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Jan.
2017
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/ 13 Jan. 2017 (Fri.) 「ロビンもきっと楽しかった」

1月6日、こたつの上に乗りたいとせがみ、乗せてもらったロビン。舌が出ているのを確認できる最後の写真となった。

ロビンの食べた石鯛。

「帰命尽十方無碍光如来」の札。

すでにツイッターでは簡単に報告させてもらったとおり、11日の 18時半すぎ、三匹いた飼い猫のうちの最年長、ロビンが亡くなった。まるまる二十年、妻にとってはちょうど人生の半分をともにした。最後はこれという病気があったわけでなく、老衰と言うよりほかにない、緩やかでおだやかな死だった。妻もわたしも、まだまだ、いくらでも泣いている。
アメリカンショートヘア。生粋のそれだが、父娘のあいだに生まれたために血統書が付けられず、売り物にならないからと妻が譲り受けることになった猫だ。飼いはじめに病院に行ったさい、仮にでも誕生日を設定しておくとあとでわかりやすいですよとアドバイスされ、だいたいの逆算でもって妻はそれを 1月15日と決めた。
弱りはまず後ろ脚にあらわれた。足どりがおぼつかないのはしばらく前からだったが、ウンコをするさいに充分に踏ん張れなくなった。そうして便が溜まってしまって 11月に何度か病院へ通う。このときに妻が病院の先生から、肛門ちかくまでやってきたウンコを手で排出してやるやり方を教わる。ここ五年ほどの常食だった「 y/d」(甲状腺機能亢進症のための療法食)のカリカリは繊維質が多いため便が固くなりやすいということで、同じ y/dの、ウェットタイプの缶詰のほうに常食が切り替わった。以降はたまに妻が手伝うことで、ポコポコとうまく排便するようになっていた。
近年はまったく鳴かない猫だった。息の漏れで「ぶふ、ぶふ」というような音を立てることはあったが、「にゃー」でも「みゃー」でも「なー」でも「なおー」でも、そういった猫らしい鳴き声を発したのは、わたしといっしょに住みだしてからは一度も耳にしたことがない気がする、と妻も述懐する。むかしはごはんの催促によく鳴いていたというのだが。
老いはあきらかだったものの、食欲も体調も一定のままだったので気づいたら痩せていたという印象なのだが、11月の通院の折に計測したときには体重が 1.9kgまで落ちていた。背骨がくっきりと浮き出て、腰回りの肉がすっかりなくなっていた。y/dはそれだけを食べつづけないと意味のない療法食なのだが、もはや甲状腺の数値云々よりもまず「食べる」ことが最優先となる状態となったため、食のしばりはどんどんとほどけた。より食欲にアピールする市販の缶詰や、有名なおやつ商品の「焼かつお」も動員された。ただ、y/dは y/dで好きだった。最後まで。
まぎらわしくないよう、こうしてウェブ上で言及するときや友人知人との会話、病院などでは一貫して本名の「ロビン」を用いたが、家のなかでの呼び名は時とともに移り変わり、最後は長らく「よしょ」と呼ばれていた。「ロビン」→「ロビ君」→「よびくん」→「よっくん」と変遷し、もはや本名の面影がない「よっくん」がしばらく定着したのち、「よっくん」というあだ名からあらためて逆算された本名として、「よしお」という名が生み出された。それがさらに訛って「よしょ」である。
あれがいつで、どういうきっかけだったか記憶が定かではないが、これはもういつとも知れないなという予期がだいぶはっきりとしたときがあって、以降、妻とわたしは二階の寝室ではなく、一階リビングのこたつで寝るようになった。ロビンがそこで寝るからだ。たまに中を覗いては、寝息のあることを確認して安心した。そんな日々のはじまったのが 12月のなかばごろだったろうか。
トイレまわりの世話が増えた。もともとトイレの砂の汚れに敏感で、汚れ具合が彼の決める基準値を超えていればトイレのすぐ外でおしっこをし、早く掃除しろと催促する猫だった。その予防の意味もあり、トイレのすぐ外にペットシーツを敷いておくことも多かったのだが、体が利かなくなるにつれ、外に敷かれたペットシーツでしか排泄をしなくなり、やがていよいよ歩行が困難になってくると、こたつのなかで、横になったままおしっこをするようになった。それに気づいてからはこたつのなかにペットシーツを敷き、そのうえに寝てもらうようにした。
年末年始、そんな状態なので今年は妻は帰省をせず、ずっと留守番することにした。大晦日から元日にかけてはこれまでずっと、独身のころは自身の実家に、結婚してからはわたしの実家に帰省していたので、二十年目にしてはじめて、妻はロビンと年越しをすることができた。
1月9日の成人の日。ルミネの地下の魚屋で石鯛の刺身を 1パック買ってきて、ロビンに与えた。全部で六切れくらいだが、半分は生で、もう半分は湯がいて、ほぼ全部をロビンひとりで平らげた。「もう成人だよー、おめでとう」と声をかける妻の言葉には、まずおそらく、仮の誕生日である 1月15日まではもたないだろうという感慨が響いて聞こえ、思わず涙ぐむ。
10日にはいよいよ歩けなくなった。こちらのアピールする〈朝のごはんの気配〉にも反応する様子がなく、体の不随がいよいよその無尽の食欲を上回るときがやってこようとしているのだなと覚悟されたが、しかし妻が y/dの缶詰を手のひらで与えたり、小皿に入れたそれを目の前に置いたりすることでロビンはそれに食いついた。「よしょがお皿をはなさない」「よしょ、おかわり」というメッセージが妻から届くに至り、まだまだロビンを見くびっていたと思い知らされる。畏れ入った。とはいえ、ものを食べるのがもうほんとうに下手になっている。「なめて食べられる」と謳い文句のある、「 18歳からの健康缶パウチ とろとろまぐろペースト」を買って帰ると、寝る前にそれもぺろりと平らげたロビンは、その夜、満足げにすやすやと眠るように見えた。
11日。ついに何も口にしなくなる。16時すぎに妻に連絡をとると、かろうじて息をしている状態とのこと。18時に会社を出、「出た」ということだけ電話で伝えて、四ツ谷から電車に乗る。「もうとまりそうだよ」と電話口の妻。新宿で有料特急の「かいじ」に乗り換えるのが最短と検索結果が出たので、その自由席車両のデッキに乗り込み、メッセージを送った。

