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Nov.
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/ 21 Nov. 2012 (Wed.) 「あなたが希望を抱くなら、何よりそれがわたしにとっての希望である」

デイヴィッド・グロスマン『死を生きながら──イスラエル 1993-2003』(みすず書房)。

明けて 22日の午前 4時(現地時間 21日午後 9時)、イスラエルとハマスのあいだの停戦が発効。

@ShahdAbusalama: It's 9:00 pm.. The truce should be starting now.. But I just heard another explosion. The drones still sound very loud #GazaUnderAttack
2012年11月22日 4:04

@ShahdAbusalama: Wohoo! Just came back home. The street is still crowded w/ ppl of #Gaza celebrating our victory, the martyrs' lives that didn't go in vain!
2012年11月22日 6:40

@ShahdAbusalama: That's how big my smile is now! Me & mum joining the crowd of ppl celebrating #Gaza's victory. I can finally sleep!! http://t.co/CN4EN87I
2012年11月22日 9:39

 そうか、これは victory なのか、didn't go in vain! なのかと対岸にいる者の思いは複雑なれど、いまはとにかくこのふたつの笑顔と、ふたりが見つめているのだろう the crowd of ppl 、かれらのひしめくその street に想像力を寄り添わせよう。
ただ、残念ながら、続報(11月29日付)によれば「停戦」はかなり危うい状況にあるとも伝えられる。

ガザ攻撃の停戦から6日経ちました。ガザへの人道援助などが到着しています。しかし、懸念したようにまだイスラエル軍は攻撃を仕掛けています。やっぱり、これで終わりにはならんか!

空爆はしていないもののF16戦闘機は上空を低く飛び、ガザ北部では何回もの銃撃があり、負傷した人たちが10人以上出ています。南部のラファでも青年が撃たれて重傷を負いました。

封鎖の緩和については、まず海域が今まで3マイルだったところが6マイルに増えました。倍増!と、喜ぶのは数のまやかしです。5キロメートルが10キロメートル弱になっただけの話。ウォーキングで軽く歩けちゃう距離です。だいたい、オスロ合意でさえ、本当はパレスチナの海域はたったの20マイルだったのだから、その半分になったに過ぎないのですわ。

しかし、その「領海」とも言えない狭い海に、ガザの漁師たちはこぞって出航しました。そして、28日、6マイル付近で漁をしていた舟がイスラエル海軍艦からの攻撃に遭い、1つの船は破損、もう一つの船はイスラエルのアシュドッド港に連行され、乗組員7~8人が拿捕されています。やっぱり、嘘じゃん。緩和されてない。封鎖と変わらないです。停戦合意破りです。

(中略)

攻撃で踏み荒らされたガザが少しの落ち着きを取り戻したのとは対照的に西岸でイスラエル軍が暴れています。連日の拉致(逮捕)が続き、全体数が今はわかりません。また、抗議の投石をした者たちへ実弾が発射され、2人が射殺されました。

このようなネチネチとした攻撃は今後も続くでしょう。そして、ガザからロケット弾を発射させるように仕向ける。そして、停戦破棄としたい。このようなイスラエルの思惑が感じられます。だから、注視が必要です。

(後略)

P-navi info : 停戦はしたけれど…〔太字強調は原文〕

イスラエルの作家で和平活動家、デイヴィッド・グロスマンによって綴られた手記、『死を生きながら──イスラエル 1993-2003』は、イスラエルのイツァーク・ラビン首相とパレスチナ解放機構のヤセル・アラファト議長がホワイトハウスで握手をした、オスロ合意の時点からその記述がはじまる。

 もう一つ重要なことがある。現状を出発点に、これからの年月をかけて、二つの民族は新しい自己定義を作り出すことができるはずである。敵との対比で作られる定義ではなく、自己の内面にもとづいた定義である。(略)
 イスラエルとすべてのアラブ諸国との間に和平が確立されれば、そのときようやく、わたしたちも中東の一部であるという事実を自分のものにできる。わたしたちがここにいるのは官僚的な決定における地理上のまちがいの結果ではないこと、ここがこれから生活をいとなんでいく場所なのだと納得できるだろう。(略)
 この将来のヴィジョンを実現し、このヴィジョンにしたがって生きることができるようになれば、わたしたちイスラエル人も、長年の本能的な自己否定のあとで、ようやく自分たちにも未来があると信じられるようになるだろう。ついに民族としての継続性と展望を確保できたと思えるかもしれない。そうなれば、わたしたちの人生のすべてに死が影を落とすこともなくなる。そしてイスラエルの集合的意識、人生とは潜在的な死であるという意識の奥深くに根ざす暗い破滅の宿命観から、みずからを解き放つこともできるかもしれない。
 自己決定とはこういうことを意味しているのである。イスラエルがパレスチナに自己決定権を認める合意ができたなら、みずからも自己決定の権利を獲得できるだろうと、わたしはずっと信じてきた。いまイスラエル人にとって、パレスチナ人にとって、そしてこの地域で正気を失っていない諸国にとって、そのときが訪れた。いまここにあるもの、それは未来である。

「1 オスロ合意調印──突然、人間的な接触が実現した」『死を生きながら──イスラエル 1993-2003』(みすず書房) p.10-12

 1993年9月に語られた希望だ。
 二十年が経つ。その途中でオスロ合意は「歴史的失敗」へと至ったし、作家もまた、「合意」そのものが孕んでいた非対称性(一貫してパレスチナ側に立つエドワード・サイードが指摘し、批判しつづけていた問題点)にこのあと気づいていくことになるのだけれど、しかしこの希望は、1993年9月に、たしかにかの地で抱かれた。
そのことが、何よりわたしにとっての希望である。
本日(21日)の電力自給率:54.1%(発電量:13.8kWh/消費量:25.5kWh)

本日の参照画像
(2012年12月 4日 23:42)

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