11
Nov.
2011
Yellow

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/ 15 Nov. 2011 (Tue.) 「抜糸は130円」

荒川(イメージ)。

19:50
そうだ、談春のことなら荒川(泰久)だったな。

なぜ、これだけはメモする気になったのか、そこがわからない。こうして急に登場させてしまった荒川なる者だが、なにをかくそう、わたしの高校の同級である。同じ演劇部に所属し(所属してたのかよ、相馬)、学内で漫才をやるときには(やってたのかよ、相馬)相方をつとめてもらっていた男だ。もうかれこれ10年ぐらい前、かれは立川談春の独演会に足繁く通っていたんじゃなかったかと記憶する。いまはどうなのだろう。聴きに行ってるんだろうか。そのへん、かれのツイッターアカウントはフォローしているもののあまり気にかけてないのでよく知らないが、ともあれ、立川談春のことなら荒川に訊くのがいいんじゃないかと思うのだ。きっとていねいに答えてくれるにちがいない。なにせ、どことなく、ほんとうにどことなく、セサミストリートで見かけたような顔をしているのが荒川だからだ。
ま、荒川のことはどうでもいいのだが、きょうは朝、柳家小三治独演会(@銀座ブロッサム中央会館)のチケット発売だった。寄席などで幾度かその高座に接したことはあるものの、思えばホールでの独演会をとろうとするのははじめてで、いま、この大看板のチケットがどのぐらいの速度で完売するものなのか見当がつかない。とれたらいっしょに行こうと話のまとまっているニューカマーの落語ファンがいて、そのぶんのチケットも任されているから、会を主催する東京音協がそのサイトに「今やチケットを押さえるのが最も難しい落語家ともいわれている」と煽るのを虚心に受け止めて身構えた。中央線の遅延もあって、販売開始の10時を電車のなかでむかえることになり、iPad でチケットぴあにログインしてその瞬間を待つが、10時きっかりと言っていいタイミングでページをリロードするとすでに「予定枚数終了」である。ほんとうに売っていたのかおまえはと疑う時間も惜しみ、すぐにイープラスに行くがこちらも「予定枚数終了」。なんてこったい。どうせあれだよ、「道灌」と「錦明竹」だよきっと、ね、だからみんなさあ、そんながんばらなくてもさあと、誰彼となく言ってまわりたいがここは電車だ。おおもとで販売している東京音協は電話のみの受付なので、四ツ谷に着いて電車を降りられるまでただただ待つ。ここへきて中央線の遅延が痛く、けっきょく電話できたのは10時半ちかくになってだったが、さすがは販売元、無事にそこで人数分予約できたのだった。
夜、かかりつけの歯医者で抜糸。かちかちっと切ってすすっと抜く。130円(負担率30%)。糸がないと相当すっきりする。抜いた親不知のとなりの歯の根元、いままで親不知があたっていた部分が虫歯になっているのだが、そこがラクに治療できるようになるには抜いた部位の骨がもどらねばならず、半年ぐらい先の話になるとのことで、このあとはいったん歯石取りなどの通常メンテナンスにもどる。で、それはそれとしてもう片方、左下の親不知は来月の13日に抜歯の予約を入れてあるのだった。
いや、あれだな、一年の締めくくりに小三治の「道灌」というのもいいな。(もちろん知りませんけどね、なに演るんだか。念のため。)
本日(15日)の電力自給率:27.6%(発電量:6.1kWh/消費量:22.1kWh)

本日の参照画像
(2011年11月18日 13:08)

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/ 14 Nov. 2011 (Mon.) 「ふたたび『ショー・マスト・ゴー・オン』について」

さて、12、13日に彩の国さいたま芸術劇場で上演された『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(わたしは12日に観たについて、ツイッター上でなるほどなあと思わされたつぶやきを(同趣旨のものながら)ふたつ。

@keihibino: 劇場に足を運ぶゆとりのある「中産階級」の日本人が見たいと思うニセモノの「共生」の絵柄を見せ、今や世代を超えた集団的記憶の貯蔵庫となった感のあるポップミュージックを流して共感の共同体へ誘う。オリジナル版はどうあれ『ショー・マスト・ゴー・オン』日本版はそういう下品な企みに満ちていた。
11月13日 9:05 PM

@kikuchi_sun: フィクションである演劇は、つねに観客との「共犯関係」を結ばざるを得ないが、ベルは狡猾にもその共犯関係をさも当然のように使い倒し、暗黙裏に共犯を共感にすり替える。そこに広がるのは、共犯関係が隠蔽や抑圧を伴うことに無反省な連中による承認の空間。@『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』
11月13日 10:38 PM

 もちろん、「劇場に足を運ぶゆとりのある『中産階級』の日本人」というのはほかでもないわたしのことだし、「共犯関係が隠蔽や抑圧を伴うことに無反省な連中」というのもきっとわたしのことである。まず、そう認識するところから話ははじめたいし、いつでもその批判のもとに立ち返れるようにしなければならないというのが、引用してみて、あらためて思うことなのだった。
ところでわたしはこれを2階のサイドバルコニー席から観た。すると(いや、そこは計算ずくで1階正面席でも同様なのかもしれないが)、舞台のすぐ手前中央に設けられた DJ 席の手元がよく見え、曲ごとに CDを一枚々々 CDデッキに入れては再生させている──ために、たとえば曲と曲のあいだにはトレイの開閉ぶんの間延びした時間が空くのだし、同様の弛緩ぶりによっておそらく、以降も曲はすべてひとトラックまるまるを流しては入れ替えていくのだろう。でもって、音響卓の上に10枚ほど積まれたあのCDの山を順にかけていくのだろう──ことがはやばや了解できて、それで「CD(デッキ)かい」というツッコミとともに、これはあれだな、身を乗り出して観るべきものではむしろないのだなという気分に持ち込まされ、下手側のサイドバルコニーなので乗り出さないでいると舞台の下手1/4ほどは見えないわけだが、それを自分に許容させつつ、基本見える範囲だけを、わりとぼんやり観ていたのだった。
それでなぜ泣くのだという話だけれど、やはり〈ショー・マスト・ゴー・オン〉という言葉そのものの効用は大きかったと思われる。泣いたのは中盤、映画『タイタニック』の主題歌(「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」)のところで、あそこへ至り、ふたりずつ組みになった出演者たちが「あれだな、あれをやるんだな」という空気を生んでいたあのとき、なぜだか知らず目ににじむものがあったのはたしかな話だ。ほぼ満員にちかく埋まった「大ホール」(しかもウケて湧いている)に視線を転じつつ、ことによるとわたしは〈舞台〉という頑強な制度の、その頑強さのほうにこそ感応し、泣いているのではないかと思いをめぐらす。それはつまり「〈ショー・マスト・ゴー・オン〉だなあ」という、ちょっと説明になっていないが、そういう感慨だったのだ。
最後の曲はもちろん「ショー・マスト・ゴー・オン」で、わたしの印象ではこのとき、歌のサビが聞こえてからさほど時間をおかずに出演者たちは舞台前方へ向かいだしてカーテンコールの状態になったように見え、つまりこの CDが行動の規範を与えようとしているのは観客にたいしてだと見えた。応えて場内は万雷の拍手(わたしの席から見えたのはひとりだが、立ち上がって拍手をするかたもおられた)。「これにて完結」だが、とはいえこっちゃあ、ショー・マスト・ゴー・オン。「だからわたしは(行くかどうか)悩むのをやめ、ポストパフォーマンストークを聞くのもやめて上野(鈴本演芸場)へ向か」ったというのはおととい書いたとおりである。
ああ、これ(「きっといつか別の劇団が〜」)もなんだかいいつぶやきだな。エンリク・カステーヤ云々はよくわからない(知らない)けど、文脈もあるしまるまる引用。