毎日一個ずつ、何かしらができなくなっていくロビンの世話が最後の最後まで「楽しかった」「いい子だった」と言う妻とひとしきり泣いて、それから、「このへんにあったはずだが」といくつかの引き出しを漁り、いわゆる「十字名号」の小さな札を探す。わたしの実家時代の飼い猫、シマが亡くなったときに父が作ってくれたもので、それには「帰命尽十方無碍光如来」の字が父の筆で書かれている。その札を本尊代わりにして、わたしが唯一読めるお経、「正信偈」をあげた。ネットからダウンロードしたその正信偈のテキストには「行譜」とか「草譜」とか呼ばれるらしい例の節回しのための注釈・マークが付いておらず、そこはただただ記憶をたよりに、どうにかこうにか読んだ。
わたしを出迎えたロビンの亡骸は目を見開き、口もぱかっと開けて、息をひきとったときのほぼそのままに横たえられていたのだが、その開いた口から、ついぞ聞くことのなかった「にゃー」の声が、いまにも音となりそうな、そんな亡骸だった。「ロビンも楽しかったかな?」と妻が言う。もちろんだ。ぼくらのあのロビンだもの。ロビンもきっと楽しかった。

@soma1104: きょう、夜、ロビンはヒロイさんの膝の上で息をひきとりました。おとといまでかろうじて歩き、きのうまで缶詰に食いついて(うまくは食べられないけれど)、ついに何も口にしなくなったその日に、すうっと。これ以上の最期があるでしょうか。良く食べ、良く寝、良く生きた二〇年のせいいっぱいでした。
2017年1月12日 0:10

イラストは牛尾(千聖)さんが LINEで送ってくれたもの。ありがとう。

本日の参照画像
(2017年1月14日 21:24)

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