10
Oct.
2011
Yellow

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/ 31 Oct. 2011 (Mon.) 「その後のわたしの歯」

古井由吉『蜩の声』(講談社)。

いいかげんリアルタイムとのずれが大きいのでこのへんでいったん日付を端折ることにして、それまでの日々をまとめて。

25日(火)

 この日も有給をとって一日休み。ほぼ寝ていたと思っていただきたい。石原(裕也)君は公演中、「(バイトを26日から入れたので)25日はおもいっきり読書にあてたい」と言い、どういう読書かと訊けば「勉強」だと言うので、その相談にのった帰りの中央線車中、富山太佳夫『方法としての断片』(南雲堂)、同『ポパイの影に』(みすず書房)小田亮『構造主義のパラドクス』(勁草書房)、同『レヴィ=ストロース入門』(ちくま新書)などをわたしは薦め、薦められたなかから早速いくつかをアマゾンで注文したらしい石原君は楽日にすれちがいざま、「今日中に届きますよ、本」と意気盛んな様子で報告してくれたものだったが、はたしてそのかれはきょう、どう過ごしたろうか。おそらく寝ていたと思うのだ。
 わたしが石原君に親近感をいだくひとつの理由はおそらく、「よく寝る」「つい寝ちゃう」「寝がち」といったところにあると思われ、まあ、児玉(悟之)君あたりからはよく「相馬さんいつ寝てるんすか、寝てないでしょ」と言われたりもするものの、そのじつ、わたしがよく寝る者だ(放っておくと寝ようとするし、寝ている)というのは、かつてふたり暮らしをしていた次兄や、妻のよく知るところである。[電力自給率:47.5%(発電量:9.8kWh/消費量:20.6kWh)]

26日(水)

 会社で使っている Mac Pro と、家の Mac Pro、それから MacBook Pro と、妻の MacBook をみな Lion (Mac OS X 10.7.2) にアップグレードし、それからわたしと妻の iPhone (3GS) をそれぞれ iOS 5 にして、MobileMe から iCloud へのアカウントの移行も済ます。「iOS 5 にしたらアプリが消えた」といったこともなく、万事すんなりいった。
 Lion、Mac Pro(初代=Mid 2006 の 2 x 2.66GHz Dual-Core / 15GB と、Early 2009 の 2.66GHz Quad-Core / 8GB)ではややもっさり感の出る印象。いっぽう MacBook Pro(Mid 2009 の 3.06MHz Core 2 Duo / 8GB)ではさほどそれを感じない。
 あと「ナチュラルスクロール」ってやつがね、やっぱりまずは面食らう。指に追随してコンテンツそのものが移動するという、iPhone や iPad ではおなじみの作法を OS X にも適用して、それをアップルは「ナチュラル」と呼びはじめたわけだが、あくまで「スクロールバーを」上下左右させていたこれまでのマウス操作感覚からするとそれ、まったくの「逆」になるのだった。でまあ、トラックパッドの MacBook Pro は「ナチュラル」のまま、マウスで使う Mac Pro では旧設定にもどしてひとまず使っている。[電力自給率:52.7%(発電量:10.4kWh/消費量:19.7kWh)]

27日(木)

 なにしてたっけなあ。
 何かの手掛かりにとツイッター上の自身の発言をさかのぼってみても、この日はたいしたことをこれっぽっちもつぶやいていない。山村(麻由美)さんのあたらしくなったツイッターアイコンの写真がかわいすぎる、なんだいったいこれはと話題になったのは26日の話だし、それが27日の話だったとして、おれ関係ないしなあ。
 かわいいんだけどなあ。かわいくても関係ないんじゃなあ、日記に書くってわけにもなあ。どうだろ、このさい児玉君さあ、すこし関係あるってことにならないだろうか、おれ。山村さんのうしろに写ってるの、あれ、よく見たらおれだったりしないだろうか。[電力自給率:66.3%(発電量:15.0kWh/消費量:22.6kWh])

28日(金)

 古井由吉『蜩の声』(講談社)発売。朝、駅ナカの本屋(「PAPER WALL ecute立川店」)で買う。駅ナカで古井由吉が買えるってあたりがなあ、やっぱりオリオン書房、どうかしている気がするものの、むろん文句はありません。重宝なかぎりです。
 『蜩の声』はちびちびと。巻頭「除夜」の、このいきなりのエロスは、毎度のことながらなにごとか。

昔は大晦日の夜更けから除夜の鐘の鳴るまで、二年越しのこともあったわね、と肌を寄せる。おいおい、晦日までまだ中二日もあるぞ、と呆れる男の首すじを唇の端で掃いて、足掛けでかぞえると、ひい、ふう、みい、何日になるのかしら、あら、死ぬほどいい心持、鐘の音も聞こえそう、と息も熱くなりながら、欠伸をひとつついたかと思うと、寝るが極楽、寝るが極楽と老婆みたいなことを唱えて眠ってしまった。

