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Jan.
2012
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/ 15 Jan. 2012 (Sun.) 「新春大沼寄席」

いろいろとやる気満々で臨んだはずの14日はしかし、何やら目眩がするといい寝室に引きこもった妻につられるかたちで、けっきょく無為に過ごしてしまった。[電力自給率:40.8%(発電量:11.6kWh/消費量:28.4kWh)]
それにしても、このままでいくとわたしはいよいよ今年、落語のことしかここに書かないのではないか、それで喜ぶ──というか、ついて来てくれる──のはひとり笠木(泉)さんぐらいのものではないかという懸念は日に日に増すところであって、これでもいちおう懸念はしており、まずいのではないかという自覚はもっているのでどうかその、「落語だな」となったらそこは飛ばし読んでいただきつつ、懲りずにまたご来訪いただければと願う次第だ。
というわけで今年の聞き始めは「新春大沼寄席」。立川から八王子へ出て、そこから横浜線で相模大野。バスへ乗り換えてさらに25分、「大沼小学校前」で降りて数分歩くと会場の大沼公民館である。先週も来て入場券(100円)をもらおうと思ったところがすでに完売だったことは前に書いたとおりで、受付をしきる、実行委員とおぼしきおばさんたちにおずおずと声をかけると、「二度も足運んでもらったんじゃねえ」「どうしても観たい? じゃあ、あたしのぶんの券を譲るよ」ということになって入れることに。定員120名の客席を埋めるのはむろん地元の方々ばかりで、ほぼ全員が60歳以上と思われる老男女である。
開口一番は白雪亭杏仁さんが「寿限無」を。桜美林大学の2年生で、落語研究部の部長とのこと。女性。とにかく客席がよく反応してくれるので、誰あろうわたしこそが救われた。とはいえやっぱりね、聞いていると気恥ずかしくなり、大半はうつむいて聞くかっこうになってしまったのはほんと申し訳ない。ただ一点、「桜美林大学ご存知ですか? あんまり頭いい学校じゃないんでご存知ないかと思って……べつにいちばん面白いから部長なんじゃないんです。面白い先輩はほかにいっぱいいまして……その先輩たちがやる落語会が今度あるんでよかったら……それにも出演するある先輩は顔がすごく老けていて、とても大学生には見えないんですよ。わたしがはじめて部室に行ったときには……で、その先輩は高座名が『腰痛亭小隠居』と言いまして……」と、すっかり雑談だとばかり思っていたそのマクラが最後、「まあ、名前というものはひとそれぞれでして」というところへすっと着地したことには、油断もあって「おっ」と思ってしまったことをここに告白しておきたい。
つづいてお目当て、古今亭志ん公は「湯屋番」。
今年はたびたび登場してもらう予定なのであらためて紹介しておけば、古今亭志ん公は現在二ツ目(東京の場合、前座二ツ目真打と三段階で出世する)。静岡県藤枝市出身で、1977年2月生まれだから歳はわたしの1コ下になる。1999年3月、古今亭志ん五に入門して「いち五」。何の噺だったか忘れたが、いち五時代に一度高座を観ていて、前座にもかかわらず〈いたたまれない思いにならなかった〉のを妙に記憶している。2003年5月、二ツ目に昇進して「志ん公」。わたしがふたたびその高座に接したのは 2008年12月で、志ん五の独演会に行ったさいに「厩火事」を聞き、「いまだ何の色にも染まらずにまっすぐ上達しているという印象の高座姿と口跡。また五年後に出会えばものすごいことになっているんじゃないかと思わせる」とそのときの日記には書いている。2010年9月、志ん五の死去により古今亭志ん橋門下に移って現在に至る──
いま誰が〈贔屓〉かと──まあ、訊かれやしないのだが、もし──訊かれれば、その名を答えようと決めているのが志ん公で、それはつまりわたしが、「〈古今亭の正調〉はきっといつか、かれにこそ宿る」と信じる者だからだ。ここでいう〈古今亭の正調〉とはむろん、志ん生=志ん朝=志ん五というその系譜のすべてを射程に含むある種の〈理想〉のことで、たとえば 2008年7月30日、志ん五の「ねずみ」を聞いたときに震え、「これなのではないか」と予感されたもののことである。というような野暮な大風呂敷を勝手に広げられて、かえって迷惑するのは当の志ん公さんなのではないか、ご祝儀を包んでいるわけでもなし、おとなしく見守っといたらどうなのかというのは書きながら思ってもいるが、まあ、ここにひとり、勝手な〈好み〉でもってそう考えている客があるのだと思っていただきたい。
でもって、2008年12月の日記に「また五年後に出会えば」と書いているわたしの言葉を自ら典拠とすれば、「ものすごいことになっている」のは 2013年12月という計算だ。わりあい計算は合っているのかもしれず、来年、もしくは再来年あたりの真打昇進というのは考えられるところである。この春には春風亭一之輔が、秋には古今亭朝太と古今亭菊六が、それぞれ(順繰りの昇進ではない)抜擢真打に予定されていて、そのうちの一之輔と菊六には香盤で抜かれるかたちになるのだけれど、ま、そんな目先のことはかまやしない。かまやしないというか、秋には古今亭のふたりの披露目を大いに支えてもらいたいと願うのであり、そのことをつうじて、いよいよ力を付けてもらえればと願うのだ。ってだから誰なんだおれは。
とにかくもうひと段階、(できれば二ツ目のうちに)ぐんと伸びるときがあると期待するのであり、かなうならぜひ、その瞬間に立ち会いたい。いま、読者を置いて、あきらかにわたしがひとり盛り上がっているのは承知しているけれど、ものはついでとばかりに夢想を語っておくなら、真打昇進時の名前はやはり、「志ん三」1]がいいんじゃないか。重みでいうと二ツ目の名前なのかもしれないが、重い名前はまた先で継げばいいとして、なんかなあ、「志ん三」ってあたりがなあ、志ん公のイメージにはぴったりはまるように思われるのだ。

