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Oct.
2016
Yellow

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/ 19 Oct. 2016 (Wed.) 「そうか、抑圧ってそういうことか」

手近な、とはいえコミックをそこそこ扱っているところを 3軒あたって、「ないもんだねえ」と実感。とり・みき『メカ豆腐の復讐』(イースト・プレス)はおとなしくアマゾンにするか、な?
@tak_kameradさんより。

@tak_kamerad: 秋の靭はそりゃいいだろうとも
2016年10月19日 16:39

その(うつぼ)では、内藤(祐希)選手がシングルス、ダブルスともに二回戦を勝ち上がった。

シングルス二回戦
Yuki NAITO (JPN) d. Moyuka UCHIJIMA (JPN) 6-0 6-3
ダブルス二回戦
I-Hsuan CHO, Yuki NAITO (TPE/JPN) d. Nagomi HIGASHITANI, Shiho TSUKUDA (JPN) 4-6 6-2 [10-8]

さて、小田亮先生の Web連載(毎週水曜更新)「第3回:0円生活にみる『人間的な生活』」はぐっと踏み込みを見せた印象。おもには「贈与・分配」を扱う内容だが、そのなかで、(言葉そのものは出てこないものの)「二重社会論」にもさらっと触れてみせている。

 坂口さんは、都市というところは、「人間的な生活」と「金銭的な価値を基準にした生活」の中間がなく、どちらかを選択しなければならないのだろうかと問うています。ほんとうに「中間」がなく、どちらかを二者択一で選ばなければならないとしたら、その選択はかなり絶望的なものとなります。しかし、「中間」がないように見えるのは、「金銭的な価値を基準にした生活」の側から見ているからかもしれません。そこでは、0円ハウス生活のような暮らし方は抑圧され排除されています。その抑圧と排除によって明確に分割されているから、中間がないようにみえるのです。そうではなくて、「金銭的な価値を基準にした生活」を強いられているところでも、その基層には0円ハウス生活的な「人間的な生活」があるのだと考えることもできます。〔太字強調は原文〕
第3回:0円生活にみる「人間的な生活」 - はぐらかし・やり過ごし・じゃれ合い的生活のすすめ

 この太字強調の箇所がつまり(近年小田先生が言及することの多い)「二重社会」という視点1]だが、わたしがはっとさせられたのはむしろその直前のくだりのほうだ。繰り返しの引用になるが、

しかし、「中間」がないように見えるのは、「金銭的な価値を基準にした生活」の側から見ているからかもしれません。そこでは、0円ハウス生活のような暮らし方は抑圧され排除されています。その抑圧と排除によって明確に分割されているから、中間がないようにみえるのです。

というこの指摘である。ここでなされているのは、1989年の『構造主義のパラドクス』から一貫するところの〈二元論〉批判なのだが、それが「二重社会論」へと接続するさまをこうしてさらっと語られ、ちょっとあらためて蒙を啓かれた気がするのだった。そうか、抑圧ってそういうことか、と。

1:「二重社会」という視点

ここにある引用だけだと、「なんだかあたりまえのことを言っている」というふうにしか映らないかもしれないのであれだが──そしてじっさいそれは、日常における〈ごくあたりまえのこと〉を人類学の立場からあらためて指摘してみせるという仕事なのだが──、詳しくはたとえば「社会の二層性あるいは「二重社会」という視点──小さなものの敗北の場所から──や、これはネットでは読めないが「『二重社会』という視点とネオリベラリズム : 生存のための日常的実践」などの論文を参照いただきたい。というか、ほかでもないこの Web連載こそがきっと、こののちあらためてこの二重社会論をやさしく扱ってくれるにちがいないと思われるので、それをぜひ待ってもいただきたい。

〈二元論〉と〈二項対立〉は、世間ではほぼ同義の言葉として捉えられ用いられている感があるが、この両者をはっきりと区別し、〈二項対立〉の立場から〈二元論〉を批判するのが構造主義(レヴィ=ストロースや小田亮のそれ)である。その違いについては、もう何年も前のわたしのこのツイートが、けっこううまいこと(字数少なめに)まとめていると思うのだが、どうか。

@soma1104: 二元論は「一」を隠し持っている。二項対立は次々と「二」を生み続けることによって「二」を保持する。二元論(究極的には「内/外」を分ける)には分割される「全体」があるが、二項対立は何かを二分するのではなく、いわば手当たり次第に何かと何かを結びつける。対立とはむしろ接合のことである。
2010年5月19日 13:59

究極的には「内/外」を分けるところの二元論は、じつのところ「内」による一元論なのだ、ということ。そして「外」を抑圧・排除することによって、「内」と「外」は二者択一であって、その中間はないのだと錯覚させること、それが強者たる「内」の作戦なのだ。じっさいには「内」も「外」もなく、無限のグラデーションが拡がる〈二〉しかないのに!

 《二》は単一性でも多様性でもない。それは、《一》からの偏差・ずれを端的に表す。《一と多》の対立は、この《二》の両端に作られる幻想の対立なのである。
小田亮『構造主義のパラドクス──野生の形而上学のために』(勁草書房) p.19

本日( 19日)の電力自給率:32.0%(発電量:5.6kWh/消費量:17.5kWh)

Walking: 6.4km • 8,348 steps • 1hr 34mins 37secs • 304 calories
Cycling: 1.2km • 6mins 17secs • 26 calories
Transport: 58km • 1hr 16mins 50secs
(2016年10月20日 22:35)

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