──お前、魂がまだ宙に浮いているな。誰に抱かれていたんだ。
──あなたですよ。

 で、それはそうと、この日の午後から右下奥の親不知の雲行きがあやしくなる。
 八月の末ごろからこれはまたべつの虫歯がきっかけでかかりだした歯医者で、当座の治療が済み、あとはまあ親不知を抜いてからですね、抜くなら大きいところで手際よくやってもらったほうが痛みも少ないですからと、地域でも一、二の総合病院への紹介状を渡されたのが九月のことで、まあ、とっとと行っておけばよかったものを忙しさにかまけるふりをし、長らく置いておいたのが祟った。『トータル・リビング』も終わって、いよいよ来週の月曜には行こうと、これはほんとうにそう思っていた矢先、それまで状態は落ち着いていて、ただ抜くだけと言えば抜くだけだった親不知の一本の、鈍い痛みをやどすのを聞いた。
 夕方、会社からかかりつけ医のほうに電話。月曜には総合病院のほうへ行くという前提なので、すると処置はつなぎめいたものになり、痛み止めと抗生剤を処方するのでひとまず様子をみましょうという話に落ち着く。同じ歯医者にはいま妻も通っており、ちょうどその夕方も診療中で、痛み止めと抗生剤は妻がもらって帰ることになる。歯のことなど出掛けには少しも言っていなかったから、相馬さん月曜に抜くらしいですよと担当医らがそばで会話するのを妻は、夫のこととは思わず聞いていたという。[電力自給率:78.1%(発電量:14.3kWh/消費量:18.3kWh)]

29日(土)

 痛みは、どうも虫歯そのものというよりも歯茎の腫れによるものとおぼしいが、だんだんとひどくなる。元気だったら、浦和映画祭に浅野(晋康)君の短篇を観に行こうと思っていたのだがあきらめた。かかりつけ医へ行き、かるく患部を掃除。痛み止めを飲んで寝て過ごす。[電力自給率:88.1%(発電量:14.2kWh/消費量:16.1kWh)]

30日(日)

 痛み止めは効くようになったが、腫れはひかず、傍目にも頬の出っ張りがわかるほどになる。ふたたびかかりつけ医へ。また患部を掃除し、薬を塗られる。どうしようかと迷っていたのだが、痛み止めの効きがいいこともあって、「やっぱり行く」と言うと妻に驚かれた。上野黒門町は「黒門亭」(社団法人落語協会の事務所の二階)。「志ん五追悼 弟子の会」。大五朗休演のため朝太が二席演って、朝太「強情灸」、志ん公「妾馬(めかうま)」、朝太「火焔太鼓」。大五朗休演の事情は朝太がマクラでしゃべったらしいが、遅れたのでそこは聞けず、「強情灸」の途中から。
 いやあ追善したね。その意味ではやっぱり志ん公「妾馬」。師匠・志ん五の「妾馬」はたしか二、三度聞いている。とくに志ん朝一門会の中トリで聞いたそれが記憶につよく、志ん公の「妾馬」を聞きながら志ん五のそれも聞いていたような具合で、だからまあ、いままだどこが足りないのかもよくわかるが、きっとかれは〈そこ〉へ行くだろう。行ってもらわないと面白くない。終盤、酒に酔った八五郎が三太夫を一喝するところにわたしははっきりと「志ん五」を見た。[電力自給率:55.6%(発電量:8.9kWh/消費量:16.0kWh)]

それでまあきょう(31日)、いよいよというのは妻が「ワンダと巨像」(PS3)を終えたのだった。通常プレイではとうにクリアしていて、ノーマルモードのタイムアタック(巨像それぞれに時間制限がある)も済ませ、ハードモードのタイムアタックがやっと終わった、もうやらない、とのこと。
総合病院と書いていたのは「災害医療センター」のことで、午前中、そこへ。初診で即日の抜歯はやらない方針だそうで、どのみち後日の予約ということになるのだったが、くわえて歯茎の腫れがおさまっておらず、これでは麻酔が効きにくいため手術に踏み切れないとのこと。腫れを鎮める薬を処方され、いちおう明日の午後を再度予約して、それで午後は出社した。で、腫れがひけば、明日(1日)、抜歯である。
本日(31日)の電力自給率:51.5%(発電量:11.7kWh/消費量:22.7kWh)。10月の自給率:40%(発電量:284kWh/消費量:704kWh)

本日の参照画像
(2011年11月 1日 13:41)

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/ 24 Oct. 2011 (Mon.) 「十一日目、というのはつまり楽日」

ところでいきなりだが、これは一年前、『ジャパニーズ・スリーピング』の制作手伝いとして来ていた大場さんが、本番中の楽屋で牛尾さんの似顔絵を描いていたのをこっそり撮ったものだ。あれから、一年が経ったのだった。