@pulfujiko: 祭りの最後はよいものですね。行くか迷ったけど、立ち会えて本当によかった。作品はまるで毒気のないエンリク・カステーヤのようで、(たぶん良い意味で)イライラして、今とても闘争心を掻き立てられている。
11月13日 5:59 PM

@pulfujiko: きっといつか別の劇団が、同じあの舞台で、観客たちを震撼させてくれるだろう。それを楽しみに待ちます。二階席から観て、劇場や作品の構造などなどいろいろ盗めた気がする。おつかれさまでしたー。
11月13日 6:15 PM

 そしてこの一撃(一撃を食らうのはもちろん、日記でこんなに長々と扱っているわたし)
 さあ、ショー・マスト・ゴー・オンだぜ。

@wtbw: 油絵茶屋再現を右目と左目で堪能した後クソのようなダンスを埼玉で観た帰りに初対面のクソ男にばったり出会ってクソ発言を間接受けしたのに反論もせずに妄想でバックドロップを決めた。だめじゃん自分もクソじゃん!と思ったのでとりあえずあのクソ男には私の脳内でとっととくたばっていただく。死ね。
11月14日 1:45 AM

あ、そうそう、ぼんやり観ていたと書いたが、わたし、だいたいは(プログラムにあった顔写真から判断するにおそらく)鄭順栄さんを見ていた。かわいかったからである。
本日(14日)の電力自給率:44.0%(発電量:9.6kWh/消費量:21.8kWh)

(2011年11月16日 15:52)

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/ 13 Nov. 2011 (Sun.) 「談春/クロージング・パーティー」

8:51
起きる。
16:29
航空公園。うわっ、ここまでなんにも書いてねえ。

なんにも書けなかったのにはわけがあり、洗濯物かごにわたしが放り込んであった(おそらく)シャツのどれかの胸ポケットに、タバコの箱が入っていたのだ(今回のそれは「小粋」じゃなくて「アメリカン・スピリット」の箱)。妻はつゆ知らず、ほかの多くの衣類といっしょに洗濯機でまわしてしまってから、取り出した洗濯物にこまかなタバコ葉があちこち付着しているのを見てそれと気づき、それでわたしの名が呼ばれる。おかんむりなのだった。それでまあ粛々と衣類からタバコ葉を取り除いたり、粛々と干したりしていた。
航空公園駅から所沢ミューズマーキーホール。立川談春独演会。春太「寄合酒」、談春「禁酒番屋」、談春「鼠穴」。ことによるとはじめてだったかもしれない、生で聴くのは。まあ、さすがですよ。でもって、かなり談志だなあと、これはむろん「見切る」とかそういった(大それた)ことでなしに、ある種の感嘆としてそう思う。堪能。
所沢から移動して、池袋。フェスティバル/トーキョーのクロージング・パーティーってやつへ行き、ひさびさ(でもないのか)『トータル・リビング 1986-2011』の面々に会う。「『方法としての断片』超やばいっすね」と興奮する石原(裕也)君からはこの日記について、「なんかちょっとイイハナシばっかりじゃないですか、おかしくないすか」と注意を受けた。
本日(13日)の電力自給率:52.6%(発電量:11.8kWh/消費量:22.4kWh)

(2011年11月15日 18:14)

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/ 12 Nov. 2011 (Sat.) 「The Show Must Go On」

『100万回のウィンク』のVHS。
9:08
猫に缶詰め。ピーは来ず。自身はウィダーインゼリーで薬。最後。またふとんにもどる。
9:14
そうだ、Day One を付けねばとふとんのなか。
12:36
上村(聡)君からの電話で起きる。「Apture joins Google」の報せをメールで読んだ。
13:32
食事。パンとサラダとコロッケ。食べようとしているところへ福島県須賀川市の古ビデオ屋から『100万回のウィンク』(VHS)が届く。風呂。
14:24
出かける。与野本町へ。電車のなか、iPad+Simplenote できのうの日記を書く。Day One について書くつもりだ。奇しくもきのうは「Day (of) One」だった。
15:28
与野本町に着いてまだ悩んでいるのは『ショー・マスト・ゴー・オン』を観たあとのことだ。
17:38
彩の国さいたま芸術劇場で『ショー・マスト・ゴー・オン』。なにしろプログラムも終演後に配られるくらいだし、詳細を書くのは控えるが、まあ、まんまと泣いた。あの曲で泣かされるとは思わなかった。カーテンコールは拍手鳴り止まずだったが、まったくそのとおりだと思わされたのは、最後の曲にかんしてはまさしく、拍手をするわれわれ観客こそが踊る番だったからだ。二階席からの観劇だったが、一階席を見おろしつつそんなことを思う。ショー・マスト・ゴー・オン。だからわたしは悩むのをやめ、ポストパフォーマンストークを聞くのもやめて上野へ向かう。しかしそれはそれとして、iPhone と iPad とでその刻々に入力し、これほどていねいに記せるものだろうか。CSS を書き足し、日記の表示まで Mac版の Day One に模してみせるわたしだが、はたしてこれは Day One に書かれたものなのか。
18:42
御徒町。桂ひな太郎を聞きに、鈴本演芸場へ。金時・ひな太郎二人会。ちなみにひな太郎というのはかつての古今亭志ん上。
21:04
金時「転宅」、ひな太郎「浮世床」、金時「一人酒盛」、ひな太郎「大工調べ」。なんでだ、なんで「大工調べ」で泣くんだ。おかしいじゃないか。追い出し太鼓を背に涙があふれる。ひな太郎はまったく「古今亭」だった。あと、(三遊亭)金時、なんか金馬っぽいなあと思ったら息子だった。
22:30
立川帰着。ラーメンを食ってから帰る。

