/ 11 Dec. 2012 (Tue.) 「腕時計の秘密」
- 23:56
- 腕時計を確認するがぜんぜん合っていない。
- 0:22
- 会社を出る。夕飯は鍋らしい。
- 1:22
- よし、11月は終われそうだ。
- 2:21
- 日記を更新。27日付「カッターズ」。 http://t.co/KfWIV03o
- 4:37
- 日記を更新。28日付「彩里さんとか、どうか」。 http://t.co/QRaROC2h
- 5:26
- 日記を更新。29日付「見逃したテレビについての日記」。 http://t.co/CcK2AdUS
- 8:47
- 日記を更新。30日付「母に iPad 2 を渡す」。 http://t.co/yz0xFpPD
■前夜から会社泊。それできょうも会社を出たのは 0時過ぎだという。ほんとかよ。いったい何をしていたんだろう。仕事かな。帰宅後に鍋を食べ、朝までかけて日記を四本更新。というふうにツイッターのつぶやきからは読める。
■あ、そうそう、この日更新した「彩里さんとか、どうか」だけれど、後日なんと(伊藤)彩里さんから「日記読みました笑」とダイレクトメッセージが届いたのだった。書いてみるものだね、なんでも。ってべつに「ぜひ泊まってくれ」というメッセージが来たわけではないけれども、というかわたし、そのダイレクトメッセージにまだ返事してないなそういえば。
腕時計を確認するがぜんぜん合っていない。
2012年12月11日 23:56
■もっている腕時計は「自動巻き」ってやつだ。腕から伝わるこまかな揺れだけで自然とネジが巻かれる仕掛けで、腕に巻いて生活しているぶんには意識的にネジを巻く必要がないのだが、外して一日も放置しておけばもちろん止まる。止まって時刻のずれたそれ──たいがいは洗面台の脇か、ベッドのサイドテーブルにあって、朝な夕な、「ああ、あるな」というふうにわたしはそれを目にする──をふたたび掴んで腕に巻くためには、一種の気分的な〈跳躍〉が必要である。そこでは有無を言わさぬ手つきこそが求められ、そのためには「時刻がずれている」云々の問題はいちど脇へ置いておかねばならない。いっさいの計算を捨ててまず腕に巻く。巻けば、そこからまた針が動き出す。そうした日々の繰り返しのなかで、ただ止まっているのとはちがう、とにかくぜんぜん合っていない腕時計は生まれるのだ。「なんならいつまでも止まったまま、ここにいますぜ」と洗面台にあって、やがておいおい白むような背をこちらへ向けていたそれが、しかしいまは手首にかかるただの重みとなっていることの安堵に、わたしはつい時刻を合わせることも忘れ、ただただ快活さをとりもどすのだった。
■本日(11日)の電力自給率:44.0%(発電量:12.5kWh/消費量:28.4kWh)。
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