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Oct.
2007
Yellow

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/ 23 Oct. 2007 (Tue.) 「狙われない街」

こちらは「狙われた街」のメトロン星人。

あー、やっと終わった。長い期間に亘ったことの大半は私の怠惰によるのだが、これでひと区切りだ。最後の修正原稿をメールで送る。かたちになるのはまだもう少し、来年のアタマぐらいの話だろう。そのときにまた。
きのう(22日)は、プリセタの次回公演『モナコ』(前売りチケット絶賛発売中)の顔合わせがあり、夜、顔合わせのあとの飲み会にだけ途中から参加した。浅野(晋康)君にも会えるかと思っていたが、いなかった。早くに帰ってしまったのかな。

前回書いたように、「ウルトラマンマックス」(2005〜2006年)の第24話「狙われない街」をレンタルして見たのだった。言わずと知れた「ウルトラセブン」(1967〜1968年)の傑作「狙われた街」の、実相寺昭雄監督自身によるセルフパロディであり、続編的設定の話。同じ街(「北川町」)を舞台とし、「狙われた街」の40年後を描く今作で、メトロン星人(「2代目」でも「Jr.」でもなく「本人」。セブンに倒されたに見えた彼がじつは一命をとりとめ、その後ずっと潜伏して街の移り変わりを見てきたという設定)はついに、人類を「侵略する価値のないもの」と見かぎって、ウルトラマンとのしばしの対話ののち、ただ巨大化のみをして地球を去っていく。「真珠貝防衛指令」(「ウルトラマン」第14話)以来、首尾一貫して「ウルトラマンらしくないウルトラマン」を描いてきた監督の最終作は、ついにほんとうに「戦わない」、一方的な別れの話となって、呆気にとられたふうのウルトラマンはつい、つられるようにして手で「バイバイ」の仕種さえするのだった。
監督がすでに故人となり、結果的にこれが監督にとっての最後のウルトラ作品となったことがことさら見る者に感慨を起こさせるのだし、そこでたとえば「実相寺の、ウルトラマンへの遺言」としてこの作品を見ることは可能だが、しかし一点間違えてはならないことがあって、監督の姿を重ねるべきは、去っていったメトロン星人のほうではおそらくない。そうではなく、監督が自身にだぶらせているのはきっと、〈怪獣〉に去られ、呆気にとられてバイバイするウルトラマンのほうであるように思われるのだし(それほどまでに、バイバイするウルトラマンは素晴らしく〈子ども〉だった)、そしてだからこそ、夕日をバックに対峙するメトロン星人とウルトラマンの象徴的なカットをはじめ、「狙われた街」のさまざまなシーンを執拗に〈再現〉してみせつつ、それらがことごとく「狙われた街」よりも劣って見えるというそのこと自体が成功なのであり、この作品を成立させる要素なのだという透徹したかなしみが、ここにはある。
「狙われない街」はかなしい。そして、だから、そうした作品をしれっとした顔で撮ってしまう監督によって撮られたこの作品が、かなしいわけがない。ラストシーンでぶつっと裁ち切られたセリフ、「でも…」につづく唯一の希望はつまり、そうした「作ること」の姿勢のなかにこそあるのである。

本日の参照画像
(2007年10月24日 00:11)

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