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Apr.
2015
Yellow

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/ 3 Apr. 2015 (Fri.) 「大場さんに会う」

夜、大場(みなみ)さんに会う。
いざとなればケータイでどうとでもなるという甘えに支えられたじつにイマドキなナニで、待ち合わせ場所は「新宿」だ。

19時半に、それぞれの思い描く「新宿」に集まろう。

やりとりはずっと LINEだったのだけど、時間と場所を相談する二日ほど前の会話のなかで上のように送り、案の定、ツッコまれることもなく「わかりました」と返事が来たままきょうを迎えた。定刻どおりに、わたしは紀伊國屋書店の本店に向かう。新宿といえばやはり、わたしのなかでは紀伊國屋だからだ。

〔 19:17 大場〕ところで思い描いた新宿が一致しなかった場合、どうなるんですか
〔 19:21 相馬〕なんでそんな待ち合わせ方をしたんだろうと後悔すると思う。
〔 19:22 大場〕後悔するってわかってるのになあ

 ようやく間際になり、多少の探りを入れはじめるふたりだが、後悔先に立たず、もう手遅れではなかろうか。大場さんは駅に着き、地下通路にいて、無数にある地上出口のうちのどれから這い出ようかと考えているらしい。

〔 19:33 大場〕いるかなあ、相馬さん
〔 19:34 相馬〕いないと思うよ。
〔 19:34 大場〕ええ
〔 19:36 大場〕広くね?
〔 19:36 大場〕待ち合わせ場所広くね
〔 19:37 相馬〕そうなんだよ。広いんだよ。
〔 19:40 大場〕人生経験のより長い相馬さんが大場の思い描く新宿に寄せるとして
〔 19:40 相馬〕あ、寄せてないよ。
〔 19:40 大場〕
〔 19:41 大場〕向かってます
〔 19:41 相馬〕待ってる。

 それで 1、2分も待ったろうか、まずおそらくふたりの「新宿」は合致しないとして、そのあとグダらずに落ち合うにはどうしたもんか……やっぱり新宿三丁目のほうに出るかなあ大場さんは……意表をついて西口だったりしたら面倒だなあ、東口だろうがよ新宿はよお……と思っているところへ、にやにやしながら大場さんが現れたので「あっ」となる。「いた、いた」と大場さん。地下にいるあいだは皆目待ち合わせ場所のイメージが湧かなかったのに、地上に出るやすぐに像が結んで、「あいつ、あそこだな」と思ったという。「ここにいなかったらもう途方に暮れてましたよ」とは言うものの、なんだこの〈釈迦と悟空〉感は。しかも前髪を下ろし、丸メガネをかけて、この釈迦かわいいぞ。
「会えるもんだねえ」「会えるもんですねえ」とひとしきり感心しあったのち、居酒屋で 2時間ほど飲む。大場さんが博多で食べたという「むっちゃん万十」の話。大場さんが iPhoneから買い替えた Xperiaの話。古井由吉の話。次兄による CGアニメの新企画「母子解放戦線ボニュール」の話。テニスやろうぜの話。などなど。
さかのぼれば去年の春ぐらいからずっと口でばかり言っている──もともとは石原(裕也)君と島(周平)君が大場さんとしゃべっていて「やろう、やろう」となったものに、後日わたしが乗っかった──ところの企画である「テニスやろうぜ」だけれども、いよいよ動く。大場さんが知っているテニスコート施設をいくつか挙げ、Xperiaで空き状況を確認すると、たとえば杉並の「和田堀調節池庭球場」だとまだ予約で埋まっていない直近の日曜が 7月5日だ。(というか、あとで気づいたが 7月以降は抽選申込の受付前なので空いているってだけの話なのだったが、)ほうっておけばきっとまた冬になっているにちがいないわれわれのことだし、もう和田堀でいいのではないか。7月5日でいいのではないか。7月5日の 9時から 17時まで、まるまるおさえて一日やろうじゃないかとわたしは思わず前のめりになる。「 7月5日って、晴れたらけっこうな炎天下だと思いますよ」「ここ、屋根とかまったくないですよ」とは慎重派の大場さんの謂いだが、「しょうがないよ」というわたしの説得に大場さんも「ですかね」と応じて一気に決まったような気になったものだった。
いや、ほんとはこのあと週末のあいだに再検討が入って、べつの日取りでもってべつのコートをおさえようとしているところなのだったが、というわけで、いよいよ動くね、テニス企画は。だってわたしももう、スポーツできゃっきゃ言いたい歳だよ。テニスを皮切りに、さまざまなスポーツに挑んでもいいとさえ思っているくらいだ。そして、とにかく「きゃっきゃ」言いたい。そこんところをよろしくたのむよ。
本日( 3日)の電力自給率:56.8%(発電量:13.2kWh/消費量:23.2kWh)

Walked 2km • 7,077 steps • 1hr 14min • 239kcal.
Cycled 2km • 9min • 44kcal.
(2015年4月 6日 19:08)

