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Jun.
2009
Yellow

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/ 12 Jun. 2009 (Fri.) 「高橋明大監督の『ある光』を観る」

では、本文で触れていないキャストから何人か、予告編のキャプチャーで。稲毛礼子さん。もうヒトサマのものになったわけですが、かわいいですな、やっぱり。

こちらもヒトサマのものです、南波典子さん。かわいいですな。

「アフレコがへた」だともっぱらのうわさの鈴木将一朗。りりしいですね。

観ました、『ある光』。いや、それ──〈或る/在る光〉を観た──って、つまり〈映画〉を観たってことと同義だなあというふうにあらためて思うわけですが。

タイトルの『ある光』について高橋監督は、アフタートーク×冨永昌敬)で、それが劇中で使われる「任意の希望」というセリフ(いったい上村聡以外のだれがこんなセリフを口にできるだろうか)をやわらかく言い換えたものであると説明するのだけれども、もちろん、「任意の希望」をテーマとするような映画が、たとえばラストシーンにおいて何か「これという答え」に辿り着くような、そうした構成をとらない(そうした物語にならない)だろうことはあきらかで、そのことはすでに一度目の公園のシーンなどではっきりと予感することができるわけだが、強制的に提示される──つまりはたったひとつの、大きな──希望を放棄したこの映画が、しかしたえず画面に小さな希望を振動させ、しばしばまったくなにも起こらないそのカット群につよく人を惹きつけるのは、けっしてその先に用意される物語上の「答え」によるのではなくて(観ればわかるようにそうしたものは「ない」)、そうした答えの有無とはまったく無縁に、この映画自体がまず「希望をもって撮られている」という事実(これはもう、事実と呼ぶほかないだろう)によってである。スタッフもキャストもなく、それはもう、全員が渾然一体となったうえでの成果だと言い表すよりないものだ。
とはいっても、この映画が、映画としてのある種の〈興奮〉から無縁であるというわけではない。終盤、クライマックスへむけて映画がゆるやかに走り出すその手前、だれもいない公園が2カット連続で挿入されるところでは、ああ、これは何か起きるぞとひどくぞくぞくさせられるのであり、案の定、つぎのカットでは子どもたちが工事現場で「宇宙人のヘルメット」用の材料を見つける。ここからのたたみかけるような〈盛り上がり〉はほんとうにすばらしかった(これを盛り上がってないとは言わせないぞこのやろう)
ラスト間際になり、スクリーンには、そこではじめて(映画祭の主催者側が入れたと思われる冒頭のテロップを除けば、はじめて)『ある光』という題字が大きく出るわけだが、それを目にしてああなるほどと思ったのは、つまり単純な話、この映画全体が、きっと長い長い〈オープニングシーン〉のようなものとして存在するのだろうということである。カーテンを開けた窓のむこうから、スクリーンを真っ白にするほどの強烈な光があふれ、そうして〈光そのもの〉であるところの〈映画〉がそこで、いよいよはじまるのだけれど、まさにその瞬間、ふいに劇場は明るくなって、はじまるのはつまり、任意の希望を宿された〈われわれの日常〉なのである。
その多くが今夜劇場にも駆けつけていたけれど、スクリーン上はほぼ「知人しか出てこない」といった案配で、観る前には「あたかも知らない人を見るかのように」観ようかと(できっこないことを)考えたりしたものの、はじまってみれば、そうした思いから遠く離れたところへ連れて行かれて、ただただ、「いい役者ばかり出てくるなあ」といったふうに観ていた。
特筆すべきは、足立(智充)君と柳沢(茂樹)君とが仮面をかぶり、雑木林のようなところで撃ち合いをする幻想シーンの、そのはじめ、柳沢君が画面を右から左へ横切って消えていく、その横切りざまの「足つき」である。あれは、あの足つきだけでこれが夢のなかのことなのだと悟らせるほどの、まごうことなき「道化」の足つきだった。あの足つきにはちょっと惚れ惚れ。あのシーンは、まさに「道化になれる」二人による、とてもいいシーンだったとつくづく。
あとまあ、戸田(昌宏)さんと笠木(泉)さんのコンビ(夫婦役)ももちろんいい。「どこ行ってたんだ?」「漫喫」「見れたのか」「夢のようでしたァ」のやりとりはほんとうにすばらしかった。おそらく台本の意図どおりに、そこでのふたりの会話は微妙に食い違いつつ成立する──夫が尋ねる「見れたのか」は「未来は見れたのか」という哲学的な問いとして発せられていて、それにたいし妻は漫画喫茶で過ごした「夢のよう」な時間のことを答える。そしてその答えを、夫は「未来は夢のようだった」という報告として聞く──のだが、じっさいのところ、ことによって「このふたりにはなんの食い違いも発生していない」んじゃないかと思わせるような、十全なる夫婦のコミュニケーションがそこには立ち現れてもいた。
それから、やっぱり足立君はかっこいいとかね。いや、「かっこいい」という褒め方を本人はあんまりありがたがらないかもしれないが、まあ、足立君に関してはわたし「ただのファン」であるから、それ以上言葉を腑分けすることがいまだできずにいるのだった。何度も書くけどわたしは、袋井(静岡県)で『月の教室』を観て以来の足立智充ファンであるからね。サインくれ、サイン。
てなところでしょうかねえ、ひとまず、感想としては。

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本日の参照画像
(2009年6月14日 04:21)

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