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Jul.
2008
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/ 10 Jul. 2008 (Thu.) 「『バカバカンス』を観る」

宮田宗吉第一回監督作品『バカバカンス』は吉祥寺バウスシアターにて7月18日までレイトショー。
ところで、「バカ」という言葉で私がまず思い浮かべるところはこれだが、むろん、『バカバカンス』が扱うのはこういった「バカ」ではない。

「夏休みウルトラ計画」のサイトがまだできていないことの後ろめたさを抱えつつ、昼間、浅野(晋康)君のブログを覗くと、目に飛び込んできたのは次のような記述だ。

もうひとつ、とてもよかったのは、いま吉祥寺バウスシアターでレイトショー公開中の映画、宮田宗吉監督作品「バカバカンス」です!

春にメイキングとして関わった現場で助監督だった宮田さんの第一回監督作品、なんと主演は、須田邦裕くん!
すっかり俳優道一直線の須田くんももちろんいいが、なんといってもグッときちゃったのは、奥田恵梨華さんだよ! いい! すごくいいぞ!
NOTE | 夏休みまであと何日?

 ほぼ、〈固有名と「いい」とビックリマーク〉だけで構成されたこの感動的な文章が示すのは、げんに、まさにここに〈バカになってしまった人〉が出現しているという事態であり、〈バカになってしまった人〉の、その声量に私はつい「まあ、まあ」と取りなすような恰好になって、おそらく振り上げられているにちがいない拳をどう降ろさせたものかと思案しなければならないが、とはいえ、浅野君に「すごくいいぞ!」と言われれば、私だって「どの道で待っていればその()の下校するところを見られるのか」と訊きたくもなるのであって、だからまあ、これはもう今日観に行くしかないと決めた。言っておくが、そうした急な目標ができたときの私の仕事の速さといったらない。てきぱきと、うなるような勢いで二、三の仕事を片付け、夜の吉祥寺へ。
この日は上映前に、主演のふたりと宮田監督による舞台挨拶があって、聞いていたら思いがけず宮沢(章夫)さんの名前が出てくるのだった。パンフレットに載っている座談会での発言とも総合すると、はじめに監督の自宅で本読みをおこなったさい、奥田さんはずっと探していた『彼岸からの言葉』を本棚に見つけて興奮し、それを借りて帰るのと同時に、台本を忘れて帰ったという。まったく、「あの娘」のお気に入りもまた宮沢さんかよと、映画を観る前にすでに〈バカ〉になっている者がひとりいたと思っていただきたい。
といったような話はともかく、バカがバカを呼んでいる映画『バカバカンス』は、吉祥寺バウスシアターにて18日(金)までレイトショー上映中である。われこそはというバカのみなさんにはぜひ、(吉祥寺に行くには切符を買って電車に乗らねばならないが、そこだけはなんとかクリアしてもらって)観に行っていただきたいところだ。

そうそう、こないだから漫画の『セクシーボイスアンドロボ』を探しているのだが、家のなかに見当たらないのだった。誰かに貸したっけかなあと考えるが、思い出せない。
きのうの日記(日記じゃないけどね、もうぜんぜん)に書いた、チェリーブロッサムハイスクールの舞台に寄せた文章について、柴田(雄平)君がブログで触れ、丁寧なリアクションをくれた。いやいや、どうも。たいていいつもそうだけど、「感想」とは名ばかり[※1]、自らの抱える表現欲にだけ根差したような文章だから、まずもって読んでもらえたというそのことがありがたい。で、「相馬さんも文中で述べている通り、この『アキストゼネコ』というタイトルがじっさいのところ作品内容とどのように切り結ぶことになるのか全くもってわからない。こんなに調べてくれた相馬さんのためにもうまく繋がることを願います」と柴田君は書くのだったが、いや、私のことだったらそんなに気にかけることなくやってもらいたい。なんだったら、秋も深まったころに、「『アリストテレス』のまちがいだった」と言ってくれても私はいっこうにかまわないのであり、私はともかくとして、他の関係者やお客さんにいきなりそう告げるのはアレだという場合、たとえば九月ごろから徐々に、「アキストゼネコって、ギリシアだよね? ローマだっけ」とか、「ソクラテスって、アキストゼネコと同時代?」とか発言をくり返して、「柴田さん、それ、アリストテレスじゃないすか?」と周りから言ってもらう作戦をおすすめする。そう言われたさいの、「あ。」という顔を、柴田君にはぜひ念入りに練習しておいてもらいたいところだ。柴田君ならとてもいい「あ。」をやってくれるだろう。
くだらないことを書いたと、私はいま充分に反省する者だが、こうして浮かれているのにはわけがあって、その前回の文章に、さらにうれしいリアクションをもらったというのは小田亮先生[※2]からである。これもこちらから小田先生のブログにコメントを書き込み、「こうした文章を書いたんですが」と知らせたわけだが、それに対し、ちょっと思いがけぬほどのレスポンスをもらったのだった。

相場さん、コメントをありがとう。ブログ記事読ませてもらいました。
「あきすとぜねこ」という子どもの遊びに「ブリコラージュ」が見出せるというのはその通りだと思います。「愛している」と「好き」と「熱中」と「恋人」という重なるカテゴリーが入っているところ(これは結果の良いものを半分以上にしたいということかも知れませんが)や、「絶交」という水準の異なるものが入っていたりするところも面白いところです。この無理やり感は、もともと「あきすとぜねこ」という言葉が先ににあったのでしょうかね。また、偶然的に使われる「断片」のブリコラージュと代替不可能性が結びつくということを、私もなんとか説明したいと思っていることなのですが、相場さんの例はちょっと参考になりました。ありがとう。

 もうね、名前を間違えられていることなどこのさいどうでもいいのである。うれしいなあ。誰だよ、相場って。

※1:「『感想』とは名ばかり」

すぐれた「感想」というのは、たとえば『五人姉妹』を観たことの興奮を伝える、田中夢のこの文章などをいうのだろう。これぞ感想だ。なにより『五人姉妹』を観たくなるじゃないか。折も折、笠木(泉)さんのブログよれば13日(日)の追加公演が決定したといい、こりゃ、観に行かない手はないことになっている。私は12日(土)に観に行くのだが、すると感想を書いたとしても13日になり、またもや何の宣伝効果も生まないのだったが、じゃあもう、まだ観てないけどいま褒めようじゃないか。世の中には、観ずとも褒めることのできるものがあるということである。これを観ずして何のための2008年かと言いたい。「準備公演」が「本公演」を凌駕することは往々にしてあり得るのだ。そして、世の中には同時に、観ないと褒められないものが厳然とある。だから観よう。

※2:「小田亮先生」

説明しておくと、敬称が「先生」であるのはかつて成城大学で教わったことがあるからである。

本日の参照画像
(2008年7月12日 02:55)

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