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Jun.
2009
Yellow

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/ 21 Jun. 2009 (Sun.) 「『更地』とそのアフタートーク」

『太田省吾劇テクスト集(全)』(早月堂書房)
『プロセス太田省吾演劇論集』(而立書房)は、『飛翔と懸垂』『裸形の劇場』『劇の希望』の三冊から主要な文章を集成したものとのこと。

午後、新百合ヶ丘にある「川崎市アートセンター」で『更地』(作:太田省吾/演出:阿部初美)を観る。アフタートークには今作を演出した阿部初美さんと、今作につづき「太田省吾へのオマージュ」という括りのもと再来週上演される舞台を構成・演出する三浦基さんが並んだ。舞台には感動させられ、単純に「あっ」と思わせられたし、アフタートークには(というか三浦基さんには)ただただ圧倒させられた。これ、このサイトの現在の読者ではたぶん二、三人にしかつうじないだろう譬えを用いますが、三浦さんを見ていてわたしは、なんだかウジイエさんのことを思い出していました。
もう公演日程を終えているので説明してしまってもだいじょうぶだろうと思い、書けば、第一にその舞台美術が──それを基点にして演出そのものが生まれていると言ってもいいほどに──とにかく美しいということがあって、劇場のなかに踏み入り、開演前から舞台上に見えているそれらを見おろした瞬間にまず「きれいだな」と思わせられる。それらを除けば〈なにもない〉黒い空間の全面に、タテヨコ9列ずつ、81個の──いや、こりゃあ日記に描写が必要だなと思って数えましたがね──生活用品というか、家にあるモノたち(小引き出し、バラの刺さった花瓶、黒電話、フライパン、洗濯ホース、五月人形の兜、開いたMacBook、トイレットペーパー、窓枠、シャケをくわえた木彫りの熊、などなど)が、ひとしく膝元ぐらいの高さに浮かんでいる。はじめ、下から支えられて浮かんでいるのかと思ったそれらは着席してよく見るとワイヤーで上から吊られていて、それらが──のちに気づくことになるのだが──、劇のあいだじゅう、ほぼ一定のスピードをまもって、ほとんど気づかないほどわずかずつ、上へあがっていくのだった(!)
もちろん、客席のわれわれはそのことに、それらのモノと役者の身体との相対的な位置関係によって気づかされることになる。はじめの気づきは、膝元ぐらいの高さにあったはずのそれらがいつのまにか役者の腰のあたりの位置まで来ていると知って訪れるのだが、そのときは、開演ほどなく舞台上に役者が現れたさいに多少の照明変化があったことが思い起こされて、そのタイミングで、すっと一気に上げたのかなと思っていたのだった。そしてつぎに、ふと、それらが役者の顔の位置にあることに気づいた瞬間、「ああ! もういいよ、もうわかったよ!」と叫びたくなるような驚きが身を包む。
なんとこれ以上ない〈説明〉だろうかと思う。つまり、役者の顔(/腰/はるか頭上)の位置まで来たときのそれらモノたちこそが〈劇〉なのであり、いっぽうそれ以外の──たえず動いているにもかかわらず〈劇〉が立ち現れるまではまったくその動きが意識にのぼらず、「なかった」にひとしいとされるような(事実そうだった!)──モノたちのあり方、それが〈毎日〉なのだ。

あたし、欲しいの、たくさん、たくさん……本当にあったんだってこと。生まれてきて……いなくなるんですもの。
だから、あったじゃないか。ほら、キスしたじゃないか、十六の夏にさ。あいつとも棲んでいたんだし、おれたちの夏もあった、蝉が鳴いた夏だ。そして、子供が生まれて……
本当にってことよ、あたしが言っているのは。戦争はあったんです、年表にも教科書にも載ってるわ。でも、そんなことじゃないの。あたしの欲しいのは、そういうものじゃない。本当にってことは、ほとんどなかったかもしれないようなことのよ。あたし、ほとんどなかったかもしれないようなことがいっぱい欲しい。ほとんどなかったようなことがいっぱいあれば……なんでもない日のなんでもないことがいっぱいあったことになって……そうよ、なんでもない日のなんでもないことがちゃんとあることになれば……どうなるんだったかしら。

『更地』「7 黄金の時」(『太田省吾劇テクスト集(全)』p.506)