1:志ん三(しんざ)

志ん五の前名で、二ツ目に上がるときに「高助」から「志ん三」に改名。「志ん五」は自分で勝手に改名したものなので、師匠からもらった名前というとこっちになる。変則な改名だし具体的なタイミングがもうひとつ知れないのだが、真打になる直前ごろなのか、師匠には何の相談もなしに、「三丁目」から「五丁目」へ引っ越したからと「志ん五」に改名して大しくじりになったというのがよく語られるエピソードである。「志ん三」だとしょっちゅう「しんぞう」と読み間違えられるのが嫌だったというのが当人の本当の改名動機で、転居の件はたまたまの後付けだったらしい。『よってたかって古今亭志ん朝』などより。

というわけでやっとこさ、今日の「湯屋番」である。マクラも入れて35分ほど。こまかいことを忘れさせるライブの力も感じて満足(わたしが)の出来。「釜を損じて早仕舞い」のくだらなさがきまっていた。マクラも含め、やはりわたしにはこのひとの調子が心地よいのだった。こまいかいことというのは前半、とくに出だしの若旦那で、なにやら「抜け目ない」やつが出てきたような印象があり、「若旦那はぼんやりしている」ということを言ったマクラのあとではなおさらちょっとひっかかった。そのイヤったらしい抜け目なさも込みで「どうしようもない」やつなのだというのはおいおい知れてくるものの、うーん、何かもうひと工夫、第一声にあるような気がするのである。
終わってとんぼ返りで立川へ。そこからまたすぐに出かけて渋谷。ルアプル(遊園地再生事業団の制作グループ)の今年最初のミーティングがあった。その席で笠木さんに「来年の誕生日プレゼント」を渡す。雑誌『SWITCH』のバックナンバーで、古今亭志ん朝を特集した号(冒頭に載せたのが表紙)
1994年1月号だから高校三年のときの雑誌。こういうものが出たというのは長兄に教えられたはずで、土曜に、小山の駅ビルの本屋で購入した記憶がおぼろにあるもののそのへんはちょっとあやふやだ。あるいは兄にもらったのかもしれない。「まんじゅうこわい、志ん朝こわい」と題された弟子たちの座談会には、右朝(2001年歿)、志ん上(2001年廃業、のち9代目桂文楽門下として復帰し「ひな太郎」)もいて、まだ志ん馬(先代志ん馬の死去にともない 1994年8月に移籍)、朝太(1998年入門)の顔はない。志ん朝に密着取材した「古今亭をめぐる冒険」という記事は、のちに『師匠噺』(河出書房新社)などを出す浜美雪さんの『SWITCH』編集者時代の文章だ。
来週末にはまた志ん公を聞きに行く。日暮里にある「くにみ」という鰻屋での落語会(鰻重付きで 4,000円)だと妻に言うと、「じゃあ、あの幇間(たいこもち)のハナシ?」と妻。「鰻の幇間(たいこ)」のことを言っているらしい。なかなか、そこいらの主婦の口から出る返しではないものの、まあその、あれに出てくるのはダメな鰻屋だし、幇間が腹立ちまぎれにそれをくさすしね、「鰻屋にちなんで」演るというのにはちょっとあれじゃなかろうか。
ロビンさん(猫)、誕生日。といっても飼いはじめたときに妻が勝手にそう決めた日ということだが、まあ、15歳。

きょうのひとこと

なんのこんだか知んねえけどもよ。(5代目柳家小さん「試し酒」)

本日(15日)の電力自給率:19.2%(発電量:6.3kWh/消費量:32.7kWh)

(2012年1月19日 20:43)

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