあいだに直接的な交流がそれほどなくても「ニワさん」という呼びかけは成立する。けれど、くり返すように劇中で坂庭を「ニワさん」と呼ぶのは浩だけである。であれば、「ニワさん」という浩の呼びかけが象徴するものは、浩と坂庭との(相互的なものか一方的なものかは別として)何らかの直接的な関係性だということになる。そしてこの関係性の中身について考えるとき、そこであらためて「ニワさん」という愛称の由来、そこに含まれる響きが問題となるだろうし、こうした細部の読みを詰めていくなかで、やがて、ところで浩は〈こども〉なのか?という大きな問いにぶつかることになるかもしれない──というざっとした見通しを、「坂庭はなぜ〈ニワさん〉か」という問いについては(かなり後付けで)想定することができるわけだが、でもなあ、「坂庭庭男」だからなあ、そんな名前のやつのことをまじめに考える気にならないじゃないか。
あ、あと、周辺的な問いとして、なぜ坂庭だけが名刺を配るのか、坂庭はなぜアタッシュケースか、といったことがこのことには関わるかもしれない。

話は変わるが、きのうだかおととい、笠木(泉)さんのブログに一度アップされ、その後なぜか削除されてしまった記事のなかに私に関する記述があり、(仮に削除理由があったとしてこれは関係ない部分だと思うので引用するが)笠木さんによれば、「相馬くんの文章は内容云々よりもリズムが落語に近いので面白い」のだそうだ。これはちょっと不意を突かれる思いがしてうれしかった。
というのは、たしかに自分の文章についてはかなりリズム重視で書いているのだけれど、「落語」を意識したことはなかったからで、もとよりそのときどきの読書に影響されやすいたちではあるのだが、ある一定のところを自己分析すれば、影響度として、自分のリズムの土台となっていると思っているのは宮沢章夫さんの文章とえのきどいちろうさんの文章であり、そこに(おもむろだが)古井由吉がまぶされているといった感じだと認識している。で、むろん落語は好きなのだが(こないだも結局、『落語研究会 柳家小三治全集』のDVDセット買っちゃったわけですが)、落語それ自体を意識して文章を書いたことはない。ないんだけど、でも、知らず知らずのうちに「落語的」ともとれるリズムが生まれているのだとすれば、それはなんというか、そうしたことをひとつの表れとして、だんだん私の文体もひとり歩きをはじめたのかなと、そのように感じてうれしいのだった。

(2007年10月 9日 14:26)

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