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Nov.
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/ 16 Nov. 2011 (Wed.) 「アクティビティ」

ツイッターに新機能の「アクティビティ」が加わる。フォローしている相手の活動状況──誰をフォローした、どれをお気に入りにした、どれをリツイートした──が表示されるもので、いずれの情報も、知ろうと思えばこれまでだってそれぞれ知る手立てはあったわけだが、アクティビティ機能により、じつにお手軽にそれらの情報にアクセスできるようになったかたちだ。見かけとしては Facebook の「ニュースフィード」を思わせて、より SNS のほうへとツイッターが大きく踏み出した印象を与える機能になっている──というか、アクティビティという用語そのものが Facebook 由来と言っていいようなもので、従来の説明のされ方でいけば、つぶやきが流れてくるのがツイッターのタイムライン、アクティビティ(活動状況)が流れてくるのが Facebook のニュースフィード、だったわけだ。
SNS のほうへ、というのはつまり、〈つぶやき〉単位から〈ひと〉単位へということで、この場合、アクティビティ機能のうちのリツイート情報について考えるとおそらくわかりやすい。というのも、フォロー、お気に入りのふたつとちがって、リツイート(されたつぶやき)はそもそも、タイムラインを眺めているだけで流れてくるものだからだ。とはいえ、タイムラインにおいてはあくまで〈つぶやき〉単位であるから、フォロー対象のつぶやき(フォローしているからリツイートされなくても直接読める)がべつのフォロー対象によってリツイートされたことはそれとわからないし、また、非フォロー対象のつぶやきが複数のフォロー対象によってリツイートされた場合にも、そのつぶやきがタイムラインに現れるのは(そうじゃない場合もあるけど基本的には)一度きりであって、リツイートかどうかにかかわらず、その都度々々の──刹那的でもある──〈つぶやき〉そのものに出会うということが体験の基本になっている。
それにたいし〈ひと〉単位のアクティビティでは、リツイートという行為のほうが注目されるのであり、〈誰が〉ということが興味の基本になるのだ。
で、このツイッターの SNS化については早々に多くのユーザーから拒否反応が出ているわけだが、そのへん、どういった声があるのかとネットサーフィンするうち、The Guardian の「Twitter's activity stream: too much information?」という記事(この記事自体は、たんなる覗き趣味にはとどまらない可能性をアクティビティ機能に見ようとするもののようだ)に行き当たり、そのコメント欄の書き込み経由で、かの風刺漫画雑誌『パンチ』の、およそ150年前の記事へと辿り着いた。「The House Telegraph」と題されたその記事は、当時最新の通信技術であるテレグラフ(電信)をあつかい、それがロンドンにもたらすだろうプライバシーの破壊について皮肉をこめて予言するものである。
というわけできょうは、以下にその『パンチ』誌の記事を訳出してみよう。例によって随所に誤訳の可能性はあるし、どうも語の意味がはっきりしないところなど、文脈からの類推で強引に訳をつけてもいるので、どうかひとつ、そのつもりでお願いします(訳の間違いについての指摘など、あれば遠慮なくメールください。あるいはコメント欄でもいいですし)

A Telegraph all over London? The wires brought to within 100 yards of every man's door? A Company established to carry it out?

電信がロンドンを覆い尽くす? 電信線がすべての家の玄関を100ヤード以内の距離につなぐ? それを実現するための会社が設立される?

Well - I don't know. There's a good deal to be said on both side.

さあね、わからない。両方の側面から、言わねばならないことがたくさんある。

It certainly would be pleasant to be within five minutes of such a message as "Dine at the Club with me at seven;" or "SQUATTLEBOROUGH JUNCTIONS" at six premium; I've sold your hundred, and paid in the cash to your account;" or "Little stranger arrived safe this morning at twelve; mamma and baby doing well;" and one might occasionally be grateful for such a warning as "KITE and POUNCE took out a writ against you this morning - Look alive;" or "JAWKINS coming to call on you; make yourself scarce."

