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May.
2008
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/ 1 May. 2008 (Thu.) 「コメディカルという思想」

『コメディカルのための薬理学』(2005年、朝倉書店)。

このサイト、キーワードによっては検索結果の上位にきたり、中堅どころに顔を見せたりして、どうもそれなりのロボット評価的なポテンシャルをもっているようでもあるから、しばらくのち、あるいは「コメディカル」で検索したときにこのページが上位に昇るようなことがあるかもしれず、そうして訪れた方にはいまのうちに謝っておこうと思うが、申し訳ない、あなたがここへ来たのは無駄足である。
いや、お詫びの意味を込めてまず先に「コメディカル」の正しい意味を書いておくが、この和製英語が指し示すのは「co-(共同の)medical」であり、「医師でない医療スタッフ」の総称として用いられる。そこにはたとえば看護師、ソーシャルワーカー、心理士、薬剤師、放射線技師、さらに新しい分野で遺伝カウンセラー、臨床試験コーディネーター、音楽療法士といったさまざまな職種が含まれ、医療の専門細分化と、そして「患者中心の医療」を実現するために導入されるチーム医療制とによってその存在が注目/重視されるようになったものである。同様の意味を指す言葉に「パラメディカル」があるが、「para-」という接頭辞が「補助的な」というニュアンスを含んでしまうことから、(日本においては)「コメディカル」のほうが好んで使われる傾向にあるという。
って、そこまで書けばこれ、わりと有用なページじゃないか。

さて、いま私がもっとも注目する概念こそが「コメディカル」だ。「コメディ」と「メディカル」から成るこの造語の意味するところは、滑稽な医療である。
コメディカルの魅力へと踏み入っていく前に、まず私の友人にひさびさの登場を願おうと思ったのだったが──というのも彼に登場してもらわないことにはなぜ唐突にコメディカルなのか、そのことを説明できないからだが──、最近ネットへの露出についてやけに慎重になっている彼はその近況についてここに具体名を書かれるのを嫌がっていて、だから、ほとんど無意味ではあるものの彼の名前だけ今回はY君としておこう。Y君はこの春から職場を変えたのである。職場が変わるという話は二月ぐらいに聞いていたのだったが、そのころはまだ一部関係者に対して内密に事を運んでいたりもして、で、くれぐれもネットには書いてくれるなと釘を刺されていた。で、きょう、ふとY君を思い出し、そういえばもう新しい職場に移って一ヶ月が経たんとしているわけで、もうその方面の話も解禁だろうかと思って念のためY君にメールで確認したのがいけなかった。具体名は出すなと言われてしまい、まったく書きにくいったらありゃしない。勝手にがんがん書いてしまえばよかったと悔やむ。で、ある種の具体名を出さないのは無理なので──というか、以下で触れるようなことはみなすでにネット上に情報が公開されているものばかりで、Y君の名前で検索すれば簡単にそれらのページが引っかかってもくることだから──、それで逆にY君の名前のほうを(このドキュメント上では)ぼやかすことにする。
というわけで、Y君のその新しい職場の公式サイトへ行き、探すとY君のプロフィールの載ったページもあるので読んだのだけど、そこにあった過去の業績のうち、目にとまったのが(というか日本語のものがそれだけだったわけだけど)『コメディカルのための薬理学』という本(分担執筆)で、そのうち、Y君は「循環器系疾患に対する薬物」という項を共同で担当しているのだった。
いや、Y君、どうもありがとう。君の出番はここまで。あとはY君とまったく関係のない、私の文章である。

いやあ、でね、じつに気に入ってしまったわけですよ、この「コメディカル」という言葉が。思わずにんまりとするような、じつに軽妙な響きをもっています。「滑稽な医療」と日本語にすることで失われるのは、その軽妙さに他なりません。
これ、想像ですけどね、相撲でいう「しょっきり」のようなものじゃないかと思うわけです。医者がふたりいて、おそらく場所は手術室なのだけれど、もうそれぞれが間違ったことしかしない。相手のじゃまをしたりとかね。で、「しょっきり」が観客に対して相撲の反則(やってはいけないこと)を解説するためのものであるように、「コメディカル」もまた、その軽妙な笑いにくるむかたちで、医療におけるやってはいけないことを伝えるという、そうした面があるのじゃないかと思います。知りませんけど。
コメディカルがむずかしいのは、その軽妙さを保つためになるべく動作のみで進行していかなくてはいけないところです。そこで設定としてたとえば、マスクをしているためにしゃべりにくいといった状況が逆手にとられ、うまく取り入れられているのではないかとも想像します。そしてなにより、「しょっきり」に影響を受けて出発したコメディカルにとっての最初の難関は、「医者はべつに対戦しない」ということにあります。この点は厄介です。何とかふたりの医者をいがみ合わせたいけれど、そこへいかにスムーズに、短時間でもっていくかがコメディカル作家にとっては問題となるでしょう。
そう考えるとやはり、最初からふたりの医者が揃っているのではなく、そこにはまず医者Aがいて、もう手術開始の時間だというのに医者Bが来ない、といったところからはじめるべきかもしれません。手術室には医者Aと、麻酔を受けて眠っている患者、何人かの看護師、それと行司がいます。手術の身支度をととのえて待っている医者Aはすでにイライラしていて、腕時計の文字盤を指で叩くような大げさなジェスチャーをし、「高田先生は?」とそばの看護師に訊くでしょう。で、そこへ医者Bがやってくるというふうにして、たいがいのコメディカルは幕を開けるのだと思います。知りませんけど。
ま、ここまで来るとですね、『コメディカルのための薬理学』のその中身があらためて気になってくるところでして、おそらく、そこにはコメディカル作家や、あるいはコメディカル俳優にとっての実践的ヒントとなるようなさまざまな知見が収められているのではないかと、ほんと知りませんけど、そう思います。

本日の参照画像
(2008年5月 2日 22:52)

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