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Apr.
2009
Yellow

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/ 22 Apr. 2009 (Wed.) 「われわれもまた全知ではないのだし」

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本文中でガサツに用いている〈境界侵犯〉とはほとんど関係ないものの、こちら『境界侵犯その詩学と政治学』。卒論を書くときに買ったのだったな。アマゾンでは中古商品しかないようなので、上はセブンアンドワイへのリンク。セブンアンドワイでは「カートに入れる」ボタンが押せるけど、でもけっきょく在庫切れなのかも。

『シャーリーの転落人生』におけるもっとも重要なシーンをひとつ挙げろと言われれば──まあまず言われないとは思うものの、もし言われたとすればですね──、わたしは迷わず、あのシーンを挙げるだろう。台本(ミニコミ誌『spotted701』と限定セット販売されていたもの)で言うところのシーン「33」、喫茶店の外で小下田守が高見と携帯電話でしゃべり、そののちまた波子のいる店内に戻るシーンである。このシーンがすぐれて重要であり、かつまた、そこから一気に物語が加速していくような印象を与えるのは、そこにスリリングな〈境界侵犯〉が仕掛けられているからにほかならない。
少なくとも事後的に判断してもらえばあきらかなとおり、そのシーンにははっきりとした時制の混同が見られる。つまり、そのシーンにおける〈喫茶店の外〉はシャーリー失踪以前である過去に属していなければならず、一方、〈喫茶店の内〉はシャーリーを探す波子の現在でなければならないものであるわけだ。その両者をかろうじて隔てていた喫茶店のドアが小下田守によって造作もなく開けられた瞬間、時制は溶け合い、観客はおやと思うまもなくメタレベルに立たされて、前後の(たとえ初見であっても)すべてのシーンがそのとき映画のなかに解き放たれて輝くのを観る。ウミネコの飛ぶ冒頭のシーン、はたしてあれはほんとうに「やってくるリエ」だったのか、「去っていくリエ」ではなかったろうかと、そうした他愛もない妄想が解き放たれた時制のなかで可能になりもする。ここに至るまでにすでに全知のナレーターでないことは充分に了解されている波子の、その小さな背中がそこに映り、もう、すでにわれわれが波子を愛していることに気づかされる。もう(この映画は)だいじょうぶだという安堵とワクワクが、そのシーンにはある。

波子
退屈け?
退屈だよ。
波子
退屈でも聞いてくれっけ?

『シャーリーの転落人生』/シーン33

だから、その転回点とともに登場する高見栄一が〈裏シャーリー〉とも言うべきもうひとつの空虚な中心として機能していることは注目に値するし、高見を中心に据えた『シャーリー』読解もまたおそらく可能であるにちがいないが、それはまたべつの話として今度。
『シャーリーの好色人生と転落人生』は24日、金曜まで。池袋シネマ・ロサにてレイトショー (20:30〜) 上映中。

本日の参照画像
(2009年4月23日 14:49)

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