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/ 2 Apr. 2015 (Thu.) 「春」

40代前半の米朝。かっこいいんすよ、とにかく。

リハビリ、リハビリ、書くリハビリ。
web-conte.comで使っているサーバを引っ越した。数ヶ月なんの更新もなかったので注目する向きもほぼなかったろうが、ここ二日ぐらい表示がおかしかったり、アクセスできなかったりしたのはそのためだ。きょう無事完了、したはず。
(長兄の長女)がこの春から大学生。美大に受かった。キャンパスまでの電車の便がわりといいということで、試験期間中は一週間ほどうちに泊まり、各試験会場に通っていたが、春からの部屋もけっきょく立川で借りて、うちからごく近いところにこないだから住んでいる。
せんだっては牛尾(千聖)さんがうちに来た。新しく起ち上げる個人サイトの相談。行ったところでほんとにまだなんにもないけれど、ushio-chise.comというドメインだけひとまず用意した。そのうち、ここで何かがはじまる予定。
春をすこしだけ前に、(桂)米朝が死んだ。忙しくしていた日で、訃報が世間をひとめぐりしおえたぐらいに後れてニュースを知った。

 前にも、「落語は正面きって述べたてるものではない」と書きましたが、汗を流して大熱演する芸ではないのです。……実際は、汗を流して大熱演していても、根底の、そもそもが、「これは嘘ですよ。おどけばなしなんです。だまされたでしょう。アッハッハッハ」という姿勢のものなのです。
 芸人はどんなにえらくなっても、つまりは遊民(何の仕事もしないで暮らしている人)なのです。世の中の余裕──おあまりで生きているものです。ことに、落語というものは、「人を馬鹿にした芸」なのですから、洒落が生命なのです。
 わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』
桂米朝『落語と私』(文春文庫)

「末路哀れは覚悟の前」なのだし、往生にもとより過不足のあるはずもないものの、とにかく不足なく、全うして逝ったという印象だからさほどの動揺はなくて、訃報に触れ、「あっ」となったのちにやがて寄せてくるのは静かな感慨のようなものだ。いまはただ、その最晩年にすべり込めたことをひとえにありがたく思うばかりであり、大阪・京都まで追いかけた当時のわたしの〈熱〉と〈浮かれ〉について、あらためて自慢したい思いだ。

  • 古手買い、肝つぶし ( 2001.5.3、大阪・トリイホール)
  • 天狗裁き、たちきれ線香 ( 2001.11.30、東京・日経ホール)
  • 風の神送り、まめだ ( 2002.6.1、京都府立文化芸術会館)
  • 足上り、崇徳院 ( 2002.8.28、京都府立文化芸術会館)
  • 抜け雀 ( 2003.1.11、滋賀・近江八幡市文化会館)

生で観たのはこの 9席。とりわけ「肝つぶし」と「まめだ」、「足上り」が強烈に印象に残っている。

▼かつて我々が「プロレス」だと思い、それゆえに「プロレスが好きです」と言ってきたものが、今となって実は「猪木」だったと分かるように──喩えて言えばそういうことなのだが──、ひょっとして我々が「上方落語」だと思っているものは「桂米朝」なのではないか。そう思ってしまうだけの名人が、目の前なのだった。「上下〈かみしも〉を切る」ことによって突如そこに構築される空間と時間が、ちがう。ちがうと言うか、なんだこりゃだ。問題は圧倒的に、「ナマだ」ということの方にあるだろう。「ナマだ」ということに比べれば、おそらく、「大阪だ」ということはちっちゃな要素にすぎない。(というのはしかし、「大阪で」「ナマで」見た人間の言い草でしょうか。)「東京で見る」ことのデメリットは実際、「大きいホールになってしまいがち」ということの方にあるんではないかね。トリイホールはまったく、こぢんまりしていてよかった。詰まるところのアドバイスはまあ、「急げ、急ぐんだ、みんな。」ということであって、それはもう変わりようがない。『米朝全集』等のパッケージで馴染みのある姿が早もう十年近く前のものであって、うん、そうだよなあというお歳なのだった。
web-conte.com | Red | コーナーの日記/2001年GW特別篇「今しばらくの、うわの空」

ところでさっき引いた、米朝が師匠・米團治に言われたという言葉だけれど、これ、いちばんの要は「むさぼってはいかん」てところなんだろうなあ。前後の文脈からは「芸をむさぼるな」という意味に取れるが、それ、簡潔ながらとてもむつかしいことを言ってるような気がするよ、米團治は。
2012年8月の「米朝一門夏祭り」で、併催されていた「桂米朝展」の、こともあろうに年譜のパネルでもってちょっとうるっときてしまったのは、1953(昭和28)年、米朝 28歳の欄にこういう記述があったからだ。

2月、二代目桂春團治が死去。新聞に「上方落語はこれで、実質上滅んだといってよい」と書かれる。

あー、(桂)南光が観たいよ。という、春。
本日( 2日)の電力自給率:62.8%(発電量:16.8kWh/消費量:26.8kWh)

Walked 6km • 8,811 steps • 1hr 40min • 284kcal.
Cycled 1.8km • 8min • 40kcal.
本日の参照画像
(2015年4月 3日 17:27)

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