本日(12日)の電力自給率:57.0%(発電量:12.1kWh/消費量:21.2kWh)

本日の参照画像
(2011年11月13日 16:20)

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/ 11 Nov. 2011 (Fri.) 「Day One」

「Day One」。iPhone / iPad版のアイコンはこんな感じ。Day One (Journal/Diary) - Bloom Built, LLC

「1」がやたらと並ぶことで話題となったその日に、複数の「わたし」によって一人称が崩壊するさまを描いた小説を読む。児玉(悟之)の『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』。読みきってはいなくて、まだ半分を越したくらいまで。信用のおけないその語り手はけれどあきらめとは無縁に、語ることそのものを誰よりも信頼し、語ることが前へ進むことだと単純に弁えるように見えて、まさに轟々と音を立て闇を行く列車を思わせる。乗せているのはどこまでも美しい話(なによりまず書き出しが美しかった)。しかし作品の表題が示すとおりで、そこへもなおスラッシュは引かれ、──ってね、なにせまだ半分なんで、きょうはこのへんで。

アイコンとインターフェイス・デザインにまず惹かれ、あるいは使うだろうかとしばらく前に買ったアプリに「Day One」があり、iPhone用、iPad用、および Mac用にそれぞれ入れてあるが、ここに至るまで結局ほとんど利用していないのはつまり、わたしがつねに「二日前の日記」を書いてその日を送るような人間だからである。公開用途でなく、ローカルに書き溜めるタイプの日記・メモアプリで、その意味では「Momento」に近く、やはりその場その場のアウトプットをタイムスタンプとともに時系列に保存していくのだが、Momento がいままだ「iPad互換」どまりで(iPadでは、iPhoneサイズのまま小さく中央に表示される)、他デバイスとのデータ共有の面で完全に閉じているのにたいして、こちらは前述のように各デバイス版が提供され、データは Dropbox を介して自動的に共有されるようになっている。

Mac版ではメニューバーからも書き込むことができるが、お好みでリマインダーを設定することができ、するとメニューバーから定時にウィンドウがあらわれて、「いましてることを書いてください」といった具合に入力を促してくる。「スキップ」すればそれは消え、あるいはべつのボタンで、「10分後にまた訊いて」とか「1時間後にまた」というふうに先延ばしにすることができる。ためしに設定してみたときのままになっている会社の Mac Pro では、いま、毎日13時にそのウィンドウがあらわれるが、もはや機械的にスキップを押すだけになっているから、それ、ただの時報である。
リマインダーに急き立てられるのはあれだとしても、かりに、その折々、刻々の記録をこの Day One に、iPhone で、iPad で、Mac で書いていきさえすれば、それらをつなぐだけでもう一日の終わりには日記ができあがる算段になり、あるいはそのようにしてこの「Yellow」が書けないだろうかと、インストールしたときにはそう考えたわけで、そうして結局使っていないのだったが、明日はひとつ、これで行こうじゃないかと思うのであり、おもむろに字数を割いてアプリの説明をしたのは──「そう」だの「その」だの「それ」がやたらつづいて申し訳ないが──つまりそういうことだ。
本日(11日)の電力自給率:3.0%(発電量:0.7kWh/消費量:22.7kWh)

本日の参照画像
(2011年11月13日 10:44)

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/ 10 Nov. 2011 (Thu.) 「アドビのひとは垢抜けていて」

いつまで「二日前の日記」を書いているのも芸がない、じりじりと、詰め寄るようにしてわたしは書く現在へと向かうが、書く現在など、たやすく辿り着ける場所でないこともよく承知している。
Adobe からはふたつの報せ。モバイルブラウザ向け Flash の開発を終了し、HTML5 へ注力するという正式発表Adobe 公式ブログと、次期バージョンからのアップグレードポリシー変更について。後者に関連しては先月発表された月額 5,000円(年額 60,000円)「Adobe Creative Cloud」にもあらためて注目があつまるが、いまはまだ「うーん」と唸るところまでで満足、そのさきの考えはない。そのさきを考えようとするといきおい大きな視野に立ってしまったりし、「じゃあこのさき、いつまで Adobe なのか?」「 Aldus はどうなった?」「おれは? おまえは?」といった話にもなりかねないが、いっぽうで、先月のイベント「Adobe MAX 2011」(10月3日〜5日、ロサンゼルス)で披露されたという Photoshop 用の新たなフィルタ「Unblur」──手ぶれをおこした写真をもとに、カメラがどう動いてぶれたかを解析し、それを逆算してぶれのない画像を作り出すというもので、現在まだ開発中──はまあ、単純にすごいよ。ばっちりクリアな画像が生まれるそのさまもすごいが、デモの行われている会場、ステージ、そのステージ上で椅子にからだをあずけくつろいでみせる進行役等々の、垢抜けてることといったらない。

術後はなお良好、痛み止めの効きが切れればじわじわ痛むが、寸時も我慢ならないというほどの痛みではなくなってきた。じわじわくるのでやはり気は削がれるが、それでよければ痛み止めを飲まずにやり過ごせそうなくらいである。夜は具だくさん味噌キムチ雑炊。なんだかんだいって「噛める」ので、痛みでどんよりしてさえいなければ、まあ、いろいろ食えるっちゃ食えるのだった。
本日(10日)の電力自給率:24.2%(発電量:5.5kWh/消費量:22.7kWh)

(2011年11月12日 06:50)

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/ 9 Nov. 2011 (Wed.) 「あらら、どうも」