『トータル・リビング 1986-2011』楽日。昼の公演を終えるともう終わりである。
開場前、たばこを吸うベンチのところで石原(裕也)君とぼんやりしていて、その直前に何をしゃべったのかは忘れたが、それを受けた石原君に、「いやほんと、相馬さんがいてくれてよかったですよ」といったようなことを言われる。石原君の言わんとするところはすぐになんとなく了解できたわけだが、それはおそらく、技術的なサポート云々といったことより何より、「気づけば他人事のような顔をして、放っておくとふざけたことしか言わないような男がすぐそばにいてくれてよかった」というようなことだったと思う。ま、わたしは今回、いわば「演出助手助手」といった案配でだいたい石原君のとなりにいたのだった。
あ、そうそうわたし、月曜日ですが有給をとってこちらに来とります。
開演を制作楽屋で待って、そうして楽日の本番中、宮沢(章夫)さんのメッセージカード書きに付き添うというのは『ジャパニーズ・スリーピング』のとき以来の二度目。宮沢さんが本番中にそれを書くのは書いているところを役者さんたちに見られる心配が絶対無いからだが、今回も『ジャパニーズ・スリーピング』のときと同様、役者さんたちには四つ切ワイドというかなりでかいサイズに焼いた(各人それぞれの)舞台写真を用意し、その裏側に油性ペンでメッセージを、それ以外のスタッフ・お手伝いさんには特製ポストカードの裏にこれも直筆でメッセージを書いて、それを打ち上げの、大入り袋を配るタイミングでいっしょにみなに渡す算段である。
メッセージ書きに付き添うのはひどくうれしい役回りだし、単純にたのしいのだったが、まあ、ひとつだけ残念な点を挙げるとすればそれ、自分のぶんのメッセージもその場で書かれ、書かれたそばから読んでしまう──というか、そもそも書いているところが自然と目に入ってしまう──ってところだろうか。で、それ、「あとの楽しみがない」ってのもあるけど、それ以前に、メッセージを宛てる本人がその場で見てるというそうした状況では、そりゃあ、書かれるメッセージもほら、さすがに「ごくふつうの感謝の辞」になるじゃないですか。ってまあね、当人を前にその「ごくふつうの感謝の辞」をそそくさと書く、それをこちらだってむろん照れつつそばで見ているという構図じたいがね、何よりぜいたくと言やあぜいたくなわけですけど。
メッセージ書きも時間内に無事終わり、「第三章」からを映像ブースで観る。
ところで最後の回の公演には茨城から、次兄(そうまあきら)が観に来てくれた。まさにそれこそ「あの頃、わたしは高校生」だったところの兄(7ツ上)である。

@somaakira: トータルリビング見た。泣きそうになったが、泣かずにすんだ。もう一度見たいが、今ので終演。
10月24日 4:56 PM

@somaakira: 86年は高校生で、インクスティックがどうのとか言ってたものだよ。
10月24日 5:00 PM

@somaakira: そういえば当時セディショナリーズのジャケットも着てた。色はピンクじゃなかったけど。
10月24日 6:21 PM

@somaakira: でも86年だとまだロボットで復刻版を売り出してないような気がするので、タイガーリリーが着てたのはヴィンテージという設定なのかも。
10月24日 6:25 PM

 後半のツイートはさすがに7ツ下にはちょっとむずかしく、何言ってるんだかよくわからないことになってるものの、ただ、小学生だった弟の目に映った、あの頃の兄ならよく知っている。
「ばらし」(舞台装置の解体・撤去や、照明・音響機材の撤去、楽屋の片付けなどなど)をあいだにはさんで、夜8時から、新宿に移動して打ち上げ。まあね、「大入り袋コーナー」が無事、盛況のなか終わったのでわたしはもうそれでいいです。おつかれさまでした。で、店をかえて二次会は朝5時まで。
二次会もはね、ようよう明るくなった新宿の街でみんなと別れたあと、「腹が減った」と言い出して石原君、内田(智也)君をさそい、店はふたりにまかせて歌舞伎町は「いわもとQ」でかけそばを食う。そうして内田君とは駅で別れ、石原君と中央線にゆられて帰った。
本日(24日)の電力自給率:11.6%(発電量:2.8kWh/消費量:24.1kWh)

本日の参照画像
(2011年10月28日 22:49)

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/ 23 Oct. 2011 (Sun.) 「十日目/橋本さんは未来から微笑む」

これがキャロル・クリーヴランド。
これも。周りを囲むのはもちろんパイソンズのメンバー。
これも。周りを囲むひとたちはもうなんだかよくわからない。

『トータル・リビング 1986-2011』十日目。昼は映像ブースで、夜は客席で観る。客席で観るのは初日以来の二回目。初日には最後列から観たし、いつも観ている映像ブースはさらに離れた位置からだし、ここはひとつ最前列の、ここぞとばかりにほぼど真ん中で観る。
まぢかに観る舞台はまた格別の情報量だ。目のまえの役者にばかり目がいき、スクリーンのほうをほとんど見ていなかったのは石原(裕也)[映像オペレーション担当]に申し訳ないかぎりだけれど、だってしょうがないじゃないか。いろいろさあ、はじめて気づくよ。
以下、観ていないかたにはなんのことかわからない話になるのをはじめにお断りしておかねばならないが、たとえば「第一章」、その後何度か繰り返される「生徒1」(上村聡)と「俳優たち」による集団シーンの一回目のところで、ここ、何が面白いってですね、生徒1が話しているあいだの「男優1」(永井秀樹さん)ら何人かが、それなりに生徒1の話に耳を傾けつつも途中で気が逸れ、テーブルに視線を落としてその上の小物をいじりはじめるところなのだった。そんなことをしてるとは知らなかった。まあ、冒頭のシーンに使われていわば〈お役御免〉となったテーブルの上の小物たちがふとモノ自体となってそこに突然呼び戻されるのも面白いし、なにより、まさしく「俳優たち」それ自身がそこにいると感じさせる永井さんらの所作が抜群である。笑った。
また「第三章」、その集団シーンのバリエーションが三度繰り返されるところの三度目で、橋本(和加子)さんが

女優3 あのー、それでは私はどんなふうに演じれば正しい行いになるのでしょうか?

