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Jun.
2009
Yellow

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/ 27 Jun. 2009 (Sat.) 「精力的な一日」

ずいぶん精力的な日だった。
まず午前中はロビンを病院へ。あまり尿が溜まっていない状態だったので注射での直接採尿がむずかしく、カテーテルをとおしての採尿となる。白血球の量など尿の成分数値はかわらず。膀胱を包む何層かの膜の、深いところの細胞が剥がれ落ちて尿に混じっているのが確認された。あるいは細菌性の膀胱炎ではないかもしれないとのこと。年齢的なこともあり、腫瘍ができている可能性も否定できない。オスの場合、はっきりこれが原因であるという確定診断をおこなう(膀胱内にカメラを入れる)のがじっしつ不可能なので、超音波検査や尿検査などをもとに疑わしいところを疑っていくしかないといい、「重度の膀胱炎」と「腫瘍」の二方面にかまえたうえで、ひとまずは予定どおり、もう少しだけ細菌を疑ってみることになる(で、きょう直接採取した尿は菌の培養検査にまわす)。といっても、ロビン本人はいま、いたってご機嫌に暮らしている。またちがう抗生物質(四種類目)が処方され、例の「すごくにがい錠剤」は飲まなくてよいことになった。
診察から帰って30分ほど休憩したのち、ふたたび出かけて、新百合ヶ丘へ。「地点」の三浦基さん構成・演出による舞台『あたしちゃん、行く先を言って太田省吾全テクストより行程2』(7月3日〜5日、川崎市アートセンター)の、「公開ゲネ」に参加する。「地点」のサイトで告知されていたのを見、申し込んだ。15時開演で作品は75分ほど(だったかな? 時間のことをよく覚えていない)、終演後に「座談会」があって、三浦さんをはじめ出演者・スタッフのおそらくほぼ全員が参加するかたちで観客との対話をおこなう。
その座談会なのだけど、これ、公開ゲネのことを告知しているのが「地点」のサイト内だけで(たとえば「川崎市アートセンター」の公演情報ページなどには案内がなくて)、そのことをかんがみても「こりゃ、相当覚悟がいるな」というか、かなり参加意識高くして臨まないとだめなんじゃないかと(勝手に)考え、観終わってすぐに何か言葉を発せられるようにという頭でもってもう必死になってゲネを観たのだった。むろんメモこそしなかったものの、いつもの倍は集中したね、わたしは。
はじめに配られた紙には座談会の進行について、ダンスの世界で採用されている「クリティカル・レスポンス・プロセス」という方法を借りるとあり、

  1. ご参加のみなさまから 作品をみて、心に残ったこと
  2. 作り手より 作品について、みなさんにお聞きしたいこと
  3. ご参加のみなさまから 作品についての質問
  4. ご参加のみなさまから 作品についての意見

という具体的な流れが記されていて、最初の「作品をみて、心に残ったこと」というのを、まあ「じゃ、端から順にどうぞ」となるのを覚悟し、休憩の10分のあいだにばーっとメモしてまとめる。で、じっさいには「では、発言されたい方は挙手で」となって、だれもほかに挙げないようなので先に手を挙げ、メモしたことを──例によってわたしの場合、(舞台上のいろいろをテクストのように受容したうえでの)テクスト読解的な〈読み〉が主体になるのだけど、そういったものを含めて数点の感想を──だだーっと五分ほど(もっとだったかな?)一気にしゃべったのだった。
それがはたしてうまく「口火を切る」かたちになったか、はたまたある種の発言を抑圧することにつながったかは(結果的にそういった印象はまったくなかったとはいえ)わからないが、全体的に熱心な参加者が多かったのはたしかで(『be found dead』に出演した村尾さんの顔もあった)、その後ぽんぽんと発言はつづく。終了予定時刻の18時まで(だから、一時間半ぐらい?)、たっぷりの対話が行われたのだった。
あ、その場でしゃべった舞台の感想については「ゲネ」だってこともあるし割愛。わたしからは「ただただ刺激的だった」ということだけお伝えしておきたい。
それでもってそそくさと会場をあとにし、新百合ヶ丘を18時09分発で出ると、下北沢で乗り換えて18時50分に吉祥寺に着く(じっさいには混雑による自然遅延?があって53分ごろ着)。「吉祥寺シアター」まで走って、二回目の『五人姉妹』観劇。ね、精力的でしょ、きょうは。
もう一度観ようと思ったのはべつに「より物語を理解しよう」とか、「初日とどう変わっているだろうか」といった興味からではなくて、たんに(同語反復で答えになってないけど)「もう一度観ようと思ったから」だ。言ってみれば、(もう会えないだろう)舞台上のあの六人にもう一度会っておきたかったってことですかね。「地点」の公開ゲネおよび座談会からつづけてなので、疲れた状態で観ることになるかなあとも思ったものの、「地点」からの連続だったことは逆にポジティブにはたらき、なんというか「フラット」な心持ちで客席に座ることができたのだった。ただただ開演を楽しみに待つという状態で数分間、真正面のセットを見つめる。
きょうは観ながら、途中、「ドリフでいえば誰が誰か」という問いを思いつき、しばらく考えたものの、まったく何も有意義な答えを得ることはなかった。その場合もちろん六人目の山本君(「執事」役)「すわしんじ」ということになるのだが、しかし劇中、まったくストレートに「志村!うしろ!」という構造になるシーンで志村の位置にあるのは山本君だ──などなど、いちおう考えはしたものの、なにひとつ得るものはなかった。終演後に笠木(泉)さんに聞いた話では、(鈴木)謙一さんは「スマップでいえば誰が誰か」という問いを立てていたそうで、なるほど、そっちの問いのほうがまだ有効だったなと感じ入る(この問いも「六人目」を扱うことができるしね)
って、きょうの感想はそれだけかよとお思いのむきもあるかもしれないが、まあいいじゃないかきょうのところは。そうそう、前回の感想で書いた〈白が黒になる(までの)物語〉〈はじまりの時間へと向かう冒険〉という読みをきょうの終演後に映像の高橋(啓祐)さんに話したらとても面白がってくれた。まあ、あれのつづきも書けたら書きたいけれど、それはまた後日。つまりあれですね、どんなに(矢内原)美邦さんが「物語がわからない」ことを悩もうが、受け手はそれこそ〈わるいクセ〉のようにしていかようにでも物語を紡いでしまうってことですね。まったくわるいクセです、わたしのは。
終演後には出演者らも含め、わりと大勢で飲みに行く。翌日(楽日)にむけては唯一山本君のノドだけが心配されたが、さて、山本君の声はなんとかもったろうか。
本日の電力自給率(6月27日):100%

(2009年6月29日 14:27)

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