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Dec.
2013
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/ 9 Dec. 2013 (Mon.) 「たぶんあなたのことではない国民」

会社ちかくの四ツ谷駅まで来てもらって、小浜(正寛)さんとちょっとした打ち合わせ。「ボクデス」のサイトリニューアルにむけた第一歩。
さて、というわけで、もはや日記でもなんでもないのだが、シリーズ「特定秘密保護法を読む」だ。こないだは「(指定の有効期間及び解除)」について書かれた第四条を取り上げてうっかり笑ってしまったわけだが、今回はあらためてその冒頭、第一条から読んでみたいと思う。第一条では「(目的)」が述べられる。言っておくと、今度はべつに笑ってしまうような面白さはない。

(目的)

第一条 この法律は、国際情勢の複雑化に伴い我が国及び国民の安全の確保に係る情報の重要性が増大するとともに、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される中で、我が国の安全保障【(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)】に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。
特定秘密保護法の全文:朝日新聞デジタル、【】内は衆議院での修正箇所

 なぜそこがひっかかるのかにわかに判然としないものの、なぜだか気になるのは「我が国及び国民」「国家及び国民」という、都合三度繰り返されるその並列表記だ。と思っていると、やはりというか、内閣官房作成の「逐条解説」──福島みずほ議員(社民)の要求により 12月5日になって開示された文書で、現在ここなどからダウンロードできる──の当該箇所で、こまかに解説され、強調されているのはこの「国=国民/国民=国」という等式の部分なのだった。

 本条において、本法の窮極の目的が「国及び国民の安全」の確保に資することにある旨が明らかにされているが、ここでいう「国」とは、国を構成する国土及び国民に加え、それらにより成り立っている国民生活、国民経済等も含むものであり、「国民」をも含む概念である。この点、現行法上、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15年法律第79号)(以下「武力攻撃事態対処法」という。)が国民の安全の確保を重視して「国及び国民の安全の確保に資することを目的とする」(同法第1条)と規定しており(武力攻撃事態対処法立法当時の逐条解説)、本法も国民の安全の確保を重視する観点から、あえて「国民」を明示して規定することとした。
 このように、「国及び国民の安全」は「国の安全」と同義であり、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成11年法律第42号)(以下「情報公開法」という。)第5条1項第3号の「国の安全」と同様、国家の構成要素である国土、国民及び統治体制が平和な状態に保たれていること、すわなち、国としての基本的な秩序が平穏に維持されている状態をいう(総務省行政管理局「情報公開法 逐条解説」I-28頁)。
内閣官房「特別秘密の保護に関する法律案【逐条解説】」2013年11月19日版、p.1、太字強調は引用者

 条文に「あえて『国民』を明示し」た理由を述べる前段はつまり、「この法律が守ろうとしているのは、あなたのことなのですよ」という言い訳のように響かなくもないが、しかしこの「国民」が「つねに」あなたのことを指すかどうかわからないというのは、たとえば「非国民」という物言いを思い浮かべてみればわかる。糸井重里の『ペンギニストは眠らない』にあった言葉あそび、「『子供っぽい』のは大人。『大人げない』のは大人」ではないが、「非国民」という非難が意味をなすのは、本来「国民」である人にたいしてである。つまり「国民」とはあなたにとって所与のものではなく、ことあるごとに「国民になる」ことが求められるものなのだ。
 そして、その「なるための条件」──国への同一化──が後段に、端的に示される。

このように、「国及び国民の安全」は「国の安全」と同義であり、

何が「このように」だという気がしないでもないが、こうして巧妙に、もしくは強引に、はたまた周到に、逐条解説においても「国民」は「国」へとふたたび回収/解消されている。このとき、この「国」が、国民間の伸縮自在なネットワークの総体として事後的に現れるのではけっしてなく、〈その全体が一気に与えられるもの〉としてあることに注意したい。
 この法律について「普通の人には関係ない」と言われるところの「普通の人」こそが、いわばこの均質化された「国民」であるわけだが、この「普通の人」は──「国民」がそうであるように──けっして自明な属性ではなく、つねに「そうであるための努力」を求められるものであって、むしろ、何が「普通の人」かを決めるためにこそ、この法律が使われる可能性があることを忘れてはならないだろう。

(2013年12月14日 18:16)

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