1
Jan.
2010
Yellow

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/ 19 Jan. 2010 (Tue.) 「合掌」

この日妻から届けられた三枚の写真。順にポシュテ、

ロビン、

ピー。いずれもリビングのソファにて。

@tmkOUKI さんによる舞台『お米』がツイッターでは話題に。
iPhone を手にして以来、たとえば移動中などに日記の下書きを書こうという場合には、iPhone の Safari で Movable Type の管理画面にアクセスし、そこに直接書くという案配になっている。以前は「ノートにボールペン」が多かったのだが、その座は iPhone に奪われた。キーボードには日本語と英語のフルキーボードを用いている。けっして入力スピードは速くないし、打ち間違うし、速度で言ったらむろん「ノートにボールペン」にはかなわないものの、しかし速度はこのさいあまり重要ではなく、とにかく文章が浮かんだときには手を動かしたいのだ、ということをそれであらためて知る。
ツイッターで特定の相手に向けてつぶやくときには、文頭を「@相手のユーザー名 」ではじめて、そのあとにつぶやくのが習わしである。知人のお父様が亡くなられて、その報せは朝、べつのルートからももたらされたが、また、その方自身がツイッターに、

わが父、不帰の人となりし件。敬愛する恩師の皆様に、略儀iPhoneから送信。
9:59 AM Jan 19th from Tweetie

とつぶやいたのを見、わたしはそのつぶやきに、文法にのっとってこう「返信」したのだ。だから文頭の「@Bokutou_House」はその方のユーザー名であり、わたしのつぶやきの宛先を示している。

@Bokutou_House 合掌。
11:08 AM Jan 19th from TwitBird iPhone

それなりに考え、選んだ言葉としての「合掌」だったが、しかしふと、合掌するとすればその宛先がちがわないかと思い至り、そうしてしばし考えてしまった。「合掌」はいったい、だれに宛てられるべきものか。阿弥陀か、おのれか。「おのれ」などとは、しかしいかにも「小乗」か。
とはいえ、「@amida 」とするわけにもいかないのは、まず、すでに「@amida」というユーザーが存在するからで、非公開アカウントであるためはっきりとはわからないものの、プロフィール欄によればバレンシアに住むらしい @amida さんはまさか阿弥陀ではあるまいと思われ、その人に宛ててもしょうがないし、いや、そもそも阿弥陀をもとめて時間軸上(タイムライン上)を尋ね歩くことがまちがいだろうことを思うならば──そしてまた、偏在する阿弥陀に「届かぬのではないか」と心配すること自体がまちがいであると考えるならば──、やはり、ただ「合掌」とだけつぶやけばよかったのかもしれない。でなければ、こういうかたちか。

合掌 @Bokutou_House

〈死者=仏=阿弥陀如来 ── わたしたち=生者〉という対峙の構図から右半分を抜き出した、どこかひどく浄土真宗的な態度の表明として。
いや、何言ってるんだかね、これ。
夜、数の子。

本日の参照画像
(2010年1月26日 23:38)

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