しかしきのう付の日記だけれど、わたしは、抜歯の様子をなぜああもしっかり描出してしまったか、そこんところがわれながらよくわからない。いったいあれ、読む者が誰かあるのか。ひとつには、いま同じ歯医者に通っている妻が、こちらも遠からず同じ災害医療センターへの紹介状を渡されて親不知を抜きにいく予定だということがあって、それで妻へ向け、これこれの案配だったということを読ませる意図があったといえばあったわけだが、ほぼ同じ内容の報告はすでに、当日帰宅してすぐ、エクリチュール(書き言葉)ではなくパロール(話し言葉)で伝えてもいるから、それをあらためて整理し、リズムをととのえて文章にする情熱がどこでむくわれるのかというとやはり理に適う答えはない。
よく知られるように、そもそも妻はこの「Yellow」のよい読者ではけっしてなく、「こいつまたむずかしいこと言いはじめたな」となったらすぐに飛ばし読むところの者であって、最近でいえば、『洋楽事始メ』の感想を書いた5日付の日記など、「この明治期の男を《屈折点》として」やなんか言い出したところで iPad にすぱっと指を走らせ、ワイプさせたことと思われる。とはいえ、それがまた妻というもの──このもっとも近しい他者!──の醍醐味でもあって、まあね、そこはもう愛するよりほかにない。
かと思えば、北本(埼玉県)にいる義母は妻への電話口で「せっかく掃除したのに残念ね」と言ったそうで、なぜ掃除したことを知っているのかと妻が問うたところ、「日記で読んだわよ」とこのサイトのことを言ったらしい。あらら、どうも。こんな文章にお付き合いいただいているとすれば恐縮だし、また、「バリモア問題」の回(「回」ってなんだよ、日記で)など、まったく内容のない話をしてしまったことについて、まことに慚愧に堪えない。
いまは日々、だいたい「二日前の日記」を書いているかっこうになっていて、だからこの日(9日)は7日付の「バリモア問題」を書いた日だ。公式の発表はいずれ児玉(悟之)が自身のブログに何かしら書くのだろうと思うが、こちらでも報じておけば、けっきょくわたしが答えた『ノー・プレイス・トゥ・ハイド』はハズレで、その後、「あ、これじゃねえか!? まずい、言っていた情報と結構違う」と児玉君が自己解決したのが『100万回のウィンク』(1998年、原題「Home Fries」)だった。あ、お義母さん、このへん読み飛ばしていただいてかまいません。

 同居人の山村(麻由美)さんが中継し、伝えてくれたところによると、

@nenemaruchinta: 「ドライブインじゃなくてドライブスルーやったわぁ」と児玉がつぶやいております。
11月10日 3:35 AM

@soma1104: いや、その振れ幅はむろん視野に入ってたんだけど、あらすじ読んで予告編見たかぎりでは〔引用者註:『Home Fries』は〕「強盗」要素がゼロだったからさ。
11月10日 3:41 AM

@nenemaruchinta: 「強盗みたいなことがあった気ぃすんねんけどなぁ。銃持ったやつが入ってきた気すんねんなぁ。あれやと思うねんなぁ」とつぶやいております。
11月10日 3:44 AM

とのことで、それであらためて「100万回のウィンク」で検索すればこうした解説ページが見つかり、そこに書かれたあらすじの2段落目、

ヘンリーはサリーのバーガーショップに立ち寄って帰宅しようとするが、彼の車の前に突如、軍用ヘリコプターが出現する。それはヘンリーの妻ベアトリスの指示を受けた彼女の連れ子、アンガスとドリアンの仕業だった。空軍州兵の2人は空砲を発射し、心臓の悪かったヘンリーはショックを受けて心臓発作で死亡する。
ポンコツ映画愛護協会『100万回のウィンク』

というのがおそらくは、児玉君の記憶に残った「強盗みたいなこと」なのだと推測された。
夜は何日かぶりにおじやが復活。それで、実家のみえさん(義姉)から届いた荷物のなかにあった「ブラックソルト(ヒマラヤ岩塩)」ってやつの粒を、美味い美味いとつまんではおじやを三膳食べた。
本日(9日)の電力自給率:29.6%(発電量:6.8kWh/消費量:22.9kWh)

(2011年11月11日 17:24)

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/ 8 Nov. 2011 (Tue.) 「親不知を抜く」

表題のとおり。対症療法とは知りつつ、痛み止め(ボルタレン錠)さまさまでいまこうして日記を書いている。
14時30分からの予約で災害医療センターの歯科口腔外科へ。前の診療がおして、けっきょく14時50分ごろ診察室へ入ったろうか。抜歯を一週間日延べさせた口腔内の腫れはほぼひいていて、そう告げれば「じゃあ、やりますか」とさっそく促されて診察台へ。あらかたの説明は先週受けているわけだが、「ほかに何か説明を受けたいことはありますか?」とI先生はもういちど念を押し、「いや、とくに」と答えて口を開ける。まずはあれは消毒なのだろう、液体を含ませた綿をあてていきながら患部の様子を確認する──のだと想像するが、あくまで想像で、じっさい何をしているかは知らない。いちど口をゆすいで、そののち麻酔。三箇所ほどに注射し、効き目がでるまで二、三分待つ。
緊張のために喉の奥が渇きやすく、それがいちばんの困難といえば困難だった。もういちどゆすがせてもらってからいざ開始。手始めにまず歯肉を切開するのだというがむろん感覚はない。がりごりと掻き出したり、チュイーンと削ったりしたのち、最後はぐりっという感じで抜いた。なんとなくだが、抜いたなというその瞬間はわかる。ほんとうに先週、手術を強行していなくてよかったと思わせられるほどに麻酔はばっちりで、そうはいってもこちらは気を休められず、終始身構えて強ばっていることにかわりはないものの、けっきょく痛みはなかった。最後に縫合。体感はべつとして、麻酔が効いてからここまで15分と経っていないのではないかというスピードである。
止血のため、丸めたガーゼを噛まされて10分ぐらい待ち、それですべて終了。処方される薬の説明や、このあとの諸注意(まとめるととにかく安静にしていろということ)、明日、かかりつけ医のほうに行って消毒かたがた経過を診てもらい、一週間後に抜糸という今後の流れ、それとつぎ(もう片側、左下の親不知も抜いてもらうことになっている)の予約の話をして診察室をあとにする。
ところで、先生がはじめ用意してくれた処方箋にはむろん痛み止めも含まれていたのだが、同じものを先週も処方され、それが手付かずに10錠まるまる残っていたからそのぶんは今回無しにしてもらった次第で、そういった経緯のために本来は院外処方でこのあと駅前の薬局に出向き、そこで手にするはずの痛み止めが、もうその時点でかばんのなかにあったことはほんとうに僥倖だったと言わざるをえない。というのも、診察室を辞すあたりで徐々に麻酔が切れはじめ、そうして患部がうずきだすのを感じたからで、院内の水飲み場をさがしてすぐに2錠飲みはしたものの、効果が出るまでには一般に20分ほどのタイムラグがあり、それで、そこからの30分ほどが最大の山場となった。山場と言ってもひたすら痛みに気を削がれて、ただただ、どんよりとする。自転車を漕いで走るという気分にさえなれずに、乗ってきた自転車を手で押し、腫れ止めと化膿止めをもらうためにゆっくり歩いて駅前の薬局まで辿り着いた。
とはいえ術後は良好で、痛み止めさえ効いていれば気も大きくなり、かつ丼でも食ってやろうかというくらいであってさしたる不自由はない。ただな、痛み止めが切れるとな、ずーんと痛いんだよな、これがな。血行が促進されてしまうとまずいので、きょうは大手を振って風呂にも入らず。
そういうわけで、わたしは、こうしてとうとう村川拓也の『ツァイトゲーバー』を観なかった。観ると決めて、強引にでも足を運んでおけばよかったと心底思わせられたのはほかでもない、山村(麻由美)さんのこのツイートによってである。

