10
Oct.
2007
Yellow

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/ 17 Oct. 2007 (Wed.) 「あ、そうそう」

庭の花。名前は失念したと妻は言う(撮影も)。

これはセージだと妻の説明(撮影も)。

先日来、いまさらだが気づかされることがあり、それはこうした日記を書くにあたって、「あ、そうそう」はとても便利だということだ。「で」というのももちろん重宝するが、だからといってそう幾度も繰り返して使うわけにはいかない。段落がふたつぐらいつづけて「で、」ではじまるというのも、ときおり出会うぶんにはその「何も考えていない」感じが好ましいけれど、あまり目に付くのはどうかとも思われ、そこで、そこに変化を付けるという意味でも便利なのが「あ、そうそう」である。
「で」に関して言うと、言うまでもないけど同様の接続詞に「そして」があり、小学生の作文や読書感想文などでおちいりがちなのが、よく知られるように「『そして』が多い」という事態である。たとえば、行を改めるごとに「そして」と書いてしまう。自分のことを思い出してみても、やはりそれはあった。書いている途中でふと、あることに気がつく。ちょっと手をとめて原稿用紙の全体に目をやり、やっぱりそうだと知って愕然とする。なかにはつい口に出してしまう者もいて、ある者はこうつぶやく。
 「ぜんぶ『そして』だ」。
 全部はまずいだろう。ここを読んでいる小学生がいるとは思えないが、ひとつここでまともなアドバイスを書いておけば、「『そして』が多い」におちいった場合には単純な解決策がある。それらの「そして」はみな、どれもこれも「要らない」のである。「そして」を全部取っ払っても、たいていは文章がつながっていると思ってまちがいない。
って、なんてまともな、適用範囲のせまいアドバイスなんだ。つい、つるつると書いてしまったのがいけないといま反省している。
文章のアドバイスといえば、友人の永澤のブログはあれ以来ぱたりと更新がないな。忙しいのだろうし、これが毎度のペースといえばそうだけど、「文章がうまくなりたい」というのならもっとがんがん書けばいいと思うのだ。がんがん書いたところで文章がうまくなるなんてことはないのだから、安心してがんがん書けばいい。そうだよな、うまくなんかならないよな俺、と腹を決めて、その上でがんがん書こうじゃないか。
「Red」のわりと初期のころのコンテンツである、「スーパーマンレッセブン」を読み返していたりした。すげえな。時間あったんだな俺と思う。円谷プロの「ウルトラシリーズ」に材を借り、ウルトラ52番目の兄弟という設定(読み返して思い出した)で登場する巨大変身ヒーロー・スーパーマンレッセブンの活躍を描くこれは、つまり気分としてはオマージュに近いものである。1997年の末に一気に作り、長い中断を経て再開した2001年で更新が止まっている全11話のうち、「第1話」「第3話」「第9話」の3つがまともなシナリオ形式のもの、残りが「あらすじ」のみで構成されているのだが、そのシナリオのちゃんとしていることといったらない。たしか、その記法は、金城哲夫(「ウルトラマン」「ウルトラセブン」等、シリーズ初期の主要作家のひとり)のじっさいのシナリオから学び、真似したものだったはずで、しかしそれにしてもすごく丁寧に作っている。好きだったんだなあ、ウルトラシリーズがとしか言いようがない。
読み返すうち、またこれ、ちょっと新しいのを書いてみようかなと気まぐれに思ってみたりもする。まあ、「あらすじ」ならいくらでも作れるだろう。問題はシナリオ形式のほうだよ。かなりな情熱がいる作業だ。「シナリオへの情熱」ではなく、「ウルトラへの情熱」がいる。また「Q(=ウルトラQ)」から「レオ(=ウルトラマンレオ)」までビデオで見返すところからはじまるのか。いやだなあ。あいだをとって「A(=ウルトラマンA[エース])」だけ見るのではだめか。

本日の参照画像
(2007年10月19日 02:49)

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