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Oct.
2008
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/ 2 Oct. 2008 (Thu.) 「次兄がもっていた」

また会社に泊まる。ブログに精を出している場合ではないのだ。更新を再開して自ら欺かれている感があるが、ほかにやらなきゃならないこと(つまり仕事だが)はわりとあるのだった。
先日来「レッツラゴン」の単行本を探していたことをきのう書いた。守備範囲からいって実家の長兄がもっているかと思いメールして、結果なかったという話で、じっさいそれ以上探さなかったのだが、きのうの日記にコメントが付き、「うちにあるよ」と言うのは次兄だ。なんだよ。けっきょく兄弟間で解決かよ。
たとえば実家には(亡き父の趣味で/寺仕事に不可欠かといえばそんなこともないと思う)諸橋轍次編の『大漢和辞典』や、『ブリタニカ国際大百科事典』が揃っていて、われわれ兄弟はその状況を「インターネット要らず」などと呼んだことがあったけれど、こうしてまた、この件も親族間で事が足りてしまった。ふと、毛利元就の三本の矢の教え(われわれ兄弟もその場にいた)を思い出し、ことによると「なんでもあるんじゃないか」と早合点のひとつもしたくなるところだけれど、むろんそんなことはなく、その例証が、これまた先日書いた、「欲しい本があればあげます」という例の見知らぬ人蔵書リストだ。あそこに挙げられた本の大半を、私だけでなく兄たちもまたもっていないはずだ。大層なことを言えば、〈相馬の死角〉があそこにはあるだろう。だって興味がないのだからしょうがないのだけれども[※1]
また逆に、兄弟三人の蔵書をひとつに合わせた場合、たとえば『三四郎』など、おそらくだが、8冊はあるんじゃないか。なぜなら私がすでに4冊もっているからだ。ばかではないのか。なぜそんなにあるのかと妻はおかんむりである。

※1:「興味がない」

むろんリストには、興味がないとは言い切れないものも含まれている。たとえば手塚治虫『マンガの描き方似顔絵から長編まで』にはやはり興味を引かれるところがあるし、奥田英二『スキー上達の科学 なぜまわり、どう曲がるか』は、興味ないながらに「おっ」と思わせられるタイトルである。また、ゴマブックスの本が多く含まれるのが気になるが、そのなかのひとつ、斎藤広達『失敗はなかったことにできる』は、単純に「そうなのか」と思うところだ。読まないけど。

(2008年10月 3日 17:39)

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