@nenemaruchinta: 村川拓也『ツァイトゲーバー』が終わり、京都に帰る新幹線の中。本当に良い作品だった。私の思う演劇がそこにあった。実際お手伝いしながら、9回公演のうち3回くらいは観ながら泣いてしまっていた。村川拓也の目線と工藤修三の態度は本当に素晴らしい。
11月8日 9:32 PM

 どうだろう。関西でもやるだろうか。やったら行ってしまうだろうか。
本日(8日)の電力自給率:36.9%(発電量:8.1kWh/消費量:21.9kWh)

(2011年11月10日 19:51)

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/ 7 Nov. 2011 (Mon.) 「バリモア問題」

ドリュー・バリモア
アイザック・ギルモア
バリモア(デビュー時)
ギルモア(デビュー時)

「バリモア問題」は長らく児玉(悟之)を苦しめてきた。

@sk_losco: どなたか、ドリュー・バリモアが、田舎のドライブインみたいなところで働いていたら強盗がやってくる映画のタイトル、ご存知ないですか? ずいぶん以前にテレビで見て、よく思い出すので気にかかっています。
11月7日 5:56 PM

@soma1104: 『バリモアの田舎』
11月7日 6:13 PM

@sk_losco: 信じて調べましたが、「ド田舎のドリューバリモア参上!!!|ガリガリになってやんよ~」( ameblo.jp/rikatann/entry… )というブログの記事しか見つかりませんでした。なので、たぶん違います。
11月7日 6:20 PM

 そうして、『トータル・リビング 1986-2011』にも出演した牛尾(千聖)さんはその「ド田舎のドリューバリモア参上!!!|ガリガリになってやんよ~」を見てしまったらしい。

@ushio_chise: 何これ!爆笑してもた。今日のうっかりミスでへこんでたのが消えたよ。ぺろっと。ありがとう、田舎のバリモア、そしてコダマくんとそうまさん。
11月7日 6:28 PM

@sk_losco: それは良かった! 相馬さん、ふざけて正解でしたよ! ただ、僕が知りたい情報が…。
11月7日 6:41 PM

 こうして、牛尾さんを闊達な気分にさせることにわれわれは成功したものの、バリモア問題は依然残されたままとなってしまった。
バリモア問題が厄介なのは、ヒントが断片的であるということもそうだが、それ以前に、「ドリュー・バリモアが、田舎のドライブインみたいなところで働いていたら強盗がやってくる映画」という児玉君のその記憶じたいが、そもそもどこまで信用できるものなのか、その点から出発しなければならないからだ。「田舎のドライブインみたいなところ」という物言いがまずあやしいのだし、そこにある程度のイメージの幅があるだろうことは想像/了承できるとしても、では、はたしてほんとうにそれは「ドリュー・バリモア」だったのか、そこを疑わねばならないとすれば、それはことである。ドリュー・バリモアでさえないのだとしたら、わたしはいったい何を足場にすればいいのか。ただでさえそんな映画に心当たりはないというのに──だったら口を差し挟まなければいいのではないか?──である。
とにかく心当たりはないので──それでどうして答えようとするのか?──、いきおい答えは行き当たりばったりになるが、たとえばこれ、わたしもこの1分40秒の予告編しか見ていないからよく知らないけれど、これのどこかのシーンのおぼろげな記憶が「ドリュー・バリモアが、田舎のドライブインみたいなところで働いていたら強盗がやってくる」という説明を生んでもおかしくなさそうな、そんな雰囲気を漂わせてはいないだろうか。それではご覧いただきましょう、ドリュー・バリモアで、『ノー・プレイス・トゥ・ハイド』(1993年)

本日(7日)の電力自給率:45.9%(発電量:11.2kWh/消費量:24.4kWh)

本日の参照画像
(2011年11月 9日 22:34)

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/ 6 Nov. 2011 (Sun.) 「掃除する一日」

