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Nov.
2009
Yellow

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/ 20 Nov. 2009 (Fri.) 「いい年をした男が呻吟して書く日記である」

帰宅後、DVDで米朝の「まめだ」を聞き直す。

ビクター落語シリーズ『八代目 林家正蔵(1)』は「中村仲蔵」「火事息子」「一眼国」を収める。

こちら先代(八代目)、林家正蔵。

18日は誕生日だった。一九七五年生まれ、三十四歳である。釜山の射撃場火災のニュースに際してその被害者が「三十七歳の同窓生グループ」だったと聞けばそこはそれ、「もうだいぶいい年をした男たち」の顔を思い浮かべていきおい「三十七」を見上げるような恰好になるけれど、そう、あんまり変わらないっちゃあ変わらないのである。わたしも「いい年」なのだろうか。あるいは「男盛り」ってやつ。「男盛り」はいやだなあ。どちらかといって、できれば男盛らない方向でゆきたいと願う。ただ、ハゲはかなり進行している。「あちゃー」と上から覗いた妻は言うのだ。
その18日の午前中、会社へ来てから児玉君の日記を読み、デーデの死を知る。デーデは、児玉君の同居人によって拾われて9日にかれらの家にやってきた仔猫だ。9日の日記ではまだ名前がなく、「名前はデーデに決まった」と報告されたのが11日の日記、先住猫のもきちとひとつのフレームに収まったモノクロの写真が添えられた12日の日記を経て、四度目の日記で、デーデはかれらとわれわれのもとを去っていってしまった。児玉家の新入りのことはわが家でも毎日話題にしていたので、その死を妻に報せようとメールのウィンドウにむかう。本文には17日付のその日記のURLだけを貼り、タイトル欄には「無題」と書いた。いかんともしがたいそのときの気分がわたしに「無題」と書かせたが、いざ、送信ボタンを押そうとして「そんなばかな」と思いとどまる。タイトル欄を「デーデ」と書き直してから妻に送った。そんなばかな、無題ってことがあるかよ、「デーデ」だったのだ、その猫はたしかに。
19日には当代の(ってあたりまえだけど)林家正蔵を観た。ほんの数時間前までちっとも予定していなかったことだが、降って湧いたように観に行ったというのは会社から歩いて十分もないところの、「紀尾井小ホール」が会場だったからだ。「秋の正蔵 其の四」と題された独演会。「『らくだ』と、もう一席」と事前に演目が案内されていたが、思いがけず、そのもう一席というのが「まめだ」だった。泣いたのだった。わたしはこの噺にめっぽう弱い。二〇〇二年の六月に、京都で桂米朝のそれを聞いたが、そのときも泣いて京都をあとにした。デーデのことも、少しあったかも知れない。
紙切りをはさんで二席目が「らくだ」。こちらは幾分もの足りず。悪いってことはなく、当代正蔵のもつ「型」のようなものに噺はおさまっていたけれど、「この噺を正蔵で聞く意味」があるとはまだ思えない出来。場面々々にあまり深入りせず、ポイントからポイントへあっさりつないでいくような運びだったからてっきりこれはサゲまで演るつもりなんだろうと思って観ていたが、ヤクザ者と屑屋との関係が逆転したところで切った。切るところのリズムがなんだかヘンで、うーん、演るつもりで高座にあがったものの出来やなにかから判断してやめたんじゃないかと、これは勝手な想像。
ところで正蔵は、わたしのまわりでめっぽう評判がわるい。先日友人宅に人が集まって鍋を囲んだときも、(どういう流れだったかは忘れたが)正蔵の話題になり、それはつまりテレビで司会やなにかをしている正蔵(というかまあ「こぶ平」)の話なんだけど、みな口を揃えて「だめだ」と言うし、いま、これを書いているのを脇から覗いた妻も「そりゃそうだよ」とばっさりだ。わたしは逆にテレビの正蔵をあんまり知らないので、まあ、きっとだめなんだろうと想像するだけの話だ。ただ、落語にかんしては擁護したいし、なんというか、見守る甲斐はあるとみる。
当代のことはそのぐらいでいいとして、いま、わたしが声を大にしたいのは先代のことだ。この日、わたしははじめて先代の良さを知ったのである。前夜に買った落語のCDのなかから、先代正蔵の「中村仲蔵」を仕事中に聞いていて、泣いてしまったというと大袈裟だけれど、ちょっと泣きかけた。ぞくっときたのだ。あれ、クライマックスは仲蔵でもそのおかみさんでもなく、失意の仲蔵が町で耳にする江戸っ子たちの会話である。一九六五年の録音で、正蔵七〇歳、木久扇らの物真似によってパブリックイメージとなったあの調子よりも口調はまだ速く、なるほど、こういうことだったのかとわかる音源。つづけて「火事息子」。これも六四年の録音で、すばらしい。
先代の桂文楽がどこまでも〈調子〉の人だったとすれば、先代林家正蔵は〈型〉の人だったんじゃないか。と、CD二席聞いただけで何を言ってやがんでいって話だけれど、で、その〈型〉の人という捉え方のうえに、先代と当代を通底させることができやしないかというのが目下の見込みだ。見込みは、えてして外れるものだけれども。
前夜に買ったと書いたCDは柳好二枚、正蔵一枚、可楽一枚、柳朝一枚(いずれも「ビクター落語シリーズ」)、そして「志ん生初出し」という七枚組ボックスだ。話ここへ至ってついにあきらかなように、いま、まさに落語ブームである。今回の発端はやはり、『落語研究会 八代目桂文楽 全集』をとうとう買ってしまったことにあるだろう。

amazonからのメールで『落語研究会 六代目三遊亭圓生全集 上』(DVD12枚組)を勧められる。そりゃまあそうなるだろう。こないだついに桂文楽全集を買った。小三治、志ん朝上下、文楽とここまでシリーズ皆勤。
12:35 PM Nov 17th HootSuiteで

なんとなく「圓生は(買わなくて)いいか」と思っていたのだけれど、こないだ思い至ったのは『十代目金原亭馬生全集』の可能性だ。待てば、かなりな確率で出るんじゃないのか。だから、それまではこのシリーズに好調を保ってもらわないといけないってことがあって悩ましいよ。
12:48 PM Nov 17th HootSuiteで

うーん、正蔵全集→小さん全集→馬生全集→柳朝全集ぐらいの順番かなあ。
12:58 PM Nov 17th HootSuiteで

本日の参照画像
(2009年11月22日 02:24)

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