と例の台詞まわしを披露するところだけれど、その台詞を言うまでのあいだ、橋本さんが手に持った台本を開き、食い入るように読んでいる──が、台詞からもわかるようにあきらかに何も読めていない──のを目の当たりにしたのも、笑ったなあ。そこまで食い入るような眼差しだったとは知らなかった。
橋本さんといえば「第二章」、まあいろんなことをするわけですが、そのひとつ、ビンゴゲームの装置を回転させる女の役がとてもすばらしい輝きを放っていることにも至近距離から観ることで気づかされた。この舞台の「お色気担当」を自負するところの橋本さんはその役において終始、あたかも物語から完全に切り離された存在であるかのように舞台に立ち、お色気担当たる(?)ポーズを取りつづけるのだったが、その絶対的な姿が一瞬、キャロル・クリーヴランドに重なって見えたことにはわれながら驚かされた。それはまさに、橋本さんのくだらなさが相当な高みに達した瞬間だった。

終演後には、めずらしくまっすぐ帰らずに、矢沢(誠)さんと石原君、大場(みなみ)さん、それと大場さんの友達でいま「バナナ学園純情乙女組」に演出助手として付いているという小笠原(悠紀)さんといっしょに巣鴨の居酒屋で飲んだ。どんな流れでそんな話になったのだったか、そこでしゃべったことのひとつが「ラブストーリーとしての『トータル・リビング 1986-2011』」だ。
って、べつにたいした話ではなくてですね、物語の〈枠〉のようにして、はじめと終わりにそれぞれ配置される「生徒2」(今野裕一郎)と「愚痴ばかりの女」(橋本さん)の関係のことである。冒頭、「人間は面倒だな」という自身の台詞のとおりに、まったく唐突な質問を女に投げつけることしかしない生徒2と、「だから、撮るなよ」と再三撮影を中断させる愚痴ばかりの女は、しかしラストシーンにおいて、無言のままカメラを回し、撮られる関係へと変化している。むろんそのときの女は「きょうはわりと機嫌がいい」のだけれど、それだけではなく、この関係の変化にドキュメンタリー作家の、

ドキュメンタリー作家 そんなに簡単にカメラは回せない。なにかを撮影しようとしたところで、カメラを構えるまで一年はかかる。いや、それ以前に、街の人たちと挨拶ができるまでに半年かかる。人はレンズを信用しちゃいないよ。挨拶に半年。信用してもらうまでに一年。それでようやく、三脚にカメラを載せられる。

という台詞を重ねるならば、ラストシーンについて、「あれから一年が過ぎたのだ」と捉えることもできるだろう。つまり、そこはもはや2011年ではない、〈未来の屋上〉だ。
 そして、このことについて、もうひとつ注目したい台詞は「沼野」(時田光洋さん)によってつぶやかれる。

沼野 戻ったのかな。あの高校生、あの時代に。一九八六年に? ……それとも……べつの場所? 現在?

 2011年の屋上にいるはずの沼野だが、ここでは「(2011年とも1986年ともちがう)べつの場所」として「現在」という場所を口にするように聞こえる。「現在」──語る現在/語り手のいる場所──は、やはりここでも2011年ではない場所として示唆されているのであり、わたしにはその場所が〈未来〉であるように感じられる。というのは、どうしたって、橋本さんのあの笑顔を見せられてしまうからだ。あのとき、そう、橋本さんは未来から微笑むのである。
てなことを巣鴨の「わたみん家」でしゃべったのだったが、翌日、楽日の休憩中に、大場さんがこの解釈を女子楽屋のみんなに披露してきかせたらしい。それで「めっちゃええハナシやんけー」と女子楽屋は盛り上がって、この解釈は「大場さんの手柄」っぽくなったというが、まあね、それもしょうがないじゃないかとわたしは言いたい。
本日(23日)の電力自給率:21.9%(発電量:5.8kWh/消費量:26.4kWh)

本日の参照画像
(2011年10月28日 14:03)

