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Jun.
2008
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/ 15 Jun. 2008 (Sun.) 「そして、いろいろ」

小林信彦『定本 日本の喜劇人』(新潮社)。ちなみにこの画像は輸送用のダンボール箱である。

アデュー第二回公演『125日間彷徨』の感想(「感想」か?という内容だけど)を書いた前回分の日記(12日付)を、13日の夜から14日の朝にかけてうんうん唸りながらひねり出し、ノートに下書きする。ああした内容になったのにはそれなりに訳があり、ひとつには「とにかく長い」ということそれ自体がコンセプトに含まれるから、すると(きちんとした長いものを書くには)私の場合どうしたって、テクストの細部にこだわってそれを全体の〈読み〉に還元するというような「テクスト論」的な方法というか、そうしたある種の芸当に頼らざるを得ない(もしくはそれに頼るのがラク)ということがあるわけだけれど、さらに言えば今回の『125日間彷徨』が、そうした読解の愉しみに堪えるだけの(あるいはそうした読解を試みたくなるだけの)「テクスト的な強度」をもっていたということがあって、それを私なりに示したかったということがある(正しく示し得ていたかはべつとして)。ここで「テクスト的な強度」と言う場合、その「テクスト」を織りなしているテクスチャーには戯曲の言葉だけでなく、むろん役者の身体が含まれるわけで、つまりそれは宮沢(章夫)さんの言葉でいえば、

(引用者註:成功した要因の)ひとつとして考えられるのは、俳優への演出がこれまでとは格段に丁寧になされていたことだ。ディテールの積み重ねがドラマに書かれた世界に深みを与えたと想像する。
「富士日記 2.1」2008年6月15日付

ということになるのだと思うのだけど、それを私が言ったところで説得力がないというか、「何言ってやがんでい」って話だから、まあ、あくまで言葉の細部からのアプローチを試みさせてもらった。
しかしわれながらいいかげんなことをしているなあというのは(資料としての)戯曲ナシであれを書いているからで、(圧倒的に「観ていない」人のほうが多い/そして「もう観られない」という状況のなか)あの文章がある固定化されたイメージのなかにあの舞台を定位させてしまうようなことがもしあるとすれば、それは非常に申し訳ない次第だ。ま、繰り返して念を押すまでもないけれど、あれはあくまで私の〈読み〉であって、『125日間彷徨』そのものとは異なる、それに連なろうとするまたべつのテクストであるし、あるいはまた、『125日間彷徨』がことのほかよかったことへの私なりの嫉妬の発露でもあるだろう。そのように読んでいただければと思う。ちなみに一点、登場人物の早川が「125日間」を言い換え、「四ヶ月と日間」と言うところのセリフは、それが「何日間」だったかを出演者の田中夢に電話して確認した。というのは、その「四ヶ月と三日間」という言い方(が「125日」に相当するということ)から具体的な期間をカレンダーの上に復元できるかと思ったからだが、完全には復元できない(し、さらには私が記憶していないだけで具体的な日付に言及したセリフがあった可能性も捨てきれず、また戯曲を読めばト書きに書かれているかもしれない)上に、復元したところでそれ以上の〈読み〉につながりそうもなかったので扱うのをやめにしたのだった。(一応書いておくと、登場人物の多くが半袖であり、コンニャクがすぐ腐ることから舞台上の現在が夏らしいこととも併せて考えると、それは三月から七月にかけて、もしくは四月から八月にかけての「四ヶ月と三日間」だったと思われるが。)
あ、いや、この件こんなに長くなるつもりじゃなかったのだけど、じゃあまあ、ついでに前回の文章の補足を。物語の〈枠〉として「松井」が機能し、かつそれは排除されることによって物語を成立させている、というところだけれど、これは当日パンフにあった笠木(泉)さんの次の言葉を補強する方向での〈読み〉となる。

悲観的な意見かもしれませんが「愛がすべてを救う」と断言できないところが私の中にはありますし、でも何らかの可能性がないわけではないと思いたい(中略)まあ、もちろん断言できる人もいるわけで、じゃあ断言できない人の物語を書こうと思ったのがきっかけです。

