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Jul.
2008
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/ 24 Jul. 2008 (Thu.) 「カルテルテ」

20日は、田中夢の家へ。私のMacBookを持っていき、USBモデムでネットにつないだそれから、Yahoo! BB(ADSL 8Mと電話加入権のセット)を申し込んだ。開通するのは八月下旬の見込み。マシンは当分、私のPowerBook G4を貸すのだが、それもこの日持っていって渡し、ざっとした使い方の説明をする。八月中は実家に帰っているという田中夢だが、実家は実家でネット環境も整っているだろうから、持っていって一ヶ月もいじっていれば、おおまかなところは慣れもするだろう。
入院中の宮沢(章夫)さんを二度目に見舞ったのはその翌日のことだ。田中夢や、『ニュータウン入口』に出ていた時田(光洋)さん、鎮西(猛)さんなど大勢で見舞う。きのう今日、その宮沢さんがたてつづけに「富士日記 2.1」を更新し、それは待ちこがれていた事態ではあるものの、いざ更新されたらされたで、「安静にしていたらどうなんだ」とこちらは勝手なことを思う。

カーテーテルの検査次第だな。深刻な病気でないことを祈る。とにかく退院したい。カーテテルの検査が怖い。なにしろ心臓までカテーテルが来るって、それ考ええられないような状況だ。いやだいやだ。
「富士日記 2.1」 2008年6月24日付

 ところで、この短いブロックのなかで三度も登場する「カテーテル」という言葉が、三度とも異なって書かれていることは非常に興味深い(カーテーテル、カーテテル、カテーテル)。ひょっとしたらたんなる打ち間違いかもしれず、こんなところに書いてないでメールで指摘すべきだろうかとも思うものの、その一方で、「わざと」なのではないかという強い疑いを消すことができないのは、これが宮沢さんによるカテテールへの抵抗/対抗であるようにも読めるからだ。
いずれカルーテルは「心臓まで来る」のだから詮ない抵抗ではあるものの、それがモノとしてのはっきりした像を結ぶ手前で、そのつどカテッテルは巧妙に名前をずらされ、その言葉の振幅のなかで次第に輪郭がうすれて、やがてなんだかわからないものになる。まじめにカテルテルのことを考えるのがばかばかしくなるほどに、カルテルテはことごとく名前を誤記されるのであり、そこにこそ、おそらく宮沢さんの「戦略」はあるにちがいないが、とはいえ、この言葉による日々の抵抗がいつしか現実の側をまきこみはじめたときのことを夢想すれば、それはちょっとした悪夢であるかもしれない。やがて訪れた検査の日、気づけば担当医が手にしているのは思い描いていたのとまったく異なる何かであり、そして、担当医は少し思い出すような仕種をしてから言うのだった。「では、いまからこのカテルエールを」。

(2008年7月24日 23:05)

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