固有名を与えられていないこのたったふたりの登場人物は夫婦であるとされ、夫を下総源太朗さんが、妻を佐藤直子さんが演じる(ちなみに、観てないけど太田さん演出の初演時には瀬川哲也さんと岸田今日子さんが演じており[1992年]、比べて今作はぐっと若い夫婦ということになる)
下総さん、よかったなあ。それこそ「男の子よ!」じゃないけど、「ほんっと、だっめだなあ、夫」ということを下総さんは見事に体現していた。ノートに書き取ったらしい本の言葉──「人間の精神には、旅立ちを促す機構とでもいうべきものが最初から組み込まれている」──を口に出し、出してみて何の発見があったかは知らないが、「促されたってわけだ!」とひとりうれしくなって反芻してみせるこの「ばか」ぶりこそが、「夫」以外のなにものでもないということをわたしは知っている。また劇なかばで、「なにもかも、なくしてみるんだよ」と言った夫がレインコートを頭からすっぽりかぶり、横たわって、ことによるとただ寝てしまったんじゃないかと思わせるほどのあいだ動かずに、なにもしゃべらない(その間にしゃべり動くのは妻のみ)というシーンがあるのだったが、その「寝てしまった」下総さんを見ていて、感情移入するというのともやや異なり、「あ、おれがいる」と思ったというのは、じつになんでもない話、わたしが、妻と同時にふとんに入るとぜったい先に寝てしまう(らしい)者であるからだ。
そうした(?)劇をいままさに観終わったばかりの(今作に関してはきょうはじめて観たらしい)三浦さんは、アフタートークで開口一番、「重いなあ」という印象を口にする。なんとも感動的なラストのセリフ──女の言う、「はじめてね、ここから夜空見たの」──をたったひとこと言わせるためだけに、劇はこれだけの言葉と時間を重ねなくてはならないのかと(発言を補足するように)述べた三浦さんの「重いなあ」はつまり、おそらくまず、太田省吾さんが1992年に書いた戯曲そのものが一面で孕む「重たさ」について言及していて、そのうえで、その重たさにじつに〈優しく〉寄り添ってみせた阿部さんの演出についても同様の言葉を投げているのではないかと思うが、いや、このへん(というかアフタートークについてはまるきり)発言の意図を取り違えている可能性が大いにあるのでどうかその前提でお読みいただきたいのだけれど、三浦さんはまた阿部さんの演出を指して、「優しいなあ」「(再来週のぼくのはそうなってないけど)これはほんとにオマージュになってるよね」という発言も併せて繰り返し、そして、それらを総合するような言葉として、〈近代劇〉という呼び名を用いるのだった。
質疑応答に入り、客席の女性がじつに素朴な感想──「これだけやりあって、日常的に言葉をぶつけ合っているこの夫婦は、きっとこの先もうまくいくのではないかと羨ましく観た」──を述べたのにたいして、「それはおかしいよ。だってこの夫婦に未来はないんだもん、死んでるんですよこのふたりは」ときっぱり言ってのける三浦さんだが、つづけて、こうも発言する。
 「でもさ、あなたはそうやって感情移入して観たんだよね。それが〈近代劇〉だよね。そりゃぼくだって感情移入しないわけじゃない。ラストのセリフなんてほんと感動しますよ。あれなんか、(忌野)清志郎さえ浮かぶよね。でも、だったらぼくは清志郎を聴くよ。だって五分で済むもんそれなら。演劇は一時間、二時間観なきゃなんないんだよ。そこを、〈近代劇〉は感情移入させることでもたせるわけ。でもさ、むかしのそれこそ〈近代劇〉のやつらなんて、平気で三時間、四時間やるんだよ。で、あなたも『それはさすがに長い』って思うはずだよ。そういうことですよ。」(以上、大意、のつもり)
 この「そういうことですよ。」には、いや、その真意を掴み切れた自信はないのだけれど、とにかく戦慄させられた。
あるいはアフタートークの前半で、阿部さんから(今作の舞台ではなく)太田省吾さんそのものについての考えを訊かれた三浦さんが言う、「ぼくは、沈黙劇には言葉はなかったと思ってる」という発言は、ものすごく刺激的だ。沈黙劇と称される太田さんのいくつかの舞台には、その制作過程において、じつは裏側に(彼らはこうしゃべっていると)設定されたセリフがあったということがエピソードとしてしばしば語られるらしいのだが、そのような〈言葉〉は、存在はしたのだろうが作品にたいしてはあくまでモチーフの役割をはたすのみのものであると三浦さんは指摘し、そのような〈言葉〉はたとえば、「私は、私のからだのなかにひとりの姉を住まわせている」とダンサーである土方巽が原稿に書くときの〈言葉〉と同様のものであり、はたまた、最近ダンサーのひとと作業する機会が多いという三浦さんが、よく彼らに言われるというのが「もっと言葉をください」なのだそうだが、彼らがまさにそこで欲しているものこそが同様の〈言葉〉なのであって、それらの〈言葉〉と、舞台上における俳優の行為としての〈発話〉とをすぐさまつなげて考えるわけにはいかないと三浦さんは言う。言うまでもないことだが、それらの発言を聞きながらわたしは、さて、『五人姉妹』の言葉は?と考えていたのだった。
客席には黄木さんの姿もあり、帰り道にいろいろ話をする。あたりまえ(?)だが、黄木さんは演劇にくわしいのだった。くわしいというか、好きなんだろうなあ、ほんとに。いやあ、比べるにわたしなんてねえ、さっぱりですよ。黄木さんが「MUST」というような舞台の多くを観てないし。基本わたし、そんなに好きじゃないんじゃないかとさえ思いますよ、演劇。って、こんなに書いといてあれですけどね。その足で新宿まで出て、『太田省吾劇テクスト集(全)』『プロセス太田省吾演劇論集』、ついつい買っといてあれですけどね。

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本日の参照画像
(2009年6月23日 02:37)

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