表題には「一日」と書いたが一日やっていたわけではなく、午過ぎまでは、まだ始めないのか、ほんとうはきのうやるという話ではなかったかという妻の視線を受けながら鷹揚にかまえて、インスタントコーヒーを飲み、この「Yellow」の3日付の日記(「Nintendo 3DS を買う」)をぐずぐず書いていたりしたわけで、そうやってすぐに訂正するくらいならなぜ表題を「一日」としたのかについての疑問は残るものの、ともあれ、わたしはおもにリビングの机まわりを、いっぽう妻は換気扇──システムキッチンの上のでかいやつや、洗面所やトイレに取り付けられた小ぶりのそれをまとめて──と、それからトイレなどを集中的にきれいにした。と書いて冷静になると、何やら日記として特筆すべき部類の掃除をおこなったのは妻だけのようにも読めるが、そんなことはなく、わたしもなかなかに机まわりをきれいにしたのである。
と、上のブロックまでを歯科口腔外科の待合で書き、いま、ここからさきを書くのはもはや右の下顎埋伏智歯(かがくまいふくちし=親不知)のないわたしである。むろん、右の下顎埋伏智歯のないわたしはこれまでのわたしとは大きくことなるのであって、比ぶべくもなく知的であり、身も軽く、それゆえもう上のようなつまらない文章を書くこともないと思っていただいてかまわない。
それはさておき、iOS 5 にアップデートして以降の iPad の Safari と、それと PC上の Firefox (7.0.1) でもそうなのだが、「.htaccess」内の記述(具体的にはリダイレクトの指定)にかんして、これ、いままでよりも強くキャッシュが残るようになっていないだろうか。
というわけで、ヘッダー部の「Yellow」のタブから飛んだ場合にまだ「10月下旬」のページが表示されてしまうというかた、いらっしゃるんじゃないかと思いますが、それ、おそらくキャッシュのせいです。(iOS 5 + Safari だと同様のことをするのが面倒なのですが、)Firefox であればディスクキャッシュを強制的に消去することで回避され、ただしく11月上旬のページへ飛ぶようになります。
さてと。えー、ではまた。
本日(6日)の電力自給率:6.7%(発電量:1.5kWh/消費量:22.2kWh)

(2011年11月 8日 20:43)

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/ 5 Nov. 2011 (Sat.) 「洋楽事始メ」

あ、本文に書くの忘れたんで唐突だけど、この日観に来ていた片倉裕介さん(左)、と熊谷さん(右)。
吉田孝『毫モ異ナル所ナシ──伊澤修二の音律論』(関西学院大学研究叢書)。読んでないけど。

横浜、京急・日ノ出町駅から黄金町駅にかけての高架下では「黄金町バザール2011」なる長期イベントがひらかれている(/いた。6日まで)のだと行く段になり知るが、夜、その高架下新スタジオで、ミズノオト・シアターカンパニー『洋楽事始メ』を観る。熊谷(知彦)さん田中(夢)さんが出演。『洋楽事始メ』のプロジェクトは9月下旬からの変則スケジュールで、公開稽古、本公演(1)、関連トークイベント群、本公演(2) といった具合の長丁場をこなし、おそらくそのなかでもさまざまに変遷があったものと想像されるけれども、もろもろ行けず、きょうの楽日にだけ滑り込んだかたちだ。ただ、この舞台にはさらに「4年がかり」となる前史があって、その2007年10月の『洋楽コトハジメ』と、2010年1月の『ノオト/トオン』はともに観ているため、まあ、その意味で(観に行くと熊谷さんによく言われる)「皆勤賞」ということにはなる。
こちら、その『洋楽コトハジメ』(このときは熊谷さんのひとり芝居だった)を観に行ったときの感想。で、『ノオト/トオン』のほうも何か書いたようなつもりになっていたのだが、確認するとその時期日記の更新がとまっており、ただツイッターで、その会場を目前にこうつぶやいているだけで何の役にも立ちゃあしない。

@soma1104: めんどくさがって駅からタクシーにしたら思いのほか早く着いてしまった。そんな蒲田の昼下がり。
2010年1月31日 12:42 PM

観ながら、それら過去のワークインプログレスのことも思い出し、するとついアレンジや変形にばかり意識はいきがちになるものの、なかなかどうして、ふと浮かび上がる骨格はあまり変わっていないようにも感じる。「呂律の害について」(呂律はドレミ音階の輸入以前に存在した和音階のこと)と題した講演を妻にたのまれてする男は、これは伊澤修二の娘婿ということになるから遠藤隆吉でいいのか、熊谷さん演じるこの明治期の男を《屈折点》として、「オリコンチャート5位以内をめざす」と豪語するもうまくいかずにいる女(田中夢)と、そして彼女が口にする「遠い皇帝」なる存在とがひとつの線でむすばれる──ざっと言えばこれが、わたしのなかに浮かぶ『洋楽事始メ』のすがただ。
そこからは未分明の音そのものが湧き出すような音楽の源泉、すなわち〈原初〉の何者かとしてイメージされるところの「遠い皇帝」については、女の台詞にある「おじいさん」という言葉と響き合うことで、かなたの祖先をたどる一直線上──父の、父の、父の……──にそれを追いかけそうにもなるけれど、しかし唱歌に代表される近代音楽教育の系譜が伊沢修二以前にはさかのぼれないように、〈わたし〉が〈遠藤隆吉〉ごしに〈伊澤修二〉を見つめるその視線を延長していっても、その想像力のまっすぐさきに《それ以前》はなく、そこには「遠い皇帝」もきっといない。
熊谷さんが江差追分(「かもめの鳴く音にふと目をさまし」)を唄い、平松れい子さんが囃子(「ソイーソイ」)を入れる。やっぱりね、江差追分唄われちゃうとね、(個人的には細野晴臣『Omni Sight Seeing』のせいだという面が大きいとはいえ)そりゃぐっときちゃうよね、というこのわたしの眼差しにだって──あるいはそこにこそ?──きっと〈近代〉はひそんでいる(たとえば江差町のサイトにある「江差追分の由来」には、明治期に江差追分が定型化され、現在われわれの耳になじみ深いその「正調」が創造されていくさまが解説されている)
物語は円環し、すべての時間を経た未来の大地に、冒頭の田中夢は立っているかのようでもある。床には聴き古したコンパクト・ディスクがいくつも散乱し、いくつかにはすでに罅が入ってもいるが、女が無作為にその一枚を手にとるとそこに収められているのだろう音楽が流れ出し、しばし聞き入って女も〈場〉もその愉楽に身をゆだねたかと思う矢先、女は手にしたCDをおもむろにシュレッダーにかける。CDをこともなげに裁断してしまうそのシュレッダーが音を立てると同時に、鳴っていた音楽も止み、そしてまた女はべつのCDを床から手にとる──というくり返しののち、シュレッダーに溜まったCDの細片をプランターに移して、じょうろでそのプランターに水をやる。水は決定的にディスクになじまず、遍在する音の瓦礫のなかから新たな音を育てようとする直喩と捉えるならそれはどこまでも不毛な光景だけれど、それを〈供養〉とみるならばいずこかに希望の光もさすだろうか。
あるいは、とわたしは夢想する。何度も円環し、いくつものCDを裁断して、水をやって過ごすそのうちに、シュレッダーにかけても音楽が止まず、そのまま鳴り続ける瞬間がいつか来るのではないか、と。
でまあ、いまさらながら「予告編」。しかしあれだな、すげえいっしょうけんめい書いたな、おれ。