たしかに、つぎのようなメッセージを5分とかからずに受け取ることはたのしいだろう。「7時に、あそこのクラブで食事でも」とか、「 "SQUATTLEBOROUGH JUNCTIONS" が6倍の高値。君のぶんの100を売って、現金で口座に入れといたよ」とか、「小さきストレンジャーは無事、今朝12時に到着。母子ともに健康なり」とか。あるいはときおり届くつぎのような警告には感謝するかもしれない。「カイトとパウンスが君の令状をとった。ぐずぐずするな」とか、「ジョーキンスがじきそっちへ行く。さっさと出掛けたほうがいい」とか。

But think on the other hand of being within five minutes of every noodle who wants to ask you a question, of every dun with a "little account;" of every acquaintance who has a favour to beg, or a disagreeable thing to communicate. With the post one secures at least the three or four hours betwixt writing the letter and its delivery. When I leave my suburban retreat at Brompton, at nine A.M., for the City, I am insured against MRS. P.'s anxieties, and tribulations, and consultings, on the subject of our little family, or our little bills, the servants' shortcomings, or the tradesmen's delinquencies, at least till my return to dinner. But with a House Telegraph, it would be a perpetual tete-a-tete. We should be always in company, as it were, with all our acquaintance. Good gracious, we should go far to outvie SIR BOYLE ROCHE's famous bird, and be not in two places only, but in every place within the whole range of the House-Telegraph at once. Solitude would become impossible. The bliss of ignorance would be at an end. We should come near that most miserable of all conceivable conditions, of being able to oversee and overhear all that is being done or said concerning us all over London! Every bore's finger would be always on one's button; every intruder's hand on one's knocker; every good-natured friend's lips in one's ear.

しかしいっぽうで、君に質問をしたがっているすべての馬鹿や、つまらない請求書を手にしたすべての借金取り、お願い事や、やりとりするのが不愉快な用件をもったすべての顔見知りたちもまた5分とかからない距離にいることを考えてみてほしい。郵便では、手紙が書かれてから届くまでの少なくとも3、4時間が保証されている。午前9時にブロンプトンにある郊外の別荘を出ていったんシティーへと向かえば、少なくとも夕飯を食べにもどるまでのあいだ、わたしはP夫人〔訳者註:パンチ夫人てことかな?〕がいだく心配事や、悩み事、相談事──われらが小さな家族についての、われらが小さな請求書についての、使用人たちの欠点についての、はたまた小売商人たちが犯す過失についての──から身を守ることができる。しかし家庭用電信においては、わたしは彼女と永久に差し向かいになるだろう。いわば、われわれはつねに、すべての顔見知りといっしょにいなければならなくなる。なんてこったい、これじゃわれわれはボイル・ロッシュ卿の有名な鳥にもまさって〔訳者註:ロッシュ卿は「人間は、鳥にでもならないかぎり同時に2ヶ所に存在することはできない」といったような発言をしたらしい〕、たった2ヶ所に存在するだけでなく、家庭用電信が届くかぎりのあらゆる場所に、たちどころに存在できてしまうことになる。もはや孤独は不可能になるだろう。無知であることの至福が終わりを迎える。ロンドン中の、われわれにかんして行われたり言われたりするすべてのことをついつい目にし、ふと耳にしてしまうとなれば、われわれは考えられるうちでもっとも悲惨な状態へと近づいている! あらゆる退屈な輩の指がベルの押しボタンにかけられていて、あらゆる乱入者の手が玄関のノッカーを掴んでおり、気立てのよい友人たち全員の唇が耳元にある。

No - all things considered, I don't think society is quite ripe for the House-Telegraph yet. If it is established I shall put up a plate on my door with "No House-Telegrams need apply."

ノーだ。いろいろ考えた結果、社会はまだ家庭用電信を迎え入れられるほど完全に成熟してはいないとわたしは思う。もしもそんな会社が設立されたならば、わたしは家の玄関にこう書いた札を提げるだろう。「電信無用」。
"The House Telegraph", Punch, Dec. 18th 1858

本日(16日)の電力自給率:53.4%(発電量:14.0kWh/消費量:26.2kWh)

(2011年11月19日 03:26)

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