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/ 22 Oct. 2011 (Sat.) 「九日目」

『トータル・リビング 1986-2011』九日目、昼・夜。ひさびさ、また映像ブースのとなりで観る。
映像のオペレーションをやっているおなじみ石原(裕也)君だが、かれが毎回、とくに腐心するのが「内なる声」のところの字幕である。まあ、笑いの起こる箇所なのだが、字幕をフェードイン/フェードアウトさせるその微妙なタイミングについて公演の序盤、映像ブースでは──って石原君とわたしですがね──熱心な議論が交わされたのだった。あせったり、客席の笑い声(の有る無し)に影響されたりせずに、「等間隔」を意識して出すのがいいと思うよと最終的にわたしはアドバイスしたのだったが、その操作もいよいよ(自分のなかで)安定してきたと石原君は言う。
石原君の大学の先輩で、前回公演の『ジャパニーズ・スリーピング』で映像オペレーションをしていた近藤(久志)君が観に来てくれたのはあれは何日目だったか、開場前に顔を合わせた近藤君からは、「おれより高度なことはしないように」という石原君宛の伝言をあずかった。で、さらには終演後、前述の「内なる声」の箇所を指してにがにがしい顔を見せ、直接石原君に、「おまえあそこ、自分の力で笑わせてると思うなよ」と釘を刺していた近藤君である。みんながそうであるように、わたしは近藤君が大好きだ。
家が八王子(=石原君)と立川(=わたし)なので、帰りはたいてい石原君といっしょに帰ることになる。「あと3回だよ」とわたし。「あと3回っすよ」と石原君。長いと思っていた全15ステージがこうしてあっというまに過ぎていくのだったが、それでふとわれわれが思い起こすのは去年の『ジャパニーズ・スリーピング』が全13ステージだったということで、「なんだよ、13回しかやってないんじゃん、近藤さん」と一気にステージ数で優位に立つ石原君だ。
でまあ、「あれ? おれ何回やったんだろう」と思うのは『トーキョー/不在/ハムレット』(わたしが映像オペレーションを担当してました)のことで、中央線車中、iPhone で調べるとそれ、全20ステージ(うち、京都公演が2ステージ)だったとのこと。はっはっはっ、まったく口ほどにもないよ、石原も近藤も。
本日(22日)の電力自給率:8.3%(発電量:1.9kWh/消費量:22.7kWh)

(2011年10月26日 22:46)

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/ 21 Oct. 2011 (Fri.) 「八日目/終演後にすこしだけね」

妻はというと、「ワンダと巨像」(PS3)をプレイ中だ。しばらくやっているからそろそろ終わるのではないかと思う。はたして妻はぶじにワンダを倒し、巨像を手に入れることができるのか。そして、「ワンダと巨像」はそんなゲームなのか。ちがうのではないのか。なかなかに興味は尽きない。
〈リハビリ〉の効果も徐々にはあらわれて、おかげさまで文章を書くのがだいぶラクになりつつあるけれど、そんなこと言ってると覿面に更新がとまるのがつねだ。ま、ちょっとずつでも書きつづけなければならないと思っているのは、日々書いておかないと肝心なときに書けないものだからである。
では、いったい「肝心なとき」とは?
きょうはよく働いた。働いたな。西巣鴨には終演後にすこしだけ顔を出す。
書こうと思っていたことが何かあるような気もするものの思い出せない。なんだろう。笠木(泉)さんがツイッターで、

@izumikasagi: 落語が好きになりまして、最近。落語家の自伝なんかも読みたくなってきた。独演会などにも行ってみたい。みなさんは誰が好きですか?
10月20日 4:19 PM

と投げかけていたことへの返答をしっかりここで書こうと思っていたのだったろうか。会ったときに話したらどうなのか。
うーんとまあ、志ん朝。志ん生、馬生(先代)、志ん五、文楽(先代)、正蔵(先代)、小さん(先代)、柳朝(先代)、吉朝。ここまで物故者。でまあ、米朝、談志、圓蔵、小三治。あとはそうだなあ、さん喬、正蔵、喜多八、ひな太郎、などなど。加えて、むろん志ん朝門下はだいたい好き(志ん輔以外)
でもまあ、いま誰を〈贔屓〉にするかってことでいえばわたしはきっぱりと古今亭志ん公だ。志ん五の一番弟子(志ん五の死後、志ん橋門下)で現在二ツ目。追っかけたいと三年ほど前から思いつつ観にいけてないのだが、〈古今亭の正調〉はきっといつか、かれにこそ宿るとわたしはみる。
てなことを書いてたら、うわっ、これ。

志ん五追悼 弟子の会

日時:10月30日(日) 15時00分開演
場所:黒門亭
料金:¥1000円(全席自由席)
出演:古今亭 大五朗 「強情灸」
   古今亭 朝太  「火焔太鼓」
   古今亭 志ん公 「妾馬」
落語協会事務局 03-3833-8563

 行かねばなるまいよ。あ、ちなみにこの大五朗ってのはあのだん五さん(読んでるかどうか知らないけど米倉さんへの註)
本日(21日)の電力自給率:16.6%(発電量:3.8kWh/消費量:22.8kWh)

(2011年10月24日 10:11)

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/ 20 Oct. 2011 (Thu.) 「七日目/やはり行ってませんが」

これが「もきち」(児玉君の Facebook から拝借)。

山村(麻由美)さん、誕生日おめでとう。
きのう「立川談笑月例独演会」を観終えてから会社に戻り、そのまま一泊して仕事をしていた。
山村さんにおめでとうさえ言ってしまえば、きょうはほかに言うべきこともないのだし、またかよとお思いの向きはあるかもしれないものの、ふたたびツイッター上での児玉(悟之)[@sk_losco] とのやりとりを載せてお茶を濁そうと思うのだ。京都在住の児玉君は、きょう誕生日であるところの山村さんの同居人である。なお、会話に出てくる「もきち」というのはふたりが飼っている猫、「ヒロイさん」というのはわたしの妻である。