本日(5日)の電力自給率:27.0%(発電量:5.6kWh/消費量:20.7kWh)

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(2011年11月 8日 10:48)

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/ 4 Nov. 2011 (Fri.) 「CHITENの近現代語」

夜、池袋の豊島公会堂──何やら心機一転といったふうに、公式サイトや街頭の地図案内板では「みらい座いけぶくろ」という呼び名が与えられてもいるが、豊島区役所の裏手にあるそれはまったくもって「豊島公会堂」然としている──で、F/Tによるリレー企画「なにもない空間からの朗読会」の第八夜となる、地点『CHITENの近現代語』を観る。
どういった舞台だったかということについては、@HRAK_GM さんがそのブログに「 祈祷師たちの口寄せで古い建物内に浮遊する歴史に澱んだ念 」という精を尽くして端的な記事を書いてくれているのでそちらを読んでいただければと思うが、それに付して書くならば、開演してほどなくわたしを圧倒したのはまずなにより、われわれ(公会堂の546席の観客席のうち、後方の約1/4〜1/3ほどがじっさいの客席としてわれわれにあてがわれた)の前にひろがる、無人の観客席の背凭れ──そこを埋め尽くし、座って前方(ステージ)を凝っと見つめているだろう明治 大正 昭和期の〈国民〉たち──だった。〈かれら〉ははっきりとそこに座っていたし、われわれはかれらに連なって、まさにその末席にこそいるのだと思わされた。〈かれら/われわれ〉の対立と接合とが、がらんとなにもない空間にひろがっていた。

なつかしいひとから便り。佐藤(一晃)さんだ。Facebook の友達リクエストが届き、メッセージをもらう。2004年〜2005年の『トーキョー/不在/ハムレット』で「島村幸彦」役をやっていた(クルマ雑誌を手にスポーツカーの名前を叫んでいた、あるいは端的にいちばんでかかった)佐藤さんである。もうひさしく、というかたぶん『不在』以来、会っていないのだった。
夕食はキムチ雑炊。たらふく。
本日(4日)の電力自給率:44.8%(発電量:11.0kWh/消費量:24.5kWh)

(2011年11月 6日 22:06)

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/ 3 Nov. 2011 (Thu.) 「Nintendo 3DS を買う」

ジェフリー・ディーヴァー『007 白紙委任状』(文藝春秋)。

文化の日(もとの天長節、明治天皇の誕生日)。駅への行き帰りで通り過ぎる立川女子高校は文化祭をまぢかに控えるようで、あと何日という文字が校舎の壁に貼られ、たいていは人の絶えた時間にそこを通るのだけど、がらんとした校舎にもどこかからそのはしゃぎが匂い立つ。とか書くと、少しそれらしいだろうか。何らしいのか知らないけど。
妻がきゅうに言い出して、とうとう Nintendo 3DS を買った。というか、それの白(「アイス・ホワイト」)がやっと、きょう出たのだった。ソフトは「スーパーマリオ 3Dランド」と「レイトン教授と奇跡の仮面」をお買い上げ。
とここまで書いて、「そりゃちがう」と妻の校閲が入る。上の書き方だと、あたかも妻は 3DS の白色モデルが出るのを心待ちにし、待ちかねたとばかりに発売日に買ったかのようだがけっしてそうではなく、わたしは 3DS になんら熱狂していないのであって、もっと言えば 3DS はきらいだ。今回は旧機種 Nintendo DSi の「R」ボタンが利かなくなったための買い換えで、もはや軒並み 3DS専用となった新作ソフト群の存在がなければ、わたしは DSi の新品を買い直していたことだろう。 くわえて、これでまた「ゲームばかりやっている」というイメージが強まってしまうのも本意でなく、なぜ DSi の「R」ボタンが利かなくなったかといえばたくさん押したからにほかならないものの、ここはひとつ、Nintendo 3DS はやっぱり買っていないということに日記上ではさせていただきたい。
夫はというと、ジェフリー・ディーヴァーの書いたジェームズ・ボンド、『007 白紙委任状』を買う。原著『Carte Blanche』が出たのが5月の末で、10月中旬に翻訳が出た。MGMの財政問題に起因して長らく製作がストップしていた映画シリーズ最新作「Bond 23」(タイトルが決まるまでのあいだ、たんに23作目の意味で呼ばれる通り名)の原作、ということではどうやらないらしい。「Bond 23」のほうはいよいよタイトルが『Skyfall』と決まり、キャストやスタッフ、ロケ地等が公表されて記者会見がひらかれたとのこと。公式サイトはひとまずイギリスでの公開日(2012年10月26日。日本公開は同年12月1日)までのカウントダウン表示に変わり、あたらしくアカウントが用意された Facebookページにはすでに62万人が「いいね!」と言っている。本にもどってジェフリー・ディーヴァーだが、二ヶ月ぐらい前にいろいろ逃避もかね、リンカーン・ライムシリーズを『魔術師』、『ボーン・コレクター』、『コフィン・ダンサー』、『エンプティー・チェアー』と読んだのだった。まあね、さすがに面白いですよ。
夜はおじや、かと思わせて、パックの寿司。
本日(3日)の電力自給率:19.2%(発電量:4.0kWh/消費量:20.8kWh)

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(2011年11月 6日 14:07)

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/ 2 Nov. 2011 (Wed.) 「硬かったよ、児玉君」

『志ん朝初出し』CD12枚組。

『志ん朝初出し』から、36歳当時の録音という「火焔太鼓」を聞く。もうじき、誕生日(18日)が来ればわたしも36歳だが、彼此の36歳を比べて息をこぼし、「いまの自分にこれができるだろうか」と思うのではなくて、「いまや自分にはこれができるのだ」と考え、吸い込むように聞く。じっさい、1974年のこの「火焔太鼓」は若い。付属のブックレットにある演目解説(京須偕充)は「志ん朝の『火焔太鼓』の基本形はこの段階でほぼ出来上がっていたと見てよいのではないか」と振り返って書くけれど、けっ、なにを言うんでい、〈われわれ〉はまだ途上にあるんでい。
おとといの日記(のなかのこの箇所にたいして、律儀にも児玉(悟之)から返答がある。(ちっともそうなってないけど)山村(麻由美)さんのツイッターアイコンの話だ。

