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Jun.
2009
Yellow

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/ 25 Jun. 2009 (Thu.) 「咀嚼」

『五人姉妹』準備公演時の宣材写真。ここに切り取られているのは、あるいはまだ母と暮らしていたころの〈純白のとき〉かもしれない。

しかし、準備公演の彼女たちは黒かった。

そしていま、彼女たちはふたたび白い。

タイトルについては、なぜきょうの文章にそんなタイトルが付けられているのか、いっさい問わないでもらいたい。諸事情だ。諸事情があるのだった。あるいは書いているうちに、奇跡的にタイトルと符合するような内容にならないともかぎらないけれど、あらかじめ言っておけば、そうなったとしてもまったくの偶然でしかない。
会社をほぼ定時にあがって吉祥寺へ。「吉祥寺シアター」で『五人姉妹』の初日を観たのである。
というわけで、わたしの立場がどのようなものであろうと、否応なくこれは「ネット上の評判」という恰好になって、たとえば「五人姉妹 感想」といったキーワード検索でもって「よかった」のか「わるかった」のか探りを入れに来るような、そうした読み手の欲望にもとうぜん開かれているものとしてこの文章はあるが、じゃあ先に、そういった人たちのための答えを書いておこう。よかった。以上、そういった人たちとはここでお別れである。ばいばい。
さて、では、と先を書きすすめようとしてまず念頭に置かなくてはならないのは「初日」だということであり、あと4ステージ(日記がアップされるころには3ステージかもしれないが)残っていて、「これから観る人」のことは多少なりとも考慮しつつ書かなければならない。小屋入りして以降なおもつづく「変更につぐ変更」こそが日々舞台を支配しているらしい(そして、していくだろう)今作においては、逆説的ながら「初日」や「楽日」といった言葉が意味をなさず、全ステージがそれぞれ(あたりまえながら)一回性のものとして、あるいは単独性のものとして存在し、その本番四日間の挑戦をたんに進化論的な流れのうえに語ることがさほど適切ではない(忘れてはならないが、ダーウィンの進化論はつねに退化論とセットである)ことがまず言えるとして、で、それなにが言いたいかというと「初日を観ただけじゃまだなんとも言えない」といった言い方がこの舞台においてははなから成立しないだろうってことだけれども、それはそれとして、ともあれ「これから観る人」のことを考え、おのずと感想は抽象的なものになるだろうし、なによりいま(この下書きをノートに書いているのは26日未明、帰りの中央線のなかだが)、わたしは酔っ払っている。終演後に、観に来ていた高橋(明大)君、いせ(ゆみこ)さんらと連れだって居酒屋に入った。舞台の感想についてはそこでいせさんが熱っぽく語っていたところのものにまったく同意する。それ以上わたしが付け足すことなど何もないと言ってよく、いせさんがほぼ言い尽くした。惜しむらくは読者のみなさんがあの居酒屋にいなかったことだが、なぜいなかったのだろうか。いればよかったのに。感想のことならわたしの分も含め、いせさんに訊いてくれと言いたい。そして、高橋君の顔の大きさがだいたいどのぐらいあるかについてはわたしから答えよう。1メートル弱だ。
観はじまってからはなるべくそうしたことを考えないようにしていたものの、事前に、少しは「この日記にどういう切り口で書こうか」と戦略を練ってもいて、あまり時間をおかずに更新しなければならない日記にある程度まとまった文章を載せるためにキーワードのアタリも付けていたのだったが、まあ、たいしたことではなく、かなり容易なところの予想だとはいえ、その予想がかなりあたってしまったことにわれながら少し驚いているということがある。つまりわたしは本公演にさいして、おそらくそれは〈白と黒をめぐる物語〉になるだろうと思っていたのだ。
というのも、準備公演にさいして撮られた宣材写真には白い衣装を着た五人が写っていて(また、チラシの写真も白っぽい服装だった)、そのつもりで行ったところが、いざ幕を開けた準備公演の五人の衣装は黒だったということがまず印象としてかなり残っており、そして今度、その黒のイメージ──本公演のチラシにある姉妹の横顔のイラストもまた、ニブロールのサイトのFlashを見るとよくわかるようにそれは、それぞれ微妙に異なる色彩をもった五人の顔が重ね合わされることによってそう見えているのだが、黒い──をひきずりつつ本公演を待っていると、ふたたび、直前に撮影されて(矢内原)美邦さんのブログなどで紹介された写真(公演中、劇場にて写真展のようにして展示されている)では、やはり、満を持したように五人は白い衣装をまとっているのだった。
そういったわけで、本公演は〈白と黒をめぐる物語〉になるだろうという単純な予測を立てたわけだが、中盤、映像とともに中原昌也さんの音楽がかかるところで遅ればせながら気づいたというのはつまり、これが〈白が黒になる(までの)物語〉だということである。
だとするならば、とさらに考えれば、「準備公演」と「本公演」との時間軸上の関係を逆転させることがとうぜん可能になるだろう。つまり、〈黒になったのちの時間〉としての準備公演が想定可能なのであり、それがどういうことなのかといえば、本公演は、より〈原初〉へ、〈はじまりの時間〉へとさかのぼる冒険として機能するということだ。そしてそのことが、戯曲上で言われる〈宇宙〉という言葉とも符合していくことについてほんとうはこのさき論を進めていきたいところだが、それはまた公演の終了したころに、あらためて書くことにしよう。なにせ酔っ払っていることだし。
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本日の参照画像
(2009年6月26日 18:01)

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