@nenemaruchinta: ありがとう☆27歳です。奇数歳嬉しい♪(´ε` ) “ で、きょうは親友の山村麻由美さんが誕生日という事でおめでとう。”
10月20日 1:18 PM

@soma1104: しっかり祝うんだぞ。
10月20日 4:06 PM

@soma1104: マフラー編め。いまから編め。
10月20日 4:08 PM

@izumikasagi: 頼んだぞ
10月20日 4:13 PM

@soma1104: あと花だ。菊かな。女は菊によわいっていうぞ。
10月20日 4:14 PM

@sk_losco: …ということは菊柄のマフラーですね!
10月20日 4:36 PM

@soma1104: だな! それとさ、サプライズだよやっぱり。すげーびっくりさせないと。もきちは奇跡とか起こせないのか?
10月20日 4:44 PM

@sk_losco: サプライズ…。もきちは不器用なので、なかなか…。力は強いです。
10月20日 4:56 PM

@sk_losco: あ、一回、なんかビニールみたいなの食べてて慌てて取り上げたら、すでに呑み込んでいたビニールがビローンと出てきたことがあったので、あの、各国の旗が出るマジックならできるかもしれません。
10月20日 5:03 PM

@soma1104: よしそれでいこう。できたら万国旗が出揃った瞬間、世界が平和になるといいけど、それはやってみないと上手くいくかわからないな(俺もがんばる)。うん、だいぶできてきたぞ。
10月20日 5:09 PM

@sk_losco: まだ足りないですかね?
10月20日 5:26 PM

@soma1104: あとは言葉だな。菊柄のマフラーを渡すときの言葉。
10月20日 5:29 PM

@sk_losco: 「ツイッター見て知ってると思うけど、これ、菊柄のマフラーやから」
10月20日 5:35 PM

@soma1104: だいたいいいと思うけど、最初に「おれ、児玉」って言ってみようか。
10月20日 5:38 PM

@sk_losco: 「おれ、児玉。ツイッター見て知ってると思うけど、あ、ツイッターでは ね、で、これ、菊柄のマフラーやから」
10月20日 5:40 PM

@soma1104: うん、それなら伝わると思う。出だしはそれで、あと、ちょっと褒めようか、山村さんを。
10月20日 5:45 PM

@sk_losco: 「19のころから知ってるから、やっぱちょっと老けたなって思うときもあるけど、まあ、言うても若いほうやと思うで。マジで」
10月20日 5:48 PM

@soma1104: よし。それもアタマに「おれ、児玉」って入れといたほうがいいかな。忘れちゃってるとあれだし。あと、言っとくけど、ヒロイさんもあれでなかなか若いよ。
10月20日 5:56 PM

@sk_losco: 「おれ、児玉。大学で、ほら、同級生やった。19のころから知ってるから、やっぱちょっと老けたなって思うときもあるけど、まあ、言うても若いほうやと思うで。マジで。ヒロイさんくらい」で良いですか?
10月20日 5:59 PM

@soma1104: うん。気持ちが伝わるといいね。ていうかそろそろ時間だろ。おれとこんなことしてないで(早くしないと寝ちゃうよ、山村さん)、マフラーともきち持って行ってこい!
10月20日 6:12 PM

@sk_losco: わかりました!ありがとうございました!
10月20日 6:14 PM

@soma1104: おい、祝ってるか? 祝ってるんだろうな?
10月20日 9:49 PM

@sk_losco: いま、もきちが旗を出している途中です。
10月20日 9:53 PM

@soma1104: がんばれもきち! 世界に平和を!
10月20日 9:56 PM

本日(20日)の電力自給率:20.3%(発電量:5.3kWh/消費量:26.1kWh)

本日の参照画像
(2011年10月21日 23:05)

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/ 19 Oct. 2011 (Wed.) 「六日目/きょうも行ってません」