そうだ。相馬(称)さんに、(相馬さんの)31日付けの日記で、

かわいいんだけどなあ。かわいくても関係ないんじゃなあ、日記に書くってわけにもなあ。どうだろ、このさい児玉君さあ、すこし関係あるってことにならないだろうか、おれ。山村さんのうしろに写ってるの、あれ、よく見たらおれだったりしないだろうか。

と持ちかけられたのは、山村(麻由美)のTwitterのアイコンの件なのだけれども、よく見たものの、どうしてもそういうことにはならなかったことをここに述べねばならない。ただ、相馬さんの上の前歯を良くみたら、このアイコンだ、ということで手を打ってもらえないだろうか。どうでしょうか?
LOSCO » 2011. 11. 2|WED

 わたしが最初によくわからないことを言い出しておいてなんだが、児玉君の提案はいよいよわからない。ちょっと答えに困り、なにより前歯は直接自分で見ることができないから、それでまずは指で触ってみるとなかなか硬い。キーボードに手を戻し、「硬かったよ、児玉君」と打ちかけたものの、しかしどうだろうか。「相馬さんの上の前歯を良くみたら、このアイコンだ、ということで手を打ってもらえないだろうか」と投げられたものに「硬かった」と返すのではどうも意味をなさないような気がし、答えとして間が抜けているようでもあるから、それで今度は洗面所へ行き、鏡に映した前歯をじっくり見る。そうして指で触ってみるとやはり硬かった。いそいでリビングにとって返し、「硬かったよ、児玉君」と打ってしまってから自分の粗忽に驚き、いやいや、そうじゃないんだとおのれをいさめたわたしは、ならば写真はどうかとデジカメを自身にむけた。ニカッと笑ってみせてシャッターを押し、撮った写真をパソコンに取り込むためのケーブルを探すあいだについ気がゆるんだか、親指と人差し指とでつまむように前歯をたしかめて納得する。硬かったよ、児玉君。
てなことをいっしょうけんめい書いてるひまがあったら、児玉君の最新小説『美しい話は綺麗な心の列車/ナイトランペット』をはやく読んで、感想を伝えてあげたらどうなのか。
「アノニマス、麻薬組織に『宣戦布告』 メキシコ」[ » ウェブ魚拓のニュースを読み、それでまあ、アノニマスはすでにその作戦を撤回した[ » Google翻訳で英語にしたものらしいとか、なお(覚悟をもった)数人のアノニマスが個人的に作戦を続行中であるようだとかこのひとなど?)、いろいろ情報を辿りつつ、その蛮勇について考えをめぐらそうと思ったものの、これといってまとまった考えは出てこず。その後(これは2日時点の話じゃないけど)拘束されていたアノニマスのメンバーが解放されたとの報もあったが、まあ、模糊とした状況に変化はないようだ。
帰り道は1995年録音の「酢豆腐」。前半、酒の肴の相談をする町内の若い衆の、とにかくこれぞというその〈調子〉を耳に受けてひとどおりのない裏道を自転車で疾走するこの爽快。帰宅して、おじや。味を変えて。
本日(2日)の電力自給率:50.0%(発電量:13.0kWh/消費量:26.0kWh)

本日の参照画像
(2011年11月 5日 16:04)

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/ 1 Nov. 2011 (Tue.) 「抜歯は延期になり、のんびりする」

きのうの日記の記述について、あれではまるでこの何日か、わたしが「ワンダと巨像」しかやっていなかったようではないか、そんなことはない、仕事だってしているのであって、なんだこのやろう、そこんところぜひ誤解のない表現でねがいたいと、抗議を受けたのでここに加筆させていただくが、妻はけっしてこの数日、「ワンダと巨像」しかやっていなかったわけではないのである。
「きのうの今日とは、I先生も無茶をするなあ」と、火曜日を担当するN先生はそう言って苦笑いだ。午後2時半からの予約で、家から自転車でほど近い「災害医療センター」へ。炎症を抑える強めの抗生剤をきのう処方され、歯茎の腫れがおさまっていれば今日、親不知(右下)を抜く予定だったわけだが、やはりというかまだ腫れていた。それで前掲の苦笑いだ。きのうに比べて腫れはひいているのだが、充分ひききっておらず、口のなかを確認してしんみり「微妙だなあ」とN先生。「二、三日は薬を飲んで、もう少し腫れを鎮めてからやるのが通例で、これだと手術できなくはないが、術中に強い痛みを感じるおそれがある。一瞬だろうけど。もう二十五年ぐらいこの仕事をしてて、若いころ、はじめの何年かは『どうしても今日やってくれ』という患者さんの頼みを受けてやってたんだけど、いまはもうやらないようにしている。手術の途中でやめてくれと言われるのがいちばん困るからね。……どうします?」といった情感もこまやかなインフォームド・コンセントを経て、まあ、親不知の状態は緊急性のあるものでもないというし、延期するほうで合意した。それでいちばん近い空きを予約して、つぎは来週の火曜日である。
抜くつもりであらかじめ休みをとってあり、抜かないことになってぴんぴんしているとはいうものの、診察を終えて午後も深まり、いまから出社したところでなあという時間なのでそのまま帰宅する。メールをチェックし、在宅で対応できる案件は作業したりしつつも、思いがけずのんびりした一日になってしまった。WOWOWで『続・座頭市物語』を見たり。
とはいえ、甘く見ているとえらい目に遭うというのはいま、思ったよりも口が開かず、思ったよりもうまくしゃべれないのがわたしだからだ。口腔内の腫れ出た部分が親不知にかぶさっていて、それを噛んでしまうから上下の歯を合わせることができず、じっしつものが噛めない。でまあ、夜はおじやを作ってもらってたらふく食べた。おじや万歳。これから当分おじやである。
本日(1日)の電力自給率:56.0%(発電量:14.3kWh/消費量:25.5kWh)

(2011年11月 2日 17:46)

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