 ここで笠木さんが「断言できない人の物語」という言い方をしているところを、前回の私の〈読み〉に沿って言い換えれば「すごくない人の物語」ということになるだろう。当日パンフにあるのはひどく抽象的な物言いだけれど、しかしそのことは、(テクスト論は「作者の意図」をカッコに括るから、むろんそれを笠木さんが意識していたかどうかは別問題として)きちんと戯曲の構造のなかに刻印されているということだ。

さて、その前回の日記を14日の昼頃アップし、そのあと出掛けて、吉祥寺で田中夢と会う。「伊万里」という喫茶店で打ち合わせ。というのは、『不思議の国とアリス』の字幕版に関する相談だ。このアニメ作品、東京国際アニメフェアに出展したさいの感触や、YouTubeでのアクセス状況をみるにどうも海外の反応のほうがいいということがあって、で、監督(そうまあきら)は真剣に「海外版」を作りたがっているのだった。「海外版」といっても声を収録するのは現実的でないので、字幕を付けるというかたちになり、おおむねは比較的楽な作業だったりもするのだが(原作『不思議の国のアリス』に即した部分については、日本語化に苦労したダジャレの部分など、逆に「元に戻せばいい」だけだったりするからだが)、一点、オリジナルで脚本を書き、付け足している会話シーンがあり、そこはあらためて翻訳を用意しなければならないが、それが言葉遊びというか、ダジャレから成り立っている会話なために厄介なのだった。ちなみに説明すると、「サクランボ」という単語がどうしても思い出せない二人組(カエルとサカナ)による会話で、それで、「サクランボに似た言葉(「昨年度」)」から「さほど似ていない言葉(「星セント」)」、そして「もはやちっとも似ていない言葉(「エド・サリバン・ショー」)」までがさまざま飛び交うというものである。その脚本を書いたのが私で、「どうしたものか」という相談を監督から受けていたが、「響きが似ている/似ていない」の判断にさいしてできればネイティブ感覚のある人の意見がほしいといったことがあって、(あと、彼女がいま時間があるらしいということもあって、)まず手近に浮かぶところの田中夢に相談したのだった。
彼女には作品のDVDを前々日(つまり『125日間彷徨』の楽日打ち上げのとき)に渡して、急遽一度見てもらっただけなので、あらためて上に書いたような経緯を説明したり、あとまあ、まったく関係ないような雑談で大半は終始したけれど、小一時間ほど打ち合わせる(これほどまとまった時間、田中夢と話したのははじめてじゃないか?)。「こういう調子でお願いしたい」ということを説明し、一応期限を切ったうえで下訳のようなものをあげてもらうことになる。
あと、そう、そうまあきらといえば、ラストソングスに白羽の矢を立てておいてちっとも企画の進んでいない「西遊記」もあるのだった。あれもなあ、なんとか実現させたいところだけれど。

吉祥寺の本屋で、つい買ってしまったのは小林信彦『定本 日本の喜劇人』(新潮社)だ。「日本の喜劇人」「喜劇人に花束を」「おかしな男 渥美清」を収録した「喜劇人篇」と、「笑学百科」「天才伝説 横山やすし」「これがタレントだ1963・1964」(未刊行のインタビュー評論、2段組で130ページ強の分量)を収めた「エンタテイナー篇」の全二冊で、函入り。うーん、まあその、「平野甲賀(装幀)買い」という要素もかなりあるね、これは。
土曜の深夜は「原田知世ライブ music & me」をNHK BS2で。これ生で観てるんだけど、スタンディングの群衆に埋もれて遠くからの状態だったからこちらの日記を参照)、ステージ上がどうなっていたかははじめて見るようなものだ。
小林信彦つながりというわけでもないが、日曜は『長靴をはいた猫』(1969年、東映動画。「ギャグ監修:中原弓彦」とクレジットにある。「中原弓彦」は小林信彦の筆名のひとつ)をひさびさに見る。

本日の参照画像
(2008年6月17日 11:03)

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