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Oct.
2009
Yellow

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/ 17 Oct. 2009 (Sat.) 「『パンドラの匣』を観る」

原作の『パンドラの匣』は河北新報朝刊に連載された新聞小説。昭和21年発行の単行本が現在、河北新報出版センターから復刻されている。ぶんか社文庫の装幀はちょっとどうなんだという方など、いかがだろうか。旧字旧仮名遣いだけど。

菊地成孔さんによるサウンドトラックは iTMS のみでの販売。 菊地成孔 - 『パンドラの匣』オリジナルサウンドトラック - EP

太宰が書いた『パンドラの匣』の、さらに元になっているのが『木村庄助日誌』。

母方の祖父母の遠忌が昼からあり、菩提寺のある北千住へ。母と会う。食事をし、コーヒーを飲んで親族らと別れたあと、その足で新宿へ出た。テアトル新宿で、冨永昌敬監督の新作『パンドラの匣』
はじまってほどなく、「あれっ?」と思わせられたのは原作との大きな設定のちがいがそこに仕掛けられているからだが、その「脚本化」の妙味はどこか市川崑監督のそれ(わたし『炎上』観てないんで、たとえば金田一シリーズとか)を想起させもし、観終わってまったく納得させられるのは、つまり『パンドラの匣』は、その改変によってこそ「映画になる」のだということである。

映画『パンドラの匣』

 太宰治の原作『パンドラの匣』(書簡体小説である)において、主人公「ひばり」が手紙を書き送る相手は作中でただ「君」とだけ呼び続けられるひばりの親友であり、健康道場(結核療養所)の塾生(患者)である「つくし」とはべつの人物なわけだけれど、映画においては「君=つくし」であるというふうに両者が組み合わされ、新たな人物として造形されている。もちろんその改変は、終盤、助手(看護婦)の「竹さん」が嫁に行くというくだりとも不可分に編まれていて、竹さんが嫁ぐ相手も原作と映画では異なるのだけれど、それ、見事な「映画化」だなあというふうに思ったのである。
 竹さんの結婚相手についてはたしかに原作においても不意をつかれるのだが、その「不意のつきかた」はきわめて小説的なそれであるように思え、映画(いかにひばりの書簡をナレーションとして入れようとも、カメラはたやすく〈ひばりに焦点化した語り〉を超え出てしまう)においてはまたべつの「不意のつきかた」が必要だったろう。そしてこの改変処理においては、しかしなお、竹さんとその結婚相手とが物語の〈枠〉として機能するという構造(小説に関しても、おそらくそうした枠組みからの〈読み〉が可能なんじゃないかと思う)が、その構造をたもったままじつに映画的な〈枠〉へと変換されているのだ。
 健康道場の描写をつくしの退場(退院)からはじめ、入れ替わりに竹さんがやってくるという動きの導入(これも改変)が〈枠のはじまり〉であれば、〈枠のおわり〉はもちろん竹さんの退場であるというわけだけれど、さらに言うならば、その〈枠のおわり〉は編集によってふたしかな時制のなかに置かれて、「そうはいくかい」とばかりにはぐらかされてもいる。
ところで「改変」ということでもうひとつ、冨永監督がパンフレットに寄せている製作秘話によると、はじめの脚本段階では「『ひばり』が防空壕の中で喀血する場面」が存在したというのだ。予算やスケジュールの都合から「泣く泣くカットし」たそうなのだが、これなどはさしずめ「幻の改変」と呼べるものだろう。というのも、原作を素直に読むかぎり、ひばりが防空壕のなかで喀血する描写はないからである。

さうして、深夜、僕はまた喀血をした。ふと眼覺めて、二つ三つ輕く咳をしたらぐつと來た。こんどは便所まで走つて行くひまも無かつた。硝子戸をあけて、はだしで庭へ飛び降りて吐いた。ぐいぐいと喉からいくらでも込み上げて來て、眼からも耳からも血が噴き出てゐるやうな感じがした。コツプに二杯くらゐも吐いたらうか、血がとまつた。僕は血で汚れた土を棒切で掘り返して、わからないやうにした、とたんに空襲警報である。思えば、あれが日本の、いや世界の最後の空襲警報だつたのだ。朦朧とした氣持で、防空壕から這ひ出たら、あの八月十五日の朝が白々と明けてゐた。
「幕ひらく」・3

 その場面に対応すると思われる記述がこれだが、このときのひばりは「庭へ飛び降りて吐い」ている。喀血がおさまった「とたんに」警報が鳴り、それを受けて防空壕へと避難した(で、警報が解除されて外へ出ると「八月十五日の朝」だった)という事の順序になるわけだから、けっして防空壕のなかで喀血してはいないのである。にもかかわらず、冨永監督は映画化にあたり、「『ひばり』が防空壕の中で喀血する場面」を撮ろうとしていた。それがいったいどんな「画」になっていたかはもはや知ることができないが、おそらくすぐれて映画的なシーンだったのだろうとまず夢想されるのと同時に、この「幻の改変」の存在によって腑に落ちるような心持ちがするのは、これは完成した映画にある、八月十五日の玉音放送のシーンで感じたとある「ひっかかり」のことなのだった。
 あそこでなぜカメラは、玉音を伝えるラジオの〈内側〉に位置し、スピーカーカバー(?)の網目ごしに人々を見つめなければならなかったのか。つたない直感以外の何物でもないけれど、ことによってこのラジオの内側のカメラこそが、撮られることのなかったあの防空壕のメタファー、イメージの残骸なのではないだろうか。
といったような感想ではきっと伝わらないだろうけれど、ともあれ楽しいのである。観ていただきたい。わたしの考えたコピーは、「もう百年は現れない映画」だ。同等の作品と出会うには、おそらく太宰治の生誕二百年まで待たねばならないだろう。あるいは案外、再来年あたりに冨永監督による『グッド・バイ』が封切られないともかぎらないけれど、そのためにはまず『パンドラの匣』が成功しなければならないから、ともあれまずは『パンドラの匣』を観ようじゃないか。わたしはそうだなあ、あと二回は観たい。
終わってロビーに出ると冨永監督がいた。「どうも」と近づくといつものようにぬんと手を差し出してくる監督である。ま、このひとは会えばたいていまず握手なんだけど、このとき、わたしの側にちょっとした躊躇が生まれたというのは直前にトイレに行っていたからで、洗った手がまだ少しだけ濡れていることを咄嗟に思い出したのだった。というわたしの都合もあって握手はいつもより軽めのそれになったのだが、いや、それだけじゃないな、いつになく監督の握手にそれこそ「かるみ」があったのはそのせいばかりでないだろう。それは「あたらしい男」同士の、とても、いい握手だったのだ。

映画『パンドラの匣(パンドラのはこ)』公式サイト

本日の参照画像
(2009年10月21日 21:34)

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