ハロー。
朝、寝室。事前に何の相談もなく、ポシュテ(猫)がベッドから26V型の液晶テレビめがけて跳んだ。突然のことだし、一瞬のことだった。そんなことはいままで一度もなかったのだが、網膜を過ぎていったそのあいまいな図像をたどるなら、何事か思い違って液晶テレビの「上」に乗ろうとしたようでもあるし、「テレビなどない」と判断してテレビ台に飛び移ろうとしたようでもあった。ともあれ、ポシュテはテレビを道連れに高さ80cmのテレビ台からその後方へと落ち、すぐに寝室から走り去る。ちなみにテレビはいっさいの転倒防止策を施しておらず、付属のスタンドを使ってただ置いてあるだけだ(が、三月の地震のときはさいわい倒れなかった)。わたしもわりと大きな声を出したはずだが何と言ったのだったか、忘れてしまったのいうのは、それにつづく妻の「ちょっとなにしてんのぉー!?」というさも不機嫌そうな叱責がわたしにむけられたもののように聞こえてひるんだためかもしれない。
これだけ力を入れて描写しているのだからテレビ壊れたって話だろうと思われているとすれば申し訳ないが、無事だった。ベッドを抜けておそるおそるテレビ台と壁のあいだからテレビを取り上げ、まず液晶の無事を確認する。いっしょに落ちたスピーカー類をもとに戻し、電源を入れるとチャンネルも点く。なんともなかった。すっかりあきらめていたらしい妻が「テレビすげー」と賛嘆の声をあげた朝だった。
夜、いったん会社を抜けて永田町は国立演芸場へ。「立川談笑月例独演会 其の119回」。茂木(成美)さんと観る。「幇間腹」、「抜け雀」、「芝浜」。記憶に間違いがなければわたし、談笑を聴くのははじめてだ。というか、生の落語じたいが相当ひさしぶりである。「Yellow」の記述だけを頼りにさかのぼると、2009年の11月に(林家)正蔵を聴きに行ったのが最後らしい。
「幇間腹」をオーソドックスに(というかあっさり)演ったほかは、「抜け雀」にも「芝浜」にもはっきり手が入れられている。「抜け雀」の絵師は鳥かごを描き加えられてなお父親に反発する。うがって聴けば〈父=古典落語〉と見定めているかのようでもある。絵の雀が抜け出すことのファンタジーと同様、「息子の改心」もまたファンタジーであると見、そこに合理的な説明や展開をあてがうことでまたべつの噺を仕立てる。
といって、この場合の「ファンタジー」は(おそらく談笑においても)否定されるべき何かを指すのではなく、むしろ演者が噺の核と見るもの、真に向かい合うべきテーマのことであって、向かい合うからこそ手を入れなければならず、噺の細部をそこに向けて奉仕させねばならない──最終的にはファンタジーを機能させなければならない──ということなのだろう。では、ひるがえって(古今亭)志ん朝の「抜け雀」においては何がファンタジーだったのかという話だけれど、おそらくそれは「名人という存在」だったのではないか。──てなことを考えていたら、以前に長兄からもらったメールのことを思い出したのだ。『落語研究会 古今亭志ん朝 全集』発売決定の報に接して「なんだか浮かれ」た兄が、TBS 落語研究会をテレビ録画した(『全集』に収録されているのと同じ)志ん朝の「抜け雀」を見てメールしてきたものである。

なんだか浮かれて「抜け雀(絶品!)」を再鑑賞してしまいましたよ。
メタレベルの名人がさらにその上を行く名人(父)に頭を下げる、
その理由が「かごかきにした」からだという(凡人にとっての)訳のわからなさ、
すんごいレベルで父(志ん生)と向き合う名人と改めて向き合えば、
もうなんだか、泣けて泣けて泣けて・・・
2008年1月31日木曜日

 いい兄をもったな、おれ。
 あ、ところで関係ないですが、志ん朝のこの「抜け雀」の録画テープを〈完コピ〉して、わたし高校三年の学園祭で演ったのでしたよ。そこそこウケました。お恥ずかしい話です。
談笑版「芝浜」の魚勝は、最終的に酒を飲んでしまう。これもよく考えられた改作だ。むろん磨きあげたうえで高座にかけているのだろうが、あたかも高座上でいままさに登場人物の行動が決定され、物語が紡がれていくようにも感じるこの緊張感は、(立川)談志の「芝浜」を観たときの空気にとてもちかく、当然ながらその高座のことを思い出す。これが最終形ではなく、きっとまだ変化をつづけるのだろうことはむろんながら、「いまはこれがせいいっぱい」とばかりに吐き出されたきょうの高座はすがすがしかった。
てな感じで、長くなったのでこのへんで。下はこの12月、日活100周年のあれでデジタル修復版が全国ロードショーされる『幕末太陽傳』(川島雄三監督)の予告篇。では。バイバイ。

本日(19日)の電力自給率:10.6%(発電量:2.4kWh/消費量:22.6kWh)

(2011年10月21日 20:20)

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/ 18 Oct. 2011 (Tue.) 「五日目/きょうは行ってません」

『トータル・リビング 1986-2011』(@にしすがも創造舎)は五日目、昼・夜の二回公演。わたしはきょうは劇場に行かず、夜まで会社で仕事。
朝、

@soma1104: 篠田麻里子はあれだね、パルト小石さんに似てるね。
10月18日 10:47 AM

とつぶやいたのは電車で中吊り広告を見ていたのだった。『週刊プレイボーイ』誌のそれはこういったものだが、

ほら、

ね?

