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Sep.
2016
Yellow

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/ 25 Sep. 2016 (Sun.) 「楽日」

まずはシンクロニシティの話から。

@kodamasatoshi: 突然インターネットに接続できなくなり、困っていた。ルーターに濡れ衣を着せながら調査していると、みんな見たことあるけど名前がよくわからないあの機械(ONU)の問題だとわかり、こうなるともう、電源を抜いて、風呂に入りながら「直れ」と祈るほかない。結果、直ったので、こうしてツイート。
2016年9月25日 15:07

@kodamasatoshi: ほんま、プラッチックの魅力のない機械やで。
2016年9月25日 15:09

 ときを同じくして──かどうかは知らないけど──、今朝、わたしもこの目に遭った。起きたら家全体がネットにつながらなくなっていた。ONU一体型のホームゲートウェイ、PR-500KIの不調。前にも一度同じことがあり、そのときはけっきょくつながらず、深夜だったが NTTに電話して、モノ自体の交換となった。交換品は翌日に届いた(そのときの対応はすごく早かった)。で、きょうは、Mac、AirMac、PR-500KIの電源をすべて落とし、30分くらいたっぷり放置してから(その間、わたしもシャワーを浴びたのだった)、まず PR-500KIだけを点けたら復帰した。
そんなことをしていたりして、前夜の腹づもりよりも家を出るのが遅くなる。
午すぎに家を出て、『子どもたちは未来のように笑う』がきょうついに千秋楽の、こまばアゴラ劇場へ。いっぽう有明では東レ(・パン・パシフィックオープン)の決勝──キャロライン・ウォズニアッキ v. 大坂なおみ──がすでにはじまっていて、TennisTVのアプリでそのライブ中継を注視しつつ電車に揺られる。
劇場に着き、まず宮沢(章夫)さんからアレを受け取る。少し時間をつぶすうちに開演。開演間際、ウォズニアッキの優勝が決まった。ウォズニアッキは今季初優勝( 1年半ぶりぐらいの優勝)。おめでとうございます。劇場のロビーに備え付けられた小さなテレビモニタで舞台の様子を見つつ、制作の赤刎(千久子)さんが大入り袋を書き終わるのを待つ。書き終わったそれを受け取って、いったん劇場をあとに。麹町。打ち上げまでの空いた時間を使い、会社で仕事。
先日来「アレ」というふうに日記のなかで書いていたのは、打ち上げで大入り袋とともに役者・スタッフに配るメッセージカードのことである。メッセージはひとりひとりに宛て、宮沢さんが手書きで書く。その起源と来歴(というのはつまり、わたしが公演に関わるようになる前のこと)は知らないが、『トーキョー・ボディ』( 2003年)当時の宮沢さんのブログにすでに「恒例」とあるので、かなり以前からつづくものとおぼしい。

終わって打ち上げ。みんなにメッセージを書いたカードを送るのも僕の舞台の恒例。泣くぞお。泣くぞお、と思っていたら、案の定、何人かが泣いたのでしてやったりの気分だ。それが私の楽日の楽しみ。女の子たちが何人か泣いている。三坂号泣。笠木も泣いたな。ざまあみろ。繰り返すようだがしてやったりだ。笠木に渡すカードの文面などはもう三日ほど前から念入りに準備していた、「泣かせるからな」と本人に繰り返し予告もしていたのに泣いたので面白くてしょうがない。
Feb.2 sun. 「楽日。さよならだけが人生だ」、「トーキョー・ボディ」

 演出助手として参加した『トーキョー/不在/ハムレット』( 2005年)と、Web制作ほかを手伝った『ニュータウン入口』( 2007年)ではただもらう側の立場だったが、そのときのカード(カードそれ自体)ってどんなだったっけかなあ。『トーキョー/不在/ハムレット』のときは無地の、白い厚紙だったように思うが記憶があやふや。紙焼き写真をカードとして使うようになったのは『ニュータウン入口』からで、たしか、メインスタッフ用には宣伝美術のために撮られた素材写真(信号機とか。みんなそれぞれちがう写真だった?)をモノクロプリントしたものを、役者用には各人の舞台写真をこれも白黒で紙焼きしたものを用意していたように記憶している(わたしはそのどちらでもなく、無地のカードをもらったのだったか、はたまた大入り袋だけだったか)。つぎの『ジャパニーズ・スリーピング』( 2010年)からわたしは宣伝美術として参加するようになり、このときに、現在までつづくカードのフォーマットがだいたい決まった。ゲネプロを撮影した舞台写真のなかから、各人の「これ」という写真を宮沢さんが選び、それを大きく引き伸ばしたプリントの裏にメッセージを書くというのが役者用。それと併せて、これは全員に配るものとしてポストカードを用意する。ポストカードは片面が舞台写真(舞台装置を写したものとか、全員が写ってるシーンとか)で、役者以外のスタッフには、無地のもう片面にメッセージを書く。『トータルリビング 1986-2011』( 2011年)、『光のない。(プロローグ?)』( 2013年、このときはポストカードのみ)、『夏の終わりの妹』( 2013年)、『ヒネミの商人』( 2014年)とこのスタイルが踏襲され、『ヒネミの商人』のときにさらにポストカードが〈もうひと凝り〉するようになる(「なる」って、わたしがしたのだが)。つまり、サイズを倍(往復はがきサイズ)にして二つ折りにし、都合 3倍になった印刷領域でより遊べるようにした。折った中面の片側がメッセージを書く無地のスペースで、その隅には小さく切り込みを入れ(手作業)、そこに大入り袋を差し込むというかたち。今回もこのスタイルである。
そんなこんなで準備した「大入り」渡しイベント──渡すアイテムはアイテムとして、何よりいちばんのメインは、渡すさいにひとりひとり、いちいち宮沢さんが何か言うという、その〈長い大入り〉であるが──もつつがなく済んで、無事に打ち上げた夜だった。二次会に流れることもなく、役者やスタッフの何人かとわいわい電車で帰った。
さて、

@soma1104: 書きはじめた。あくまでテクスト読解の手つきで、どこまで行けるか。あんまり行けないような気もする。ただ、きょうは断固仕事だ。断固仕事をするのだぞ、おれ。
2016年9月23日 10:58

とツイートしたのはもちろん『子どもたちは未来のように笑う』の感想(?)のことだけれども、それはまだ冒頭しか書けていないのでまたこんど、あらためて。書けるかなあ。書けるといいなあ。
本日( 25日)の電力自給率:62.9%(発電量:10.7kWh/消費量:17.0kWh)

Walking: 6.6km • 9,108 steps • 1hr 32mins 35secs • 314 calories
Cycling: 867 meters • 4mins 24secs • 19 calories
Transport: 52.7km • 1hr 23mins 27secs
(2016年9月29日 13:48)

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