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Apr.
2010
Yellow

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/ 24 Apr. 2010 (Sat.) 「煙草入れを買い、地点を観る」

山村さんと児玉君の愛猫「もきち」である。何度も言うようだが相当でかい。そして奇跡的なほどに人見知りがない。「ばか」なのではないかともっぱらの評判である。

玄関を出てすぐの路地がお気に入りだ。外へ出しても遠くに行くことはなく、もっぱらその路地に佇むが、となりの家の玄関が開いていればひょこひょこと上がり込んでしまうため、あまり目を離すことができない。斜め向かいあたりには犬もいて、もきちを見れば吠えるが、吠えられているのに近づいていき、柵越しにその犬の鼻をペシッとやったという。「ばか」なのではないかともっぱらの評判である。

これが「ダダ」。「三面怪人」の異名をもち、三つの顔を使い分けることで人間を翻弄するとされるが、まあ三つともだいたい「ダダだな」ってことはわかるのである。『ウルトラマン』の第28話「人間標本5・6」に登場。名前はもちろん「ダダイズム」から。

13時半に京都着。山村さん児玉君のふたりと京都駅での待ち合わせだ。新幹線がまもなくホームに着くという段になって、ツイッターで山村さんに宛て、

@nenemaruchinta で、京都駅はどこに行けば?
1:27 PM Apr 24th

とつぶやいたのは「京都駅」という以上に待ち合わせ場所を限定してなかったことを思い出し、少しあわてたからだったが、あきらかにそのときはもう「つぶやく」タイミングではなくなっているわけで、つぶやきは、なにせ「つぶやき」なので、すでにごく近くにいる(はずの)者たちが連絡を取り合うには不向きというか、なんだか呑気なことになるのだった。

@soma1104 今どこですか?
1:30 PM Apr 24th

と山村さんがつぶやき返すのを降り立ったホームで読み、これ、傍目には(よそさまのタイムライン上では)「おまえら落ち合う気があるのか」と映ってやしないかと、待ち合わせもここに至ってようやく、山村さんに自分の携帯番号を(ツイッターのダイレクトメッセージでもって)伝えるわたしだ。新幹線の中央改札を出たところで待っていると、バイト帰りの山村さんが、外すタイミングがなかったとロングのかつらを付けたままで現れた。
そうして児玉君とも合流し、まずは蕎麦屋で昼食。山村さんとわたしは「田舎そば」を注文。で、山村さんは席に着くなりおもむろにかつらを外す。「胸ぐらいまであるロングヘアで席に着いた女性が、つぎに見ると坊主になっていた」ということがおそらく起こったのだろう隣のテーブルの女性に、五度見ほどされる山村さんだ。五分に刈ったというその髪はそれでも徐々に伸びはじめていて、ひと月後ぐらいにはいい案配のベリーショートになろうかというペースのはずだが、相当なクセ毛なので伸びた髪がそううまくまとまってくれるとは思えない、伸びてみないとわからないというのが本人の弁。いっぽう「天ざる」をたのんだ児玉君は、「おれもそれ(田舎そば)がよかったなあ」と後悔することしきりだ。

京都に唯一残るというキセルの専門店、谷川清次郎商店に三人で。気軽にひやかしができるような構えではないその店は、暖簾をくぐり、入ってすぐの上がりかまちでもっていきなりご主人と差し向かいになるような案配で、ご主人の丁寧な説明をいろいろと伺いつつ、当初の目的どおりに煙草入れとキセルとを買う(写真)。煙草入れは鹿皮製で、表面のこまかい黒い点は漆だという。前日にはツイッターで、「大人の買いものをしてやる」というふうに豪語したわたしだが、けっきょく、わたしなどまったく大人ではなかったわけで、煙草入れ(38,000円)もキセル(17,000円)も、目の前に出されたもののなかではいちばん「手頃」な部類のそれなのだった。というか煙草入れは、こっから先は根付けに凝ったり、前金具に凝ったり、緒締や紐や生地に凝ったりというふうにパーツごとにキリのない世界になって、ちょっと注文を付ければ(職人さんは、そりゃ何だって注文には応えてくれるだろうけれどもそのかわり)とたんに桁が変わってくるという、万事はその調子なのである。
17時開演の地点に行く前に、喫茶店で一服。チーズケーキとアイスミルクを注文し、食べてみて「チーズケーキにはアイスミルクじゃなかったな」と悔やむ児玉君を尻目に、山村さんとわたしはチーズケーキとブレンドを愉しむ。「ていうか、なんでふたりで同じものばっかりたのむの?」と訊く児玉君には、「付き合ってるからだよ」と答えておいた。
ふたりといったん別れ、京都芸術センター(ふたりはゲイセン、ゲイセンと言っていた)地点『誰も、何も、どんなに巧みな物語も』を観劇。横浜でのワークインプログレスからテキストの構成にだいぶ変化があって、ジュネの三つのテキストのうち、「シャティーラの四時間」の比重がぐっと増えていた。予習──全体の四分の一ほどを、その英訳版から自力で日本語訳してみた──の効果はばっちりで、大半のセリフをその(もとの)文脈を理解しつつ聞くことができた。というか、「そうかあ、そう訳せばいいのかあ」と、ついつい訳の「答え合わせ」をするような感じにもなる。で、「あれ? そこ、そういう意味すか」というところが一箇所だけあったほかはだいたい合っていた。わたしもなかなかやるものである。といった話はさておいて、安部聡子さん、山田せつこさんはすばらしかった。安部さんのこの軽みはなんだ、このキュートさはなんなのだ。終幕は、ひさびさ暗転に不意をつかれるという体験をする。これ以上ないというタイミングの、じつに気持ちのいい暗転。上演時間は70分。もう10分は長くなってかまわないので、三つのテキストの「絡み合い」がもっと観たいとは思う。三つの紙(テキスト)の山を切り崩して均した、そのさきのジュネにもっと立ち会ってみたい。東京では来年、シアタートラムで上演予定だそうだ。
夜は児玉君の家のちかくのお好み焼き屋。そうして児玉君の家にもどり、風呂をいただいて出ると、児玉君はこたつで横になったまま眠っていた。その顔を山村さんがのぞき込み、「ねえ、寝るの?(来客中なんだから)がんばって起きて」と声を掛けている。わたしはその児玉君の寝顔を見、「ダダに似てるなあ」と思ったものの、まあ山村さん(1984年生まれ)には通じまいと思って口には出さず、寝室としてあてがわれた二階の部屋へと上がっていったのだった。