でしょ?
本日(18日)の電力自給率:35.0%(発電量:8.3kWh/消費量:23.7kWh)

(2011年10月19日 22:37)

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/ 17 Oct. 2011 (Mon.) 「四日目」

そういえば母が観にくるんだったと思い出したこともあって、きょうもまた夜、劇場へ。そしてまた映像ブースから観る。きょうはなんだか、矢沢(誠)さんがよかった。
おとといの日記に、

──真似るひとと踊るひと。語り手と焦点化人物。そしてまたもや出来事の無理解のための主人公。休憩と忘却。などなど。などなど──

(自分のなかの内なる)キーワードを羅列したばかりだけれど、そのキーワードでそれぞれ具体的に何を書こうと思いついたのだったか、さっそく忘れかけているわたしがここに居り、まあね、そういったものは思いついたときに文にまでしておくにこしたことはないのだった。
というわけで書いておけば、やはり、どうしたってしみじみとした感動をおぼえるというのは、「沼野」と「ドキュメンタリー作家」がふたり向かいあう第三章のごく短い場面だ。このさいちょっと乱暴に──こまかな読みの手続きもエクスキューズもなしに──言わせてもらいますがね、だってこれ、〈1986年の宮沢さん〉と〈2011年の宮沢さん〉が出会ってる(出会わされてる)わけじゃないですか。だからこそ、

沼野 [……]だから、ここであなたと私は別れなければなりません。

ドキュメンタリー作家 なぜですか? せっかく会うことができたんですよ。こんな場所で。[……

というふたりの対話にはぐっとくる響きがこもるのだし、そしてまた、

沼野 でも、いつだってカメラはあるじゃないですか。

というせりふによってもうひとりそこに呼び出される「カメラ」こそが、役でいえば「生徒1/記述者1」──上村聡!──が象徴するところの〈語り手〉=〈この作品をつくっている宮沢さん〉であるにちがいないとわたしには思われ(そのことは、この舞台の上村聡がなぜあんなにふざけているのかとも無関係ではないだろう)、つまりここでは、〈2011年の宮沢さん〉と〈この作品をつくっている宮沢さん〉がことなるものとして、はっきり対立させられつつ接合されている。
あ、思い出した、おととい羅列したうちの「語り手と焦点化人物」って、そうだよ、この話だなたぶん。
てなことを、つらつら考えながら観ようとしていた矢先、映像ブースにはちょっとした〈どっきどきタイム〉が訪れ、結果的にはべつになんともなかったのだけど、終盤しばらくのあいだはまったく鑑賞どころでなかったのだった。
本日(17日)の電力自給率:43.0%(発電量:11.1kWh/消費量:25.8kWh)

(2011年10月19日 10:26)

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/ 16 Oct. 2011 (Sun.) 「三日目」

牛尾さん(自画像)。「牛尾さんのブログ」より。

『トータル・リビング 1986-2011』三日目は昼の回のみの公演。11時半に劇場へ。映像素材にかんしてはもうとくにすることがない。と思っていると、YouTube 上のとある動画のことを宮沢(章夫)さんが知って、それをつぎのだめ出しのときにスクリーンに大写しにしたいと言い出した。それでその準備をこつこつと整え、明日のだめ出しの時間にはわたしは劇場にいないので、演出助手の石原(裕也)君に「これをこういうふうにして出して」と引き継ぐ。
公演はまた映像ブースの石原君のとなりで観る。観てないひとには(あるいは観たひとでも?)何のことかわからない話で恐縮だが、きょうは牛尾(千聖)さんの「同好会だあ」がとてもよかった。となりを見ると石原君も声を殺して笑っている。あと、これは冒頭ちかく、「生徒2」(カメラマン)役の今野(裕一郎)君にカメラをむけられた牛尾さん(「欠落の女」)と上村梓(「忘却の灯台守」)が一瞬ポーズをとるところがあり、それ、スクリーンには投写されないのだけれど映像ブースのモニターには中継映像が届いていて、正面から見たその牛尾さんがいかにかわいいかを石原君とわたしは知っている。
京都から児玉(悟之)君と山村(麻由美)さんが、また、奈良からは佐藤(拓道)さんと南波(典子)さん、さらには後安(美紀)さんが観にきてくれる。「あ、ご無沙汰です」とつい言ってしまってから気づけば、後安さんと会うのはこれがはじめてなのだった。以前ネットで何度かやりとりしたことに加えて、こちらは一方的に顔を見知ってもいるため、うっかり「会ったこともある」ような感覚になっていた。なお、後安さんについては 2007年(の奇しくも)10月16日付「後安さんのこと」にくわしい(いや、べつに「くわしい」こともないけど)
夜の回がないので、これまでなかなか時間がとれず催す機会のあまりなかった出演者・スタッフの親睦会を、劇場のちかくの餃子屋さんでゆっくりと。わたしはもっぱら、児玉君や小林(光春)君、牛尾さん、橋本(和加子)さん、矢沢(誠)さんらとしゃべっていた。「ぼく来年40(歳)なんですけど、そのことにたいしてどうしてもネガティブな捉え方をしていた矢先、40を境に河童を見る確率がぐーんと上がるって話をこないだ聞いて、すごく前向きな気持ちになってるんです」と語るのは矢沢さんだ。
はたまた、「ルイーズ・ブルゴワンって、ちょっと橋本さんに似てますよね?」という先日の石原君の発言を教えてあげると、「まじっすかあー。やばいなー、うち。がはははは」と相好を崩すのは橋本さんだが、いっぽうでややこしい固有名を覚える気は毛ほどもなく、石原君にむかって発言をたしかめようと、五秒ほどの時間差をおいて「うちがウィズ・バルゴラネンに似てるって?」と訊くのもまた橋本さんだ。
本日(16日)の電力自給率:45.7%(発電量:10.1kWh/消費量:22.1kWh)

本日の参照画像
(2011年10月18日 17:14)

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