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Dec.
2013
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/ 4 Dec. 2013 (Wed.) 「池袋へ二度行く」

といって芝居は何も観ていないのだが、池袋へ二度行った。
あーそうか、よく考えたら鍵付きアカウントなのか、Mさんは。えーと、群馬から出てきて京都に 10日間、そのあと東京(おもに池袋)に 4日間という強行文化享受旅行生活(?)を送っていたらしいMさんなのだけれど、予定外の出費があって所持金が足らなくなり、観るつもりだった宮沢章夫演出版『光のない。(プロローグ?)』をあきらめて群馬に帰るというツイートが朝、タイムラインに流れてきたのだった。でまあ、「観る時間さえあるのなら貸そうか?」とダイレクトメッセージを送っておいた結果、当日券の売り出される午後 2時に劇場で落ち合ってわたすことになる。ちなみに池袋へは、会社から有楽町線で一本、片道 15分ほど。昼休憩をかねて出かけたが、当日券を手に入れるなりMさんは、「いま、書いているリミニ・プロトコルの感想がすごいノってきたところで、早くノートパソコンの前に戻りたい」と言い、それはすぐ戻るべきだということで、ほぼとんぼ返りでわたしは会社へ戻る。
夜もふたたび東京芸術劇場のシアターウエスト(ちなみに「ウエスト」の「エ」は大きい「エ」。チラシ制作時にアカが入ったのでわたしは知っている)へ。ゲストに佐々木中さんを迎えてのポスト・パフォーマンストークだけ聞いていく。
ひじょうに興味深かった佐々木さんの話を、わたしの記憶と解釈でごくごくかいつまむなら、以下のような感じだ。(なので以下、「ん?」という箇所があればそれはすべてわたしに責があるという、そういうおつもりでお読みください。)

 「上演は失敗する」と劇中で何度も繰り返されるこの、Vorstellung = représentation = representation =「表象(/上演/再現前/代議制)」は、つまり〈ありありとした一回性〉のことを指していて、対義語が何かというと「反復」である。演劇ファンにとっておなじみの用語に置き換えれば「表象=本番」と「反復=稽古」。だから「本番は失敗する」とイェリネクは言っているのだが、宮沢さんはいじわるにもそのセリフ自体を(まるで稽古ででもあるかのように)反復してみせ、またじっさい、女優たちのあのうつくしい歩きなどはたいへんな稽古によって裏支えされていると想像される。

 再現前の不可能性──というよりもむしろ、再現前などさせてはいけないもの──を前に、こうした書き方を選んだイェリネクと、さらにそのイェリネクのテキストを〈そのまま〉舞台化することを選ばなかった宮沢さんの、そのふたりともに表現者としての「誠実さ」をみるのだし、そしてそこには、「どんな表現がお気に召すのか」と問われてベケットが答えた、つぎのような言葉が重なる。

表現すべきなにものもない、表現すべきなんの道具もない、表現すべきなんの足場もない、表現する力がない、表現しようという欲求がない、あるのはただ表現しなければならぬという強制だけ──お気に召すとすればこういった表現だ。
「三つの対話 ──サミュエル・ベケットとジョルジュ・デュテュイ──」、高橋康也他訳『ジョイス論/プルースト論』(白水社)所収。ただし佐々木さんは当日、「強制」のところを「義務」と訳していた。

ちなみにこのポスト・パフォーマンストーク、ノートパソコンを開いて発言をカタカタと記録する、F/Tの人かなあという姿が客席後方脇にあったので(あと、それを言うなら録音だってしてるだろうしね)、ことによると後日 F/Tのブログなどに公式な記録が掲載されるのかもしれず、だとすれば全貌はぜひそっちを期待してもらいたいところだけれど、いや、それはただの推測なので掲載されるかどうかは知らない──それと、佐々木さんの発話がやけに演劇的で、しばしばマイクを口元から外し、肉声で強弱を付けたりしていたので、そもそもどれだけ記録できているかわからない(聴き取れなかったのか、記録者の手もときおり止まっていた)ってこともあるしね。

(2013年12月 6日 22:32)

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