本日の参照画像
(2010年4月29日 22:07)

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/ 23 Apr. 2010 (Fri.) 「京都へとむかいつつ」

会場までの道に案内のために貼られた『原始人みたい』のチラシ。

花見にも行ったさ。

日付変わってきょう、24日はこれから京都へ行く。地点の『何も、誰も、どんなに巧みな物語も』を観に行くのだ。ジャン・ジュネの三つのテキスト(「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」「……という奇妙な単語」「シャティーラの四時間」)をもとに構成された舞台である。そのうちの「シャティーラの四時間」は、初夏には鵜飼哲さんの訳でインスクリプトから翻訳が出る予定とのことだが、現時点ではまだ日本語で読むことができない。また、鵜飼さんによるその初訳は『インパクション』という雑誌の51号(インパクト出版会、1988年)に載っているらしく、国会図書館などに行けば読めるはずだが、まあそれは行けばの話。
『インパクション』の古本があればとネットを探したが見つからず、さらに見て回るうちにやがて「JSTOR」というサイトに泳ぎ着いて、そこで英訳版の「Four Hours in Shatila」をダウンロード購入(12ドル/PDF、21ページ)した。で、そのPDFをもとに自力で訳したものがこちらだ。ほんとうは行くまでに全部訳したかったのだがそれはかなわず、途中までである。
京都では「谷川清次郎商店」というキセル専門店にも行く。おそらくそこでわたしは、キセルと煙草入れとを買うだろう。夜は児玉(悟之)宅に厄介になり、一泊して帰ってくる。児玉君といえば過日のこと、4月3日だが、児玉君の出演した舞台を観たのだ。児玉君とは同窓であるところの今野(裕一郎)が作・演出をつとめた、バストリオ第一回公演『原始人みたい』。その初日の昼の回を観た。
今野君からも「書けたら感想を」と言われているこの舞台のことを書こう書こうとしてはさまざまなことに取りまぎれ、いや、書かねば、書かねばとなお呪文のように唱えつづけてきたのが今年のわたしの四月だったと言っても過言ではないわけで、いま、満を持してそれを書くのだけれど、なにせわたしはきょう、これから児玉君の家に泊めてもらわねばならない身であるから、ちょっと、じゃあ、めったなことは書けないのではないかということはあるかもしれない。だから言わせてもらうなら、児玉君がとてもよかったのだ。
『原始人みたい』はいわば「今野君が帽子を脱ぐ物語」だったと、いま、わたしはそうまとめたい気分にかられている。比喩的な意味でも何でもなく、たんに劇中のどこか──終幕付近だと思うがどこだったのかははっきりわからない──で今野君がそれまでかぶっていた帽子を脱いだのであり、そしてなぜだかそのこと──ふと見ると今野君がいつの間にか帽子を脱いでいた、という気づき──が、ひどく感動的なものに思えたのである。劇をとおして、今野君は「演出席」とおぼしい長机にいて、演技エリアとはべつに設けられたそこで、「演出家」とされる役のセリフを発したり、ほか、舞台進行上の雑務をこなしたりする。そこを舞台の一部だとするならば、舞台上にはじめに現れたのも今野君だった。さあまもなく開演だろうかという雰囲気の場内に、まず入り口から今野君がひとり入ってきて、その演出席に座り、目の前に置かれたノートパソコンの画面に目を遣って何かを確認するようなしないような、場内の何かを確認するようなしないような動きを見せたあと、まず、かれは長机の上に置かれていたミネラルウォーターのペットボトルを掴むと、キャップを開け、ごくごくと飲んだのだ。そうして立ち上がると、ふたたびそれはどこか手持ち無沙汰そうな風体で、そのまま入り口のドアから出ていったのである。何しにきたんだ。まさに「水を飲みにきた」としか言いようがない事態がそこに出来してわたしは愉快な気分になったが、これだけでなく──前述のことはたんにほんとうに「たまたま」だったのかもしれないが──、『原始人みたい』が〈芝居のはじめかた〉について意識的だったのはあきらかである。やがて入ってきた役者陣たちは準備運動ふうの、〈開始前のあいまいな時間〉をつくるのだが、そのさい、客席に知った顔があれば声をかけるという手法がとられていた。「おお、ひさしぶり。来てくれたんや」と児玉君がかれ独特の、ごく自然な調子で旧友らしい客に話しかける。まあ、どうしたってそこに〈意図〉は感じてしまうものの、しかしそのときの児玉君は、その手法のなかで〈あたうかぎり自然だった〉と言うほかない態度で友に話しかけていた。けっして「これから劇をはじめます」というその言葉を発することなく、けれどそれが発せられたと等しい〈はじまりの時間〉をつくり出すこと、そこで企図されていたことはおそらくそうしたことだったのではないか。
と、ここで時間切れ。「今野君が帽子を脱ぐ物語」についてはまたあとで。ではまた、のちほど。

本日の参照画像
(2010年4月24日 13:28)

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