1
Jan.
2009
Yellow

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/ 1 Jan. 2009 (Thu.) 「何とはなくて来て見れば」

ポシュテの兄弟および乳兄弟たちはそのまま実家に居着いたかたちだ。玄関前でひなたぼっこ中。

姪の豆乃(とうの)さん、お絵かき中。成長かまぐれか、今回はわたしをまったく怖がらなかった豆乃さんである。

iSightの画像(本文参照)。

あけましておめでとうございます。どちら様も旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
左が今年の年賀状。白地の部分に手書きでメッセージを書くのだが、毎年、何を書いたものかとボールペンを手にしばし途方に暮れては、気づくとわけのわからないことを書いている。今年は、とりわけ吉沼に宛てたそれがまったく意味不明なものになった。申し訳ないとここで謝っておきたいが、ほんとうはそれ、「羽田のことはまかせた」と書いたつもりだったのだ(吉沼は羽田に住んでいる)。しかし気づけば「成田のことはまかせた」と書いていて、それをそのまま投函してしまった。意図の汲みようもなくただ眺められたか、羽田の書きまちがいとあっさり気づかれたかは知らず、いずれにしても新年早々半端な気持ちにさせてしまったのではないだろうか。
実家で正月を迎える。窓ガラスを締め、日差しを受けていればあたたかいほどの冬晴れで空は青い。昨年11月にここで捕獲され、わが家へ連れてこられたポシュテの、兄弟と乳兄弟たち、およびその父母は依然野良として実家の寺に居着いているかたちだが、日差しにつられ、彼らも幾度となく庭に顔をみせる。それにしてもいまやすっかり家猫生活を謳歌するポシュテの、なんとしあわせなことか。
そのポシュテら年賀状の三匹はわが家で留守番中である。31日に山盛りのカリカリを与えて家を出たが、ペース配分を考えて食べるような者らではない。MobileMe(旧 .Mac)を介した「どこでも My Mac」で家の Mac Pro を画面共有すると、取り付けてある iSight からの映像をチェックすることができる。iSight のカメラは廊下の皿のひとつを捉えるように設置したが、朝の光を受けて浮かびあがったそれは、遠目にもあきらかに空になっている。まったくがっかりなやつらである。
姪っ子らとともに近所の神社まで散歩。おみくじを引くと大吉だったが、大吉はともかく、添えられた歌をよむにどうにもバカが歌われているとしか思えない。

さびしさに
何とはなくて
来て見れば
うれし桜の
花ざかりかな

 それで大吉かよ。いいのかお前(俺)はそれで。「さびし」かったのではなかったのか。問題はなんら解決していないように見えるが、俺、さびしさの根をもっと見据える必要はなかったろうか。というわけで、今年のわたしはよっぽどである。
夕方、帰京。

本日の参照画像
(2009年1月 5日 19:57)

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